十一

文字数 6,040文字

 ショウたち万世橋署の組対は、アベヤスオの口から出た秋葉原管内にあるという北華貿易と、首謀者であるハダケンゴについて調べを進めていた。今回は特に背後に海外マフィアと麻薬密輸が絡む事件であり、拳銃の携帯と防弾ベストの着用が認められた。ショウたち組対は、実は交番勤務の警察官とは異なる銃の携帯を許されている。S&W社のM3913。アメリカでは女性の護身用としても使用されている。9ミリ口径の7連発で、小型の自動拳銃の割りに威力があり、テロリストを制圧するのにも向いている。しかし、ショウは7.65ミリの32口径に拘った。日本でもSPや要人警護で使用されているSIGSAUER(シグザウエル)P230JPは軽くて扱いやすいが、殺傷能力に欠ける。弾は32ACP弾で8発+1ストレートブローバック方式の自動拳銃で、射程距離は50m程である。この殺傷能力が低い銃を敢えて希望した。理由は簡単だった。単に人を殺す必要性を感じないからだった。ショウの考え方も、警察に入ってから大きく変化していた。
 秋葉原駅から続く高架橋の下。幾つもの小さな店が奥深くまで入り込んでいる。それはパソコンパーツであったり、電材であったり、電球や無線の専門店であったりする。カメラや家電の店の他に、ゲームやアダルトDVD、コスチュームやカード、最近では携帯電話や貴金属の買取の店が増えた。店の入れ替わりもあるが、基本的なトーンは変わらない。そんな雑多な空間の中にひっそりと北華貿易の事務所があった。先輩のヤマガタジュンイチと共に訪れると、扉には鍵がかかっており、人の気配は無かった。
「もしかすると、もうすでにどこかに移ったのかもしれないな」
「そうでしょうね、アベヤスオが捕まった時点ですでに予期していたのかもしれません。けれどもアベヤスオが言うには秋葉原で麻薬を捌いたことは無いそうです。秋葉原は単にAVの海外向け輸出の拠点であって、犯罪に絡んで摘発されるようなことは無かった」
「調べたところ、代表のハダケンゴは大手DVD販売会社フロントビジョンの専務とこの北華貿易の代表を兼務していた。何のためにこの秋葉原が必要だったのだろうか疑問だ。ちなみにフロントビジョンの本社は横浜にあり、物流は山梨にあるそうだ」
「山梨ですか。近いうちに山梨県警に捜査協力を要請することになりそうですね」
「ハダケンゴが密輸しようとしていた『ブラッド』の原料だが、成分はビンロウに良く似ているらしい」
「ビンロウ、ですか?」
「そうだ。台湾では合法麻薬になっている。勿論、我が国では違法だが台湾では路上でビンロウを売る若い女がいるそうだ」
「ハダケンゴがそこに目を付けたと言うことでしょうか?」
「かもな、海外にAVを輸出するにしても、向こうの裏社会と取引するんだろうし、互いに商売を持ちかけられることだって充分に考えられる。現にそのブラッドで逮捕される若者が増えている」
「ですがヤマガタさん、アベヤスオが言うには船は香港のものだったとか。台湾と香港、二つのルートが存在するのかもしれません」
 ヤマガタが唸った。
「二つのルートか」
「はい。今現在都内で出回っているブラッドに北陽会が絡んでいるのはわかっています。ですがそれを取り仕切っているのは本部長のセリザワカツミです。ハダケンゴは北陽会の組員でもない。そんな男が組の麻薬を大量に運ぶでしょうか?」
「確かにな、もう少し調べてみる必要がある」
「はい。ではフロントビジョンという会社の関与は何を意味しているのでしょうか?」
「ショウ」
 ヤマガタジュンイチがショウの耳に顔を寄せた。
「まだハッキリしてはいないが、ある政治家への献金が噂になっている」
「誰ですか?」
「現、自由国民党幹事長のハヤシマサオだ」
 ショウは思わずヤマガタの目を見つめた。

 ショウとヤマガタが一度署に戻ると、組織犯罪対策課課長ウエノシンイチとリーゼント警部補のシンジョウケンが待っていた。ウエノの隣にはまだ二十代であろう女が立っている。髪をさっぱりと短く切り揃え、背は低いが気の強そうな眉をしている。
「皆聞いてくれ。今回の麻薬密輸事件を本庁でも重く見て、捜査本部が設置されることになった。それに伴って本庁から応援が来ている。ホンダサヤカ君だ。皆、宜しく頼む。当面はタザキ君と組んでもらう」
「ホンダサヤカです。宜しくお願いします」
 するとヤマガタが大きな声をあげた。
「課長、新人のタザキと組ませて大丈夫なんですか?」
 ウエノが咳払いをした。
「上からのお達しだ。悪く思うな。それとも何か、君がサヤカ君と組みたかったとでも言うのかね?」
 ヤマガタは気まずそうに顔を背けた。
「タザキさんって、どなたですか?」
 ホンダサヤカが歩み出る。
「自分です。警部補」
ショウが一歩前に出て頭を下げた。ホンダサヤカはまだ二十五歳ではあるが、すでにショウより階級が上の警部補だった。東京大学法学部から国家公務員総合職試験を経て警察庁に入庁した所謂キャリアだった。父親は某大手都市銀行の頭取で、家は白金にあった。
「宜しくお願いしますね、タザキ刑事」
 自信たっぷりな笑顔を見せた。小顔の割りに少し下唇に厚みがあり、口元に小さなホクロがある。そのホクロが印象的だった。ユキナのような美人ではないが、きっと誰からも好かれるような愛らしい顔をしている。
「こちらこそ宜しく、警部補」
 サヤカが少し目を逸らせてはにかみ、頬を紅くした。

