第九が今日も流れてる

文字数 754文字

 心の中で、今日も歓喜の歌が流れている。
 私は長年小説を書いてきた売れない作家だ。売れない、というのは、なかなかに厳しいものである。それでも私の心の中では、今日も歓喜の歌が流れている。感謝で胸がいっぱいだ。
 何もないこの日曜日の夜、深夜二十四時五十分。
 こうしてパソコンで小説を書くことができる。食事を作って食べることができる。エアコンの効いた部屋にいられる。散歩で住んでいる町の新たな魅力を発見できる。毎日風呂に入れるありがたさ。きちんと自分で排泄できる。そして、夜は屋根があり、安心できる場所で眠ることができる。
 これだけ私は恵まれている。恵まれすぎていて、涙が出てきそうだ。
 今まで様々なできごとがあった。もちろんいいことばかりではなく、むしろ悪いことばかりだった気がする。人は幸せな出来事のほうが忘れやすいとは言えど、私に残っているのは明らかに不幸な出来事ばかりの思い出だ。だが、悲劇のヒロインを気取るなんて、虫唾が走る。
 しかし、そんな中で嬉しかった出来事がいくつかある。
 作家をやってきて、編集の方々からもらった思い出がいくつかあった。それは、忙しい時間をぬって書いてくださった、お礼の手紙だ。私の拙い文章を面白いと言ってくださり、自ら編集という仕事をされているのにも関わらず、「書いてくれてありがとう」とおっしゃってくれた。
 彼女らは元気だろうか? 仕事をやめたと聞いた方。私が異動したことで疎遠になってしまった方。彼女らは今、幸せだろうか? 仕事で疲弊していないだろうか?
 何もない日曜のパソコンの上で、私は歓喜の歌を心で流しながら、ありがとうと口にする。彼女らがいなかったら、今の私は存在していないのだから。
 そろそろ二十五時。寝ないといけない。何よりも私は、周りに生かされているのだから。
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