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文字数 4,717文字

 


 ──い、痛いなんてレベルじゃねえええっ!!

 未だ体が動かぬハーフの少年は、片腕に突き刺さった細い刃を視界、心の中で悲鳴をあげる。
 少しずつ脳を侵略していく痛みという感覚。切り傷にすら過剰反応を示す彼にとって、この傷により発生する痛みは泣き叫びたいほどに酷いものであった。

 アドレン・バルディオンとオルラッド・エルディス。強者たる彼らが、雑魚にとってはもはやクレイジーともいえる戦いを繰り広げていた、荒れ果てた舞台。ドラゴンが飛び交う真っ青な空と、どうしてそうなったのか聞きたいほど黒々とした大地で構成されたそこに、突如姿を現したのは銀の鎧を身に纏う第三者。
 足元で力なく倒れている弱者の頭を容赦なく踏みつけるその第三者は、痛みに呻くジルのことなど気にした様子もなく、声高らかに宣言する。

「遂に見つけたぞ、アラン・バルディオン! 今宵、我らは貴様らを拘束する! 大人しく従ってもらおうか!」

「いだだだだだっ!!」

 土台状態とはこのことだ。
 ただでさえ悲鳴をあげている体に、さらに重みを加えて少年を苦しめる勇ましいその人物。ジルは突き刺さったままのレイピアがいつ抜かれるのかと内心焦りながら、己の不甲斐なさに涙を流す。

 いっそ気絶してしまえたらどんなに楽なことか……。

「おいおいおい。相変わらずのゲス野郎だな、テメェは……」

 動きを完全に停止させ、驚愕の表情を浮かべているオルラッド。かろうじてその一撃を避けたアドレンは、頬を流れる鮮血を拭うこともなく、オルラッドを過ぎって前へ。
 薄汚いゴミ虫を見るような目で、乱入者を睨み付ける。

「その扱いはなんだ? ソイツがテメェらに対して何かしたか? してねえだろ? ただ地に伏していただけの者になんてことしやがる」

「愚問。貴様ら悪はその殆どが獣族である。故にこの小僧も悪に染まる可能性が存在する。ならば早々に狩り取っておくべきだろう。悪なる存在はすべからく排除せねばからんからな」

 要は人種差別ですか。そうですか。

 一気に引き抜かれたレイピアに、痛みに悲鳴を上げる間もなく地面と熱烈なキスをさせられる。

 ──ああ、今日は厄日だ……。

 オルラッドと二ルディーが己の名を呼ぶのを、どこか他人事のように聞きながら、少年は静かにその体を震わせた。怒りか、嘆きか。湧き上がる感情の種類は、痛みと混ざり、もはや自分にすらわからない。

「正義だなんだと抜かしておきながら、テメェが一番悪らしいことしてんじゃねえか、クソッタレが! その坊主をとっとと解放しろ!」

「なんだ? やはり同族は大事か? 解せんな、悪よ。貴様のような落ちぶれた輩に、よもや仲間意識が存在したとは……笑止千万とはこのことだ」

 吐き捨てられた言葉と同時、アドレンは地を蹴りジルの前へ。得意の物質攻撃で相手の気を反らせた間に、倒れたジルの襟首を掴み、その小柄な体を小脇に抱える。

「雑魚をこちらへ! 治療します!」

 幾分か回復したらしい二ルディーが、アドレンを信用してかそう叫んだ。当然、彼がその申し出を聞き入れぬことも想定してはいたが、存外その心配は不要だったらしい。
 実にあっさりとジルを連れて来たアドレンは、痛みを堪える彼を二ルディーに引き渡し、その背を二人へ向けた。

「──……一時共闘といこうや、嬢ちゃん。お互い(はらわた)が煮えくり返りそうなのは同じはずだろ?」

 一体誰へと向けている言葉なのか。
 呼称的に自分なのだろうかと返事を返そうとした二ルディーは、しかし、その背後にただならぬ気配を感じ、慌てたように口を閉ざす。

 恐ろしい何かが、いる。そしてそれは、ひどく憤慨している。

「……やったのは?」

 低く、唸るような声だった。到底あの愛らしい容姿から発されているものとは思えない程に、恐ろしい声だ。
 アドレンは笑った。クツクツと喉を鳴らす彼の瞳は、依然、目の前に存在する正義気取りの人物を写している。

