16曲 澄み渡る空、その向こうに僕がみたもの

文字数 7,025文字



……


………


…………


……………


 どの位の時間が経ったのだろう?この漆黒が支配する何もない空間に居着いてから。意識があるということは、まだ生きているということなんだろうけどさ。なのに何も感じない。私はどうなってしまったのだろう?あれ? 何か見える。夜空に瞬く小さな星の様な光点が見える。明かりを意識した瞬間、暗く閉ざされていた空間から解き放されたのか、緞帳が上がったように視界一杯に明かりがなだれ込んできた。


 眩しい。まともに目を開けるのが困難な位に眩しくて目を開けているのが辛い。目が慣れてきて辺りの様子がはっきりと見えるようになったら、不思議な事に私に似た人が少し離れた所に立っている。誰? 私のそっくりさん? ドッペルゲンガー? それとも私の思い違いかな? それを確かめるべく全速力で駆け出したけど、私は走るのが遅い。一生懸命走ってみても、一向に距離が縮まらない。でも、私に似た人がこちらに近づいてきているのか相手との距離が縮んでいくのが分かる。近くづくにつれ鮮明になっていく私のそっくりさん。それはどうみても、寸分の違いもない私自身だった。


 どういうこと? なんで私が居るの? 相手も私の事を見て驚いているじゃん。驚きのあまり手元から何かを落としたぞ。あれ? 目の前に居るのが私なら、今の私は誰だ? 私の疑問が解消する前に、私のそっくりさんを隠すように男の人が現れたぞ。 ん? あれ? どこかで見た事のある顔だけどどこで見たんだっけかな? 頭の中に靄がかかっているのか思考がうまくいかない。渦巻く思考を紐解こうと頭を巡らせていたさなか、目の前に真っ赤な物が突如出現してきたぞ。


 ん? あ? 熱い。 あ熱いよ! 身体が溶けてしまいそう。何? なんなの? 何が起きたの? 熱いよ。止めてよ。 あつ。いたい、痛い。ぁぁ。肌が。肌が! 溶ける! 溶け落ちてしまう!! 止めてよ! 人違いだよ! 私だよ! だれか! 誰か!! たすけ……。


 今、何が。……何が起きたっていうの? 自分の身体に起きた異変を確かめようと、首を動かそうとしたのに動かなかった。両手で顔を触ろうとしたのに、思うように腕が上がらない。ある一定の角度までは持ち上がるというのに、それ以上は関節が動かないようでいう事をきかない。なんだこれは?収まりの悪い両手を本来あるべき所に戻すと、両足はもちろん両手まで地面に触れているようだ。

 土の柔らかい感触が冷たさをもって伝わってくる。いつの間にかに四つん這いになっていたようだ。訳のわからない状況に悩まされていたら、またしても私のそっくりさんが誰かと連れ立って歩いてきているじゃないか。


 おーい! そこの私! 私だよ私! 私? わたしって? 私って誰? 誰? 目の前にいる人が私ならば、私は誰なの? いや。目の前の人こそ誰なんだ? 凝らして見ても紛れもなく私だ。隣にいるのは……見覚えのある人だ。えっと。えっと。あ!  円だ! 円だよ! 円いたんだ。無事だったんだね。探していたんだよ。どこに行ってたんだよまったく。嬉しくて嬉しくて小躍りしながら近づいていく。円が何かにつまづいたのかその場にしゃがみ込んでしまった。 大丈夫? 怪我してない? 心配のあまり二人の元まで近づいてみたら、私のそっくりさんと円は驚愕に満ちた表情をしている。どうしたの? なんでそんな顔するの? 私だよ! 私! わたし? 私ってだれ? だれ? 私。混乱しかけていたら、働かない頭を鼓舞するためか、頭頂部らへんに何かが投げつけられた。


 なんだ? なにか投げたの? わたし、なんか悪い事したかな? 異物を振り払おうと頭を動かすも、頭が動いている気がしない。一向に視線は定まったまま。なんでだろう。そんな事を思っていたら、ごわついた衣服を身に纏った人たちが目の前に現れて 突っ立っている。こいつ。なんか見覚えがあるぞ。なんか知んないけど無性に腹が立ってきたな。煮えたぎる何かが判明するよりも早く、またしても真っ赤に染まった熱を帯びた物が襲い掛かってきた。


 っつい! 熱いよ! 熱いって!! わたし。わたしが何をしたっていうの? 私? 私って……誰? あれ? そういえば私、自分の名前が分からない。あれ? そう言えば誰も私の名前を呼んでくれてないよね。あれ? 私って本当に誰なの? だれ? 私って。 私って誰なんだ? ぁぁ!! っつい! 熱い! やめて!! 痛い! 痛いってば!!



