第1話 心のない少年の目覚め
文字数 14,762文字
この世界は僕には向いていないのだと思う。というより、人間という存在が僕に向いていない、と言った方が正しいかもしれない。
幼少期から、僕は感情の起伏が極端に薄かった。親からは落ち着いた子だね、なんて可愛がられたがこんな僕の何が可愛かったのやら。
※※
朝、ニュースを尻目に母の作った朝ごはんを、もそもそと口に運ぶ。ニュースの内容はいつも通り。
「先日、――県の――で、『魔女』による被害がありました。しかし幸い被害者は軽傷で、命に別状はないとのことです。」
そんな魔女に関するニュースだった。
すると、テレビ画面にはデカデカと魔女の専門家を名乗る男が写り出し、アナウンサーらしきスラッとした女性が専門家に、淡々と質問をしていた。
「魔女、というのは一体どのようなものなのでしょう。」
「うん、まあ一般の人にはあまり喋れないこともあるし魔女研究はまだ歴史が浅くてね。あくまでの仮説でよく言われてるのが、魔女は人の悪感情から生まれるんじゃないかって説だね。」
「悪感情…ですか?」
「うん、根拠としては今までの被害者を見てみると、総じて家庭内に何かしらの問題があるんだ。」
「そうなんですか…素人目線だとかなり根拠が薄く感じるのですが」
「まあ、それは否定しないよ。あくまでこれは仮説のうちの一つにすぎないし……私もこの仮説は好きじゃない。」
「ということは、――さんにも一つの仮説があると?」
「そうなるね。私の考えた仮説は――魔女は異世界から来たってやつだ。」
「異世界、ですか」
「そう、魔女には魔女の国があると思うんだ。」
「……それはまた現実味のない仮説ですね。根拠はあるのですか?」
「いや?ないよ。」
「それは……またおかしな事を言いますね。」
「いいだろう?おかしな事でも。魔女なんてふざけた存在があるんだ。魔女の真実だって面白おかしくあって欲しいと願うことの何が悪いと言うんだね。」
「……なるほど」
「私は今、その魔女の世界に行くために……この研究を続けているのかもしれないなぁ。」
「あるかもわからないのに、ですか?」
「いいや、あるさ。」
「…………」
そしてその後、事件について深掘りされた後、魔女に関するニュースが終わり、最近の便利グッズ紹介へとコーナーが切り替わった。
「ね、ねお兄ちゃん?魔女ってどこから生まれたんだろうね」
僕と違ってぽかーとテレビに魅入っていた妹の瑠夏が嬉々として訪ねてくる。対する僕は真逆の温度感で舌を転がした。
「うーん、どうだろうな……でも、僕も魔女の世界なんてものがあったらいいと思うよ。」
「えぇ?お兄ちゃんがそんな夢みがちなこと言うなんて珍しー」
「まあな」
だってほら。人と相容れない僕だけど、魔女の世界ではやっていけるかもしれない。そんな希望を持つ方が気持ちが楽だ。
そんな妹の想像とは違った思考を持って、僕は魔女の世界を望んだ。
すると、父が「ごちそうさま。いってくる。」と鞄を持って席を立つ。それに僕らは「いってらっしゃい」と声をかけた。その流れで母が僕に尋ねる。
「ああ多比名。そういえば面談の紙ってもらった?」
「ん、ああそういえば昨日もらったかも……でも学校に置いてきたな。」
「もう、ちゃんとしてよねぇ…じゃあ今日帰ってきたら渡してね。」
「うん。」
そう言って朝食に戻ると、向かいに座る瑠夏がニマニマとしていた。
「なんだよ」
「いや、お兄ちゃんって相変わらず抜けてるよなぁって思って。」
「……んなことないよ」
「んなことあるわよ。アンタ昔っからボケーっとしてて危なっかしかったんだから。」
「まあお兄ちゃんは昔からそうだよねぇ。ね、ね!お母さん!私はどんな子だった?」
「えーとねぇ、瑠夏はひたすら騒がしかったわね。」
「えぇ!!!そんなことないよ!」
「ほら。」
すると僕らの家に、瑠夏の納得できない!といった抗議の声が響き渡る。騒がしい……
それはそうと。
「母さん、ご馳走様。いってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
「えぇ!お兄ちゃんはや!」
「お前が遅いんだよ。」
いつも通りの朝だった。
そして、最後の朝だった。
※※
『魔女』が現れてから五十年後――つまり今から五十年前、『魔女』の突然変異体が現れた。
その『魔女』は今までに発現した魔女の数倍は強力でかつ、知能も高く戦略性のあるもので、それから突然変異体の魔女――通称ミュータントは、『魔女』の徒党を組み、人類の生活を脅かす集団となった――という魔女に関するネットニュースの記事。
まあジャンルが都市伝説、となっているあたりこれも信憑性はどんなものかわからないが。
帰りの電車の中、僕はそんなニュース記事をみて暇を潰す。――あ、降りなきゃ。
※※
「ただいまー……ん?」
ノックをしても全然開かない。それどころか返事もない。留守ならどこかしらに鍵が置かれてるはずなんだけど…まあ、裏口から入ればいいか。多分、家族全員がちょうどタイミング良く寝ていて、ノックに気が付かなかったのかもな。
家に入る。
部屋中には血飛沫やら、臓物やらで溢れかえっていて、むせ返るような血の酸っぱい匂いが、ダイレクトに鼻腔を刺激してくる。
嘔吐感が身体中を支配する。
そして涙目のまま、とりあえずこの匂いから離れたくて、家を出てから冷静に警察を呼んだ。
「家族が、死んでます。」
するとやがて、パトカーや救急車が家の前に停車して、家の中からはどんどんじゃんじゃん、ブルーシートのかかった死体がいくつも救急車に運ばれて行った。
