五乃章ノ伍

文字数 3,155文字

 〈赤目(あかめ)〉の鈎爪が、京也(きょうや)へと振りおろされた。京也は動けない。
 だが鈎爪は、横から伸びてきた黒い腕に受け止められる。

!?

 〈赤目〉は驚いて腕の主を見た。すぐそばに〈牙影(がえい)〉が立っている。

「キサマ、いつの間に!?

 〈牙影〉は何も言わず〈赤目〉を殴りつけた。〈赤目〉が跳びのく。
 〈牙影〉の拳は空を切った。

「手を……出すな…と言…ったはずだ」

 京也がとぎれとぎれに言う。

「もう、気ィ済んだろ。そのままのお前ェじゃ勝てねェ。オレを纏え」
「嫌だ」
「意地になってる場合じゃねェだろ。このままじゃあいつには勝てない。オレを使って戦え」
「黙れ!」京也は〈牙影〉を睨んだ。「〝影喰らい〟の儀式を受けたのは、周防(すおう)護法師(ごほうし)として認められるためだ。お前と共に戦うためじゃないッ。
 俺はひとりで戦う。お前なんかの力は借りない。あのときお前さえいれば、父さんは死ななかった! 父さんを救えなかった奴の力なんて、借りるものか!」

 〈牙影〉へのわだかまりが一気に吹き出した。京也は自分の思いが不条理なものであると気づいていた。父親が死んだのは〈牙影〉のせいではない。
〈牙影〉は〈牙影〉で別の敵と戦っていたのだ。それも父親の命令で。

 だが〈牙影〉が最初から父と共に戦っていれば、死ぬことだけは免れたかもしれないのだ。それは〈牙影〉にしてみればそれはとんでもない言いがかりだろう。
(でも――)
 京也は思う。自分の言葉を何度も無視して助けることができるのなら、なぜ同じように父親を助けてくれなかったのか、と。

「……確かにオレは間にあわなかった。ここにいるクソ野郎の手下を倒すのに手間どっちまった。それを――オレが今まで気にしてないとでも思ったか!?

 思いのほか強い調子で〈牙影〉が言った。

「あいつの仇をとりたいのは、手前ェだけじゃねェンだ! オレはお前ェに従属してるから、お前ェが俺を纏わねェ限りまともに戦えねェ!
 オレを纏って戦え! オレにも仇を打たせろ!」

 京也が驚く。いつもは皮肉しか言わない〈牙影〉が必死になって言い募っている。真剣に、純粋に……。
 〈牙影〉――〈魔〉でありながら周防家に召喚され、脈々と受け継がれてきた護法師としての証。共に戦い護法師の文字通り影となるべき存在。
 〈牙影〉は護法師としての京也の父と、いちばん長く過ごした存在なのだ。家族に負けなぐらい同じ時を。
 想いは――同じなのだ。

「……分かった」

 京也は立ち上がった。その瞳は〈牙影〉を見つめている。顔に浮かぶのはひとつの決意。

護法(ごほう)周防(すおう)の名において命ず。〈牙影〉よ我に纏え!」

 言葉と共に〈牙影〉の体は闇と化した。闇の塊が京也の体を包み込む。タールのような粘性を持った闇は京也の体に付着すると、再びその姿を変えていった。京也の体に合わせた鎧へと――
 全体的に黒く細身のシルエットは京也のものだ。だが両脚の太もも半ばまでを覆う装甲。両腕の前腕を覆う装甲。そして胸鎧のような装甲がみてとれる。
 更に頭部はフルフェイスの兜で覆われていた。顔に当たる部分には昆虫の複眼を思わせる赤い大きな目が二つ。額の中央からは二本角のように伸びた飾りが、王冠のように頭部を装飾している。
『用意はいいぜ』
 〈牙影〉の声が京也の心に響いた。京也と〈牙影〉は一体化していた。その足元に影は――ない。

 人間の影を喰らい、その人間の影に成り代わることで憑依する〈魔〉。しかし影を喰らってなお自我を保つ人間には逆に従属する。
 そして〈世界法則(プロヴィデンス)〉に(のっと)って召喚された〈牙影〉が周防家と結んだ盟約はただ一つ。影を喰らって己が主となった人間の盾となり槍となること。