「言わなくともわかるだろ?」

「……そうね。馬鹿な質問だったのよ」

 独特な喋り方で言葉を紡ぎ出し、彼女は静かにアドレンの隣へ。

「どのような理由であれ、ジルを傷つけた罪は重いのよ。だから……アイツの次は、お前を殺す」

「……まじか」

 呟いたアドレンは、凄まじい逃走本能に襲われた。

「武器を取れ! 我が道を阻み、我に仇なす愚か者は皆敵だ!」

 掲げられたレイピアが、陽の光を受けその刃先を輝かせる。うっすらと付着した血痕は紛れもなくジルのものだろう。

 ああ、なんて愚かしい輩なのか……。

 アドレンの言葉通り、腸が煮えくり返りそうな程の強烈な怒りがミーリャを襲う。今すぐ目の前に存在する女の首を切り取り、頭上を飛び交うドラゴンの餌にしてやりたいものだ。

 片手を前に出したミーリャ。その隣で、物質を浮遊させるアドレン。この戦いに恐れを為すどころか、逆にやる気満々といった二人の様子に、敵対する女は僅かに口端をあげた。

 ──逆らうのであれば容赦をする必要はなし。いかな子供であろうと生きては返さん。

 それが彼女の中で生まれた決定事項であった。

「──主よ。我を導き、我を助けよ」

 祈るように瞳を閉じ、女は言う。

「此度の戦いは、主に仇為す敵を滅ぼすためにも、必要不可欠なものである。故に許せ。許したまえ。私はこれより血を流す。他者の命を地へと堕とす」

 開かれた紫紺の瞳。視界に写る存在を『敵』と認識した彼女は、勇ましくもレイピアを構え、片足を前へ。

「主よ。私に──このベルディアーナ・フローネに、愚かなる罪人を狩る許可を!!」

 最後のセリフが終わると同時、女──正義代表、ベルディアーナは地を蹴った。一切の迷いすらない斬撃と共にアドレンの懐へ飛び込んだ彼女に、襲いかかるのはミーリャの呪術。
 天より降り頻る、無数の紫炎の刃。熱と鋭さが合わさったそれらを飛んで交わしたベルディアーナに、アドレンの拳が叩き込まれる。

「っ……!」

 片腕でガードはしたが、存外その力は大きく、ベルディアーナは一時彼から距離を取るべく足に力を込めた。だが、それをアドレンが見逃すはずがない。
 彼は離れようとしたベルディアーナのレイピアを掴み、驚く彼女を掴んでいたレイピアごと投げ飛ばす。

「死ねッ!!」

 アドレンの怒りに満ちた声と共に、浮遊していた物質が宙に存在するベルディアーナ目掛けて飛び出した。
 素早く移動するそれらは、体制を整えんとする彼女の体に突き刺さり、膨張。花を咲かせるように、突き刺さった箇所とは反対方向から、網目状に変化したその身を覗かせる。

「くっ……!」

 痛みに顔は歪めた。
 しかし致命傷は与えられていない。

 忌々しいとばかりに舌を打つアドレンの背後、詠唱を終えたミーリャが天を指すように片手を上げる。

「堕ちよ!!」

 声高々に紡がれた一言に、大地が震え、天は裂けた。
 青い空に刻み込むように作られたその裂け目からは、巨大な紫炎が噴き出している。渦を巻くそれは、禍々しくもどことなく神秘的だ。

 巨大ともいえる攻撃を前、それを回避するように後ろへ飛んだアドレン。彼がミーリャの傍へ降り立つと同時、紫炎はベルディアーナを呑み込んだ。

「──っ、あ……!」

 その光景に焦りを見せたのは、彼らとは真逆の位置にいるオルラッドだった。
 暫しの間静止していた彼は、一度だけ倒れたジルを遠目から見て、小さく口を開く。しかし、その口から言葉が紡がれることは無い。
 歯がゆい思いと共に口を閉ざしたオルラッドは、すぐに彼から視線を反らすように瞳を閉じた。

