誰もいない礼拝堂──。
そう、もはや誰もいない……。
ただ独り祈りを捧げる〝マザー・フローレンス〟以外には……。
深淵に沈むかのような閑寂。
神像御前の汚れを軽く清掃したものの、事後の血痕は
払拭するに多過ぎる。
そんな血の
臭いが
燻る中で、マザーは
一途に祈り続けた。
惨劇に召された
幾多の
生命へと
手向ける想いを──。
「……やはり、いらっしゃいましたか」
不意に独白の
如く、背後の気配へと語り掛けた。
入口に立つ殺気へと……。
夜神冴子であった。
その銃口は迷い無くマザーへと定められている。
「ですが、どうして
此処へ?」
「
有能な情報屋がいてね」
イクトミが託したメモには書いてあった──『マザーは教会付近の隠れ家へと潜伏中。煙が絶えた後に帰還し、また同様の
手口を再開するだろう。数日待っていろ。そうすりゃ
奴さんの方から来る。そうして、ヤツは何年も〈教会〉を維持してきた』と。
あの警告が無ければ、
血眼になって他
行政区を捜しに向かっていたかもしれない。
最悪、ニューヨークを出ていた可能性もある。
最後の最後で大きな
有力情報を提供してくれた。
エンパイアステートビルでの裏切りは呑み込んでやる。
何処に逃げたかは知らないが、もう報復に追う事は許してやろう。
それよりも……
コイツだ!
「ジュリザは言った──〝
あの獣を殺して〟と。そう〝
私を殺して〟ではなく」
「そうですか」向けられる敵意すら流水のように受け流し、マザー・フローレンスはゆっくりと立ち上がった。「では、ようやく確信を
抱かれたのですね?
私こそが〈
獣妃〉である……と」
穏やかに向き直る柔和な
微笑みは、しかし、
現状となってはゾッとする戦慄を植え付ける。
「もっと早くアンタを撃ち殺すべきだった! 人間だろうと何だろうと
躊躇無く!」
瞳に宿る憎悪!
「何を
目論んでいるの!」
「
闇暦に
於いて、あらゆる〈怪物〉が見据えているのは〈
闇暦大戦〉の覇権──違いまして?」
「こんな邪教を発起して、何を企んでいるかを
訊いている! 何の
為に、ジュリザを! 子供達を!」
「救いです」
「救い?」
「この
闇暦に、
力無き者達は生き残れません。死ぬまで生き地獄を味わうか、
或いは強者の
贄と
弄ばれるか……どちらにせよ〝生きる事〟は苦痛でしかありません。そして、旧暦に人々が心酔した〈神〉もいない。でしたら〈新たな神〉の
庇護へ
誘うのが、せめてもの救済ですもの」
「偽善に飾るな!」
発砲!
威嚇の銀弾が左頬を掠めた!
スゥと筋を描いた赤にも怯えず、フローレンスの
眼差しは涼やかな達観を
彩る。
然もあらん。
その傷は、波打ち際の砂絵の
如く静かに消え失せたのだから。
(コイツ? やはり
並の獣人ではない?)
得体知れぬ戦慄。
冴子の心理を嗅ぎ取ったかは
判らぬが、余裕にたゆとう
憂いは
粛々たる抑揚に語り聞かせた。
「
貴女には感受できませんか? この時代に降臨された〈新たなる神〉の威光が……。事実、子育てすら
儘ならない親御さんは、この教会の前に捨てられましてよ?
己の子を……。嗚呼、此処ならば〈神〉の慈悲に預かれるだろう──と。そうして集まった子供達ですわ」
「どんな想いで
捨てたと思ってるの……」
憤慨を
圧し
殺した
銃口が、ジリジリと間合いをにじり詰める。「我が子を手放さねばならない、身を切られる想いが分かるか!」
「
棄てられた物をどう扱おうが、それは拾い主の自由……違いまして?」
「オマエは……オマエは〈餌〉を掻き集めていただけだ! 労せず、好きな時に好きなだけ〝
糧〟を飽食出来るように! あの子達の純真を……思慕を利用して!」
「召されるのは〝
魂〟のみ……所詮〝
肉体〟は器に過ぎない。でしたら、
それを無駄にしないのは、理に叶った
還元でしょう? 彼等の〝魂〟は救済に召され、
私の
生命も
繋がれる──皆が幸福の恩恵に
肖れるのですから。ええ、これもまた慈悲……惨めに〈デッド〉と化すよりは、余程いい」
「あなたは……あなたは最悪よ! 最悪の偽善者──まさしく〈
獣〉だわ! あなたに比べたら、彼女は……ジュリザは〝
人間〟だった! 彼女は〈
生命〉の……〈魂〉の尊さを知っていた! 自責に苦しんでいた!