僕は今、とても悲しい。
家族が死んでしまったことが―――否。
僕は残念ながらそんなことで悲しんだりできるほど、人間のように良くできた感受性を持ち合わせてはいない。僕が悲しんでいたのは、家族の死を悲しむことができなかったことだ。
こんな非道な僕だけど、家族の死には流石に涙することができるんじゃないかって少しは期待していたのだけど、それもこれも全部は期待通りにはいかなかった。
家族の死にさえ、僕は涙を流すことができなかった。むしろ、何も感じることができなかった。僕が思えたことなんて、強いていえば「今日の夕飯はどうすればいいんだろう」だったし。
でもきっと、そんなところを見込まれたのだろう。彼女に。
病院の待合室で、僕はどうせ助かりもしない家族の容体の報告を待っていた。
医師が言うには、まだ父と妹の息はあったらしく、助かる可能性はゼロではないらしい。まあでも、僕としては父が助かってくれた方が僕への恩恵が大きいので、助かるならそっちにしていただきたいところだ。神様よろしくお願いします。
そんなとんでもなく不謹慎なことを内心呟いていると、その姿が寂しそうに映ったのか、警察の人が話しかけてきた。
「………残念だったね。でも、きっとお父さんと妹さんは助かるさ。まだ希望を捨ててはいけないよ。」
「……はあ。」
希望なんてハナから持ってないけど。
「あの事件……やはり犯人は魔女だったらしい。事件現場には魔女の瘴気が残っていた。それも、特段濃いのがね。」
「濃いと…何か意味があるんですか。」
「魔女の瘴気は、濃ければ濃いほど、その魔女がどれだけ強かったかがわかる。あれはかなり強力な魔女だ。多分、突然変異体 だね。」
「そうですか……」
僕は極めて淡白に努めた。
「………どうして君は、そんなに淡白でいられるんだい?」
「どうでもいいんです…昔から。よくいるじゃないですか。人一倍感受性が強くて、卒業式とかですが泣いちゃう子。僕はあれと逆で、泣けないんですよ。どんな時でも。」
「………ごめんね。質問を変えようか。僕が気になったのはそこじゃなくて、どうして君は自分を押し殺してまで淡白でいる事を努めるのかな?」
「…………!」
胸の内がざわついた。
核心を、無遠慮にざらりと撫で回されたかのような不快感と焦燥感が胸を焦がす。
「………どういう意味ですか?それは」
「んん…そのまんまの意味、としか言えないんだけど。僕から見れば、君は今すごく辛そうに見えるんだよ。でも、帰ってくる言葉は淡白で、いかにも僕は悲しんでなんかないよ、辛くなんてないよ、って演技をしているように聞こえるんだ。」
「そんなのはあなたの主観です。そう見えてるだけ。僕は本当に悲しくなんかないですし、辛くもないです。だから心配しないでください。」
「…………わかったよ。でもいつかきっと、僕の言葉を思い出してほしい。」
「?」
「君は、自分が思っているよりも、ずっと人間なんだ。」
※※
結果から言おう。
集中治療の結果、妹は助かった。
しかし、父は命は助かったものの、植物人間という脳の一部分だけ死んでしまっている状態になってしまった。
「瑠夏……体はもう無事なのか?」
「うん。……でも……どうしてこんなことになっちゃったの?……お母さんだって…翔太だって……何も悪いことしてないじゃん!何で私たちだけこんな目に遭わなきゃいけないの…!」
「瑠夏……」
しかし、僕の呼び止める声は抑えなどになるはずもなく、瑠夏の言葉は、感情はどんどんエスカレートしていった。
「お父さんだって毎日私たちのために必死に働いて、疲れてるだろうに家族サービスだってしてたのに!……なんであんな目に遭っちゃうの!…なんで………私が助かっちゃったの……」
「それは………僕のセリフだ。」
「え?」
間の抜けたような瑠夏の声をバックにして、僕は立ち上がるとすぐに病室を出た。扉を挟んで、妹が僕の名前を呼ぶ声が聞こえるが、それすらも無視せざる負えない状況だった。なぜか、瞳には熱いものが込み上げてきてしまったから。
『君は自分が思っているよりも、ずっと人間なんだ。』
あの言葉を脳の中で反芻する。聞いた直後は、「僕のことなんて何も知らないくせに、上からものを語るんじゃねぇよ。」とか、クソガキなりにクソガキっぽいことを思っていたけど、僕はその言葉の意味を理解した。
「………何だ僕……ちゃんと泣けるんだ。」
「妹が生き返ったことに……ちゃんと嬉しいって気持ちをもててるし、父さんの植物人間って状態に、複雑な気持ちを抱けてるし……なにより家族の死が………悲しいし。」
思えば思うほど――想えば想うほど、涙が込み上げてくる。そして、続いて込み上げてくるのは、ドス黒い感情だった。
「……魔女を……殺してやりたい」
声帯が勝手に締まって、震えるような声が自然と出てくる。それはいわゆる、怒りと呼ばれる感情なのだそうだ。
『彼女』が言うには。
※※
今日は僕も病院に泊まることになった。場所としては、妹のすぐ隣のベッドで、夕食も病院食だけど出していただいた。
味はまあ、及第点以下といった感じで、物足りなさは凄まじいものだったけど、空腹も相まってもりもり食べられた。
ちなみに、妹の瑠夏は一切の食事が喉を通らないらしく、病院食にも手をつけずにいた。
そして、真っ暗闇の中、僕は天井と睨めっこをしながら
眠れない夜を過ごしていた時――瑠夏が僕のベッドに潜り込んできた。
突然のことに目を丸くする僕だけど、肩を震わせている瑠夏に尋常ではない事態を感じ取り、とりあえず肩をさすって、落ち着くまで待つことにした。
「大丈夫か?」
「……お兄ちゃん……怖いよ…魔女が……来るんだよ。」