 何かから解き放たれたように身体がふっと軽くなり熱さもどこかにいってしまった。目の前が真っ赤に染まると、なぜか私は身体中が熱さでどうにかなってしまいそうになる。熱くて熱くて、身も心もおかしくなる。 私が何かをしたっていうの? わたし? わたし? わたし?? わたしって……。あ! また私のそっくりさんがいる。 わたし、私はだぁれ。私のそっくりさんと隣にいる男の人が遠いどこかを凝視している。視線の先を追うように確認すると、また変な格好をした人がいるなぁ。なんだか腹の底から沸き起こる何かが熱を帯び出したように込み上げてきたぞ。自分でもどうしようもないほどの何かが、ふつふつと無数に生み出されていく。言葉にできない何かが身体中から放出されて発散されていく感覚がある。

なんだろうこれ? でもなんだか気持ちがいいなぁ。ぁぁぁぁ! っい! ぁっ!!


 わたしがわたしがわたしがぁわぁたしがわたぁぁしがぁわたぁぁぁぁしがぁぁぁ。




 肌が焼け落ちるほどの熱さと痛さで意識が吹っ飛んでいた筈なのに、その痛みがない。あるのはお腹の辺りにめり込んできた鉛の痛みだけ。薄っすらと目を開けて見えてきた世界には、先ほどとなんら変わらない光景。地面にできた赤黒い水たまりとその上で横たわる薫の姿。

 無意識に腕が伸びて、彼の身体に触れて体温を確かめようとした。伸ばした矢先、手先に鉛の弾丸が飛んできて手の甲を貫いていく。自分のものとは思えない、筆舌に尽くしがたい声が喉の奥から飛び出てきて、辺り一帯を響かせた。

おとなしくしてないと、もっと痛い目みるよぉ

 三白眼の男は口元を釣り上げて嬉しそうに喋った後、撃鉄を引き下ろし続けた。


 身体に小さな無数の穴が生まれては、私の中を駆け巡っていた液体が逃げるように抜け落ちていく。

 灼熱の炎とは違う、ほんのりと温かい命の源が衣服を伝い地面に滴り落ちていく。

 私が生きる為に必要とするモノたちが、私の元から去っていこうとしていく。

 わたしが私が。何かをしたっていうの。私があなた達になにかしたっていうの。

 わたしって、わたしって。わたしって、誰なんだろう?

 何て名前なんだっけ? 私は……私は…………。

 考える余力が湧かないほど、身体が軽いなぁ。

 ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

 悲鳴に近い雄叫びを上げて、穴だらけになった両手で顔を覆っていた。

 傷だらけの両手をふと見遣ると、先ほどまで抉られていた傷跡が白い粘液のような物が覆って塞いでいる。力が抜けたように動かなくなっていた指先が動く。風穴を開けられたお腹を確認してみるとそこにも白い粘液で覆われていて傷を塞いでいてくれた。


 私はもう……誰でもない。


化け物かよぉ

 勝手に敵意を剥き出しにしている三白眼の男に近寄って、粘液で塗れた手を伸ばした。

言うこときけよぉ

 おどけた調子で銃口を自分に向けている。

 指先は撃鉄を引いたままだから、無数の銃弾が殺意をもって吐き出されてくるけど、痛みを伴わないのでなんとも感じなくなった。

 気にせず手を伸ばして、三白眼の腕を思いっきり掴んだら、防護服がいとも簡単に引き裂かれていく。

 藁半紙で作られたのかと錯覚するくらいに。

くそ!! お前ら、こいつを焼き殺してしまえ!

 先ほど体験した炎で炙られた感覚を思い出し、目の前で喚いている男よりも左右にいる男に狙いを変えることにした。銃口が向けられる前に左手側に居る男の元に駆け寄り腕を掴んで離さないように力を込めたら、骨が折れる鈍い音が苦痛を伴う声と共に響いた。

『ぁぁぁぁ!!』

 粘液で塗れた手に小さな突起が無数に生え出しては、注射針の役目を果たすように男の皮膚にのめり込んでいく。自分の体の中に他人の血液が取り込まれて流れ込んでくるのが分かる。舐めたわけじゃないのに口の中に甘塩っぱい鉄の味が広がった。

『やめろ!! やめてくれぇぇ!!』

雄叫びをあげながら懇願しているが止めるわけにはいかない。

死ねよ。死ねぇ!

