第9話 炎

文字数 2,839文字

 


 討伐隊を取り囲む異形の者の一角が崩れ、そちらへ兵士たちが長銃を向けている。彼らの前へは仲間が一人転がされ、骨を折られたか、右腕を抑えてうめいていた。怪我だけでなく、泥水をかぶり、寒さで震えている。どこか別の場所に潜んでいたのを見つかり捕まった伏兵のようだ。

 負傷した兵士の傍らには異形の者が立っている。獣が立ち上がると、こうなるのか。ぼろ布を身にまとった毛むくじゃらや、とかさや長い針に見えるものに覆われた人ならざる者たちが、うずくまる兵士をあざ笑うように短い吠え声で合唱していた。

 獣のごとき者たちへと銃を向けていた兵士が数名前へと出て、あざけりの声を上げる敵を押し返す。その隙間から駆けた別の兵士が二人、転がる負傷者をすばやく立たせると、陣地の真ん中辺りへ連れ帰った。

「そちらが何をするつもりでいるのか、多少の想像はできているぞ。城を落そうとでもいうのだろう」

 感情のない細い声は、あの魔術師のもののようだ。それが聞こえると異形の者たちが上げていた興奮した声が止み、小さなざわめきだけになった。
 四つん這いや背を丸めてしゃがみこんだ者たちの中では、ひどく腰が曲っていても魔術師だけがひと際大きく見える。旅人たちの隠れる土手へと背を向けた魔術師は、陣の先頭に立つ、銀色の甲冑をまとった地上の王へと言う。

「時間稼ぎに付き合ってやったのだ。こちらの言うことも少しは受け入れて欲しいものだな。こうして語って聞かせるだけでは、理屈がわからぬのか。そなたらの命は取らぬから、代わりによそ者を糧にすればよいという単純な話であるのに」

「話しなどない。答えは、すでにした」

 一歩も引かぬ父王の声が朗々と地下へ響くと、王女はそれが自分の力になった気がした。兵士たちも、そうであるのだろう。我らが王の言葉に賛同の声を上げる。
 そんな兵士たちの気迫をかき消すようにして、異形の王のしもべたちも、がなり立てた。しかし、魔術師が語りだすとそれはすぐに収まって、抑揚のない声だけがそこへ漂う。その細い声が何の力になるのかと王女は思ったが、それこそ、言の葉を操り魔術を使う者の不思議であるのかもしれなかった。

「そうか。そなたらは命を賭けて、ここまで来たのだったな。ならば、死の恐怖というものを身をもって味わうと、その答えが変わるかもしれぬぞ」

 不吉な宣告は、すぐに実行された。魔術師が両腕を横へと払うようにして振り上げると、その足元から左右に炎の壁が立ち上がり、王様と討伐隊へと襲いかかったのだ。

 言の葉どころか何の呪文も聞こえないままの攻撃に、討伐隊も驚き息をのむ。何を燃やして、そこまで強く火炎を上げているのか。分厚い炎の壁は灼熱の大波となって、異形の者と討伐隊の境を翔り、王様と兵士たちを取り囲んだ。
 毒々しいまでに赤い魔法の炎の勢いに押されるようにして、兵士たちは身を寄せる。眼前の炎のように揺らいだ感情をあらわにした彼らの顔を、燃え盛る赤が染めていた。

 獣のごとき者たちは炎を恐れることなく、手を叩き、身を揺すって喚声を上げた。炎の壁の向こうへと見える獲物に手出しが出来なくなったことを、不満そうにうなる者すらいた。
 耳障りな合唱を指揮するように、魔術師は振り上げた両腕を緩やかに動かしている。腰の大きく曲がった魔術師のがら空きの背中を前に、剣を抜いて思わず飛び出そうとした王女をルクセルが制した。

「脅しだ。皆を死なせる気はない。今はまだ」

 短く切れ切れの説明だが、ルクセルの言うことは王女へ考える力を取り戻させた。
 地上の王と兵を燃やし尽くそうというのなら、炎の壁で取り囲み、じわじわと炙る手間は要らない。
 すぐにもそう出来るのだということを見せつけているだけ。自分の力を見せつけて、火刑になる前に、地の底の悪魔の要求に、脅しに屈しろと言っているのだ。

 それならば、なによりも今は、異形の王を討つことが先だ。魔術の炎に皆が焼かれてしまう前に、決着を付ければいい。
 剣を握る王女の腕から力が抜けたのを見て取ると、ルクセルは言い足した。

「使わせたいだけ、使わせればいい」

「ええ。疲れて動けないところを後で、あの炎へ突き飛ばしてやるわ」

 王女の答えに涼やかな色の瞳をまたたかせたルクセルは、おてんばどころではない幼なじみの後ろで苦笑いをしている少年へ目をとめ、自分も小さく笑みを浮かべた。

 三人は土手を滑り降り、干上がった堀の底へ戻る。泥の堀の向こうに設けられた石垣は今にも崩れそうな申し訳程度のものでしかなく、ところどころに空いたその隙間から、容易に城へと近づけそうだった。
 側の跳ね橋の影の中へ、石段のようになって崩れた石垣がある。大雨のなごりが格好の抜け道を作っていた。ルクセルはそちらへ向かい、先導して堀を抜け出そうとしたところで、不意に後ろの二人へ目を向けた。

「王様は、なんの時間稼ぎをしていた? なんの策もなしに、砂州に立っていたのではないのだろ?」

 そうだ。あの伏兵は、なにをしていて捕まったのだろうか。

 王女と従者は思わず顔を見合わせた。どちらも相手がなにか知ってはいないかと思ったのだが、そうであったならとっくの昔に知ったことを相手に話している。でも、そうして互いの顔へ目をやったおかげか、二人は同じことへ行き当たった。

「発破だわ」

「爆薬を仕掛けたんですね、採掘用の」

 この国の地の底に縦横に伸びる坑道は、宝石の鉱脈を探してできた。元からあった自然の洞窟を取り込み、アリの巣穴のように坑道を繋げていったのは、人の手によるものだ。

 鉱脈が枯渇し始めた十数年前でも手掘りは主流だったが、大きな採掘には、爆薬の筒を岩壁にうがった穴に差し込んで行われる発破が、繁盛に使われていた。
 王女と従者はそれらについて、鉱脈掘りの者たちには当然負けるが、知識だけなら身に付いていた。国の成り立ちを学ぶ王女の横で従者の少年も机を並べ、教育係として城へ招かれた博士の講義を聞いていたからだ。
 十数年前、新たな鉱脈を求めた採掘で大規模な発破を行ったが、民の間ではそれが、地の底の悪魔を目覚めさせた愚かな行為だとされていた。その頃から廃坑道を伝い、国のあちこちに異形の掠奪者が現れるようになったからだ。

「それは、この城に?」

 ルクセルの問いに、王女と従者は並んで、異形の王の城へと顔を上げる。魔術師の放った炎の光を受けた城は赤く色づいて、地の底の黒い空を突いていた。

「いいえ。あの城を崩してはなりません」

 王女が見つめる赤玉の王の城は、地の底を支えていた。ろうそくの明かりに浮かび上がる塔の背後には巨大な奇岩がそびえ立ち、洞窟の天井と地を繋ぐ、石の柱となっていたのだ。
 天上を支えて大地にひざまづく巨神のごとき岩の柱を見上げたルクセルは、その目を燃え上がる砂州の先へと向けて、言った。

「では、あちらか」

 ルクセルに並んで土手の向こうへと目をやった王女と従者は、まったく同じにうなずいて、旅人に賛同した。




 
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