第6話

文字数 2,356文字

 とはいえ、気になるのは最後に発した緋呂美さんの言葉。義母が介護付きマンションへ引っ越すことは柚希ちゃんも初耳で、それについては、義母自ら説明しました。


「この子たちから話をされてね。美紗代は歳をとってから出来た子で、甘やかして育ててしまったもんだから、柚希さんに大変な迷惑を掛けてしまって」

「いえ、そんな」

「きつく言えない私が悪いんだって分かってるの。私がここにいれば、あの子はまた戻って来るだろうから、上の二人がお金を出し合って申し込んでくれた介護付きのマンションへ行くのが、皆のために一番良いと思ってね」

「でも、誰も知らない人ばかりの所へゆくなんて、寂しいじゃないですか」

「大丈夫。ここへ来た時みたいに、新しいところへ行けば、また新しいお友達が出来るから」

「お義母さん…」

「柚希さんには、本当に良くして貰って、ありがとうね。もう二度と、美紗代にはご迷惑を掛けさせませんから、どうか許してやってちょうだい。でももし、あの子が本当に困った時は、どうか力になってやってください。お願いします」


 そう言って、深々と頭を下げる三人に、柚希ちゃんは涙が止まりませんでした。

 ホテルに泊まるという緋呂美さんを引き止め、その晩は義母と久しぶりの水入らずの時間を過ごしてもらいました。こんなことなら、美紗代さんも一日くらい一緒に過ごさせてあげれば良かったと言ったのですが、俊之さん曰く、


「あれは、ちょっとは苦労や我慢を覚えたほうが良いんだ。母も言ってたように、甘やかした僕たちが悪いんだけど、世の中全部が、自分の思い通りにはならないことを、しっかり身に付けないと。…って、今頃遅いって言われそうだけど」


 確かに遅いかも知れませんが、まだ手遅れではないはず。なぜなら、美紗代さんに限らず、これから生きていく上で、今が人生最年少なのですから。




 そういえば、子供の頃、よく祖母から言われていたことがあります。


「いい? 大きくなって、自分の弟妹が結婚したら、結婚相手の人には、絶対に意地悪をしちゃ駄目よ」

「そんなことしないよ? どうして?」

「こうちゃんは、一番上のお姉ちゃんだから、弟妹の結婚した相手の人にとって、あなたが言ったことは、普通の人に言われるより、何倍も強い影響力があるの。だから、もしどうしても言わなきゃいけないことがあったら、お嫁さんやお婿さんじゃなくて、弟妹本人に直接言うこと」

「うん、分かった」

「そしてね、もし、ゆりちゃんやももちゃんが、今言ったようなことをしていたら、こうちゃんがやめさせてね」

「嫌なら、自分で嫌って言えば良いのに?」

「それが言えない人もいるから、こうちゃんにお願いしているのよ」


 おそらく、祖母の中では、私に釘を刺すのと同時に、弟妹がそういうふうになりそうな予感がしていたのでしょう。

 昔から『小姑一人は鬼千匹に向かう』(=嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほど恐ろしく、苦労の種であること)という諺がある通り、本人に自覚がなければ、それに振り回される方はまさに地獄です。

 特に妹のゆりには、その兆候が見られますので、うちの鬼千匹にも、超特大の釘を差し込んでおくことにします。

 そして、人の振り見て我が振り直せ。私自身、気付かないうちに、実家の鬼が二千匹に増殖しないよう、くれぐれも自戒しないといけません。



     **********



 我が家のリビングで、猫たちに囲まれてソファーに座り、時々猫を撫でながら、笑顔でその後の顛末を話す柚希ちゃんに、私も心底ホッとしました。


「ママがね、こうめちゃんには親子二代でお世話になったって、本当に感謝してたの」

「何言ってるの! お世話になってるのは、私のほうなんだから!」

「こうめちゃんが近くにいてくれたから、乗り切れた気がする。私一人だったら、どうなってたか分からないもの」


 あまりにも義妹が酷かった時期、車も取られ、ご両親にも話せず、自宅にいるのも拷問だった彼女を、私が強引に連れ出していました。さもなくば、柚希ちゃんの精神は、本当に崩壊しそうな状態だったからです。

 放っておけば良いのに、義妹や子供たちの食事の準備をしなければと強迫観念に苛まれ、我が家で簡単なものを作って持たせたり、私の車で出来合いのものを買いに行ったりもしました。


「結局、おばさまたちに話したんだ?」

「俊之くんがね。私は、言わなくていいよって言ったんだけど、黙ってるのは良くないからって。彼ね、うちの親が怒って離婚させられる覚悟してたんだって」

「そうなの!?」

「でも、ママに『あなたには、いい勉強になったわね』って、私のほうが喝を入れられちゃって」

「そっか」

「逆に俊之くんには、『色々気を遣わせてしまって、申し訳ない』って謝ってた。彼、ママのこと、ちょっと取っ付きにくいマダム風に思ってたみたいで、すごくイメージが変わったんだって。笑っちゃうでしょ?」

「そうなんだ~」

「これでもうちの両親、どん底から這い上がった叩き上げだもん、ね!」

「うん、知ってる。凄いよね」


 今でこそ、柚希ちゃんの実家は国内屈指の大企業ですが、それを築いたのは、彼女の父親と、それを側で支えた母親。

 彼女のご両親が私の祖父と会うために、柚希ちゃんを伴って我が家に来たのは、私たちがまだ5歳の頃。幼かった私たちは、大人たちが深刻な話をしている傍で、小さな手を繋いで遊んでおりました。


「…あの子は、元気?」

「うん、元気だよ。多分…」


 絶体絶命だった一家の運命を決めたのは、まだあどけない子供だった私たち。柚希ちゃんのママが『親子二代でお世話になった』と言ったのは、その当時の出来事です。

 そして時を経て、今度は、私と当時まだ婚約者だった夫が、柚希ちゃんのご両親に助けて頂くのですが、それはまた、別のお話。



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