良心の
呵責があった!」
「嗚呼、可哀想なジュリザ……まだ覚醒して日が浅い
為に、そのような些事に苦しんでいたのですね。
私のように永い歳月を過ごせば、聖職の免罪に希薄化されるというのに……」
「邪教が! 何が〝救済の宗教〟だ! キサマは、いったい
何を崇めている!」
「
何を……ですか」
睨みつける正視を受け止め、マザーは
物憂げな
眼差しを虚空に仰いだ。
「
虚像でも
善いではありませんか……弱き心の免罪符となれば」
煉獄描くステンドグラスに
阻まれた視線の先には、はたして〝何〟が見えているのであろうか……。
「ヨガミサエコ?
貴女は〝何〟を恐れているのです?」
「な……何を?」
「
貴女の銃弾には、
我々〈獣人〉に対する〝憎悪〟が宿っている……そう、単なる〝嫌悪〟ではなく〝憎悪〟が。それも
他人事ではなく私怨のような──
私には、
そう見えるのです」
「黙れ!」
右頬を刻む銀弾!
然れど、効果は同じだ。
刻み付けた銃痕は、みるみると治癒再生してしまう。
銀弾だというのに!
(獣人である以上〈ルナコート〉が効いていないはずは無い。ただ、再生治癒が高いだけ……ケタ外れに!)
呪われし魔物が秘めたる驚異を噛み締めながらも、冴子は平静を
装って問答を続けた。
「ひとつだけ
訊かせて……ジュリザは
何なの?」
現実へ引き戻され、冷たい
憂いが
応える。
「
何……とは?」
「いまにして思えば、エンパイアステートビルの戦いは『ジュリザの完全覚醒』が狙いよね?
血腥い殺し合いを生で見させて、表層意識を現実嫌悪へと追い込み、深層意識を高揚させた。加えて言えば、
私を殺させる事で〝ジュリザ〟を失望のドン底へと叩き落として〈獣〉の覚醒を完全なものとする仕上げ……天下の〈
怪物抹殺者〉が
餌だったってのは、間抜け過ぎて笑えるわ」
フローレンスは涼しい
微笑に答えない。
それが、そのまま
答だ。
さりながら、どうでもいい。
追求すべきは、その先だ。
「そこまでして覚醒を
促そうとする……
何なの? ジュリザは?」
「
姉妹ですよ」
「嘘をつかないで! この
期に及んで!」
「いいえ、本当ですよ? 何故なら〈
獣妃の
呪血〉を
授かったのですから……洗礼の血杯として」
「なっ?」
「実験でしたの。
普通の人間に〈
呪血〉を受け継がせた場合、はたしてどのような反応を起こすのか──それを知る
為の被検体ですわね」
「何の
為に!」
「
人間になる
為に……」
「な……にッ?」
「正直、もうウンザリしているのです。
貴女に御分かりになるかしら? 旧暦時代から苦しめられてきた忌まわしい体質が? 〈ジェヴォーダンの獣〉などと呼ばれて追われた精神苦が?」
「それだけの事をしたわ」
「食しただけ……自然の
理です」
「……ジェヴォーダン、三百六件、百二十三人」
「何ですの?」
「キサマが犯した襲撃回数と死亡者だ!
僅か一年前後で! これだけの数を『食した』で済まされるワケが無いだろう!」
「ああ、そういえば……時には〝狩り〟へと興じた事もありましたわね……フフフ」
「鬼畜が!」
慄然めいて考察を巡らせる最中、フローレンスが動きを見せた。
「旧暦時代、何故〈人狼〉には
月光が必要だったか
御解りかしら?
