第三話 其の五

文字数 1,985文字

 清之助様だ。

 そうだとわかった私は、すぐに視線をそらした。けれど急に話をやめてしまった私に三吉はなにかを察したようだった。
「おい、どうした?」
「なんでもありませんよ」
「ほんとか……」
 三吉が何気なく見た先にこちらを見る清之助様がいて、三吉も驚いている。お侍様がただの町人である私たちを見ているのだから、悪いことは何もしていなくても落ち着かない心地になるのは無理もなかった。
「知り合いか?」
 違うと言うには、清之助様がこちらを見すぎている。返事に困っていると、清之助様がこちらに歩いてきた。

「お侍様、コイツになにか御用です?」
「私は早野清之助と言う。凛殿に少し話がある」
「町娘にお侍様がなんの御用で?」
「それは本人と話すことだ。お前には関係ない」
「関係あるかないかは話してみないとわかりませんよ」
「頼みます。少し時間をくれませんか」
 清之助様の視線が三吉を無視してまっすぐに私に向かっている。その目つきは、前に会ったときよりも明らかに変わっている。会ってからひと月ほどしか経っていないはずなのに、一体何があったのだろう。

 三吉と清之助様のやり取りは町人と武士の言い合いにしか見えないからか、町の人たちも遠巻きにこちらの様子を見ているようだった。なんでこの方は、人の目を気にしないのだろう。この場を長引かせたくなかった私は、またもやこちらが折れるしかなかった。
「あ、あの……! あとにしてもらえませんか? 今は仕事の途中で、一旦戻らないといけないのです」
「では、向こうの先にある川の土手で待っています。終わったら来てください。いつまでも待ちます」
 うなずく私を見たあと、清之助様は川の方へ歩いていき、私も「行きましょう」と三吉伴って急いで細工所の方へ歩き出した。
 三吉には訝しげに「あれも今日会った奥方様の絡みか?」と聞いてくる。私のことを知らないのだから、そう思うのも無理はない。元許婚ですとも言えない私は、「そんな感じです」と適当にあしらった。当然三吉は納得するはずなく、三吉が聞いてくるのを右から左に受け流すしかないのだった。


 それから一刻ほど経ち、夕暮れの土手に向かっていた。
 あのあと細工所に帰って、私と三吉は要望を伝え、晴れて私も奥方様のかんざし作りに関わることを許された。三吉が私の面倒を見るという条件付きだけれど、これからは他の職人さんと同じようにあの細工所でつまみ細工が作れる。完成すればまたただの見習いに戻ってしまうけれど、一度でもその経験ができるのは喜ばしいこと以外のなにものでもなかった。
 けれど、私の足は驚くほど重い。
 なんで清之助様はまた会いに来たのだろう。この前嫌味を言い過ぎたから、仕返しだろうか。悪かったとは思うけれど、私だけが悪いとも思えない。
 でもさっき行くと言ってしまったし、いつまでも待つと言われてしまったので、行くしかないと思った。
 土手を上りきると夕日が江戸の街を赤く染めはじめ、街の向こうへ落ちようとしているのが見えた。私も夕日と同じように街に沈んで、隠れてしまいたい。そして明日朝日とともに出てきて、細工所へ向かいたい。
 叶わぬ夢に思いを馳せていると、土手に座っていた一人が立ち上がった。それは清之助様だった。「お待たせしました」というと「来てくれて、ありがとうございます」と彼は言った。

 やっぱり、少し前に会ったときと少し様子が違うように思えた。けれど次こそもう会わないと決めているので、余計な詮索はやめておく。
「この前、私にはもう関わらないでほしいとお願いしたはずですが、なにか……?」
「すみません。どうしてもお詫びがしたかったのです」

 清之助様は私に向かって深く頭を下げた。
「この前は失礼なことを言ってしまって、申し訳ありませんでした。我が家のせいで……いや、俺のせいであなたや小澤家にひどいことをしてしまいました。申し訳ありません」
 自分の父は最初、瓦版で広めることまで考えていなかったこと。自分のいい加減な父への抵抗が引き金になって、あの瓦版が出来てしまったことを清之助様は終始申し訳無さそうに話してくれた。
「それなのに“身を落とした”と言ってしまって……どれだけお詫びをしたらいいかわかりません。あなただけでなく、お父上やご家族にも本当に申し訳なく思っています」

 この私の前で、自分や父親が犯したことで自分を責めるこの人は、私の知る早野清之助様なのだろうか。

 私の知っている清之助様は、父親がでっち上げた噂を聞き流し、私以上に自分の許嫁や婚約破棄にも興味がなく、ただぼろぼろの畳を見ていただけだった。
 この前会ったときも人形とまではいわないけれど、それに近いものを感じのはずだった。
 彼を変えたのは、一体何なのだろう?


「今の俺にできることは限られています。でも、こんな俺にできることがあれば、償わせてください」
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登場人物紹介

小澤凛(こさわりん)

南町奉行所の同心を父に持つ武家の娘。

小澤彦右衛門(こさわひこえもん)

南町奉行所の同心。

早野清之助(はやのせいのすけ)

南町奉行の同心を父に持つ武家の長男。

早野平三郎(はやのへいざぶろう)

南町奉行所の同心。

小澤夏生(こさわなつき)

凛の母。お夏とも呼ばれている。

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