8曲 皆様
文字数 3,073文字
英一は冗談なのか本心なのか良く分からない事をのたまったので、黙ってやり過ごした。
終戦していると言われても、テレビの向こうでは現に今も醜い争いが映し出されているのに?
飛翔体はミサイルでもロケットでもいいけど、中身は火薬じゃなくて生物兵器が積まれた見せ掛けのものだ。真菌に近いものが飛行中と、爆発後に拡散して周囲に撒き散らしている。既存の生物に寄生して蝕んでいくようなんだ。姿形を変えさせるくらいにね。君が見たキノコもそうだろうね
いきなり声を荒げた薫。そんな怒る様な事言ってないのに。
淡々と恐ろしい事を口にしてるけど、話のスケールが大きすぎていまいち実感が湧かない。
英一と薫を交互に眺めてみて、その格好の意味がやっと分かったけど。
英一はどこか芝居がかった様に、大げさに首を振って乾いた笑いをしている。
話が飛躍しすぎてるし、目の前にいるこの人は信用できるのかな?
いきなり質問を問われても何を聞いたら信用に値する答えを得られるのか。
悩むよりも先に、芳樹の顔が浮かんできたから思い出した。
質問を質問で返してくるのは流石にウザすぎるけど、素直に応じて見せた方が賢明だろうね。
薫は露骨に鼻で笑って、私の事を嘲笑っている。
なんでこんなに上から目線なんだろう。
薫は英一に弱いのか素直に謝罪の言葉を口にしているけど、私には一言も無かった。
なんか気分悪いし、言い方悪いけど荒唐無稽過ぎてこれ以上聞くになれない。
踵を返そうとしたら、薫に右手を掴まれた。
前にも似た様な事があったっけ。
黙ってやり過ごそうと思ったけど、つい口を滑らせた。
薫が大声をあげたと同時に、薫の胸ぐらを掴んでいる英一。
なんで仲間割れみたいな事してるの?この英一って人は薫と比べたら手が出るタイプ?
衣服を掴んで身体を持ち上げているから、首元を圧迫されて息苦しそうにしている薫は目を白黒とさせている。
構わなければ良かったのかもしれないけど、流石に暴力はみていられない。
英一は私の目を見て口元を釣り上げて、掴んでいた手を離してみせた。
その拍子に薫は床に尻をついて、息苦しいのか両肩が激しく上下して空気を貪る様に呼吸を繰り返していた。そんなに苦しいのならマスクを外せばいいのにと、なんとも言えない気持ちで眺めながらこの場から去ることに決めた。もう話を聞く雰囲気でも無いよ。
私に発言権は無いのか、のっそりと起き上がって私の後をついてきた薫。
無言の威圧を背中にひしひしと感じながら、廊下を通り抜けて玄関までたどり着いた時にふと思い出した。入る際に何かの検査をした事を。玄関脇に置いあるゴミ箱を横目で確認してみたら、綿棒が入っている溶液は真っ赤な色に変わっていた。確か始めは無色透明だったと思ったけど、勘違いだったかな? いや、そんなはずはない。 ならこれは……何かに侵されているって証?
私が自問を口にするよりも早く、薫がかぶせてきた。
買い言葉に売り言葉で返してしまったから、私たちは口を噤んだまま建物を後にした。
獣道から階段が見えかけてきたとき、今まで黙っていた薫が辺りの様子を伺い小さな声で警告してきた。
その言葉が別れの挨拶だったらしく、獣道をまた引き返していく。
気まずさがあったので、ここで別れられたのは心情的に楽でいい。
日が沈みかけていき、東の空がくすんだ群青色で塗り替えられはじめた頃、自宅へとたどり着いていた。
玄関に入ってただいまと声をかけたけど、母親はまだ帰ってきておらず、自分の掛け声は誰にも聞かれずに消えていく。
今は幾分か心が落ち着いてきたけど、一人で居ると先程のやりとりが蘇ってきて心の中をぐるぐると渦巻いて支配していく感覚を覚える。
仄暗い箇所があれば少しでも追い出す様に、廊下と部屋の電灯のスイッチを点けていた。
心の中に巣食ってしまった何かは追い出せそうにもなく、じんじんと胸に痛みを呼び起こしている。
ふと我に返って考えてみると、英一の話はどこまで本当なんだろ? そもそもどこから知り得たのかな? 疑問が湧くばかりでどうしようもないから、取り敢えずTVを点けてみたけど、相も変わらず、何処かの地方の戦争の状況を報告し続けるだけで、目ぼしい情報を流す様子は見受けられなかった。
ソファーに横になりながら、欠伸を噛み殺して退屈すぎる番組を眺めていた。
気がつくと、辺り一面が真っ暗な所にいる私。
目を擦ってみても視界は悪いまま。視力が極端に下がったのか他の要因なのか分からないけど、何も視認できそうにない。
身体の自由はきくようで、手足は思い通りに動かせるけどその部位を見る事ができない。
まるで目を瞑って四肢を動かしているみたい。
声を出そうと張ってみても、何も聞こえない。耳が悪いの? それとも声?
なんなのこれ? 私の身に何が起きているというの?
恐る恐る片足ずつ動かして地面の感触を覚えながら進んで、両手で周囲に何かないか探ろうとするも、虚空を切るだけで何の感触も得られない。
なんなのここ? いつここにきたの?
代わり映えのしない状況に不安で胸が押し潰されそうになり、ちくちくとお腹が痛くなって呼吸が浅くなる。
頭の中を恐怖が駆け巡っていく感覚で支配され始めているのがよくわかった。
怖い。怖い。怖い。誰か助けて。
ーー突如、緞帳が上がったように漆黒で塗り尽くされていた世界に眩い光が降り注いだ。