第19話 闇に光

文字数 4,356文字

 



 闇の中に赤いきらめきが散る。
 銃の火花でもない、虫明かりでもないその輝きに、王女が驚くほどの反応を見せたのは異形の戦士たちだ。
 武器を放り出し、我先にと砂利の合間に落ちた紅玉へ飛び付く。仲間を押しのけ、砂利を掘り起こし、小石も泥も飲み込まんばかりに争う様子に、王と兵士たちはあっけにとられた。

「今です!」

 王女は剣を手近な敵へと振るいながら、父王と騎士たちへ駆ける。袖に隠した赤い石をまた数粒宙へと放ると、兵士たちを取り囲んでいた一群が獲物に背を向け、水しぶきを上げて泥に転がった。

「機を逃がすな。王女に続け!」

 王様は両の手の剣を振るい、こちらに背を向け地に這いつくばる異形の者たちを次々と倒した。前線の騎士と兵士たちは防御を解き、混迷をきたした敵へと一気に挑みかかる。赤い石に魅せられた異形の者たちは、なすすべなく打ち倒されていく。

 だが、王女が持ち帰った紅玉にも限りがある。ここですべてを打ち取れるほど相手は弱くはない。何よりも向こうはまだ数で優っている。どちらが最後まで戦い続けられるのか。この決戦の勝敗は見えていない。
 掲げる虫明かりの下で兵士に囲まれた従者がこちらへ手を振るのを見届けると、王女は最前列の父の元へと駆けた。

「我々の運命は、あの者と共にあります」

「旅人か」

 王様は、倒れ伏した異形の者たちの向こうで、紅玉の魅了から解け態勢を立て直し始めた敵の軍勢を見やる。勝敗はまだわからなくとも、もうすでに決めていることはあった。

「最後まで戦い抜くのだ! 我と、王女に続け!」

 皆と国の命運を王女に、その決断に託す覚悟は、とうに定めている。そして何よりも、自信に満ちた娘の顔を前に父が迷うことなど、もうなかった。




 強く握られた拳の指の間から炎が薄い刃のようにほとばしる。真っ赤に燃え上がる異形の王の拳を放り出していた右足で蹴り上げて、ルクセルは炎の刃を逃れた。

 蹴り上げた足をそのままさらに高く上げ、自身に巻き付く布へと引っかける。膝を曲げて片足一本で己の体を宙へ起こしたルクセルは、その身を大きく振って、書棚の上へと舞い上がった。
 ほこりをかぶった丸太へと体を預けたルクセルを追うように、片手に握られたぼろ布を伝い、炎が駆ける。赤玉の王はもう一方の手を開いてそこへ火の玉を作ると、ルクセルを載せた丸太へと投げつけた。

 覆いの古布は瞬く間に燃え上がり、炎の帯となって宙に消える。揺すられた重みで軋んでいた丸太は、腐りかけた側面で火の玉が弾けると、真っ二つに折れた。
 燃え上がる布に巻き付かれたまま、ルクセルは木と共に床へと落ちる。巻き込まれて倒れた書棚が次々と被さり、ルクセルの姿はその中に埋もれた。

 積み上がった書や梁の底から這い上がるようにして炎は燃え広がり、吹き上がった火に巻かれて紙片が灰に変わる。炎は風を生み、部屋の中央から外へと灰と熱、煙が広がってゆく。
 熱風と灰を浴び立つ赤玉の王は、書架を燃やす炎へと両手をかざした。
 風に乗って巻き上がる炎は赤玉の王カーバンクルスへと誘われるように伸びてゆく。両手に巻き取られ、その指先と手の平を赤く染めながら吸い込まれていく炎を前に、カーバンクルスは首をかしげた。己の血となった炎の中に、なんの力も感じないのだ。

 その隙を図ったかのごとく、轟音と炎の塊が異形の王を襲う。
 投げつけられたのは燃え上がる梁の残骸。身をかわしたカーバンクルスの背後、岩の壁へとぶち当たった梁は、火の粉と破片を散らし、床へ落ちた。