呪血? 細胞? それとも、呪い? いいえ、違う。獣化のプロセスは〝精神の具現化反映〟なのです」
「動くなと言っている!」
「何故、
満月とされてきたのか。古来より〝満月の夜〟は殺人発生率が増加しますのよ。それは月が〝潮の干潮〟に影響しているから。そして、
血潮の
高揚にも……。つまり満月の夜は、異様な興奮が活性化する。ああ、確か〈刑事〉でしたから
御存知ですわね? フフフ……これは出過ぎた講釈を……フフフフフ」
メキメキと
膨れ
上がる筋肉!
ミシミシと強度を増していく骨格!
そして、ザワザワと
覆い
繁る
獣毛!
「こノ
闇暦でハ、幸いニモ〈
黒月〉ガ
常駐シテイル! ソノ強大ナ
魔力ヲ
悪心ノ源泉トスレバ、月光ニ依存シナクテモ〈アドレナリン〉ヲ過剰分泌サセル事ガ出来ル!」
常軌逸脱の講釈に変身は続く!
体毛逆立つ
獣影は
巨躯に昇華されていく!
このタイムラグを見逃すほど、夜神冴子は間抜けてはいない!
空鳴きするまで銃弾を叩き込むと、即座に
装填用弾層を入れ換えた!
続け様の射撃──が、冷静な
一顧にて
止める。
(……無駄弾)
再生は相変わらずだ。
むしろ変身プロセスと重なる現状は、
再生力がより高まっている。
ならば、どうする?
(考えろ! 夜神冴子! 確実に
コイツを殺せる手を……地獄を味あわせる手段を……)
どれほどの命が奪われた?
どれだけの魂が
弄ばれた?
その片鱗だけでも身に叩き込まなければ気が済まない!
あの子達の無念を!
──冴子さんは〈
怪物抹殺者〉だから…………。
──さーこおばたん、もんたーすれた……。
脳裏に刻み込まれた想い……。
儚い想い……。
無力ながらに
縋る想い……。
だから、自然と
口角が不敵を刻んだ。
(……そうだぞ? 冴子お姉さんは、
強いんだぞ?)
委ねられた〝想い〟が、沸き上がる
鼓舞と化す!
私は〈
牙〉だ!
理不尽に
抗えぬ魂の!
無情に踏みにじられる
一途な命の!
私は……〈
怪物抹殺者〉!
「ウォォォーーーーン!」
変身完了の凱歌か……猛る遠吠えを響かせる!
斯くして、聖母は〈人狼〉と化した!
体高二メートル強もある漆黒の獣に!
「サア、
貴女モ
召サレナサイ! 永遠ナル幸福ヘト!」
振り下ろされる鋭い爪!
しかし、冴子は臆せずに
醒めた冷蔑を返すのであった。
「霊感商法は願い下げ」
それを示し会わせたかのように、頭上のステンドグラスを割って飛び込んで来る乱入者!
獣の脳天目掛けて雷拳が強襲を仕掛けた!
「ぅらあああーーーーっ!」
鋭敏な本能か──後方跳躍に回避するフローレンス!
膝つきの着地に正体を見極めれば、電光
纏う翼の鳥獣人であった!
「チィィ……ダコタノ小娘!」
忌々しく
睨み
据える!
一方で美しき弾劾者
二人は、涼しい信頼に並び立つのであった!
「なぁ、冴子?
二対一は卑怯……なんて言わないよな?」
「ええ、言わないわよ? だって、これは
決闘じゃないもの」
「ああ、これは──」「そう、これは──」
「「──
害獣駆除だ!」」
凛たる死刑宣告!
すかさずラリィガは突進を仕掛け、夜神冴子は
威嚇発砲の
左跳びで
雲隠れした!
効くはずが無いのは百も承知!
牽制だ!
列なる
長椅子を盾と活用すると同時に、闇のベールを
潜む
術と
纏う!
「
小細工ヲ!」
無駄のない連携が舌打ちを
誘った。
邪視が
索敵に
滑るも、迫るインディアンはそれを許しはしない!
「
余所見している余裕なんかあるのか!」
「獣人ノ
恥レ者ガ!」
「アタシは
オマエ達とは違う!」
ガッツリと組みあう両者の手!
力競べの体勢となった!
互いの獣臭が
力む顔を近付ける!
「
生憎だが、ステゴロ勝負で負ける気はしない!」
「デハ、見セテモライマショウカ! 滅ビシ部族ノ
無力サヲ!」
「滅んじゃいない……
アタシがいる!」
拮抗!