 翌日の朝、万世橋署の前に黒塗りのレクサスが停まり、ホンダサヤカが出勤したことが話題になっていた。刑事課課長のオオツカがショウを見つけて声をかけた。
「タザキ、お前の相棒、大変なお嬢様なんだってな。その上本庁のキャリアなんだって? さすがのお前でも、今回のお姫様には参っちまうんじゃないのか?」
 ショウが苦笑した。
「しかし本庁のキャリアで組対とは珍しいよな。どうやら本人のたっての希望らしいがな。お嬢様の恐いもの見たさで付き合わされるお前に皆同情してるぞ」
「人は見かけではわかりませんよ、課長。もしかしたら凄い能力の持ち主で、あっという間に今回の事件を解決してしまうかもしれませんし」
「だがなタザキ、彼女がどんなに捜査に優れていたとしても、所詮は本庁のキャリアだ。今回の事件が片付いたら、さっさと本庁に戻って、あっという間に雲の上の人だよ。まぁせいぜい怪我させないように。お前もいい人脈作るチャンスじゃないか。大変だと思うが頑張りたまえ」
 と言い残して、手を振って行ってしまった。
 捜査本部に戻った後、サヤカを連れて聞き込み捜査に出た。
「警部補、私の車で行きましょう」
 ショウが署の駐車場から車を出した。アウディA6クワトロ。新車で800万円はする高級車だ。サヤカは意外だったらしく、何度もショウの顔を覗き見た。所轄署の刑事の給料では到底買えないような車である。
「今日はまず横浜に行きます。ハダケンゴの行方がわからなくなっていますから、奴が専務を務めていたフロントビジョンにもう一度聞き込みしてみましょう。その後、時間が許せば北陽会の事務所が四ツ谷にありますから顔を出します。覚悟はいいですか?」
 ショウが微笑すると、サヤカは少し緊張した面持ちで頷いた。ヤクザと呼ばれる男たちに対峙するのは、これが初めての経験に違いない。
「詳細は車の中で話しますから」
 助手席のドアを開け、突っ立っているサヤカを車に乗せた。
「この車って、タザキ先輩の車でしょうか?」
「ん? そうですが何か?」
「いやいや凄い高級車だなぁと思って」
「警部補のレクサスと殆んど変わりませんよ」
 するとサヤカがぺろっと舌を出した。
「バレてましたか」
「そりゃ、署の前に黒塗りの高級車が停まったら、特に我々組対は暴力団の襲撃かと思って警戒しますよ。そしたら中から警部補が出てきたんで、今朝はその話で持ちきりでした」
 ショウが苦笑する。サヤカは悪びれもしていない様子。
「そういう女って、嫌いですか?」
 ショウは質問の意味が理解できず、思わず聞き返した。
「どういう意味でしょうか?」
「冗談ですよ」
 ショウがアクセルを踏んだ。
「皆をびっくりさせるの楽しいですよね」
 サヤカが微笑した。この子は何を考えているのだろう? 本物のヤクザと会うのが恐くないのだろうか? 経験が無ければ想像力が欠如している可能性はある。けれどもこの子の落ち着きようは、全国に警察官が二十九万人いる中で、わずか2%しかいないキャリアであることを理解しているような余裕なのである。権力でヤクザもねじ伏せるということか。だが、生身の体を持つことの恐さを彼女はまだ知らない。ショウはそんな虚しさを覚えながらハンドルを握った。車は国道1号線を真っ直ぐに南下した。路は空いていた。
「高速は使わないんですか?」
「ええ、急な無線連絡が入って、方向が逆だったら困るでしょう」
「そっか、そうよね。デートじゃないんですものね」
 ショウが苦笑する。
「今回の事件の話をさせてもらってもいいですか? これから行く横浜のフロントビジョンという会社は、現在手配中のハダケンゴが専務を務めていました。アダルトDVDの業界ではシェアNo1の販売会社で、年商は約1200億あります。この会社が実質、日本のアダルト業界を牛耳っていると言ってよいと思います。警部補は女性なので敢えて聞きますが、アダルトDVDはご存知ですか?」
 サヤカは黒いビジネススーツを着て、ハンドバッグを携帯していたが、崩れかけた両膝をしっかりと整えてから答えた。
「はい。知っています」
「そのDVDを販売している業界の最大手が、これから行くフロントビジョンです」
 サヤカがルームミラー越しに見つめている。
「タザキ先輩は、観たことあるんですか? 参考までに」
「その質問って、女性からの場合はセクハラにはならないんですか?」
 するとサヤカがまた舌を出した。
「なると思います。失礼しました」
 ショウが微笑した。
「ありますよ、観たこと。若い頃そういう店でバイトしていたこともありました」
 するとサヤカが微かに表情を落とした。
「そうなんだ、男の人ってやっぱり皆そういうの観るのよね」
「警部補もこれから捜査上、嫌でも見なければならないことだってあると思いますよ。アダルトDVDならまだいいですが、刑事である以上、そういう暴力団がらみの風俗や麻薬、詐欺、そういったものを正面から見据えないといけない日が必ず来ます。だから覚悟して下さいって初めに言ったんです」
「わかってます。私だってもう立派な大人です。そのくらいの覚悟はできてます。バカにしないでください」
 そっぽを向いてしまった。ショウが再び苦笑した。