 燃えくすぶる書架の只中から、赤玉の王は目を離さなかった。
 そこここから火が上がる書架の残骸を踏みしめて、旅人は立っていた。その身を縛っていた布と共に半身の服が焼け、白い肌が見える。冷たく凍えるような薄い青の瞳はまっすぐに、異形の王の姿を捉えている。
 瞳の中にカーバンクルスの赤い光を映したルクセルの眼前で、畜光花が儚く燃え尽き、灰となって舞った。

「お前の答えは、それか」

 それをたずねた赤玉の王の顔に笑みはなく、両手へ炎を集める。
 新たな力への興味は最初からなかったもののごとくに失せていた。何のために力を欲してきたか。その答えを、カーバンクルスは目の前に見つけた。

 ルクセルは答えた。赤い石を探す以外にただひとつ。己が知っている己のことを。

「自分である以外の生き方は知らない」

 崩れた書架を蹴って、旅人はカーバンクルスへと躍りかかる。赤玉の王は魔力の炎をまとった拳で、ルクセルを迎え撃つ。
 燃える拳をかわしカーバンクルスの胸を貫く赤い石へと、ルクセルは自分の拳を突きつけた。だがその一撃は届かない。のど元で炎が弾けたのを見た時には、ルクセルの体は背後へと振られ、ひとつだけかろうじて立っていた書架へと叩きつけられていた。

 裂ける木が上げた悲鳴を嘲るように、カーバンクルスは再び笑みを浮かべる。ルクセルの首を掴んだ左腕に、さらに力を込めて押す。ルクセルが背を預けた書架も倒れ、腐った木と崩れた本の山を築いた。
 首を掴まれ引きずられ、ルクセルは山の上へと運ばれる。積み上がった木材の中へと押し込められ、半ば埋もれたルクセルのもがいた足は割れた板を空しく蹴った。

 坑道の材木と書物であったものによって出来上がった、火あぶり刑の薪の山。異形の王が自らその手で火刑を執行する。右手から放たれた炎は書架の山裾に火を付け、禍々しいほどに赤い炎は隙間を奥へと潜って、薪の底に広がっていった。
 書架の山の底から燃え広がる火のごとくに瞳を赤く染め、赤玉の王カーバンクルスは問う。

「お前は一体、何者だ。ただの旅人にあらず、なぜに赤い石を探す? どうして……どうしてこの炎でも焼けぬのだ!」

 ルクセルの首を締める両の手に、カーバンクルスがどれだけ力を込めようとも、細く、蓄光花のようにたやすく手折れそうなその白い首は、絞めることができなかった。
 ルクセルの透けるような白い肌の上で、赤玉の王の指は岩の壁に押し当てたようにしてはじかれている。その色のごとき陶磁器に触れていると思わせるほどなめらかな肌は、その内に何物をも寄せ付けぬ硬度を持って、異形の王を拒絶していた。

「お前は何者だ」

 再び問うカーバンクルスは己の声に動揺を感じ取り、それへさらに戸惑った。

「知らない」

 首を絞められているはずのルクセルは、息を詰まらすこともなく、淡々と答える。

「だが、ここへ来てわかったこともある。お前と同じ。化け物なのだろう」

 首を締める手を振りほどこうと赤銅色の腕へやっていた自分の手を、ルクセルは離した。力なく離れたルクセルの白い手に、カーバンクルスが思わず目をやる。
 その刹那、いつそれほどの力を込めたのか異形の王にも理解できない速度で、ルクセルは両の拳を目一杯、背にした書架の残骸へと叩きつけた。

 腰の辺りに出来た隙間へ潜り込むようにして膝を抱えたルクセルは、力いっぱい足を蹴りだし、赤石の王を蹴り飛ばす。カーバンクルスは大きく身をよじらせながらも書架の山へ踏みとどまろうとしたが、炎が広がり燃え上がる木が足元から崩れ始めた。
 窓辺へとその身を躍らせ、赤玉の王は旅人を迎え撃つ。しかし、燃え盛る火刑の山のてっぺんに、ルクセルの姿はない。