「大丈夫だから…魔女はここにはいない。」
「いるよ!魔女はどこにでもいるの!私たちが気づいてないだけで、きっとこの部屋にもいて、私たちの様子をじっと見てるんだよ!」
目には大粒の涙を、そして肌は蒼白で身体はずっとブルブルと震えている状態。とてつもない恐怖心を植え付けられたようだ。
しかし生憎、僕は魔女を見たことがなく、その恐怖心に共感してあげることができない。だから僕は、結局慰めてあげることしかできないのだ。それが、求められていることなのかは、知らないけど。
※※
翌日、至って健康体の僕は、一度家に帰ってから学校の支度をして家を出た。今日くらい心の休養という形で休めばいい、という話も出たが、それは断っておいた。今ここで休めば、僕はもう二度と立ち上がれない気がしたから。
それくらい心を傷めているのだな、僕は。
やはり、僕も人間なのか。さすがに家族の死は……応えているみたい。
そして、それ以上に。
「魔女………め。」
殺してやりたい。僕の家族を傷つけた魔女を、ぐちゃぐちゃに引き裂いて殺してしまいたい。
けれど、それをする手がかりも、手段も、力さえも僕にはない。僕が魔女に立ち向かったところで、ボコボコに殺されて終わりだ。
しかし、それならば。
僕のこの怒りはどこに向ければいいんだ。
そして、この日の授業の内容は、頭に一切入ってこなかった。こんなことは、初めての経験だった。
怒りに震えて泣いたのも。
※※
再び夜が明け、家族が死んでから二日が経とうとしていた。
しかし、事態に進展は一切なく、いまだに犯人の魔女は特定できていないとのこと。
「………対魔は何してるんだ……!」
対魔――それは、対魔女特殊捜査部隊の略称で、魔女に関する事件を取り扱っている専門部隊だ。
彼らの捜査力は、国内随一だが、それでもまだ見つけることができていないらしい。
わかってはいるのだ。僕自身も。
魔女の捜索が大変だということも、それに対して怒りを覚えることがお門違いだということも。
それを分かった上での言葉だ。
つまりは、ただの負け犬の遠吠えってやつと同じで、力のない奴が喚いてるだけ。自分の力がないから、他人を責めて言い訳してるだけ。
何もできないくせして、他人の失敗は責めるような、そんな畜生が僕なのだ。
「…………はぁ、なんかもう嫌になってきた。瑠夏のとこにでも行くか。」
自己嫌悪に自己嫌悪を重ね、軽く鬱になりかけたところで、僕は家を出た。
瑠夏の病室に着くと、瑠夏は窓の外を見つめていた。
「……瑠夏、何見てるんだ?」
声をかけると、ようやく僕の存在に気がついたようで、ぎこちない笑顔を向けてくれた。
「お兄ちゃん…一昨日の夜はごめんね。取り乱しちゃった。」
瑠夏は頬をかきながら、少し照れくさそうに笑った。
その健気な姿に、僕はまたもや涙腺を刺激されるが、何とか自前の『人でなしの心』を使って堪える。
というか、僕はどうやら家族ぐるみの話には弱いみたいだな。今までこんなに泣いた記憶はなかった。
そして、僕は瑠夏のそばに寄って頭をくしゃりと撫でてやってから、お見舞いの品として持ってきた林檎を切り始めた。
「わあ!りんご持ってきてくれたんだね。私がりんご好きなの覚えててくれたんだ!」
「まあ…な。母さんがよく嬉しそうに僕に教えてくれてたんだ。瑠夏の好きな物とか、最近よく見てるアニメとか。」
「………お母さんが……?」
少し震える声が聞こえた。
僕はなんてまずいことを……この状況で母の名前を出すのは悪手にも程がある。人の心を考えられない僕の特性がここで効いてきた。
そこで慌てて謝ろうとすると――
「……ありがとうお兄ちゃん。」
と、まさかのお礼。
そして、訳がわからずペティナイフを片手に固まっている僕を見て、くすりと瑠夏が笑い出した頃合いで、僕の硬直は解けた。
「お礼?」
すると、わずかばかりの逡巡を経てから、瑠夏は理由を語り出した。
「無理にお母さんの話題を避けるのは、正直やめて欲しかったの。だって、それはお母さんを忘れようとしてるみたいで、何だか悲しいでしょ。だから、その話題を出してくれたのが、嬉しかったからお礼。」
そういって、僕の切り途中だった林檎を一つ手に取ると、瑠夏は美味しそうに食べた。
その笑顔は、入室時のとって付けたような偽物の笑顔ではなく、本物の宝石みたいな笑顔だった。
「…………」
その事実にまたも、涙が出そうになるが、それをなんとか堪えていると、ノック音が部屋中に響き渡った。
「……どうぞ?」
すると、中に入ってきたのは黒服のゴツいお兄さん方。
危険を感じた僕は、瑠夏を庇うような態勢をとり、そばにあったペティナイフを構える。
「いや、待っていただきたい。我々は怪しい者ではない。どうかそのペティナイフを下ろして、我々の話を聞いていただけないだろうか。」
黒服の中でも、一際階級の高そうな男がそう語りかけてくる。
僕は一応警戒は解かずに、話を聞くことにした。
「我々は対魔女特別捜査部隊だ。」
「……!対魔?」
「ああ、市民の間ではそう呼ばれているらしいな。そう、君の想像通り、我々は魔女を専門とした部隊だ。」
「……何の用ですか。」
「君たちの家族を殺した魔女の話でここにきた。」
「見つかったんですか!?」
「いや……それは残念ながらまだなんだ。」
僕はわかりやすいくらいに落胆して見せる。
しかし、黒服の男は言葉を続けた。
「ただ……魔女の正体はわかった。」
それは、僕がここ数日知りたかったことである。
とりあえず昨日は、心の中で散々責めてしまって申し訳ない、と内心で謝っておくことにした。
それにしても、正体……?