 三白眼の男が自分の顔を目掛けて銃弾を撃ち放っているけど、全くもって痛みを感じない。痛覚というものがいつの間にかに削げ落ちてしまったみたいだ。

 男は徐々に生気を失っていくようで、手の甲は骨が浮かび上がり肌が乾燥してはひび割れていく。

 皮膚がめくれたのか、がさがさとして骨ばっている。

 一人を片付け、もう一人の方に向き合ったら火炎放射器の銃口が既に自分を捉えていた。

 真っ赤な炎が視界を遮る様に覆ってきたけど、逃げずに相手に向かった。

 痛覚が死んでいる自分にとっては怖いものなど何も無い。

『なんなんだよこいつ!』

 火炎放射器を持った男は狼狽えながらも、その場に止まって攻撃の手を緩める事をしなかったから、炎を纏ったまま相手に抱きついてやった。

『っつい! 熱い!』

 背中側に回した手で脊髄あたりに指をのめり込ませて、相手の髄液を啜るように指先を通して体内に流れ込んでいく。相手の生命活動は終焉の時を迎えたようで、何も吸い取るものがなく冷たさだけが感じ取れたあと、崩れ落ちるように倒れこんでいった。

 三白眼の男が悲鳴に近い絶叫をあげながらも、自分への銃撃を続けているようだ。

 視界が突如、緞帳を降ろしたように真っ暗闇に包まれたから。

 何発か打ち込まれた銃弾の一つか二つかが瞳を貫通でもしたのかもしれない。

 何も見えはしないけど、聴覚は生きている。

 銃口から吐き出されていた射出音が止んだから、虚空に向かって腕を伸ばすも空を切るだけ。

 逃すわけにはいかない。あいつは。あいつだけは許すわけにはいかない。


 そういえば近くに人の屍体があったはずだ。地面を這うように両手を伸ばして辺りを探っていたら行き着いた。顔の付近をペタペタと舐めまわすように触ると、目元を何かで覆っているようだ。でもそのおかげで目は鮮度を保っているのかもしれない。おもむろにそれを引き剥がして窪みの中に収まったまだハリのある瞳を探り当てた。確か近しい人であったようなそうでもない様な、今の自分にはどうしても思い出すことができない。頭の中に深い靄がかかったみたいだ。

片方の手でなんの躊躇いもなく自分の右目と左目をむしり取ったあと、転がっている屍体から二つの瞳を引きちぎり、ぽっかり空いた虚空を埋める様に詰めこんだ。

 暗幕が緩やかにあがっていくように光が少しずつなだれ込んできて、色のついた世界が飛び込んできた。


 辺りを見回してみると、三白眼の男が装甲車に乗り込んでいく姿が見えた。

 息吹を与えられたかのようにタイヤが激しく回転して、地面をならしながら自分に向かってくる。

 獰猛な鉄の猪を思わせる鬼気迫るものを一瞬だけ感じ取ったけど、すぐに霧散した。

 怖くは無い。確実に、殺るだけだ。

 殺意が芽生えてきたら、怒りに満たされてたぎってきた。

 炎で皮膚がただれ落ちていき、地面を白い粘液で覆っていく。

 地面から突如生え出してきた数多の菌糸類。

 きめ細かい粉塵をばら撒くように小さな無数の胞子が辺り一帯を包んでいく。

 自分の左手の小指を引きちぎり、身体に纏わり付いている炎で燃やした。

 装甲車が菌糸類の真下を通過しようとしたその時、燃えている小指を投げ捨て粉塵爆発を巻き起こした。

 真っ赤な炎が空を包んでいくと思った瞬間、見えざる巨大な手で全身を押しつぶされる感覚があり、気がついた時には自分は空を舞っていた。

 背中側から地面に叩き落とされて、見上げるかたちで空を眺めると煙でくすんでいた。

 ゆっくりと身体を起こして全身を確認すると、左腕と右足が吹き飛んで無くなっているけど傷口を塞ぐように菌糸が纏わり付いている。爆風のおかげか全身を包んでいた炎は消えていた。