驚くべき事に、獣化したフローレンスは〈
二重憑霊〉を
遂げたラリィガにまったく引けを取らなかった!
「くっ? コイツ?」
これぞ〈
獣妃の呪血〉が
為せる
業であろうか?
だが、ラリィガには有って、フローレンスには無いものがある!
それは!
「はい、ガラ空き~★」
「ギャウ!」
背後からの発砲!
数発の弾丸が背中に
赤飛沫を噴かせる!
夜神冴子だ!
膠着に立つ
巨躯は、格好の
的であった!
「ヨガミサエコォォォーーッ!」
憤怒!
沸き立つ激情を勢いと転化したか、その場での垂直跳びに回し蹴りを繰り出した!
ラリィガの頭へと目掛けて!
「がはっ!」
右側頭部へと叩き込まれた重い衝撃!
さすがに苦悶を吐いて吹っ飛ぶ!
着地するやフローレンスの筋肉は、再生に
塞ぎ異物を吐き出した。
致命傷は無い。
「あちゃあ? やっぱ治癒再生するか。厄介な体質だこと」
「ヨガミサエコ……
小賢シイ小娘ガ!」
「は~い ♪
それだけで生きてきました~★」
ヒラヒラと掌を振る挑発の
微笑み。
「グオォォォーーーーッ!」
渾身の咆哮!
刹那〈
怪物抹殺者〉としての直感が危険を察知する!
「うわっと?」
即座に体勢を屈め、
長椅子の防壁へと潜り込んだ!
選択は正解であった!
先居た座標を軌跡として、不可視の巨槍が
貫いていた!
背後に据えられた装飾柱が
抉り砕かれ、
長椅子の一部も巻き込まれに粉砕している!
「アッブなー……衝撃波か」
まるで
掘削重機による
破壊痕であった!
その威力には軽く戦慄を覚える!
(基本的に〈獣人〉の特性は超身体能力という物理的
且つ生物学延長のもの……。こんな特性を持つ〈獣人〉なんか
出会した事も無いわね)
ともすれば、やはり
特別なのだ──この〈
獣妃〉という存在は!
(そういえば〈
呪血〉とか言っていたわね。だとしたら〈
原初怪物〉──もしくは、
その血統か)
多くの〈怪物〉にはルーツたる特異存在がいる。
それが〈
原初怪物〉だ。
時として〈魔神〉などと称される事もあり、神話や伝説に
於ける存在と化していた。
現在、大手を振って
跋扈している〈怪物〉は、そうした魔神級怪物の子孫であると同時に廉価版とも呼べる。
永い歴史の中で〈血〉や〈魔力〉が希釈する事で弱体化してしまうせいだ。
が、稀に〈
原初怪物〉の血──
即ち〈
呪血〉を色濃く継承する者もいた。
それが〈
血統〉と呼ばれる個体である。
先祖返り的な能力を保持する超強力なレアモンスターだ。
眼前の〈怪物〉は、そこはかとなく
それと感受させた。
(でも、ま、〈獣人〉は〈獣人〉よね)
上着のポケットを触る。
切り札の
装填用弾層だ。
この決戦を見越して用意した物ではあるが、実戦には初投入──効くか効かぬかは試してみなければ判らない。
況してや、相手は〈
呪血〉だ。
(……賭けてみるか)
静かに咬む決心。
そして──チラリと
傍らの霊気を意識した──
策は、
もうひとつある。
魔獣が大きく息を吸い込んだ!
(また来る! 第二波!)
即座に回避へ動けるように身構えつつ、冴子は警戒を張り巡らせる!
と、そうはさせじと魔獣を殴り飛ばす拳!
「アタシが相手だって言ってんだろ!」
「グァッ!」
復活したラリィガであった!
「ダコタノ小娘!」
警戒の
睨め
付けを浴びながらも、ラリィガの臨戦意志は怯まない!
「ハァァァッ!」
気合が種火と
弾け、全身に帯電を生んだ!
「いくらオマエが〈
獣妃〉であっても、雷撃でノーダメージとはいかないだろ!」
気迫に攻める翼が、
雷纏う拳を繰り出した!
「チィ!」
大きく間合いを離れる後方跳躍!