「……なぜわざわざ僕たちに報告を?」
「ああ、疑問に思うのもわかる。だが、我々は君たちに報告をしにきたわけではなく、調査をしにきたんだ。」
いまいち要領を得ない会話に、僕は首を傾げるばかり。
すると、黒服の男は瑠夏の方を見つめると、質問を始めた。
「君が未度瑠夏ちゃんかい。」
「は……はい、そうですけど。」
怯えた、というよりかは緊張した様子の瑠夏が、なんとか応答する。
しかし、黒服の男の様子を見るに、目的は僕ではなく、瑠夏の方にあるようだ。
「君に何個か質問があるから聞きたいんだけど、いいかい?」
「え、えと。」
瑠夏は助けを求めるように、僕を見つめるが、残念ながら僕では力になれそうもない。
だから助け舟になるかはわからないが、とりあえず会話に参入しておくことに。
「瑠夏、その話受けるべきだと思う。お前の話が、母さんたちの仇になるかもしれないし。」
すると、瑠夏は「わかった…」と言って、黒服の質問を受けることを決意したようだ。
「あの、僕は出て行った方がいいでしょうか?」
黒服の男性に尋ねると、彼は首を横に振った。
「いえ、そこまで気を遣わなくて結構です。それに、あなたにも把握しておきて欲しい事ですから。」
「そ、そうですか。ならお言葉に甘えて。」
そう言って僕は瑠夏のベッドの横のベッドに腰掛けて、黒服と瑠夏の質疑応答を物見遊山することにした。
「――まず、未度瑠夏ちゃん。君は、魔女の姿を見たかい?」
「………………」
魔女――その単語を聞いた途端、瑠夏の表情が分かりやすいくらいに青ざめた。
「そうか…その反応だけで充分だよ。辛い質問をしてしまったね。ただ、今一度だけ……耐えてはくれないだろうか?親族の仇を……我々が取るためにも。」
黒服がそんなことを伝えると、瑠夏は逡巡した後に頷いた。
「ありがとう。その魔女はどんな見た目だった?」
「…………赤い……髪色をしていました。」
「赤い髪色……もしや………」
黒服が反芻するように呟くと、何か合点がいったのか目を見開いた。
そして、焦るように瑠夏にもう一度こう質問した。
「もしかして、その魔女は自分の背丈よりも大きな鎌を持っていなかったかい?」
「………は、はい!持っていたはずです…。」
「……な、んだと………いや、ありがとう未度瑠夏ちゃん。君のおかげで魔女の特定がすんだよ。」
「え、今のだけでですか?」
傍観を決め込んでいた僕が、思わず会話に横槍を入れてしまうほどに、サクサクと話が進んでいく。
すると、黒服は僕の疑問に答えるようにこう続けるのだった。
「きっと、今回の魔女は緋色魔女 です。突然変異種 の中でも、強力な七体の魔女――通称七色の魔女のうちの一角です。」
「七色の魔女……そんなものが」
「はい……それに加えて…我々人類は、いまだ一度として七色の魔女に勝利したことはありません。」
「…そ、そんな……」
僕も瑠夏も、そして、黒服の面々でさえも絶望的な心境で床を見つめていた。
それほどまでに人類と魔女の力の差は歴然としていたのだ。
だが。それでも。
夢ぐらい見させて欲しい。
少しくらいは、希望とか言うやつに、期待したい。
「………緋色魔女 は………倒せるんでしょうか。今の人類に。」
すると、黒服は苦虫をすりつぶしたような顔をうかべて、悔しげにこう語った。
「七色の魔女は―――千年あっても、一万年あっても。永久に追いつくことはできないくらいの、力の差があります。」
そしてさらに彼は、僕らを絶望の境地に叩き込んでくるかのように、続けるのだった。
「人間では、七色の魔女に触れることさえできません。」
※※
それから、黒服の集団は撤収して行った。
魔女の件はどうなるのでしょうか―と言う質問に対しては「できる限りのことはしますが、相手がいかんせん最悪の部類です。仇を取れるかの確証は、ほぼないです。」
申し訳ございません――と、最後にそう言い残して、彼らは病室を後にした。
絶望的な心境のまま、僕と瑠夏は心ここに在らずといった感じで、一言も喋らずに虚空を見つめていた。
ようやく仇を取ってもらえる、と期待をした自分が馬鹿だったのだ、と気付かされた。
と言うか、常識的に考えて、魔女のように、魔法を使えるような存在に僕ら人間が叶うはずがなかったんだ。
化学では、魔法には勝てない。
これは、とある対魔が残した言葉だ。
その通りだ。無理なんだ。
「魔法が……あれば……僕にもあいつらを殺せるのに…」
「―――――――」
声が聞こえた――気がした。
この病室には、僕の他に瑠夏しかいないはずだが、確かに僕と瑠夏以外の声が。
「……………」
しかし、いくら待てどその声はもう一度することはなかった。
多分、疲れすぎて幻聴でも聞こえたのだろう。
――そう思うことにした。
それはそうと――という言葉如きで、話題転換ができるほど軽い話とも思っていないが、それでも話を前に進めねばどうにもならないというものだ。
なんにせよ、まずは行動するべきだと、僕は思う。
「瑠夏…お前は魔女を倒したいか?」
僕は虚空を見つめ続ける瑠夏に、そんな質問を何気なくしてみる。
本当に、何気なく、ほとんどの感情の起伏を発生させずに発した言葉だった。それでも、その話題が瑠夏に熱を与えるのにはそうそう難しい話ではなかったようだ。
瑠夏は、自分自身の腿のあたりを握り潰さん勢いでぐっと掴み、声を上げて泣き始める。
そして、慰めの言葉も思いつかない僕は、そっと瑠夏の頭を抱き寄せた。
――――それしかできなかった。
※※
泣き疲れたのか、瑠夏はその後倒れるように眠り込んでしまったので、僕はそそくさと足早に病室を出た。
病室を出る直前、看護師さんが僕に何か声をかけようと手を伸ばしていたが、そんなことにすら目もくれず、病院を出る。
そして、駆けた。
しっとりと雨が降り始める。
外気がだんだんと冷えてきたことで、僕の吐く息の温度が、より一層高く感じる。じんめりと気持ちが悪い。
母と弟が魔女に殺され、父親は脳死状態。妹も入院送り。
そして、その状況を作り出したのが緋色の魔女 という魔女の最強格。
正体さえわかれば、仇を取れると考えていた僕の浅はかな考えは、見事に玉砕することとなった。
そんな絶賛傷心中の僕は、冷たい雨に降られることで、頭を冷やすことにした。
昂った怒りを、洗い流すために。
「魔女なんか……消えてしまえ。」
ただひたすらに、切実に思う。
しかし、現実はこんな僕にも刃を向けてくる。
心をずたずたに引き裂かれた僕にすら、鋭いナイフを向けてくるのだ。
