13曲 I'm so stupid
文字数 3,724文字
兵士達は一言も発さずこちらを見つめているだけなので、何を考えているのか分からないし、無言の重圧が重くのしかかってくる。この現実から目を背けたいくらいだけど、目を逸らした瞬間に事態が悪い方向に転びそうな気がしてならない。
さっきのやり取りを見ていただけに、こちらの言い分を素直に聞くような姿勢を持ち合わせていないのは間違いないし、下手したら危害を加えてくる恐れもある。対話という概念は捨て去って、隙をみて逃げ切るしかなさそう。でもどうやって? 武装している人達とやりあえる武器も気概もないし、根性だって持ち合わせていないよ。考えろ、考えるんだ。
知恵を捻り出そうとしても時間的余裕がないから焦ってしまい、答えの出ない疑問が湧き出てきては埋め尽くしていく。
乱れていた頭の中にすっと入り込んできては、心に少しの余裕を運んでくれた言葉。
声が聞こえてきた方向、後ろを振り返ったら見慣れたガスマスク姿の薫の姿が目に入った。
見知った顔に幾ばくかの安堵感を覚えて、張り詰めていたものが少し緩んだ気がした。
この好機を逃さない様に一歩、また一歩とゆっくりと歩きながら兵士との距離を離さそうと試みた瞬間、鼓膜に痛みをも伴わせる音が響き、私の足元の地面に銃弾が数発撃ち込まれたのか土埃を上げていた。
それ以上は歩かせないと意思表示をするかのように。
一連の流れを見ていた薫が、驚きを隠せない様子で呟いている。
兵士の様子を窺う為に振り返ってみたら、三人の兵士が銃口をこちらに向けて詰め寄ってきていた。
薫が吐き捨てた雑言に反応したのか、一人の兵士は私から薫に照準を移し替える様に銃を構えなおし、乾いた音が空気を伝播したかと思った瞬間、薫が身につけていたガスマスクの一部分、丸い円筒状の物体が吹き飛んでいった。濾過器が地面に落ちて鈍い音を発し、薫の唾を飲みこむ音だけが鮮明に聞こえた一幕。理解の範疇を超えた咄嗟の出来事に、体を強張らせ縮こまることしかできなかった。
銃口を向けたままじりじりとにじり寄ってくるその姿は、命を刈り取る鎌を持った死神にしか見えなかった。首元に刃先を引っ掛けられ、いつ喉元を引き裂かれてもおかしくないような現状に心が麻痺してく。
兵士達の姿を放心状態で眺めていた時に、さっきまで私が立っていた地面が目に付いた。白い粘液のような物が地面を覆うように生えてきては拡がっていく。コマ回しで見ているかと錯覚するほどの急速な成長ぶりで、呆気に取られている内に粘液は一つのキノコへと変貌していた。初めて遭遇した時に見たキノコと同じくらいの大きさまで膨れ上がっており、兵士達も突如現れた謎の菌類に目を奪われているようだ。
キノコの笠の部分から小さくて白い胞子みたいな物が大量に吐き出され、傍目で見ても分かるくらいに辺り一帯を覆うように浮遊していた。太陽光に照らされてきらきらと輝く眩いダイヤモンドのように見えて、一瞬だけ見惚れてしまった。
薫の呼び声で正気に戻り、この機会を逃さない様に地面を蹴り飛ばして駆け出した。
側まで近づいた時、叫びながら私に向かって飛びついてきた。
私は地面に押し付けられるように倒され、その上に覆いかぶさるようにしてきた薫。
発砲音と同時に地面をも震わせる爆発音と振動が身体に響き、赤く燃え盛る火の粉に変貌していく粉塵に包まれていく兵士達の姿が、スローモーション映画の一部を切り取ったかのように視界に映る。
ほんの一瞬の出来事なのに、脳裏に焼きつくほどの煽情的な光景で心がざわめいた。
何が起きたの?