迸る電撃と重い拳撃の二重奏──確かに喰らえば洒落にはなるまい。
フローレンスにしてみれば、厄介な相手であった。
異質な獣化プロセスにして、それ
故に帯びる特異能力──謀らずも〈
血統〉に匹敵する強さを備えている。
況してや〈
怪物抹殺者〉との共同戦線だ。
厄介過ぎる!
ならば、
更に差を開かざるえないだろう!
敵を牽制しつつ、魔獣は
切り札を手にした!
そのアイテムを目にした瞬間、冴子とラリィガには戦慄が走る!
「アレは……魔薬〈スティーブンソンの涙〉?」
「まさか? コイツ〈
強化侵食〉を!」
狩人二人の驚愕を
嘲笑うかのように、獣は魔薬注射器を首筋へと突き立てた!
メキゴキュとした不快な骨肉音を奏で、みるみる増強されていく
巨躯!
「やめろォォォーーッ!」
変身を阻止せんと特攻するラリィガ!
滑る翼が雷拳を繰り出す!
だがしかし──「フン!」「ぐあッ?」──無造作に
振り
凪いだ豪腕が物ともせずに払い飛ばした!
幾多もの
長椅子を瓦解に巻き込み、ラリィガを残骸へと埋もれ沈める!
「ラリィガ!」
「グゥ……へ……平気だ、冴子! それより気を付けろ! ソイツ、あの〈ブロンクス区長〉よりも格段に強いぞ!」
相棒への警告を叫びつつも、ラリィガは右脇腹を押さえている。
その様を気取られないように振る舞ってはいたが、
生憎と夜神冴子は
観察力に
長けていた。
(ああなったラリィガに、これ以上は酷……。
私が決着をつけるしかない)
三メートル弱もの巨獣が、のそりと振り向いた。
本来の獲物──〈
怪物抹殺者〉に!
「ヨガミ……サエコォォォ!」
「どうやら素体が〝人間〟か〈獣人〉かで開きが出たようね? もっとも、その魔薬のコンセプトは〝下駄履き〟……となれば、基本底値の高さが左右するのは当然か」
正面構えに〈ルナコート〉を構える!
「貴様ヲ
葬ル! 〈ベート〉ノ名ニ懸けて!」
「勝手に懸けないでくれるかなぁ? 迷惑だわ」
発砲!
銀が鳴く!
迫る巨獣は右肩の出血に突進を足止めされる──が「フフフ……効カナイワ」──再生に塞ぐ
傷口。
構わずに撃つ!
撃つ!
撃つッ!
左肩! 右腿! 左腿! そして、胸板!
その
都度、衝撃に硬直しながらも、やはり
傷口は再生に塞ぐ!
「学習シナイワネ……無駄ダトイウ事ヲ!」
嘲笑に体勢を立て直す黒獣!
しかし、視界がガクンと沈んだ!
脚の
力が不足している!
否、脚だけではない!
全身を
蝕む不調感!
思うように
力が入らない!
「コ……コレハ? ヨガミサエコ! キサマ、一体
何ヲシタッ?」
「何をしたも何も撃っただけよ? ただし
特殊弾だけどね?」
「グゥ……麻酔弾ダッタカ!」
「まさか? そんな物で、アンタを無力化できるなんて思っちゃいない」種明かしとばかりに、冴子は
一弾の
薬莢を
摘まみ見せる。「トリカブト──混ぜておいたわ」
「ナッ?」
「ま、それでも
アンタには効果薄でしょうけどね? 並の〈獣人〉じゃないし? だけど
体内へ直接叩き込めたのは大きい。その〈毒〉は、遅々ながらも確実にアンタを
蝕む」
「キ……キサマ!」
「ついでに言えば、御自慢の治癒能力も裏目に出たわね? 体外排出もさせない内に、自分から体内へと取り込んだ……貪欲にね」
「ガァァァーーーーッ!」
憤怒依存の気迫!
どうやら、
気力任せに無効化を試みていた!
重い
一歩が踏み込む!
更に
一歩!
信じ
難い事だが、魔狼は不可視の鎖を振り切らんと身を動かしていた!
「ヨガミサエコォォォーーッ!」
立ち塞がる巨影が怒り心頭に
滾る!
