文字数 1,810文字

 オカダジロウが自殺してから、二度目の夏を迎えていた。ショウは休暇を取って、千葉の房総半島にあるオカダ家の墓に来ていた。墓地は高台にあり、太平洋が一望できる。公園のようになっており、房総半島名産の四季折々の花に囲まれていた。JR千葉駅から外房線に乗り換え、鵜原という駅で降り、タクシーで二十分ほどの場所にある。耳を澄ませば、潮騒が聞こえるような霊園だった。
 ショウは霊園の出入り口付近に軒を並べる店で、花束と線香を買った。東京から持参したのは、ジロウが好きだった和菓子の詰め合わせ。トップスのチョコレートケーキを買いたかったが、この夏の陽気ではすぐに溶けてしまうだろうと思ってやめにした。ジロウはトップスのチョコレートケーキなら、ホールで食べるほど好きだった。警察学校時代、たまの休みを利用して新宿の京王百貨店の地下食品売り場に行き、長方形の特大サイズを数本買って寮の冷蔵庫に隠して食べていた。ショウには特別だと言って、ホールの半分を分けてくれたのを今でも思い出す。墓石の前にキットカットの赤い箱が並んでいる。
「アイツ、キットカット、好きだったな」
身内の誰かが供えたに違いない。両親が起こした裁判は、結局実らなかった。それもこれも遺書が紛失したせいで、証拠となるものが不十分とみなされたのである。勿論、警察権力の根回しがあったことは想像できる。ショウは墓前で線香に火をつけ目を瞑った。
「ジロウ、スマンな。あれから何も変わっちゃいない。悪い奴らはまだのうのうと組織の中で生きているし、その組織も以前のまま、皆が忘れてしまうのを待っているかのようだ」
 ショウの口元が歪む。
「お前にはまだ、俺の両親の話はしていなかったよな。俺の両親は俺がまだほんの子供の頃に、強盗に襲われて死んだんだ。世の中ってのはつくづく理不尽で、不条理なものだと思うよ。お前のような思いやりのある優しい人間が早くこの世を去り、オニズカのような悪党が生き残る。だがなジロウ、俺はそれが世の中だと諦めたくは無い。だから俺は警察官をこれからも続けて行くつもりだ。まだ報告していなかったが、俺は今年、刑事になったんだ。なあジロウ、お前は俺を応援してくれるだろ?」
 海風が潮騒を運んでくる。
「ジロウ、本当はお前が受けていたイジメの証拠、どこかに隠してるんじゃないのか? 俺がきっと見つけてやるからな。もう少しだけ待ってくれ」
立ち上がり、ジロウの墓石に背を向けた。前を向き、歩き出そうとした時、向こうから近づいてくる男の姿が目に入った。男は白いYシャツに黒のスラックス、髪をオールバックにして、薄い色付きのサングラスをしている。確かどこかで会ったことがある。何年前だろうか、そうだ思い出した。ショウがまだ警察官になる前、今から四年前の二十六歳の時に一度会っている。新宿のT社長の店に顔を出した時に偶然居合わせた男だ。名前はハダ、そう、ハダケンゴ。AV大手販売会社フロントビジョン取締役専務。しかし何故ハダケンゴが今ここに? ショウはしばらくその場に立ち、ハダが近づいてくるのを待った。そして将にショウの目の前を通り過ぎようとした時、サングラスの中の鋭い視線と目が合った。ハダが立ち止まった。靴底の砂利を踏む音が止み、周りの木々で鳴いていた蝉の声だけが辺りに響いた。ハダがショウを見た。細い目が一瞬大きく開いたようだった。水の入った桶を足元にそっと置いた。
「どこかで、お会いしていましたかな?」
「ハダさん、ですよね? タザキです。一度新宿のT社長のところでお会いしたことがあります」
 ハダが小さくニ、三度頷いた。
「ああ、あの時の・・・・・・でしたか。これは失敬した。以前お見かけした時と、随分と雰囲気が変わったように思いましたので」
 思い出したように、
「その後、弟さんの行方はわかりましたか?」
「覚えていてくれたんですね。ええ、ですが弟は今、台湾にいるということだけで、それ以上のことは何も」
「そうですか」
 蝉の音がした。ハダが墓石をチラと見た。
「ご友人、ですか?」
 ショウが頷いてジロウの墓石を振り返る。
「ええ、一昨年亡くなった友人に会いに来ました。甘いものに目が無い、優しい男でした」
 ハダが墓前に供えてあるキットカットの赤い箱を見て、頬を緩めた。
「お若いのに、運命とは残酷ですな」
 ショウが頷いた。ハダは足元の桶を手にした。
「では、私はこれで」
 また歩き出した。
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