ゆっくりと身体を起こしてみても、痛みを感じる部位はどこもなさそう。
結構な速さだったから、どこかしか怪我か打撲したかと思ってたけど。
背中が地面にぶつかる時に少しの衝撃だけで済んだのは、薫が身を呈して守ってくれたからなんだね。
改めて自分の身体を観察しようと手を地面から離した時に気がついた。納豆みたいに粘り気のあるべたついた何かが手元に付着しているのか、気持ち悪い感触が残っている。
掌を確認すると白い粘液がべったりとくっついており、地面から引き剥がされた事により無数の糸が行き場を失って中を舞うように揺らめていた。
気持ち悪いんだけどこれ。なにこれ? もしかしてこれも緩衝材のような役目を果たしたおかげで衝撃を吸収したとか?
右手を差しだされたけど、こんな手で握っていいのかと逡巡していた。
私が言い終わる前よりも早く手を繋いできた薫。
ねたついた付着物で塗れている筈なのに嫌な顔を一つもせず、強く握ってくれた。
薫に引っ張られて立ち上がってみたら、私が横になっていた地面は人の輪郭を象るように白い粘液で覆わていた。
ついさっきまで私たちに銃口を向けていたであろう兵士達は、先ほどの何かに巻き込まれたのか地面に横たわるように転がっているのが見て取れた。戦闘服が破れて所々から赤黒い血を流している者。四肢が吹き飛んで人の形を無くした者。皮膚まで削げ落ちて黒炭のようになった者。地面は人が流した赤黒い液体で染まっており、血生臭い匂いが鼻腔を刺激する。
落ちていた目線を上げてみると、装甲車の中に入っていた兵士達が外の様子を窺う為に降りてきているのが確認できた。
私が返事をするよりも早く、繋いだままの手を引っ張るように走り出した。
何度目になるかわからないくらいに走っている気がするけど、身の危険を感じるとそれでも力が出るんだね。辛いとか苦しいとか通り越して、生きる為だけに動いている気がする。
目の前を走っている薫の背中を見ると、衣服が破けて背中から血を垂れ流しているではないか。
さっきの爆発から自分の身を呈してまで、私を守ってくれたんだ……だからこんな事に。
私に対するあたりや口が物凄く悪いから、嫌な人だなって思っていたのに。言葉でなくて行動で示されるとどう接していいのか分からなくなる。
薫は真顔で後ろを振り返って私の顔を眺めてきたかと思ったら、興味を無くしたように前に向き直った。
壊れてしまったガスマスクを着けたままだからか、荒い息遣いを何度も繰り返している。
淡々とした口調だったけど、感情を押し殺すのに努めて言っているのか、声が僅かに震えていたのが分かった。勘違いかもしれないし、そうだったとしても私にできる事はなにもないから黙っていた。
薫は空いている手で、壊れたガスマスクを地面に放り投げるように剥ぎ取った。
何も装着していないその横顔は端正で整っていたけど、唇を噛むようにしていたのが不釣り合いで、素のままで空気を吸うのがよっぽど嫌なのが見て取れた。
こんなとき、何て声を掛ければいいんだろう……。
後ろから追いかけてくる足音や怒声や発砲音などが全く聞こえないから、後ろを確認してみたら兵士達は追ってきてないのか姿は一切見えなかった。
私の掛け声で再び後ろを振り返った薫。
一瞬だけ目が合い、辺りを確認するように目が忙しそうに動き回っている。
後方の安全を確認してもなお、走るスピードを緩めることなく駆けていく。
嘘でしょ? もう限界だから休みたいってのに。
残る力を振り絞って、必死になってスピードを落とさないように努めていた。
無我夢中で走ってたどり着いた、住宅地が密集している閑静な場所。
目と鼻の先に私の自宅があるのが見える距離まで来ていた。
腰に両手をついて大きく深呼吸を繰り返している薫。
その傍らで私は軽いめまいを覚えながら、倒れ込まないようになんとか自制していた。
二度も窮地から救ってくれたのに何もせずにはいられない。
見ているこっちが痛くなる薫の背中の傷跡が気になって仕方ないから。
強情な性格なのか首を縦にふる動作を知らないようなので、今度は私が薫の手を引っ張っていくことに決めた。
この場に似つかわしくないかもしれない笑顔を作って、気丈に振る舞ってみせた。
幾許かの余裕を見せることができたのか、薫は愚痴を零していたけどつられて歩いてくれた。
顔を見ると、口の端がほんの少しつり上がっていたので満更でもないのかもね。