護法師(ごほうし)周防(すおう)京也(きょうや)()して(まい)るッ!」

 京也が疾った。生身のときとは比べものにならない程のスピードで。黒い疾風となって〈赤目〉へと迫る。
 一瞬で間合いを詰めた京也は走り込んだ勢いを利用して拳を放った。〈赤目〉はそれを僅かに体を逸らしただけで避ける。
 〈赤目〉の鈎爪が京也を襲う。京也は右腕を上げて防御する。
 その瞬間、京也の右腕が変化した。籠手と化した〈牙影〉の前腕に黒い刃が生まれる。二次元の薄さを持った影の刃が。
 鈎爪は影の刃によって見事に止められた。

 京也は鈎爪を受けたまま、右腕を弧を描くように下げた。それにつられて〈赤目〉の腕が引っ張られる。
 そしてがら開きになった胸部に向かって、京也は拳を放った。氣を込めた一撃が〈赤目〉の胸へと埋る。

「くばっ」

 拳の衝撃で〈赤目〉数メートル下がる。
 その後を追って京也は更に踏み込んだ。〈赤目〉は京也が自分の間合いに飛び込んで来るのを見計らって、鈎爪で京也の頭部を薙いだ。
 対する京也は向かって来る鈎爪へ左の拳を叩きつける。氣を込めた拳が、燐光の軌跡を描きながら真っ直に伸びた。

()!」

 京也の拳と〈赤目〉の鈎爪が触れた瞬間、閃光が疾った。鈎爪が大きく弾かれる。〈赤目〉がバランスを崩した。
 そのまま止まることなく、京也は〈赤目〉の懐へと潜り込んだ。殴った腕を引き寄せる勢いを利用して、今度は腰に引いた右腕を突き出した。右腕の刃が伸びて〈赤目〉の胸部を貫く。

「……おのれ」

 貫かれた姿勢のまま、〈赤目〉は京也の頭を掴んだ。兜と化した〈牙影〉の頭ごと握りつぶそうと手に力を込める。
 京也は突き刺さった刃をゆっくり引き抜いた。それに呼応するかのように、頭を締め付ける力が強まる。ギリギリと嫌な音を立てて、頭が軋んだ。
 京也の両腕がだらりと下がる。それを見て〈赤目〉が歪んだ嗤いを浮かべた。しかしすぐに、その表情が一変する。

 垂れ下がった京也の両腕の拳が握り込まれた。右だけでなく左にも刃が生まれる。そして大きく両腕を振り上げると、〈赤目〉の腕めがけて交差させた。
 〈赤目〉の左腕が前腕の半ばから切り落とされる。締め付ける力を失った〈赤目〉の左手がぽとり、と落ちた。

「護法周防の名のもとに、お前を滅殺する」

 そう言って京也は左半身(ひだりはんみ)になって腰を落とした。後ろに引いた右腕の前腕に二次元の刃がいくつも生まれる。それはより合い捻り合い、前腕を覆う紡錘形を作り出した。紡錘形にそって光が走る。光は螺旋を描くように紡錘形の回りを巡る。
 京也は滑らせて右足を前に出し、右半身(みぎはんみ)へと体勢を変えた。そのまま踏み込んだと同時に黒い紡錘形と化した右腕を突き出す。
 光の螺旋を帯びた紡錘形は〈赤目〉腹部を貫く。紡錘形の先が背中へと抜けた。
 数瞬の間をおいて、光の螺旋に巻き込まれるように〈赤目〉の体一部が弾ける。

「!!!!!」

 〈赤目〉の隻眼から光が消える。腹部から胸部にかけ、大きな穴を開けたまま仰向けに倒れる。ずん、と重い音が辺りに響いた。
 京也を覆う〈牙影〉の体が闇と化した。粘性を持った闇が流れ落ち、生身の京也の姿をさらしだす。闇は少し離れた場所に集まり、再び〈牙影〉となった。

「終わったな」
「…………」

 京也は答えない。動かなくなった〈赤目〉をじっと見つめている。
 〈赤目〉の体が砂のように崩れ始めた。長い年月をかけて風化していく岩を早送りで見ているように、どんどん崩れていく。残ったのは、奇妙な形に積まれた黒い砂だけだった。

「…………」
「下で野郎が待ってる。行ってやろうぜ。おい――」

 〈牙影〉は京也を見て言葉を止めた。京也の頬に涙が流れているのを見たからだ。
 それ以上なにも言わず、〈牙影〉は闇に同化して姿を消した。

「……父さん」

 京也は呟く。涙は止まることなく溢れてゆく。
 誓いは果たした。これでやっと泣けるのだ。今までため込んできた色々な感情が、津波のように押し寄せて来る。いまにも堤防が崩れそうだった。そして心の堤防が耐えきれなくなって決壊したとき――
 父親を失ってから初めて、京也は声を出して泣いた。
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