とことん運命とかいうやつは、僕が嫌いらしい。でも大丈夫。僕も大嫌いだから。
ぴちゃりぴちゃりと、いつの間にかできていた水たまりを踏み潰しながら、雨の街を闊歩する。
その行為は、なんだか世界すらも踏み潰してやっているように思えて、少しだけ気分が良くなった。
「うぉぇ…」
雨の音に紛れて、明らかに大きな吐瀉物の撒き散らされる音が響いた。
今この場に誰もいなくてよかったと、ひたすらに思っていると、さらなる吐き気が僕の腹を蝕む。
でもこれくらい許されてもいいではないか―そう思うのは、傲慢であろうか。
やがて、思考もまともに働かなくってきた頃に、僕は吐瀉物に塗れた顔と手を、無意識に地面に広がる水たまりで洗い流すと、ふと、鼓膜に響く音を察知した。
「―――――」
それは、雨の音にかき消されるほど、小さな声で、耳をしっかりとすまさなければ拾えないくらい、小さな音だった。
「――――て」
「………………」
「――――けて」
「あ」
「助けて」
足が動いた。
考えるよりも早く、僕はその声のする方向へと足を動かしたのだ。
あれだけ人の心がわからないと宣っていたこの僕が、人の救いを求める声に反応するなど、どういう風の吹き回しだ、という話であろう。
そんなこと、僕が一番知っている。
家族を初めて失ってわかったこと。
それは僕が、僕の思っている以上に人間であること。
そして、今この声を聞いてわかったこと。
それは、僕が僕の思っている以上に、お節介好きだということ。
冷たい雨が、顔を突き刺すように降ってくるが、そんなことは気にせずに、僕はとにかく足を進めた。
そして、声のした路地裏までやってくると、そこには声の持ち主が倒れているのが見えた。
何があったのか想像もつかないが、そこには大きな血溜まりができており、雨の影響で、じんわりと小さく小さく広がっていっている途中だった。
また、その血液の持ち主であろう少女は目を疑うほど美しい銀髪の持ち主であった。
危うく見惚れかけていると、再び「助けて…」というか細い声が。
それで我に帰って僕は、急いで少女を抱き抱える。
「……おい!大丈夫か?」
首を支えるようにして、声をかけるが、未だ目は閉じたままで、頭からは、溢れんばかりの血液が激流のように押し寄せてきていた。
「お、おい!本当に大丈夫か!?」
すると、その声が耳に触ったのか、少し顰めた顔をした少女は、小さく瞳を開くと、僕の存在を認知した――かと思えば。
「人間……今はそれで良いか…贅沢は言っておられん。」
と、何やら不吉なことを口にし始めた。
「ど、どうした?病院まで送るぞ」
「いや、それは…遠慮しておく」
「…………でもこの傷じゃ…」
「大丈夫じゃといっておるじゃろ……それより…本当にもう意識が途切れてしまう……奪うぞ」
奪う?なにを………
その瞬間――その目の前の傷だらけの銀髪の少女は、僕の唇に顔を寄せると、やたらと鉄臭いキスをしてきた。
何が起きたのか理解が追いつかなかった僕――だが、それを待ってはくれない彼女は、その後も僕の口内で舌を暴れさせていた。
目の回りそうな勢いでそんなことが繰り広げられてからか、僕の頭は真っ白で、思考のピースがうまく繋がらず、言葉も行動も何もできずに、ただされるがままになっていた。
なるほど。奪うというのは、僕の行動や意識のことだったんだな。
そう納得した刹那、僕の唇から口を離したその少女は、唾液のアーチを舐めとると、やや上気した頬をしながら、僕の胸元あたりに顔を埋めてそのまま倒れてしまった。
対する僕は、その少女を抱き抱えながらも、今起こった状況の整理に追われていた。
結果的にこのあと僕は、数十分の間はこうして、雨の中思考を巡らせるわけだけど、どう足掻こうが、その少女の真意が読めなかったので、諦めて家へ向かった。
※※
雨に降られた僕の衣服は、まるで鉛のように重く、全ての行動が億劫になってしまうほどであった。それに加えて、今の僕は見ず知らずの少女を担いでいるのだから、合計重量はかなりのものだ。
それから僕は、重たい衣服を脱ぎ、濡れた身体と髪をバスタオルで拭いてから、黒いスウェットを着た。
そして次にするべきは、この少女の扱いだけれど、これって服脱がしたりするのは犯罪になるだろうか。いや、犯罪云々の話をするのであれば、家にこうして連れ込んだ時点でアウトなわけなのだが、それは緊急事態ということで見逃してもらいたい。
そんな、誰にしているのかもわからない言い訳を並べていると、死んだように意識を手放した少女が、息を吹き返すように目を覚ました。
「……身体は無事か?」
目を覚まして、よく分からない場所にいるのも怖かろうと思い、声をかけてみたのだが、よくよく思い返せばいきなりキスをされた僕の方が怖かった。
しかし、そんな僕の気持ちを気にする様子もない彼女は
僕のそばにじりじりと近寄ってくるのだった。
「な、なんだよ。」
「………………」
じーっと僕の顔を見つめながら、その少女は赤ちゃんみたいに這いずりながら近寄ってくる。
「別に、僕はお前のことをどうこうするつもりはないからな?それに、今回だって血だらけで倒れてたから助けただけだし……変なことはしてないぞ」
こうして捲し立てるように言葉を並べると、たとえそれが本当のことであっても、信憑性が薄れるのは何故だろうか。
そんな僕の疑問は拭えないまま、このおかしな状況は続く。
そして、とうとう僕は少女と、息のかかりそうな距離まで接近した。
しかし、そこから何が起こるわけでもなく、しばしの沈黙の中、僕は少女と視線をかち合わせていた。
だが、それもほんの少しの間のことで、やがてその沈黙は彼女によって破られた。
「……弱い人間じゃの。」
そんな、いわれのない悪口を浴びせられることによって。
閑話休題。
「貴様じゃよな?わしと『契り』を交わしたのは。」
「契り?そんなもん交わした覚えはないぞ。」
そもそも、僕はあの時何かの書類に、サインをした記憶は無いし、そもそもペンすら持っていなかった。
すると、少女は「違う違う」と呆れるように僕の勘違いを訂正してくる。
「人間の世界じゃ…キスというんじゃったかな。」
「……あれが『契り』?」
「むぅ、人間じゃから知らないのも無理はないが、説明するのも面倒くさい。かといって、巻き込んでしまった側としては、説明しないのは流石に筋が通ってないの。」
と、面倒くさそうに彼女は言葉を続ける。
だが、その前に。
「お前はそもそも何であそこであんな血だらけで倒れてたんだ?喧嘩か?」