 炎と煙に遮られた部屋を、風が斬った。地を這うように床を蹴って飛びかかってきた白磁の化け物は、今度こそその手で、赤い石へと触れた。

 胸を貫く赤き石に白い手の平が当たる。赤石の王はその鋭い一撃をかわすことこそできなかったが、同時に反撃の一手を繰り出していた。
 火炎に染まった手でルクセルのはだけた白き胸を突いたその時、カーバンクルスは、ただただ目を見張った。灼熱の手の平が当たっても、ルクセルの皮膚は焼けただれることなく、さらにはその奥に炎よりも熱い、白い光がともっていたのだ。

 その白い光。赤い石に叩き込められた、偽りではない、まったく別の膨大な力。

 今まで感じたことのない、それでいて己の中にもあるものだと確かに知っているその爆発的な力が、異形の王カーバンクルスを貫く石に見えざるひびを入れる。
 受けきれない力に吹き飛ばされた赤玉の王は、すべてを悟った。

「まさか、お前は」

 言いかけた言葉を継ぐこともなく、異形の者たちの王は、窓から外へと落ちて行った。堀をうがつ、漆黒の闇へと。




 赤玉の王の体が地に叩きつけられ、カーバンクルスの偽りの石が砕けたと同時に、怪物たちもうめきを上げ、のたうち回る。獣と人を混ぜこぜにした異形の姿は炭のような黒に塗りつぶされ、ついには燃えてなくなってしまった。

 勝ったのだ。この、無謀な戦いに。
 炭が灰となり、地の底の闇の中へ溶けるようにして消えたのを見届けると、兵士たちは飲んだままにしていた息を歓喜の叫びにして吐き出した。固く握っていていた武器を取り落とし、互いの手を握り背を叩き、肩を抱いて無事を確かめ、健闘をたたえあう。
 異形の者との戦いに勝利した王と兵士たちは負傷者も、従者の少年と虫明かりの虫たちも加わって、喜びを語り合っていた。
 歓喜の声を背に奇岩の城へと仰ぎ見た王女はひとり、息を飲む。

 窓からこぼれる白い光と、その中心の影。
 光は、その影から放たれていた。その胸の奥、身にまとったあまりにも強い輝きに、影として見えているその者の内から。



 窓を背にし、炎の中を歩む。白い光は急速に、灰色の煙に飲まれ、かき消えた。
 炎の中にあって燃えぬ者が通り過ぎた側には、聖なる赤き石の製造法を記すと共に、同じように光を放つ、色とりどりの石が描かれた本があった。
 絵の中心にその白い石の姿があったが、それはあっという間に燃え上がり、黒焦げになってしまった。






「では、お元気で。また会いましょう」

 王女が馬上から笑みを向ける。
 旅支度にともらって、いつものように頭へ巻いた真新しい布の影から、冬空の色をした瞳がのぞいた。何を疑問に思っているのか、首がわずかにかしげられる。

「石探しだけを目的にしなくても良いでしょう、気ままな旅人ならば」

 王女が小さく笑い声をあげると、それをたしなめもしない従者も一緒になって笑う。ルクセルもまたつられて笑みをこぼし、うなずいた。
 うなずいて、旅人は踵を返すと去って行った。人の波に逆らい、荒れた畑のへりを乾いた道の先へと歩んでゆく。その姿が小さくなると王女は馬をめぐらせ、城へと鼻先を向けた。従者の少年は隣りを付かず離れず、主であり幼なじみである王女に従う。
 遠目から少しだけ振り返って二人の姿を見やり、ルクセルはまた歩き出した。記憶に残る言葉を目的に、どこに行くのかも定まっていない旅人の側を、家路をたどる老婆を載せた荷車が通り抜けていった。





 カーバンクルス おしまい
 
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