文字数 2,677文字

 ユキナがタレント活動に忙しくしている頃、ショウは先日押収した『ブラッド』と呼ばれる麻薬の捜査を始めていた。送り主は香港の企業ということになっているが、依頼主が誰なのか、手がかりは取調べ中のアベヤスオだけだった。それと平行して、ショウは自殺した同僚オカダジロウのことも調べていた。死の直前まで通っていたというメイド耳かきの店を訪ねていた。この事件はオカダジロウの自殺と共に、警察の内部で闇に葬られる形となっていた。当初、ショウはそんな警察組織に不信感を抱いた。同僚の警察官が自殺したというのに、その原因を追究せず、うやむやにしてしまうことへの憤りがあった。ショウは交番勤務の傍ら、刑事への昇進試験の勉強と、空いた時間を利用して単独でオカダジロウの自殺の真相を探っていた。警察内部では、口を閉ざした者が再び口を開くことは考えられなかった。内部証言は得られそうもない。警察の恥となることに関しては、徹底的に緘口令がひかれている状況だった。ショウは、ジロウが死の直前まで入り浸っていた『Cat ear』というメイド耳かきの店を、同僚の口から聞き出していた。
 夕刻の秋葉原。蒸し暑さの中、万世橋を渡ると神田川を抜けてきた風に、一息つくことができた。まだ完全に陽が沈み切っておらず、午後七時だというのに、西陽が旧駅舎のレンガ調の壁を照らしている。中央通りはいつものように行き交う人でごった返し、それに追いうちをかけるように車のクラクションが鳴り響いていた。赤や黄のネオンがショウの瞳に映る。中央通りから一本裏通りに入った一角、五階建ての雑居ビルにその店があった。建物の出入り口付近にメイド服を着た二十代の女が立って、路行く男に声をかけている。たいていの男は気にも留めずただ通り過ぎていたが、中には立ち止まって何やら交渉している風の男もいる。それでも店の中まで入る客はそれ程多くない。ジロウは、そんな客の一人だったということだろうか。ジロウの顔を思い浮かべた。甘いものが好きな奴で、いつもチョコレートを手放さなかった。物静かで、いつも優しげな笑顔を絶やさなかった。胸が痛んだ。どうして死を選んでしまったのか。ショウは今更ながらに叱ってやりたい気分だった。しかし、そのジロウはもうこの世にはいない。ジロウが自殺した当初、ショウは救ってやれなかった自分を責めた。自分はジロウが虐めにあっていることを知っていた。それなのに手を差し伸べるどころか警察の上層部任せにしてしまった。自分が直接対処していればこんなことにはならなかったはず。心のどこかで警察組織と戦うことを避けてきたのではあるまいか? 自問自答を繰り返す日々を送った。それと同時にショウはどうしても刑事になりたかった。交番勤務を続けながら、両親の事件を捜査することは難しかった。刑事になった今、両親の事件もさることながら、ジロウの死をこのまま闇に葬るつもりはなかった。
 ショウが店の前まで行くと、メイド服を着た女が声をかけてきた。
「御主人様ぁ、お帰りなさいませ。中でビールが冷えてますよ!」
「ずいぶんと馴れ馴れしい客引きなんだな」
 女が目をパチパチさせる。
「まぁ、今日はご機嫌ななめなんですね?」
 ショウが苦笑した。
「まあいいだろう、案内してくれ」
 すると女がショウの腕に絡みついた。
「さっすがぁ、御主人様。ゆっくりしてって下さいね」
 一緒にエレベーターに乗り込み、五階の受け付けに同伴した。店内に入ると先程までの女と、店の中で待機していた女が入れ替わった。
「御主人様ァ、私、アカネト申シマス。オ帰リナサイマセ」
 店の奥の個室に導こうとする。
「さっきの女の子が相手してくれるんじゃないのか?」
 それに対しては、ただ微笑するばかりで何も答えない。
「中国人ジャダメデスカ? 御主人様」
「いや、いいよ。別に」
 個室に入ると中国人の女『アカネ』がベッドに座り、膝に頭を乗せるように言った。
「耳かきはしなくていいんだ。それより二、三質問していいかな?」
 アカネはキョトンとして、耳かき棒を持つ手を下ろした。
「以前、ここに通っていたオカダジロウって男、記憶にないか?」
「オカダジロウ?」
「そう、随分通っていたみたいだから、一度や二度相手したことがあるんじゃないか?」
「サア、ワカラナイネ。私、マダ店ニ来テ間モナイカラ」
「そうか」
 二年前、オカダジロウが自殺した後、机の引き出しから遺書が見つかった。その遺書は何故か警視庁本庁の手に渡り、その後、行方がわからなくなっていた。噂では、警視庁第五方面本部長、オニズカイチロウの力が働いたとも言われている。ジロウを自殺に追いやったのは、オニズカ第五方面本部長の甥、オニズカセイヤだった。万世橋署の中では周知のことだったが、それは不思議と外に漏れることがなかった。遺書が表沙汰になれば、万世橋署の署長以下、オニズカ第五方面本部長の責任も問われかねない事件だった。マスコミの手に渡る前に、遺書が処分されるのは目に見えていた。そして、そうなってしまえば誰もオニズカイチロウどころか、イジメでジロウを追いやった張本人であるオニズカセイヤすら、処分することが難しくなる。しかし、ショウはジロウが何か他に証拠となる痕跡を残しているのではないかと疑っていた。ジロウは警察組織が、どういうものかを知っていた。であれば、自分で残した遺書がまともに表に出ることは無いと感じていただろう。遺書はダミーではないかとショウは密かに疑っていたのである。
「御主人様、本当ニ耳カキ要ラナイノ? 御主人様ハ良イ男ダカラ、モット良イサービス無料デスルヨ、気持チイイヨ」
「悪いが断る。それより君が入店する前からこの店で働いている女の子に知り合いはいないか?」
 アカネは首を捻ったが、何かを思い出したようだった。
「嗚呼、ヨシカチャンナラ知ッテルカモシレナイ」
「その子はヨシカというのか?」
「ソウ、確カニ年前カラ店デ働イテルハズ」
「そうか、そのヨシカという子は今日店にいるのか?」
 アカネが首を横に振った。
「ヨシカチャン、最近見カケナイナァ、急ニオ金持チニナッテ、アマリ店ニ出テナイミタイ」
「急に金回りが良くなった? いつ?」
「最近ヨ」
「一つ頼まれてくれないか、そのヨシカという女に会いたいんだ」
 するとアカネが口を尖らせ、そっぽを向いた。
「もし、そのヨシカという女に会わせてくれたら、君にも謝礼を払うが」
「ダッタラ、イイヨ。ジャアオ客サンノ連絡先教エテヨ、後デ連絡スルカラ」
 ショウはアカネに携帯電話の番号を教えて店を出た。
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