こんな少女がするわけない――とも言い切れないので、一応聞いてみたが。
「そうじゃな。喧嘩みたいなもんじゃな。ちょっと旧友とどんぱちして、負けただけじゃ。」
「どんぱちて……」
おおよそ中学生くらいの見た目の少女が使う言葉じゃないが、あの惨状を見た直後では妙にしっくりくるのは何故だろうか。
「まあそんなことは良いのじゃ。そろそろ契りについて説明するからよく聞け」
「…………」
「契りというのは、人間と魔女の間で行われる契約のことじゃ。」
「魔女?」
「魔女。」
「誰が」
「ワシが」
その言葉の意味を理解した瞬間―僕はぞわりと鳥肌が立つのを感じ、部屋の隅に全力で飛び退いた。
そして、精一杯の怒声を出して
「お前……魔女なのか!?」
「そうじゃと言っておろう。」
信じられない。あんなに憎んだ魔女を助けてしまったなんて。
「くそ……」
すると、魔女は少し寂しそうな表情を浮かべながら、僕にこう尋ねてきた。
「……魔女は嫌いかの?」
「そんなもん当たり前だ。大っ嫌いさ。最近、緋色魔女 とかいう魔女に家族を殺されたばかりなんでね。」
「……またルーファか。」
「ルーファ?」
「貴様ら人間が、緋色魔女 と呼んでいる魔女の本当の名じゃ。そして、わしも…ついさっきコテンパンに負けたばかりじゃ。」
コテンパンに負けた――それもついさっきということは。
「お前が血だらけで倒れてた理由って……」
「ああ、ルーファと少し喧嘩してたのじゃ。」
魔女の少女は、あっけらかんとそう言うのだった。
僕はその平静すぎる彼女の姿に、僅かにたじろんでしまう。
「でも、喧嘩なんで…なんてしたんだ?」
こんなこと、聞かなくてもいいことだ。むしろ、憎き敵である魔女とこれ以上会話を続けようとするのは、馬鹿のやることだと、僕は自覚している。
それでも、僕は尋ねずにはいられなかった。
何故かは知らないか、この魔女となら、会話してやってもいいと思えたから。
と、僕がそんなことを考えていたら、魔女はどこか遠くを見つめるように語り出した。
「止めようとしたんじゃ。これ以上、人間と争うのはやめようと。じゃが、説得は失敗に終わった。それに、ルーファだけじゃない。他の七色の魔女にもわしは、説得を試みた。まあ、わしを半殺しにまで追い詰めたのは奴だけじゃがな。」
「………お前が嘘を言ってるかどうかは置いておいて、お前みたいな魔女も居るにはいるんだな。」
「当たり前じゃ。元来ワシは戦うこと自体好かん。じゃからこの争いを止めたいのも、結局ワシのエゴなんじゃよ。」
いい顔はできん――と、やはりどこか物悲しそうに彼女は語るのだった。
「……それで、契りの説明の続きじゃが……いま、ワシと貴様は契りを交わしたことにより、一心同体のような関係性になっておる。」
「一心同体?」
「ああ。わしはさっき、緋色魔女 から魔法による呪いをかけられ、負傷を負ってしまった。じゃから、貴様はわしの負傷を半分請け負う代わりに、わしの能力を半分使えるようになっておる。つまり、わしの全てを半分請け負っている状況じゃ。」
なるほど、ならば、体がさっきから痛むのはそれが理由だったわけだ。
それにしても。
「能力が半分使えるって……僕がお前のいわゆる」
「魔法が使えるってことじゃ。」
「…………!」
魔法――あれだけ欲した、僕が欲した力。
それが今、僕の手の元に……。
「じゃが、馬鹿なことは考えるな。魔女を恨んでいる貴様のことじゃから、力を得たあと、何をするのかおおよそ予想がつく。復讐はやめろ。それほどまでに、今の緋色魔女 は強い。」
魔女が強いなんてことは、百も承知だ。
そして、僕がこの力を得たところで、勝ち目がないことなんて鼻からわかっている。
なんせ、緋色魔女 に一度負けた魔女の力を、それも半分使ったところで、勝率なんて期待できるもんじゃない。
「でも………」
「?」
「なら、僕のこの気持ちは――どう鎮めればいいんだ。」
この怒りは…何にぶつければいい?
黙って、このまま時間に身を任せて、忘れるのを待てっていうのか?
「そんなの……僕には無理だ…」
「あいにく」
「……………」
「わしは、人間の感情は、あまり理解できん。わしは魔女じゃからな。じゃが、わしが生き残るがために、貴様の体を巻き込んでしまったのは、申し訳ない。それに、貴様は一応、わしの命の恩人であるわけじゃ。」
「………」
「それでも、わしの力はわしの力じゃ。そして、貴様の体は貴様のものじゃ。貴様が死ねば、わしも死ぬし。わしが死ねば、貴様も死ぬ。いわば、運命共同体とかいうやつじゃの。じゃから、お互いがお互いの同意なしに命を投げ打とうとするのは、最悪の行いじゃ。」
「………なにが……言いたいんだよさっきから。」
魔女は、「まだ分からないのかの?」と、僕を嘲笑した。だが、それが変に嫌味になっていなくて、怒りは生まれない。
「つまり、意見と利害が一致すれば、わしらはお互いの目的を果たせるのじゃないのかの?」
「………じゃあお前の目的はなんなんだ。僕は言うまでもないと思うけど、緋色魔女 を殺すことだ。」
「くくっ……他の七色の魔女が聞いたら笑いそうな内容じゃ。じゃが、青臭くて良い。――して、わしの目的じゃが。」
魔女は弛緩した表情を引き締めると。
「魔女と、人間の争いを断つことじゃ。」
そう言った。
魔女が、そう言ったのだ。
僕は、正直、このまま死ぬまで、人類は魔女に怯えながらも敵対していくのだろうと思っていた。
そして、いつかは対抗する力もなくなって、滅ぼされるのがオチだと、てっきり思っていた。
だが、和平という道があるのなら、それを取らないわけはない。それでも、緋色魔女 を殺すことは、確定事項だ。
「………わかった。和平を……僕も望もう。そのために、僕はお前に生きる力を。お前は僕に、戦う力を貸してくれ。」
「………わかっておる。わしも緋色魔女 を殺すのを手伝おう。じゃから、半分負傷を任せたぞ。」
魔女を殺すのを手伝う代わりに、魔女と仲良くするのを手伝ってくれって………矛盾した契約だ。
だが、僕は思う。
人に仇なす敵を排除すれば、待っているのは平和だ。
だから緋色魔女 は、平和のための犠牲と考えよう。
「………あ、雨上がったじゃん。」
幼少期から、僕は感情の起伏が極端に薄かった。親からは落ち着いた子だね、なんて可愛がられたがこんな僕の何が可愛かったのやら。
※※
朝、ニュースを尻目に母の作った朝ごはんを、もそもそと口に運ぶ。ニュースの内容はいつも通り。
