9曲 Fundamental

文字数 4,046文字

こんなところで寝たら風邪ひくよ

 ぼやけた視界に映ったのはお母さん。

 いつの間にかに眠ってしまっていたようで、私の身体を揺り動かしながら声を掛けてくれている。

 起き上がって自分の身体を見ると、制服を着たまま横になってしまったから皺くちゃになっている。

ちょっと! なんでこの上履きこんなに汚れているの?

 お母さんはバッグからはみ出して床に転げ落ちている上履きを掴んで、文句を垂れている。

後で洗うから、玄関にでも置いといてー

 そうは答えたものの、物凄く眠いから今すぐベッドで横になりたい。

 怖い夢の続きを見るかもしれないけど、眠気には勝てそうにもないし。

今日はもう寝るよ。おやすみ

晩御飯は? 服もアイロン掛けないとダメじゃないの?

 ゆっくりとした足取りで二階に上がるなか、階下ではお母さんが何か喚いているようだけど、今日は無礼講って事で許してね。今日はもうおやすみなさい。





昨日は靴持ってきてくれてありがとう

できた人でしょ? 私って

 あくる日、手入れされなくなって伸び放題の草花が生い茂っている通学路を歩きながら、円と話していた。

あのさ。あの後、どうなっ

 円は途中まで言いかけた所で乾いた咳をし、少し苦しそうな表情を見せた。

風邪ひいた?

んーかも。ここ最近調子悪くてさ

無理しない方がいいよ?

このくらい、なんともないからっ

 元気さをアピールする為か、右手を空に向かって突き上げて小さくジャンプしてみせた円。

 着地する際に少しよろけてしまって、軽く尻餅をついてしまって小さな悲鳴を出している。

大丈夫じゃなさそうじゃん!

んー。ちょっと立ちくらみ程度だよー

 円の正面にしゃがみ込んで、同じ目線に合わせて手を差しのばした。

今日くらい休んだら? 送ってくよ

ううん。本当に大丈、夫……だ、よ

 柔かな微笑を浮かべていたのが、言葉尻に合わせて表情が硬くなっていく。

 細く弧を描いていた目元が突然見開かれて、私の後ろの方に焦点を当てている。 

 円が何も言わずに居るから、私は恐る恐る後ろを振り返った。

 雑木林の向こう側から四足歩行で近づいてくる動物らしき何かがいた。


 頭が有ったと思われる所が腐れ落ちてるのか首の根が抉り取られており、本来あるはずの頭部が見当たらない。代わりに剥き出しになった欠損部分から白い棒状の物が枝分かれしながら無数に生えている。身体の方も皮膚がただれて赤黒い血痕の後があり痛々しい。よく観察してみると細長い白い糸状の筋が全体を這っていて、大小様々なキノコが存在を主張するかのように生えているのが気持ち悪い。おまけに鼻腔にこびりつくような腐敗臭が酷すぎた。

なに、あれ?

 円と私は、得体の知れない生物にしばし釘付けになっていた。

 前に似た様な経験をした事を思い出したけど、あの時は口の悪い薫が助けてくれたんだっけ。 

 今は居ない。一回経験している分、私がしっかりしなくちゃダメだ。 

円、立てる?

足が竦んで、立てないよ

 まるであの時の再来と言うべきか、円は口を震わせ身体を動かせないままでいる。

 取り敢えず自分のバッグの中を探り、握るのに丁度良さそうなペットボドルのジュースを取り出した。

 おもむろに振りかぶって、四足生物に目掛けて投げつけてやった。


 首根から伸びている角みたいな棒状の部分にペットボトルが挟まり、その衝撃で白い小さな粉が体全体から吹き出てきて空気中に舞い散り散乱し始めた。状況的には物凄く不気味なのにあまりにも眩く光るから一瞬魅入ってしまった。

 やっぱり物を投げつけるだけじゃ全くもって意味が無いかぁ……。

な、なんか! 出てるよ!

 仰け反りながら叫んでいる円の両脇に手を入れて身体を持ち上げようとしたけど、あまりにも重すぎた。

重いー

 つい口から出てしまったとはいえ、こんな非常時なんだから眉間に皺を寄せて頬を膨らませなくてもいいのに。

 そんなあざとらしい表情を作っている余裕があるのなら、足腰に力を注いで欲しいもんだよ。

重くないもん

 願いが届いたのか、ゆっくりと立ち上がってくれた円。


 そのタイミングに合わせたかのように、荷台に大きなアンテナを載せた迷彩柄の装甲車がけたたましい音を立てながら近づいてきてたようで、気がついた時には私達の側で停車していた。

今度はなに?

