11曲 During The Conflict
文字数 6,294文字
昨日のあらましを掻い摘んで伝え終えたら、円は体調不良もあってか更に青ざめてしまい、口数が少なくなって黙ってしまった。
二言三言と会話を重ねていく内に、円の表情に陰がさして一段と暗い面影になっているように見える。
平静を装っているようだけど、私の目は節穴じゃないから分かる。伊達に何年と一緒に過ごしてきてないからね。分かってしまうから、無理している姿が心苦しくて痛ましい。
円の手を掴んで離さないようにしたけど、おもむろに振りほどかれてしまった。
捨て台詞を吐いて、家路とは違う方向に向かって駆け出していく。
一瞬の出来事に虚を突かれて、走り出すのが遅れてしまった。
やっとの思いで変な輩から逃げ果せたと言うのに、今度は友達を追いかける為に走る事になるとは夢にも思わなかった。足の筋肉が限界を知らせるように痛みを伴う悲鳴を上げ続けているけど、あともう少しだけ粘って。奇行とも思える行動を止められるのは私だけだから。
具合が悪い癖に全力で疾走できるくらいの体力があるのなら、無理して今日行かなくてもいいじゃん。
走りながら大声を出していたら、息継ぎのリズムが乱れて肺が苦しくなってしまい走るペースが落ちてしまった。円は返事を寄越す事もなく走り続けているから差が広がっていくばかり。
交差点に差し掛かろうとした時、つい先ほど遭遇したばかりの見覚えのある迷彩柄の装甲車が前方からやってきたのが見えた。
円は知ってから知らずか意にも介さず、横断歩道を走り抜けて装甲車とすれ違ってそのまま突っ切って行く。
目を見張る程の大胆さに驚いたけど、今は自分の身を守る事に徹しないと。
左手側に立ち並ぶ民家の敷地に入り込み、家を覆うように建てられている塀に身を隠して、装甲車が何事もなく通り過ぎていくのを待っていた。
物陰から様子を窺うと、車体にあったはずのアンテナは無く、悪趣味なマークすら見当たらなかった。代わりに側面には軍の紋章を表す”甲”の文字が書き込まれていた。
紛らわしいくらいに似たような車があるとは思わなかった。
少し拍子抜けしたけど、そのお陰で恐怖心が幾分か和らいでいる。
通り過ぎたのを見届けてから、素知らぬ家の敷地から抜け出した。
目的地に向かいながら円に電話をかけてみても一向に繋がらない。
メッセージを送ってみたけど返ってくるかな?
既に円の姿は見えなくなってしまったけど、私もあの隠れ家的な場所に行けば会えるだろう。
笑い続けている足をむりくり動かしたおかげで、何とか隠れ家的な建物の前まで漕ぎ着けることができた。
改めて玄関周りを見回してみてたら、来訪者の受付を拒否するかのように呼び鈴らしき物が一切見当たらない事に気がついた。仕方ないから無骨な作りのドアをノックしてみたけど、何の反応も返ってこない。強めに何度か叩いてみても結果は変わらなかった。
どうしようかなと思いながら試しにドアノブを捻ってみたら、緩やかに回転して開いたのは神の思し召しか。にしても不用心だなぁ。
ドアを少し開いて中の様子を伺ってみたけど、人が出てくる気配がない。
上がり框を確認してみたら、一足の靴が慌てていたのか乱暴に脱ぎ捨てられている。見る限り円の物ではなさそうだけど、折角ここまで来たのだから一応確認してみたほうがいいかな。
返事がくる事は無かったけど、耳を澄ましてみると奥の部屋からボソボソと誰かが喋っている声が聞こえて来る。無断で入るのは気が引けるから引き返そうかなと扉を閉めかけたけど、思い直した。円はここに用事があるって言ってたんだ。私の方が早く着いただけに過ぎないかもしれないし確認位ならするべきなんじゃないかな。
引け目を感じながらも恐る恐る踏み込んで行く事に決めた。
明らかな不法侵入だから間違いなく咎められるだろうなと腹を括りながらも、一歩、また一歩と声の聞こえる方に向かって進んで行く。
昨日案内されたばかりの部屋のドアノブを恐る恐る捻って隙間から中の様子を覗き見ると、英一と薫の頭が見えた。黄ばんで見すぼらしい古臭いPCの前に角ばった形の機械がありそこから声が流れてくるようで、それに耳を傾けているようだ。
声を掛けるタイミングが分からない。どうしよう。
『2、3日以内に……浄化……ようだ』
角ばった機械は無線機かラジオなのかな? 誰かの声が途切れ途切れに聞こえて来る。
何の内容なんだろう? 気になるけど円を最優先させないといけない。
もういいや。ここまで来たんだ。なるようになるさきっと。
二人は思い切り後ろを振り返り、薫に至っては驚愕の表情をしていた。
私が悪いはずなのに英一に見咎められて謝っている。二人は私の存在を消したかのように、声の聴こえる筐体に向き合い出した。この状況が落ち着くまでは進展しそうにもないし、この位置からでは声が途切れ途切れにしか聞こえないから、断りもなく二人の近くまで近づいてみた。
