二千字お題「家族」

文字数 1,589文字

 毒親って単語は、日本で広まってから十年は経ったかだろうか。子供の頃なんざ、訳も分からずもがいていた。毒親育ちって、基準がズレている。

 金銭的な面だけでも、飯を食えりゃ良いし、着られる服があれば良い、履ける靴があれば良い。まあ、コロナ禍なら、そう言う考えの人も増えただろう。ただ、生まれ育った環境で何かを諦めているって言うのかねえ?

 ファッションとか知らん。制服は皆同じものだから安心できる。制服以外の選択を求める子供達って、ファッションを楽しめる金銭的余裕があるのか、はたまた制服が高過ぎて負担なのか。ニュースを読むだけじゃ判断付かん。

 そんな調子で、生まれてから約二十年。生まれた時からの洗脳と言うか、育った環境からくる思い込みと言うか、そんなものが解ける機会に恵まれたんですね。

 簡単には治らない、毒親育ちの悪い方へ考える癖。毒親の毒を打ち消す特効薬でもあったら、それはそれで面白い。

 二十歳になる月に、牧場実習に行きましてね。受け入れ牧場の一家なんですが、牧場主は再婚して今の奥様。そして、既に子供も居る。再婚だから夫婦の歳はかなり離れているし、初婚の時の子供はもう成人している。

 まあ、ギリ十代の喪女は思ったよね「良く結婚したな」って。

 年の差婚、人によっては「遺産目当て」だのなんだ

になる婚姻。それも、わざわざ他県から肉体労働である酪農家に嫁ぐ。酪農家に限らず、農家は嫁不足が嘆かれ、嫁は嫁でその扱いに疲弊し、それが発信されることで更に嫁のなり手は減る。

 それなのに、よくもまあ県境を越えてまで結婚したなあと。本当に理解できなかったし、未だに結婚したいと思える相手にすら出合っていない

 私には、そう言った感情が欠落している。かと言って、Aセクと言われると何かが違う。だが、どう違うかもはっきりとしない。だからもどかしくもあるが、どの道結婚に利点を見いだせない。

 そんな、結婚に夢を見られない人間が、人様と夕食を共にした。朝昼は牧場で食べていたが、夕食だけは牧場主のダイニングにお邪魔して食べていた。

 何ですかね、食卓におかずが沢山並んでいるんですよ。いや、それが普通なのかも分からないですし、酪農家だからそんなもんなのかとも思える。酪農家だから、自宅で用意できるのは乳製品程度の筈なのに。

 それに、孫の好物をわざわざ用意し続けるおばあちゃん。なんだろうね、ギリ十代の心の中にモヤモヤが生まれたのですよ。言葉としては上手く表せないモヤモヤが。

 結局、実習の間中お世話になって。手作りの料理を頂く度にモヤモヤは増えていった。無自覚ながら、何かが心の中で生み出された。

 その生み出されたものが何かは分からない。だが、分からないからこそもがき続けた。もがきたくないなら、それを無視すれば良いだけ。それでも、生み出された何かは消えぬまま育っていった。

 それで、毒親ブームの到来ですよ。米国ではそれ以前から認知されていた様ですが、日本は精神医学後進国。なんでもかんでも自己責任、当人の努力任せの国

 そんな日本に毒親ブーム。試しにチェックしたら、真っ黒。笑える程に真っ黒。人格否定にネグレクト、そりゃ毒状態にもなる。

 そうして、牧場実習から何年も経って思いましたよね、異常な家庭はどっちだよって。愛などない、温かな食卓などない、大人側に子供を労わる気持ちが無い。そんな家庭の方がよっぽど狂っている。

 年の差があろうと、二度目の結婚だろうと、そこに愛があって温かな家庭があるなら、その方が家族として正しい姿なのだろう。

 どんな家族が普通で、どんな家族が正解なのか、それは私には分からない。子供を飢えさせ、親だけが肥え太るなら異常ではある。だが、家族の普通や、正解は一体どんなものなのか?

 それを、誰かを愛する感情の欠落した毒親育ちは、もがきながら考え続けている。
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