 もう辛うじて生き残っている状態なのかもしれない。

 段々と思考する力は弱まってきて、自分が誰なのかすら思い出せない。

 自分が自分でなくなっていくように、頭の中を埋め尽くしていく靄が多すぎる。

 確か自分は何かを探していたはずなのに、なんなのか思い出せない。なんだろう。

 大切なとっても大切な何かだったのに思い出せない。なんでかな。

 この瞳の持ち主も自分にとってはとても大切な関係であった気がするけど分からない。

 分からない。考えてみても自分には何一つ分からない。

 唯一分かるのは、装甲車も吹き飛ばされて地面に転がっているという事だ。


 這いずるようにして、半壊している装甲車の元へと向かう。

 そう遠くない場所で何かが爆ぜる音が断続的に響いてくる。見上げて街の中心地の方を向けば空が黒煙で埋め尽くされ、その下方は燃え盛る色で染まっていた。


 ひっくり返っている装甲車に近づいて運転席を確認すると、三白眼の男は顔を血で染め上げて呻き声を上げている。右手で頭を叩いてやると朧げな瞳で見返してくれた。

ぁ。ぁぁ……

 言葉を発せなくなっているようなので、命乞いを聞く事すらままならない。

 この状態なら自分の手を汚すまででもないけど、怒りが収まらないから一思いに葬ってやろう。

 おでこに右手を突き刺して残りわずかの命の灯火を刈り取ってやった。

 干からびた花のように萎れていった男。こんな奴のせいで自分はこんな目にあったと言うのか。

 深いため息が自然と溢れ、なんともなしに車を眺めていたら後部座席のドアが吹き飛んでいる事に気がついたので、近づいて中の様子を伺ってみた。

 そこには一人の女の子が両手を背中側で縛られて、頭から血を流して意識を失っている。

 温度を確かめようと頬を触るとひんやりとした冷たさだけが伝わって来た。

 生きてはいないだろう。

 なんだか分からないけど、無性に悔しくて悲しくて瞳から雫がいくつも零れ落ちていく。

 なんでこんなにもやりきれないのだろう。

 女の子の頬にぽたぽたと水が滴り落ちて水溜りが形成されていく。

 何が。何が自分をここまで掻き立てるのだろう?

 この子は一体誰なんだろう。自分は一体誰なんだろう。

 優しく頬を撫であげて物思いに耽っていとき、仕舞い込まれていた過去の記憶が解き放たれるように溢れ出してきた。目の前で息を引き取っている女の子が、記憶の中で笑いながら自分に話しかけてくる。

×××おはよう!

×××クレープ食べてかえろぉ

×××どったの? なんかあった?

 ×××? ×××? どこかで聞いたことがあるような無いような……凄く身近で。

 眩暈を伴う軽いふらつきと、後頭部がずきずきと痛むので顔を伏せるようにうずくまった。

 なんなのか悶々と考えていたら一つの答えが浮かんだ。


 ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。ぁ。


 私だ。私だ! 私の名前だ!!

 死にかけていた感情までもが息を吹き返した様に蘇って、元の人格が舞い戻ってきた感覚がある。

 記憶の中で輝いている円の笑顔はとても眩くて愛おしくて、直視するには私の心が弱すぎた。

まどか? まどかぁ? なんで? なんでかな? ねぇ、嘘だと言ってよ。ねぇ

 ダムが決壊して堰を切ったように、涙が次から次へと流れ出ていく。

 私のせいで大事な人がまたしてもいなくなってしまったと言うの?

 もしかしなくても私の手で殺してしまったの?

 ねぇ神様。私は何か悪いことをした? 

 私はこんなにも業を背負わないほどの事をした? ねぇってば答えてよ。

 苦しくて苦しくて、出来ることなら今すぐにでも私も死んでしまいたい。

 人の心を取り戻さずに死んでしまいたかったよ。

 何も見えないまま抵抗せずに死ねば良かったんだよね。

 あれ? 違う。違う! 今見えているのって、私が薫の目を奪い取ったからなんだ。

 なんてことをしでかしてたんだ私は。

 死人の身体をいたぶってまで生きようとしていたんだ。

 心は死にたがっているのに、本能は生きようとしている。

 すっごい矛盾だなぁ。私はどうしたいんだろう。

 私が私でいられる時間はもう、ほとんど残ってないのに。

 こんなにも歪で悪意に満ちた世界を見続けるのは辛いよ。

 でも私が選択したことなんだよね。

 なら、私にできることは皆んなの分も生きることなのかな。

大丈夫か?

 思考を断ち切った誰かの声。

 顔をあげると英一が思案げな顔で立っていた。

 その近くには軽自動車が止まっており、彼がここまで乗ってきたことが伺えた。

 視線を英一に戻すと、血色の悪い青ざめた顔色で両目を剥いて口を半開きにして固まっている。

 言葉を失ったようで、唇だけが物言いたげに小刻みに震えているだけ。

 何も言わずに来た道を逃げるように走って、車の中に入り込んでどこかに去ってしまった。

 そんなにも私の見た目は酷いのかな。心はまだ人なのに。

 皆んな私を置いてどこかに行っちゃった。

 独りは寂しいよ。すごく寂しいけど、皆んなの分もこの愛した街のためにも生きると決めたんだ。

 これが私のできる精一杯の抗いなんだ。


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