『今すぐにで……逃げ。も……時間は……な』
若そうな男性が走りながら喋っているのか、荒い息遣いとガチャガチャと金属音がぶつかり合う音に混ざりながら途切れ途切れな独白をしている。
聞いているだけなのに、独特な緊迫感が漂ってきて気持ちをざわつかせる。
『逃げ……逃げ……』
遮断されたのか唐突に音が途絶え、目の前にある筐体からは何も聞こえなくなった。
沈黙が訪れても二人は微動だにせず、黙りこくってしまった筐体に向き合ったまま。
立ち上がったあと、英一の方に向き合って大きな声で侘びの言葉を並べている。
まるで体育会系の教師と生徒みたいなやり取りに煩わしさを感じてしまったけど、元はと言えば私の不法侵入が原因なのだから、私が不快感を覚えるのは間違っているのかもしれない。
小走りで玄関の方に駆け出していく薫。
薫に注がれていた視線が外され、私の顔を見つめてきた英一。
人好きの人がしそうな満面の笑みで見つめられたけど今一好きになれない。
施錠を終えて戻って来た薫は淡々とした態度で英一に接していたけど、私に矛先が向けられた瞬間に態度が一変した。
返す言葉が見当たら無くてしどろもどろになっていく。
薫は露骨に嫌そうな顔をして不服さを前面に滲ませていたけど、英一の一言で気勢が削がれていくようで先ほどまでの昂りの気配が消えていた。
下を向きながら小さくぶつぶつと何かを言っている。
独り言を止めて、顔を上げて見上げて来た。
円の行方が気になるから悠長に会話している場合じゃないけど、目的地がここだから少しくらい聞いてもいいかもしれない。昨日は思い切り拒絶するような態度を取ってしまったのに、又のこのこと来てしまったのもあるし。
英一に促されて仕方なくといった面持ちで、面倒臭さそうにしているけど、渋々と話し出した。
殺すと言うキーワードに先ほど体験したおぞましい出来事がぶり返してきて全身に怖気が襲ってきた。
奥底が見えない真暗い穴から、私たちをあの世へと引きずり込もうと立ち上ってきた真っ赤な炎のイメージがめらめらと湧いて出てきた。死神の手に触られた瞬間、生への轍が忽然と消えるんだろうねいとも容易く。
英一に気にかけられて我に返ったけど、自分の両足が小刻みに震えだしている事に気がついた。
人の事を小馬鹿にしてばかりなのに、私の事を気遣う様な事を言うなんて。
薫が私の両肩を掴んで顔を覗き込んできた。対峙して顔を見ると、怒りで寄せていた眉根とは違う、困惑で満ちたシワをおでこに刻んでいる。人間味のあるこんな表情もできるんだね。
落ち着いた訳じゃないのに、どうでもいい事を分析できる心の余裕が生まれたのかな?
ゆっくり息を吸って、お腹の中に溜まっていた鬱憤をも捨てる様に吐き出した。
言われるがままに何度か深呼吸を繰り返していくうちに、心をざわつかせていた何かが小さくなっていく様で気持ちが落ち着いてきた様だ。
君も言ってたでしょ? ミサイルなんか意味がないって。君の意図は違うだろうけど、皆はこう思っているはずだ。ミサイルが飛んだ所で高が知れている。今回もなんともないだろうと。繰り返される警報音に度重なる現象に飼いならされて麻痺している
突然、青天の霹靂みたいなこんな話を聞かされてもどうしていいのか分からない。
膨らんでいく不安な思いが心を締め付けて息苦しくなり、恐怖が頭の中をよぎるばかり。
何から始めよう。そうだ。円だ。円の無事を確認しよう。その後どうするか考えよう。
思案げな表情を見せつけた薫。それは私だって同じなんだ。
ガスマスク越しに顎らへんに右手を当てながら虚空を眺めていた薫。昨日の事を思い返すかのように。
つい先ほどまで昨日の縁とかで許してくれていたのに、長居を否定する言動をした英一。
そんな顔って、どんな顔をしていたの言うのだろうか。いや、今はそんな事どうでもいい。
私が携帯電話を差し出した所で、英一は微動だにせず口頭で薫に促した。
小さくくぐもったため息が聞こえた気がしたけど、薫は黙って端末を取り出して私の番号と交換した。
その発言には一切触れずに、感謝の言葉を述べる事に徹した。
嘆息気味に呟いた薫。何でも従って見えた関係性なのに不服な雰囲気を思いっきり醸し出している。そんな露骨に私に関わるのが嫌だと言うのも傷つくよ……。
英一の一言に釣られて私の顔を確認してきた薫。哀れむような視線を投げよこして撤回するような事を言ってくれた。
冷たくあしらわれるかと思ってたから、予想の斜め上を超える発言に嬉しくなってしまった。
こんなことなら気安く感謝の言葉なんか言うんじゃなかった。
いざって時に直ぐに電話できるほどの余裕も猶予もあったもんじゃないのに。
でも。保険の一つとして考えればいいんだよね。
うん。そうだ。
ないよりはマシだ。そう思おう。