第4話

文字数 2,183文字

 その後、無事出産した美紗代さんは、宣言通り兄夫婦宅に居座り続け、2か月が過ぎても一向に引き上げる気配はありませんでした。

 ここにいれば一切の家事をする必要もなく、子供たちは高い塀に囲まれた広いお庭で勝手に遊んでくれるので、『公園へ連れて行って』と駄々をこねることもなく、母子ともに居心地が良いのでしょう。

 屋内には母子の私物や衣類、子供たちの玩具やベビー用品が散乱し、壁や床、高価な家具にまで、マジックやクレヨンで落書きされ放題の無法地帯と化し、元の瀟洒な姿は見る影もありません。

 おまけに、自分が出掛ける際には、兄嫁の外国車を我が物顔で乗り回し、いつの間にかチャイルドシートまで取り付ける始末。柚希ちゃんが使おうとすると、自分の軽自動車を使えと言うのです。

 が、しばらく使っていなかったせいかバッテリーが上がって動かず、とりあえずその日はタクシーを呼んだものの、外国車のキーを持ち去り、軽自動車の修理もせずに放置したまま。

 ここまで来ると、柚希ちゃんも限界でした。我が家に来る頻度も増え、笑いながら話していた愚痴も、涙声で切々と訴えるようになり、しばらくの間実家へ帰ろうか、俊之さんに相談してみるといいました。

 さすがにこれ以上放置出来ないと考えた俊之さんは行動を起こし、数日後、その人はやって来たのです。


 彼女は、アルファン緋呂美さん。


 俊之さんたちの長姉で、10年前に国際結婚をして、現在はフランス在住。今回は夫と二人の子供を置いて、一時帰国しました。目的は美紗代さんから柚希ちゃんを解放すること。

 そのために、ふたりはある準備をしていたのです。



     **********



 緋呂美さんとは、柚希ちゃんの結婚式以来の再会でした。

 弟と母親ばかりか、妹と子供たちまでもがお世話になっているお礼とお詫びを兼ねて、丁寧に柚希ちゃんにご挨拶する姉に、自分の出産祝いに来たと思い込んでいる美紗代さんが、会話に割り込んで来ました。


「ねえ、ちょっと~! いつまでもくだらない話してないでさ、こっちに来て座ったら? 柚希さん、お茶入れてよ」

「美紗代! 柚希さんに失礼でしょ!」

「うっさいなー!」


 母親に注意されるもどこ吹く風。

 朝起きたままのスウェットの上下を着替えもせず、ソファーに踏ん反り返り、舌打ちしながら再度お茶を催促し、帰国したばかりの緋呂美さんに言いました。


「ところでさ、お姉ちゃん、御祝いは何?」

「は? てか、何であんたがまだ居るの? とっくに床上げしていい頃でしょ? いつまでも迷惑かけてないで、さっさとアパートなり旦那の実家なり、帰ったらどうなの?」


 思いもよらない姉の言葉に、むくれた顔で言い返す美紗代さん。


「実家に里帰りして、何が悪いの?」

「実家? ここは俊之と柚希さんの家で、私たちの実家じゃないでしょ」

「お母さんがいるんだから、ここが実家でしょ!? ここじゃないなら、どこが実家だっていうのよ!?」

「いい? うちはずっと賃貸で、去年お父さんが亡くなって、そこを引き払った。お母さんは俊之の家にお世話になってるだけで、私たちの実家といえる場所は、もうないんだよ」


 それに納得出来ない美紗代さんの反論は続きます。


「けど、お兄ちゃんが死んだら、この家は私や子供のものになるんでしょ!? だったらここが実家でいいじゃん!」

「バ~カ! 相続権があるのは配偶者と子供。妹のあんたに、権利はないんだよ」

「でも、結婚して3年も経ってるのに、子供いないじゃん!! 子供がいなきゃ、いずれ私が…!」

「子供がいない場合は、先ず親に権利が発生する。三分の一ね。あんたに権利が発生するのは、子供も親もいない場合で四分の一。でも、私にも権利があるから、八分の一ね。それに、子供はこれから作るから、あんたが貰える可能性はほぼ皆無だよ」

「柚希さん、もう35だよ!? 今から子供って…!」

「あんたなんて、お母さんが42の時の子でしょうが。私を生んだ時だって、30超えてたんだから。あんたには分からないかも知れないけど、世の中には、時期とかタイミングとかを見て、計画的に子供を作る夫婦はたくさんいるんだよ」

「ま、子供が出来たらの話だよね?」

「どっちにしても、あんたに権利はないよ」

「何でよ!?」

「ここは柚希さんがご両親から貰った土地だから、そもそも俊之の財産じゃないってこと。建物は減価償却するから、俊之が死ぬ頃には価値はゼロだし、今死んだら負債が残って、相続放棄しないと、借金を払わなきゃいけないことになるんだよ」

「なにそれ、めっちゃ不公平! 柚希さんはいっぱい親から貰ってんだから、私にもくれたっていいじゃん!」

「てかさ、逆に何でそう思えるわけ?」

「だって、柚希さんはお兄ちゃんと結婚して、木村家の家族になったんだから、家族なら助け合ったり、共有するのが当たり前じゃん!」

「じゃあ、あんたは俊之や柚希さんに、どんな協力をしたっていうの?」

「それは…! それは、私のほうが大変だし、子供にお金も掛かるし、お兄ちゃんのほうが裕福なんだから、助けるのが当たり前でしょ」

「それが屁理屈だって、いい加減気づきなさい」


 もの凄いテンポでの二人の遣り取りに、俊之さんの腕にしがみついたまま、言葉も発せずに見守る柚希ちゃん。

 わざとらしいまでに大きなため息をついて、緋呂美さんが畳みかけました。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み