1曲 SEPIA
文字数 3,451文字
担任の長岡は、感情を押し殺した様な抑揚を纏わない声音で発しながらしめの挨拶を残して教室を去っていった。新学期が始まった頃、クラスメイトが40人程は居たのに、気づけば日に日に人が減っていき、今では25人位しかいない。正確な数が分からないのは私が特定の友人以外の同級生にあまり興味がなく、周囲に気遣ってないのもあるだろう。
下校時刻とあって、ぽつりぽつりと人が減っていき閑散としていく教室。
私も自分の席から立ち上がろうとした時、学校の敷地内に設置された公営の放送機器からいつもの耳をつんざく様な音ががなりたて始めた。嫌でも頭にこびりついて離れない規則的な機械音が流れた後、聞き飽きたいつもの音声が流れ始める。『飛翔体の発射を確認いたしました。慌てず騒がず屋内の安全な所に避難してください。飛翔体の……』授業中だったら教師の指示で何時ものように机の下に潜り込んでいた事だろうが、そんな事をしても何の意味を持たない事を知っているから、窓越しから響いてくる録音の音声が聞こえてくる方向をぼんやりと眺めていた。その音声に被せるように校内放送までも鳴り響き、在校生は机の下に隠れるようにと指示をだしていたのを、煩わしくさえ感じていたほど。
時間にして数秒だろうか、警報音が鳴り止んだようでいつもの静けさがやってきて、机に隠れていた同級生たちは辺りを伺った後に顔を出し始めたけど、私は気にする事なく教室を抜け出した。
隣の室内を覗き込んでみたら、気心しれた親友の姿は既になく他の生徒の姿もない静まり返った室内だけが映る。
確か、朝登校した時に一緒に帰る話をしていたはずだったのに。ポケットに仕舞い込んでいた携帯電話を開くといつの間にかにショートメールを受信していたようだ。
前までは可愛らしいスタンプやリアルタイムでのやり取りができていただけに、簡素な文しか送れないこのショートメールは何度利用しても馴染めない。
昔を思い返しても深いため息しか出てこない。仕方なく現状を受け入れてメールを開くと親友からの簡素なメッセージが目に入る。
ごめん! ちょっと今日は先に帰るね!
何か急ぎの用事でも出来たのかな? 思い返してみてもピンと来るものは何もなかった。
下駄箱で外履に履き替えていた時に急に後ろから大きな声をかけられて驚いてしまった。
反射で少しびくついてしまった気まずさがあったものの、この声の主は近所に住む幼馴染の芳樹だった事もあり不機嫌さを全開にだした。
小学生のような屈託のない笑顔を全開にして、人のことを貶してくるこいつはバカでどうしようもないけど、幼稚園の頃からの顔なじみって事もありあまり憎めない。
笑い飛ばしながら冗談っぽく返えしてみせれば。
無防備さを感じさせる隙だらけの背中を見せつけ、軽やかな足取りで玄関を駆け抜けていく。
束の間のやり取りだったけど、さっきまで心を占めていた憂鬱な気持ちが少し吹き飛び、あいつ程ではないけど私も少し軽やかになった足取りで校舎から抜け出した。
学校の敷地を抜け出して道路を挟んだ向かいに、なっちゃんと呼ばれて親しまれている出店構えの小さな飲食店があり、私はそこに吸い寄せられる様に立ち寄り、店主のおばちゃんに笑顔で出迎えてもらった。
人と話すうちに一人で帰るのもそうそう悪いことじゃないと思えるようになってきたから不思議なもんだ。
いつもの食べ慣れたクレープを片手に、歩き慣れた通学路をいつものように歩いていた。
ただ、いつもと違うのは一緒に食べ歩く友達が今日はいないことと、少し先に見慣れない何かが蠢いていたことだ。立ち止まって目を凝らすと、年齢にして3歳児位の高さはあるだろうか、幼児位の大きさのキノコの形をした生物が地面をひたひたと音を立てながら、ゆっくりと、でも確実に私の方にむかって歩数を重ねてくる。
私は目の前に広がる異様な光景に金縛りにあったかのように足が棒のように硬くなって動かなくなり、そのせいで少しずつだと言えど異形の生物の姿がはっきりと認識できる位まで距離を詰めてきていた。足は動かないくせに、手だけは動いたようでまだ食べきっていないクレープを足元に落としてしまい、鈍い小さな音が拡がった。
(動け、動け、動け!)
