第5話 斎藤風香

文字数 1,056文字

 俺は窓口業務を担当する営業一課に所属していた。営業一課には、斎藤さんがいる。斎藤さんは預金後方事務を二か月だけやって、窓口に回ってきた。要するに俺と同じ仕事になってしまった。一年目の仕事に、お客様へお渡しする粗品の補充があった。倉庫に行っていろいろ取ってくる、という雑用である。先月まで一つ上の男性先輩と二人でやっていたが、その先輩が外回りに異動し、斎藤さんが抜擢されたのだ。その先輩と倉庫でサボりながらこなしていた仕事を、斎藤さんと二人でやることになる。

 窓口リーダーのお姉さんが、大袈裟にいってらっしゃーいと手を振っている。なんだか見世物のような感覚。あの人ら、何を期待しているんだ、と俺は思う。斎藤さんはまっすぐ倉庫を目指し、台車を押す。俺は歩いているだけ。粗品の箱が積まれた後の帰り道は、俺が押す。黴臭く薄暗い倉庫に入る。扉を閉めるとやばいかも、と思い開けておいた。

 隣にいる斎藤さん、なんだかソワソワしている。ような気がする。今まで誰とも付き合ったことがないというのは、本当なのかもしれない。いや、俺だって人のこと言える柄じゃないが。メモをみて、棚に積まれた段ボールの側面を確認する斎藤さん。腰を曲げたときに突き出されるヒップのラインが艶めかしい。いかんいかん。わざと見せているのではないかという疑念もなくはないが、ミスが無いようにと必死な彼女をそんな目で見る自分が情けない。


 難波くんは何もできない不能男だった、と後でバカにされるのではないか、とも不安に思った。いや待て、男が皆理性の無い野獣な訳ないだろう。仕事中に襲うとか、そんなのは映像作品だけの虚構だ。しかし、二人っきりの時間が出来てしまったのは間違いない。何もしないのが紳士? それを見せておきたいという気持ちもあった。とにかく色々な思いが錯綜し、俺は斎藤さんに話しかけることもできなくなった。これが一番情けない。そんな気もしたが……。

 その夜もムシュドで定例会議だ。早く帰って野球中継を観たいと思っている俺だが、仲良し同期はこれを遵守するのだ。そして、石井さんと鈴木さんが口々に言う。「斎藤さん、難波くんに襲われなくてよかったね」「明日からも気を付けてね」

 そんなことある訳ないだろう、と言いたいが、それも言える雰囲気ではない。斎藤さんに魅力を感じない、と解釈されては困る。だから結局、黙る。好き放題言わせておく。君らの話を聞いていると、そうされることを期待されている、と錯覚しかねない。俺以外の誰かが、な。その場合、責任とらねーからな!
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