第2話

文字数 2,059文字

 ある日、教室に一人でいるところを、クラスメイトの和田樹に話しかけられた。
「あんた本当に矢島蘭子?」
「どういうこと?」
 私は何かミスをしただろうかと考えをめぐらせた。完璧に行動していたはずなのに。
「あいつはそんな風に笑わない」
 笑い方もトレースしたはずなのに、彼は何を言っているのだろう。
「わけわからないこと言わないで」
「なあ、あんた。振りはやめろよ。いい加減」
 私は何故か泣きそうになった。だが、なんとかこらえた。
 逃げるように家に帰った。
 蘭子様には何も言わなかった。

 しかし、次に蘭子様が学校に行った時、その男子から言われたようだ。私と蘭子様は別人じゃないかと。
「ちゃんとまじめにやってよね」
 と怒られた。私は真面目にやっているつもりだった。
「蘭子様と同じようにしか行動しておりませんが」
 何が悪かったのだろう。
「ちゃんとごまかしておいてよ。全く」
「申し訳ございません」
 蘭子様はそれ以上興味をなくしたようだった。
 また次の日に学校に行くように言われた。
「今度はばれないようにしなさいよ。いいわね」
 と念を押された。
 私は「はい」と答えるしかなかった。

 学校に行くと、また和田樹が私に話しかけてきた。
「あんたあれ? クローン?」
「何それ」
 私はごまかそうとした。
「なんか違うんだよ。同じようでも違う。昨日来てたのは本人だろ? 言ったら怒られたけどさ」
「違うって言ってるでしょ」
 私は蘭子様と同じように怒った。
「無理してるだろ。それ」
「いい加減なこと言わないで」
 どうして、この人は決めつけるのだろう。
「何でそんなにかたくなに隠す? 蘭子に怒られる?」
 一瞬はっとなった表情を彼は見逃さなかった。
「あいつには言わないからさ、本当のこと教えてよ」
「言いたくありません」
「あんたの名前は?」
「そんなものはありません」
 名前というのは人格が認められている者だけに与えられるものだ。私はただの蘭子様のコピーだ。
「そんなんで楽しい?」
 楽しいとはどういう感情か。
「よくわりません」
 すると何故か彼は謝った。
「ごめん。あんたの気持ち考えないで」
「私の気持ちとは?」
 そんなものは私に必要ない。
「あんた何のために生まれたんだ?」
「私はただ蘭子様のために」
 彼は何故か私を憐れむような目で見たのだ。

 彼は、それから私が一人の時に屋上に誘ってくるようになった。どうして私を誘うのか。断ったほうがいいのかわからなかった。
「誰かに見られたら、蘭子様の評判が悪くなります」
 そう言っても、彼は毎回誘ってくる。
「誰も見てないよ。大丈夫。俺が保証する」
 そんなこと言われてもと思う。
「俺、あんたに興味あるんだ」
「興味ですか?」
「そ。まああんまり気にしなくていいよ。ただここに来てくれるだけでさ」
 私は彼の意図が全く読めなかった。
「私は面白い人ではありません」
 ただ毎日同じように蘭子様のために過ごすだけだ。
「和田様は何か勘違いしています」
「和田様? こそばゆくなるからやめてくれないかな」
 こそばゆいとはどういうことだろう。
「では、なんとお呼びすれば?」
「樹って呼んで。あとその堅苦しいしゃべり方もやめようぜ」
「樹様?」
「だから様いらないって」
 そう言われても、困る。
「蘭子の振りならできるのに、自分じゃできないのか?」
 樹様、いや樹君の言う事がよくわからない。
「樹君でよろしいですか?」
「とりあえずそれでいいか。でも『です』はいらないから」
 私はそんな風に人と話したことはない。
「本当に名前ないの? なんて呼ばれてるんだ?」
「コピー」
「それはさすがにあんまりだろ」
 何があんまりなのかさえ私にはわからなかった。
「唯って名前どう?」
 どうと言われても答えようがない。
「コピーじゃなく、唯一のものっていう意味でさ」
「そんな名前、私には似合わない」
 私はあくまでも影の存在だから。蘭子様のコピーでしかない。
「俺が勝手に呼ぶ。コピーなんてあんまりだろ」

 樹君は会うたびに、私の境遇を嘆くのだけど、私にはよくわからなかった。
 ただのコピーはそんなに悲しい存在なのだろうか。
 私は蘭子様の代わりに学校に行くのが仕事だ。家事は2番目の仕事である。
 蘭子様はお金持ちなので私の他に家政婦を雇うこともできるらしい。だけど、私は家でも仕事があったほうがいいので断ったのだ。今もそれは変わっていない。何もしないでいることがあまり好きではない。
 樹君は一体私をどうしたいのだろう。

 樹君以外に私がクローンだと気付く人はいなかったし、毎回昼休みに屋上に行く以外は、特に変わったことがない日々だった。
 樹君は蘭子様本人には気のせいだったように言ったため、私が咎められることはなかった。
 だけれども、樹君に付き合って毎日屋上に行くことが良いことなのか、私には判断がつかなかった。
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