未知なる生き物を目の当たりにし、平常心を失いかけつつある状況下でも何とか理性を保とうと、心の中で叫ぶが身体は鉛のように重く、岩のように硬く動くことすらままならない。
目だけはキノコの様な生物をしっかりと捉えて、この非現実的な状況から目を背けたくても逸らすことすらできない。地面を擦りながら動いているのか一歩、また一歩とぜん動で緩やかに近づいてくる。
近づくにつれ詳細に見えてくる姿はエリンギみたいな見た目で、その表面は黴のような白い綿状の物が無数にまとわりついて、全身を覆うように這っていた。
誰かに助けを乞おうと思ったのに、思うように声が出ない。
友達が一緒にいれば、まだこの状況は違ったものになっていたかな。
もしかしたら、時間帯すらずれていてこんな物にすら出会ってなど居なかったのではないかな。
逃避や妄想が渦巻いてきて、頭の中がぐちゃぐちゃと混沌に満ちていく。
思考の渦に溺れて雁字搦めになっていくのを紐解いた誰かの声。
声の聞こえた方に目をやると、目元には競泳選手が付けるようなゴーグルがあり、口と鼻の辺りを一体的に覆うガスマスクを取り付け、同じ学校の制服を着た男子がスプレー缶に何か小細工したような物を持って現れた。
さっきよりはまともに声を発せられるようになったみたい。
露骨な舌打ちをした後、私の前に躍り出てスプレー缶を異形の生物に向けて構えているようだ。
背中越しからでも、何とも言いようのない彼の怒りが伝わってくる。
固唾を飲んで見守っていたら、銃口みたいなノズルの先端から真っ赤な炎が延々と吹き出てきているのだろうか、異形の生物を瞬く間に炎が包み込んでいく。
見る間に真紅な炎を纏い、激しく身悶え出す異形の生物。
炎を振り払うように身体を振り回し、その度に肉片が剥がれ落ちて小さな炎が地面に出来上がっていく。明確な意思でもあるのか、一歩また一歩とこちらに向かって歩くのを止めようとはしない。
異形の生物と対峙していた彼は突然振り向いて、私の横を通り過ぎたかと思ったら、右腕を強引に引っ張ってくれた。釣られて足が動けるようになって、さっきいた場所より何歩か後退することができたから助かった。
ゴーグル越しでもはっきりと見て取れる、彼の冷めきった目が私の心を射るように突き刺さった。少し怖かったけど、この状況下と比べれば断然心強いし頼もしいから仕方ない。
条件反射的に謝罪の言葉が出てきてしまったけど、彼は意に介してないのか何の反応も見せない。
異形の生物の歩みは次第に鈍くなり動きが止まったかと思うと、地面に倒れ伏して黒ずみの塊に成り果て、離れていても明確に分かる何かが腐ったような匂いと、鼻にツンとくる刺激臭を辺りに立ち込めさせていた。
更に腕を引っ張られて、匂いが漂っている付近から離れさせてくれたから、口は悪いけど根は優しい人なのかな。
お喋りは終わりと言いたげにぶっきらぼうに発して、歩み始めた彼。
安心したからか、今度は足が震え出してきて力が入らなくなってきた。
重力に逆らうことが出来なく、すとんと地べたに座り込んで、遠ざかっていく彼の後ろ姿をただ呆然と眺めることしか出来なかった。