 この場で自分がやらねばならないこと。それは今、一つしかない。
 そしてその行いは、ジルやミーリャを裏切る行為となるだろう。

 ──すまない……。

 心の中でこぼした小さな謝罪は、一体誰に向けられたものなのか……。

 オルラッドは跳躍した。彼の視線の先には巨大な紫炎が存在している。近づくほどにわかるその火柱の熱さに眉を顰めつつ、彼は迷うこと無くその中へ。
 傷つき、皮膚を焼かれる女を回収し、素早くその空間から脱する。

「オルラッド!」

 着地と共に飛んできた声は怒りを含み、今にも目の前の人物を殺めんと、体の芯から底冷えするような殺気を放っていた。
 オルラッドは痛みに呻くベルディアーナから手を離すと、そのまま、対峙するようにミーリャたちの前に立ちはだかる。

「なんでそんな奴を助けるのね! そいつはジルを傷つけたのよ!」

「ああ、理解している。無抵抗の、しかも子供に対する行為としては非常に許し難いものだ。だが、だからといって、俺にはこの方を見捨てることはできない。こうなった以上、戦力的には何の助けにもならないと思うが、俺はこちらに加担する」

「いや、寧ろ戦力跳ね上がるからやめてくんない?」

 彼は自分の強さを自覚していないというのだろうか。

 後ろ頭を掻くアドレンの傍ら、ミーリャが腕を組んで彼の言葉に同意する。

 呪術師として申し分ない力を有するミーリャ。彼女が最も敵に回したくない人間がオルラッドその人である。彼はあまりにも人間離れしすぎているのだ。
 その術も、技も、全てにおいて、ミーリャの力は及ぶまい。故に、彼女にとってこの現状は非常に最悪ともいえる。
 が、だからといって、この怒りを鎮めることは、彼女にとって不可能なことであった。

 視線だけで背後を一瞥したミーリャは、未だ二ルディーに治療されているジルを見て、軽く目を細める。傷の治りが遅いのは、レイピアに毒でも塗られていたからなのかどうなのか……。

 その事実を否定することはできないがしかし、ジルの身体に影響を及ぼしているのは、それがほぼアドレンが盛った薬──口では毒薬と言っていたが、実はただの痺れ薬(ただし非常に強力なもの)──の影響によるものである。それを知らないミーリャは、当然ながら、その隣で若干視線を泳がせている男に気づくことは無い。

「……わかったのね」

 視線を戻し、ミーリャは告げた。
 どこか諦めたような口振りに、オルラッドが安堵したように肩を撫で下ろす。だが、それも束の間のこと……。

「──その女を庇う。その気なら……オルラッド、お前は敵とみなすのよ」

 その小柄な体のどこに、そこまで膨大な力が眠っているというのか……。

 ミーリャの体から噴き出るように飛び出し、辺りを覆わんとするのは漆黒の煙。それが青空を覆い隠したと同時、恐らくはベルディアーナが引き連れてきたのだろう、銀の鎧を身に纏う騎士たちがこの大地にやってくる。
 彼らは負傷したベルディアーナの安否を素早く行うと、剣を構えるオルラッドを一瞥。彼が敵ではないことを認めてから、各自、己が武器を引き抜いた。

「──ひゃぁああ!?」

 それと同じくして、治癒術を施されていたジルの上に真っ白な少女が放り出される。ハーフの少年の腹部に見事肘鉄を食らわせた彼女は、呻く彼に謝罪をこぼし、慌てた様子で立ち上がった。その動作すら愛らしい。
 可憐なる少女に向けて、二ルディーは叫ぶ。

「あ、あなたは! 特に豊満でもない我が胸を貫いた美少女!!」

「アランよ」

 美少女という単語が気に食わないのか、若干不貞腐れた様子で彼女は反論。その頬が僅かに赤くなっているのは照れているからかどうなのか……。

 ともあれ、そんな照れもすぐに吹き飛ぶこととなる。当然だ。
 今、この場には異常な程の力が渦巻いている。根っからの召喚士である彼女にとって、それは毒と等しきものだろう。

 黒く染まった空を見上げ、アランは腕を組み合わせた。
 危険を察知し後退してきたアドレンを尻目、彼女は呟く。

「……あの子、何者なのかしら」

 小さく紡がれたそれに、答えられる者は誰もいない。
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