さりながら、夜神冴子は不敵に笑むのであった。
「たいした根性だわ。けどね、アンタは、また
ポカをやらかした」
「ナ……ナニ?」
「逆上と焦りに突き動かされて、不用心に
私へと近付いた。
自ら〈結界〉の領域へと……ね」
「結界……ダト?」
「
戌守さま!」
威令に呼応して、空間が違和感を染める!
不気味な清涼と鎮静!
霊気だ!
堂内そのものを染め上げるだけの霊気だ!
次の瞬間、黒狼の五体が拘束に固まる!
まるで金縛りのような
剛力に!
「コレハ? コ……コレハ!」
「
見えるはずよ。あなたが〈神〉に仕える者なら……仮に
口先だけだったとしてもね」
──マザー……。
「アニス?」
右腕にしがみついていたのは、間違いなく逝った子供であった!
いや、右腕だけではない!
四肢に!
首に!
肩に!
身体に!
──マザー、大好きだよ。
──マザー、ずっと一緒にいてね。
──マザー……。
──マザー…………。
──マザー………………。
教会の子供達──そして、肉を喰らった
餌共であった!
血を
啜り飲んだ
贄達であった!
「ナ……何故? 何故、コイツラガ!
死ンダハズヨ!」
「〈
精霊崇拝〉──
想いの前に〈魂〉は
永遠なのよ。死生観念すら越えてね」
霊界と
現世を
結ぶ──それは〈神〉の本分である。
霊力を
憔悴したとはいえ〈
戌守〉は〈神〉だ。
造作も無い。
思慕に寂しさを噛む
この子達を連れ戻す事などは!
況してや、夜神冴子という〈光〉は、この子達を呼び戻す
道標となった。
暗闇の中で柔らかく
点る街灯の
如く!
「放セ! 放セ! 放セェェェーーーーッ!」
見苦しい焦燥に荒れ狂う獣!
それが何になろう?
全身を拘束する
錨は、どんどん増していくだけだ!
喰らった分だけ!
「ヤメロ! ヤメテ! 放セ! 放シテ!」
次第に声音から険が失われ、威圧的な
巨躯が
萎えていく。
貧弱に……。
脆弱に……。
それは魔薬の副作用〈
呵責衰弱〉の発現。
皮肉な事に、この地獄とは相性がいい。
一気還元された罪悪感は、ますます
以て
子供達を惹き付ける。
増えていく。
奈落の
枷が……。
「ヤメテ……イヤ……許シテ……イヤァ!」
フローレンスの
愁訴は免罪符とならない。
死刑囚の頭部へと
銃口を定め、
夜神冴子は無情を宣告した。
「そんなモンじゃないわよ……
その子達が味わった恐怖はね」
合わせる照準に叫ぶ!
「
戌守さま!」
以心伝心とばかりに、霊獣が銀銃へと飛び込んだ!
「最期ぐらい〝
母親〟でいてやりなさいよね……
命を拾った者の
責任よ」
決着の
引き金!
閃火に放たれる銀弾!
その弾丸には〈
戌守〉が憑依する!
銀弾──
霊獣──
忌避素材──
獣人殺しの三重奏!
処刑の銃声が轟く!
銃声?
否、それは
獣吼!
霊獣が吼える裁きの宣告!
夜神冴子の正義を具象化するが
如く!
下すは神罰か!
それとも刑罰か!
鉄槌の熱が、裁きに
眉間を
貫通した!
「ヒッ?」
穿つ刹那に
剥離した〈
戌守〉は、そのまま居残る──罪人の内側へと!
そして、一斉解放した霊力を爪と化して切り裂いた!
心臓を!
動脈を!
静脈を!
毛細血管に至るまで微塵と切断する!
肉体内部に駆け巡る霊気のかまいたち!
「ガッ!」
短い
痙攣に崩れ倒れる魔狼。
血肉に飢えた餓獣は、次第に
聖母へと還り逝く。
「〈
紐育の
人狼〉……か」
誰に言うとでもなく冴子は呟いた。
看取る価値すら無い
亡骸から関心を
背け、空しさ噛んだ
踵を返す。
振り向き様に、虚像の眉間へと撃ち込む銀弾!
満身創痍の相棒に肩を貸し〈
怪物抹殺者〉は礼拝堂を後にする。
常闇の現世魔界は激しい煙雨に染まっていた。
心身を叩きつける痛みは、それでも背後の
虚構よりマシだ……。