「先日、――県の――で、『魔女』による被害がありました。しかし幸い被害者は軽傷で、命に別状はないとのことです。」
そんな魔女に関するニュースだった。
すると、テレビ画面にはデカデカと魔女の専門家を名乗る男が写り出し、アナウンサーらしきスラッとした女性が専門家に、淡々と質問をしていた。
「魔女、というのは一体どのようなものなのでしょう。」
「うん、まあ一般の人にはあまり喋れないこともあるし魔女研究はまだ歴史が浅くてね。あくまでの仮説でよく言われてるのが、魔女は人の悪感情から生まれるんじゃないかって説だね。」
「悪感情…ですか?」
「うん、根拠としては今までの被害者を見てみると、総じて家庭内に何かしらの問題があるんだ。」
「そうなんですか…素人目線だとかなり根拠が薄く感じるのですが」
「まあ、それは否定しないよ。あくまでこれは仮説のうちの一つにすぎないし……私もこの仮説は好きじゃない。」
「ということは、――さんにも一つの仮説があると?」
「そうなるね。私の考えた仮説は――魔女は異世界から来たってやつだ。」
「異世界、ですか」
「そう、魔女には魔女の国があると思うんだ。」
「……それはまた現実味のない仮説ですね。根拠はあるのですか?」
「いや?ないよ。」
「それは……またおかしな事を言いますね。」
「いいだろう?おかしな事でも。魔女なんてふざけた存在があるんだ。魔女の真実だって面白おかしくあって欲しいと願うことの何が悪いと言うんだね。」
「……なるほど」
「私は今、その魔女の世界に行くために……この研究を続けているのかもしれないなぁ。」
「あるかもわからないのに、ですか?」
「いいや、あるさ。」
「…………」
そしてその後、事件について深掘りされた後、魔女に関するニュースが終わり、最近の便利グッズ紹介へとコーナーが切り替わった。
「ね、ねお兄ちゃん?魔女ってどこから生まれたんだろうね」
僕と違ってぽかーとテレビに魅入っていた妹の瑠夏が嬉々として訪ねてくる。対する僕は真逆の温度感で舌を転がした。
「うーん、どうだろうな……でも、僕も魔女の世界なんてものがあったらいいと思うよ。」
「えぇ?お兄ちゃんがそんな夢みがちなこと言うなんて珍しー」
「まあな」
だってほら。人と相容れない僕だけど、魔女の世界ではやっていけるかもしれない。そんな希望を持つ方が気持ちが楽だ。
そんな妹の想像とは違った思考を持って、僕は魔女の世界を望んだ。
すると、父が「ごちそうさま。いってくる。」と鞄を持って席を立つ。それに僕らは「いってらっしゃい」と声をかけた。その流れで母が僕に尋ねる。
「ああ多比名。そういえば面談の紙ってもらった?」
「ん、ああそういえば昨日もらったかも……でも学校に置いてきたな。」
「もう、ちゃんとしてよねぇ…じゃあ今日帰ってきたら渡してね。」
「うん。」
そう言って朝食に戻ると、向かいに座る瑠夏がニマニマとしていた。
「なんだよ」
「いや、お兄ちゃんって相変わらず抜けてるよなぁって思って。」
「……んなことないよ」
「んなことあるわよ。アンタ昔っからボケーっとしてて危なっかしかったんだから。」
「まあお兄ちゃんは昔からそうだよねぇ。ね、ね!お母さん!私はどんな子だった?」
「えーとねぇ、瑠夏はひたすら騒がしかったわね。」
「えぇ!!!そんなことないよ!」
「ほら。」
すると僕らの家に、瑠夏の納得できない!といった抗議の声が響き渡る。騒がしい……
それはそうと。
「母さん、ご馳走様。いってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
「えぇ!お兄ちゃんはや!」
「お前が遅いんだよ。」
いつも通りの朝だった。
そして、最後の朝だった。
※※
『魔女』が現れてから五十年後――つまり今から五十年前、『魔女』の突然変異体が現れた。
その『魔女』は今までに発現した魔女の数倍は強力でかつ、知能も高く戦略性のあるもので、それから突然変異体の魔女――通称ミュータントは、『魔女』の徒党を組み、人類の生活を脅かす集団となった――という魔女に関するネットニュースの記事。
まあジャンルが都市伝説、となっているあたりこれも信憑性はどんなものかわからないが。
帰りの電車の中、僕はそんなニュース記事をみて暇を潰す。――あ、降りなきゃ。
※※
「ただいまー……ん?」
ノックをしても全然開かない。それどころか返事もない。留守ならどこかしらに鍵が置かれてるはずなんだけど…まあ、裏口から入ればいいか。多分、家族全員がちょうどタイミング良く寝ていて、ノックに気が付かなかったのかもな。
家に入る。
部屋中には血飛沫やら、臓物やらで溢れかえっていて、むせ返るような血の酸っぱい匂いが、ダイレクトに鼻腔を刺激してくる。
嘔吐感が身体中を支配する。
そして涙目のまま、とりあえずこの匂いから離れたくて、家を出てから冷静に警察を呼んだ。
「家族が、死んでます。」
するとやがて、パトカーや救急車が家の前に停車して、家の中からはどんどんじゃんじゃん、ブルーシートのかかった死体がいくつも救急車に運ばれて行った。
僕は今、とても悲しい。
家族が死んでしまったことが―――否。
僕は残念ながらそんなことで悲しんだりできるほど、人間のように良くできた感受性を持ち合わせてはいない。僕が悲しんでいたのは、家族の死を悲しむことができなかったことだ。
こんな非道な僕だけど、家族の死には流石に涙することができるんじゃないかって少しは期待していたのだけど、それもこれも全部は期待通りにはいかなかった。
家族の死にさえ、僕は涙を流すことができなかった。むしろ、何も感じることができなかった。僕が思えたことなんて、強いていえば「今日の夕飯はどうすればいいんだろう」だったし。
でもきっと、そんなところを見込まれたのだろう。彼女に。
病院の待合室で、僕はどうせ助かりもしない家族の容体の報告を待っていた。
医師が言うには、まだ父と妹の息はあったらしく、助かる可能性はゼロではないらしい。まあでも、僕としては父が助かってくれた方が僕への恩恵が大きいので、助かるならそっちにしていただきたいところだ。神様よろしくお願いします。
そんなとんでもなく不謹慎なことを内心呟いていると、その姿が寂しそうに映ったのか、警察の人が話しかけてきた。
「………残念だったね。でも、きっとお父さんと妹さんは助かるさ。まだ希望を捨ててはいけないよ。」
「……はあ。」
希望なんてハナから持ってないけど。