 その日は横浜のフロントビジョンで話を聞き、それから数軒、ハダケンゴが立ち寄りそうな店を回った。ハダケンゴに直接繋がるような情報は得られなかったが、横浜中華街にある『万華楼』という店の名前を聞いた。台湾料理の老舗で、ショウも一度や二度名前は聞いたことがある。一時は横浜中華街だけではなく、都内にも支店を出すほどの人気店だったが、今は縮小、撤退し、細々と横浜中華街にのみ店を構えている。すでに陽が陰っていた。この後、無理に横浜中華街の万華楼に寄ることも考えたが、サヤカを連れて訪れるには準備不足だと感じた。日中は大して気にも留めないが、陽が落ちてからの人気の無い路地裏は、いくら有名な横浜中華街とはいえ危険が伴う。思い過ごしかもしれない。けれどもハダケンゴと関係する以上、裏社会との繋がりを疑わざるを得ない。するとサヤカがショウに話しかけた。
「タザキ先輩、お腹すきません?」
「そうですね。お昼軽かったし署に戻る前にどこかで食べて行きますか? 通常は有り得ないかと思いますが、僕はよくそうしてます」
 ショウが微笑すると、目を輝かせた。
「せっかく横浜来たんだし、中華街行きません? 私、辛いものが大好きなんです。横浜中華街に連れてってください」
 ショウが苦笑する。
「本当にいいんですか? 課長に叱られたって知りませんよ」
「でもさっき、先輩も署に帰る前にご飯食べるって」
「まぁね、でも警部補と一緒となると、まるでデートしてるみたいに周りから見られるし」
「別にいいじゃないですか! 私は平気ですよ。私、タザキ先輩みたいな男性が、どストライクですし」
「どストライクって」
 ニコニコしている。ショウは溜息をついた。
「いいですよ。ちょっと寄りたい店もあるし」
「また仕事ですか? さっきの万華楼とかいう」
「そう、ハダケンゴが贔屓にしていたという店だ」
「別にいいですけど、雰囲気無いなぁ。私としては重慶飯店あたりで四川料理でも食べたかったんだけど」
「警部補、まぁそう言わないで下さいよ。ハダケンゴが通ってたくらいの店ですから、味は保証済みだと思います」
「容疑者の肩を持つようなこと言うんですね。まるで知り合いみたい」
「そんなことないさ」
 ショウは黙って車を横浜中華街に向けた。

 平日とはいえ、夕時の中華街は煌びやかだった。車を朝陽門近くのパーキングに入れ、ネットで検索した地図を頼りに万華楼を探した。ショウが予想した通り、その店は大通りから外れた路地裏に面していた。五階建ての古びたビルで、一階が一般向けの中華料理店になっている。ショウは一度通り過ぎ中の様子を伺った。人気が無い裏通りの割りに客は入っているようだ。
「普通の中華屋さんですね? 私、先輩と行くならもっと高級店に行きたかったです」
「警部補、せっかくだからちょっと入ってみましょう」
 ショウは気にせず店の中に入った。サヤカは仕方なくショウの後に続いた。店の窓際のテーブル席に案内された。周囲を見渡すが、これといって変わったところは無い。平凡過ぎるが故に、何故ハダケンゴがこの店に通うのか疑問だった。料理はショウが予想したとおりどれも美味かった。味に関しては、サヤカも納得したようだった。帰り際、レジカウンターで支払いを済ませた後、支配人らしき初老の男に話しかけた。手帳を見せる。
「この店の常連でハダケンゴという人を知らないか?」
 男は一瞬表情を強張らせた。
「刑事さんですか? ハダさんと言われましても」
「横浜で大きな会社の専務をしていた男なんだが」
「その方が何か?」
「いえね、ある事件がありまして、その後行方がわからなくなっています。重要参考人として探しているんですが、複数の聞き込み情報からこの店の名前があがりましたもので」
「そうですか、ご贔屓にしていただいていたんですね。ですが残念ながらハダ様という名前に心当たりはございません。お力になれなくて申し訳ございません」
「いえいえ、今日は本当に料理を食べに寄らせていただいたんです。とても美味しかった」
「有難うございます」
 この日はこれで引き下がった。何か隠しているようにも感じたが、また日を改めるべきだと感じた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み