第1話 赤い石

文字数 1,582文字






「赤い石を探して戻るよ。お前に似合いの赤い石だ。待っておいで、必ず戻るよ」



 いつかどこかで聞いた言葉。
 いつで、どこなのか、わからない。だれが言ったかも思い出せない。そもそも何も知らないのかもしれない。声はただの音のようで、懐かしさに切なくなることもなければ、字のまま、言葉そのものにしか聞こえないのだから。

 何度となく耳へとよみがえる声のない声を思い出し、旅人は、吹く風を見上げた。
 薄く削った氷の色をした空が寒々と広がり、行くあてもない風を受け流す。風と同じに旅人も、行くあてなどなかった。
 ただこうして歩き、ただこうして出所がわかりもしない古い記憶の、言葉の意味を追う。そうして旅の行く先を思うがままに決めてきた。

 幾日か前からこの地を目指していた旅人は、こちらへとやって来る人の流れに逆らって、道のはずれを歩いて行った。
 次々とすれ違う人はみな打ちひしがれ、暗く固い表情をして、生れ故郷を振り返りもしない。徒歩と荷車とで、なけなしの家財道具を抱え、やるせなさを背負った人々が国を捨てて去ってゆく。
 旅人の行く先では争いがあるのだと別の村で聞いた。それも並みの兵士や騎士などではかなわぬ異形の相手との、最後の戦いが始まろうとしているという。この土埃の道を歩き去る人々は、王命により都を逃れる避難民だった。
 こうして出て行った者たちが戦いの終わりを知ったころ、この都が皆の帰りつく先として、ここにまだあるのか。その答えはすでに、人々の顔の上へと被さった不幸の影で表れていた。
 旅人の前の道のはずれに、荷車が一台、止まっていた。ねじでも外れかかったのだろう。年配の男が車輪の前へ屈みこみ、文句も言わず手を動かしている。
 大小のかごや、しぼんだ小麦袋に小さなたんすまでが載せられた荷車の隅には、雑多なものに交じって、体中に古着を巻きつけた老婆がひとり、腰かけていた。
 旅人は老婆へたずねた。もう知っていることを。

「この先には、なにが」

 老婆は、にらみつけるようにして顔を上げると、旅人の頭を覆う布の隙間の瞳へ向けて、いらだった声で答えた。

「国さ、もう終わりの国さ。明日にも滅ぶよ。赤玉の王にやられちまうのさ」

赤玉(せきぎょく)……」

 旅人のつぶやきに老婆は怒りをあおられたようで、歩けぬいら立ちもこめられた不満が、歯の欠けた口を衝いて出た。

「王となんぞ名乗っているがね。ありゃ、地の底から湧いて出た、悪魔にもなれぬ虫けらだろうよ。化け物どもを従えて廃坑道のあちこちから現れては、町や村から奪えるものは、なんだって奪っていったさ。王様が命を投げ打って、あれらを討つそうだがね。命を捨てたんじゃ、負け戦だと己で言っちまったようなもんじゃないか!」

 荷車を直していた男が立ち上がり、「母さん」と一言、老婆をたしなめる。しかし、この年取った息子はもちろん、通り過ぎてゆく人々もまた荷車の老婆と同じ気持ちでいるのだろう。だれもその不満を咎めたりはしなかった。
 避難する者の列には、年頃の若者や屈強な男たちも武器を手に加わっていた。彼らが鬱とした眼をする人々を警護して新たな地へと送り届ける役目を得たのは、王が最後と決意したこの戦いが生きて戻れぬものなるやもと、共に行くものを限ったからにすぎない。
 だれも口を利かず、黙々と都を後にして歩いて行く。通りがかりの数人が手伝って、荷車を押す。大きく揺れて息子が引く荷車は動き出し、老婆は運ばれて行った。その灰に曇った目は薄明かりほどしか見えもしないというのに、道のはずれに広がる、荒れ地となった畑をにらむようにしていた。

「赤玉の王……」

 またつぶやいて、空を見上げる。凍える空の色をしたその瞳が映すのは、あの古い記憶か。
 旅人は一度目をつぶり、それからまた瞳を前へと向けると歩き始めた。人の波を逆らい、都の外れへ。地の底への入り口を目指して。




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