二乃章ノ壱

文字数 1,801文字

周防(すおう)さんのご主人、三十八歳だったんですって」
「まぁ、まだお若いのに」
「交通事故で?」
「ええ。損傷がひどいらしく、ご遺体を見ることができないんですって」
「まだお子さんも小さいのに」
「かわいそうに」
「かわいそうに」

 喪服を着た人々の群れ。親戚や近所の人たち、父親の職場関係などをふくめ、多くの人々が式場ホールに集っていた。中にはお悔やみにやってきて、京也(きょうや)と母親に頭を下げていく者もいる。
 それは京也の目には黒い記号としか写らない。交わされる言葉も、単なる音以上のものではなかった。

「………」

 京也は黙ったまま壇上の遺影を見つめている。そのそばでは母親の芳江(よしえ)が座っていた。凛とした表情で、しかし何かに耐えるような母親の姿。京也には母親の悲しみと決意が伝わって来る。
 父親が交通事故で死んだのではないことを京也は分かっていた。芳江にしてもそうだ。真相は、この二人と葬式に来たごく僅かな人間だけが知っている。

 決して普通に暮らす人間では知りえない、周防家の裏の顔。〈世界法則(プロヴィデンス)〉と呼ばれる、神や悪魔がこの世界に干渉するための不文律。その不文律を無視してこの世界に干渉する〈魔〉を祓う護法師(ごほうし)の一つが、京也の生まれた周防家だ。
 父親は、その〈魔〉に殺されたのだ。

 自分は父親の跡を継ぐのだ。京也は幼心にそう胸に誓う。護法師の家系に生まれた者としての訓練を京也はすでに受けていた。まだ学び足りないことも多かったが、教えてくれる父親はもういない。
 泣くもんか。京也は強く思う。泣いてはいけない。父さんは、泣いてほしいとは思わないはずだ。
 厳しかった父親。優しかった父親。普通の家庭にいる父親とは違う接し方しかされなかったが、京也はそれを恨んではいない。

 僧侶がやってきて読経が始まる。野太い声がホールの中に響いた。その声も京也には単なる音にしか聞こえない。
 読経が進むなか、京也の心にあるのは泣かない決意。体の中から外に飛び出そうとする嗚咽に、ぎゅっと拳を握って耐える。

 葬儀が終わればほとんどの人は去っていく。この場に残るのは、周防家に縁の深い人々のみ。親戚だけでなく親族以外もいる。そして残った者たちの共通点。それは周防家と同じ裏の顔を持つ者――護法の人間であるということだ。

京坊(きょうぼう)、偉いで。泣かへんかったんやな」

 そう言って、蒼一郎(そういちろう)は京也の頭を撫でた。大きな手だった。一度だけ父親に撫でられたのを思い出して、京也はまた泣きそうになる。

「泣くもんか。強くなるんだ。強くなって、必ず父さんのかたきをとるんだ。それまでぜったいに泣くもんか」

 蒼一郎を見上げ、十歳になったばかりの京也ばそう宣言した。

「せやな」

 答える蒼一郎の優しい眼差しが京也を見る――

        ○

 夢を見ていた。昔の記憶だ。
 京也は上半身を起こし、暗がりの中、枕元に置いたスマートフォンの画面を見る。浮かんでくる数字は【3:00】。眠りについてから四時間しか経っていない。
 決して忘れることのない記憶だが、夢で見たのは久し振だった。昨日、蒼一郎と会ったのが原因だろう。

 あれから七年。自分は強くなれたのだろうか。父親の死後、伝手(つて)を頼り修練に明け暮れ、技を磨いた。そして十三の時に護法師としての周防を継いだ。
 それからも表ではただの学生を演じながらここまでやって来たのだ。
 そうやって(かたき)をとれる日を身を焦がれそうなほど待った。もうすぐ、その時がくるだろう。そのことに喜びを感じる反面、不安もあった。

 自分は倒せるのだろうか。父親を殺したほどの〈魔〉を。
 先日の公園での失態が思い浮かぶ。あのとき〈牙影(がえい)〉に助けられなければ、あの〈魔〉に殺られていたかもしれない。そうでなかったとしても無傷ではいられなかっただろう。
 油断したことを言い訳にできない。仇である〈赤目(あかめ)〉は、油断すらさせてはくれないだろうから。

「なんでェ、寝つけねェのか?」

 闇の中から〈牙影〉の声がする。

「なんでもない」
「〈赤目〉のことが気になるのか?」
「…………」

 京也は何も言わない。黙ったまま、闇を見据えている。

「まぁ、いい。お前ェが無茶しても、あンときみてェにフォローしてやるよ」

 おもしろがるような、〈牙影〉の声。

「……黙れ」
「へいへい」

 それっきり、〈牙影〉の気配は消えた。

「……父さん」

 両手に顔を埋め、呟いた。まだ泣けない。泣いてはいけない。あの日、自分は誓ったのだから。
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