 逃げることを忘れて、この車がなんなのか興味本位で眺めてみた。

 小さな窓は真っ黒いスモークが掛かって中の様子が分からなくしてあり、ボンネットには見開かれた眼が一つだけ描かれた物が象徴であるかのように主張している。


 思考を巡らせるよりも早く公営の警報音がけたたましく鳴り響き、飛翔体の飛来をアナウンスしはじめたのと同時に装甲車のドアが開いて、全身を黒色の分厚い防護服で身を包んだ2人が長身の銃を担いだまま降りてきては辺りの様子を伺うように見回している。


 背中を覆うサイズのボンベを2つと、その上部にも小さいのが1つ括り付けられて1セットみたいな器具を背負っている。2つのボンベは口元まで蛇腹みたいな管で繋がっており、酸素でも送っているのかな? 小さい方のボンベは遊びをもたせて伸びた管が銃まで繋がっており、火器類の弾薬かなんかなんだろうと思わせた。


 防護服の二人は私達には気にもとめず、ゆっくりと近づいてきている四足生物の前に立ちはだかった。

 突然湧いて出てきたこの人たちは一体なんなんだろう? どうして次から次へと変なことばかり起きて巻き込まれるのかなぁ。

殺れ

 もやもやを吹き飛ばした短い号令。声が聞こえた方を見ると、先ほどの二人と比較すると薄めに見える黄色い防護服で全身を包んだ人が装甲車から降り立って合図を出している所。


 掛け声とともに、二人が持っていた銃口からは大きな真紅の炎が意思をもった生き物の様にうねりながら這い出てきて、四足生物をたちまちに飲み込んでいく。息つく暇もないほど、瞬く間に黒炭となり跡形もなく消えていった。

君達、もう大丈夫だよ

 リーダーらしき立ち位置の黄色い防護服を着込んだ人が、朝の挨拶と言わんばかりに気さくに声をかけてきたけど、突然の成り行きに掛ける言葉を失っていた私たちは、ただ頷くだけ。

何があったのか、詳しく教えてくれないかな?

 人好きの人がしそうな破顔一笑した表情で優しそうな声音で訊いてくる。顔もしっかりと防護されてはいるが、英一のマスクみたく視認性を確保する為か、前面部分の一部は透明な素材だから見ることができた。何も言わないままでいたら、口元だけがワザとらしく吊りあがって、目元は黒目が小さい三白眼が見開かれて怖さを演出するのに一役買っていた。

分かりません

 目を合わせない様に視線を外して答えた。

そっかぁ。今みたいなのは初めてみる?

……はい

 言葉の節々に威圧を覚えまともにやりあってはいけないと虫の知らせを感じたから、咄嗟に嘘をついてしまったけど、これでいいだろう。

 ふと雑木林の方を見ると、入り口付近の木々が先ほどの火炎放射で燃え盛っており、ぱちぱちと火の爆ぜる音までもが聴こえてくる。

 私たちの相手をするよりも先に、二次被害を食い止める作業に取りかかる方が先なのでは?

あの……後ろの火

ぁぁ。あんなのどうとでもなるから大丈夫

 この人達は、本当にこの後の処理をする気はあるのだろうか?

 火炎放射器を持った二人は何をするでもなく、黄色い防護服を着た三白眼の後ろに直立不動で突っ立ているだけ。その間も木々に燃え移った炎が強さを増して大きくなっていくじゃないか。

 私の想いなんか露知らず、三白眼は私たちの身体を舐め回す様に不躾な視線を注いできて気持ち悪い。

潮高なんだね君達。何て名前なの?

 以前食堂で耳にした言葉、人攫いの単語が頭をよぎった。

 英一の、研究の為に連れて行かれていると言う言葉も。

名乗るほどでもありませんので

 短く言い切って、円の手を掴んでその場から離れようと試みた。

不信に思われてる? 怪我はしてなさそうだけど、もしもの事があったら大変だから送っていくよ

いえ、結構です。いこ円

ガキの癖に生意気だねぇ。ご忠告を無下にも断るとは

 三白眼はただでさえ白眼の割合が多いのに、さらに目を剥き出しにして怒りを露わにしている。

 顎で私たちの方を向けたのを合図に、後ろで突っ立っていた二人が歩みだしたから、後ろを振り返って三人に背を向ける形で走り出した。

腕いたいよ! もっと優しく引っ張ってよ

 円の泣き言なんか聞いている場合なんかじゃない。

 後ろの様子を確認すると、案の定火炎放射器を持った二人も駆け出して私たちに追いすがろうとしているじゃないか。

円! 喚いている場合じゃないって! 走って!

 円の手を絶対に離さないと決めて、土埃を起こす地面を何度も蹴っては駆け出した。

 時たま後ろを確認すれば、徐々に差が開いていくのが見て取れる。

 相手はごわごわとした防護服を着込んで、重そうな火器を携えているのだから思う様に走れないのだろう。

 その更に後ろで三白眼が何かを喚き散らしているようで雄叫びが聞こえるけど、走っているせいで何を言っているのか聞き取れない。

胸が、苦しいよ

 円は空いた手で胸の辺りに手を添えて俯き、荒い息を吐き出しながら苦しそうにしている。

おねがい! もう少しだけ頑張って

 自分自身を鼓舞する意味も含めて言い放った。

 昨日の尾行のせいで、足の疲れがピークに達しているけど、命の危険を感じている今は我慢するしかない。

 ちらっと後方を確認すると、火器を持った防護服の一人が銃口をこちらに向けていた。

 まさかと思う前に、波打つ炎の群れが空中を掻き切って猛然と迫ってきた。

 理解できない状況に言葉を失い、思考と足までもが止まりかけそうになったのをなんとか振り切って無我夢中で走り続けた。

 相手との距離を保てていたおかげで、炎を浴びる大惨事にならずに済んだのは幸いだった。

 一歩でも遅かったら、あの四足生物みたく確実に私たちは炎に飲まれてこの世から消えていたのは隠しようもない事実だ。

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