「あの事件……やはり犯人は魔女だったらしい。事件現場には魔女の瘴気が残っていた。それも、特段濃いのがね。」
「濃いと…何か意味があるんですか。」
「魔女の瘴気は、濃ければ濃いほど、その魔女がどれだけ強かったかがわかる。あれはかなり強力な魔女だ。多分、
「そうですか……」
僕は極めて淡白に努めた。
「………どうして君は、そんなに淡白でいられるんだい?」
「どうでもいいんです…昔から。よくいるじゃないですか。人一倍感受性が強くて、卒業式とかですが泣いちゃう子。僕はあれと逆で、泣けないんですよ。どんな時でも。」
「………ごめんね。質問を変えようか。僕が気になったのはそこじゃなくて、どうして君は自分を押し殺してまで淡白でいる事を努めるのかな?」
「…………!」
胸の内がざわついた。
核心を、無遠慮にざらりと撫で回されたかのような不快感と焦燥感が胸を焦がす。
「………どういう意味ですか?それは」
「んん…そのまんまの意味、としか言えないんだけど。僕から見れば、君は今すごく辛そうに見えるんだよ。でも、帰ってくる言葉は淡白で、いかにも僕は悲しんでなんかないよ、辛くなんてないよ、って演技をしているように聞こえるんだ。」
「そんなのはあなたの主観です。そう見えてるだけ。僕は本当に悲しくなんかないですし、辛くもないです。だから心配しないでください。」
「…………わかったよ。でもいつかきっと、僕の言葉を思い出してほしい。」
「?」
「君は、自分が思っているよりも、ずっと人間なんだ。」
※※
結果から言おう。
集中治療の結果、妹は助かった。
しかし、父は命は助かったものの、植物人間という脳の一部分だけ死んでしまっている状態になってしまった。
「瑠夏……体はもう無事なのか?」
「うん。……でも……どうしてこんなことになっちゃったの?……お母さんだって…翔太だって……何も悪いことしてないじゃん!何で私たちだけこんな目に遭わなきゃいけないの…!」
「瑠夏……」
しかし、僕の呼び止める声は抑えなどになるはずもなく、瑠夏の言葉は、感情はどんどんエスカレートしていった。
「お父さんだって毎日私たちのために必死に働いて、疲れてるだろうに家族サービスだってしてたのに!……なんであんな目に遭っちゃうの!…なんで………私が助かっちゃったの……」
「それは………僕のセリフだ。」
「え?」
間の抜けたような瑠夏の声をバックにして、僕は立ち上がるとすぐに病室を出た。扉を挟んで、妹が僕の名前を呼ぶ声が聞こえるが、それすらも無視せざる負えない状況だった。なぜか、瞳には熱いものが込み上げてきてしまったから。
『君は自分が思っているよりも、ずっと人間なんだ。』
あの言葉を脳の中で反芻する。聞いた直後は、「僕のことなんて何も知らないくせに、上からものを語るんじゃねぇよ。」とか、クソガキなりにクソガキっぽいことを思っていたけど、僕はその言葉の意味を理解した。
「………何だ僕……ちゃんと泣けるんだ。」
「妹が生き返ったことに……ちゃんと嬉しいって気持ちをもててるし、父さんの植物人間って状態に、複雑な気持ちを抱けてるし……なにより家族の死が………悲しいし。」
思えば思うほど――想えば想うほど、涙が込み上げてくる。そして、続いて込み上げてくるのは、ドス黒い感情だった。
「……魔女を……殺してやりたい」
声帯が勝手に締まって、震えるような声が自然と出てくる。それはいわゆる、怒りと呼ばれる感情なのだそうだ。
『彼女』が言うには。
※※
今日は僕も病院に泊まることになった。場所としては、妹のすぐ隣のベッドで、夕食も病院食だけど出していただいた。
味はまあ、及第点以下といった感じで、物足りなさは凄まじいものだったけど、空腹も相まってもりもり食べられた。
ちなみに、妹の瑠夏は一切の食事が喉を通らないらしく、病院食にも手をつけずにいた。
そして、真っ暗闇の中、僕は天井と睨めっこをしながら
眠れない夜を過ごしていた時――瑠夏が僕のベッドに潜り込んできた。
突然のことに目を丸くする僕だけど、肩を震わせている瑠夏に尋常ではない事態を感じ取り、とりあえず肩をさすって、落ち着くまで待つことにした。
「大丈夫か?」
「……お兄ちゃん……怖いよ…魔女が……来るんだよ。」
「大丈夫だから…魔女はここにはいない。」
「いるよ!魔女はどこにでもいるの!私たちが気づいてないだけで、きっとこの部屋にもいて、私たちの様子をじっと見てるんだよ!」
目には大粒の涙を、そして肌は蒼白で身体はずっとブルブルと震えている状態。とてつもない恐怖心を植え付けられたようだ。
しかし生憎、僕は魔女を見たことがなく、その恐怖心に共感してあげることができない。だから僕は、結局慰めてあげることしかできないのだ。それが、求められていることなのかは、知らないけど。
※※
翌日、至って健康体の僕は、一度家に帰ってから学校の支度をして家を出た。今日くらい心の休養という形で休めばいい、という話も出たが、それは断っておいた。今ここで休めば、僕はもう二度と立ち上がれない気がしたから。
それくらい心を傷めているのだな、僕は。
やはり、僕も人間なのか。さすがに家族の死は……応えているみたい。
そして、それ以上に。
「魔女………め。」
殺してやりたい。僕の家族を傷つけた魔女を、ぐちゃぐちゃに引き裂いて殺してしまいたい。
けれど、それをする手がかりも、手段も、力さえも僕にはない。僕が魔女に立ち向かったところで、ボコボコに殺されて終わりだ。
しかし、それならば。
僕のこの怒りはどこに向ければいいんだ。
そして、この日の授業の内容は、頭に一切入ってこなかった。こんなことは、初めての経験だった。
怒りに震えて泣いたのも。
※※
再び夜が明け、家族が死んでから二日が経とうとしていた。
しかし、事態に進展は一切なく、いまだに犯人の魔女は特定できていないとのこと。
「………対魔は何してるんだ……!」
対魔――それは、対魔女特殊捜査部隊の略称で、魔女に関する事件を取り扱っている専門部隊だ。
彼らの捜査力は、国内随一だが、それでもまだ見つけることができていないらしい。
わかってはいるのだ。僕自身も。
魔女の捜索が大変だということも、それに対して怒りを覚えることがお門違いだということも。
それを分かった上での言葉だ。
つまりは、ただの負け犬の遠吠えってやつと同じで、力のない奴が喚いてるだけ。自分の力がないから、他人を責めて言い訳してるだけ。
何もできないくせして、他人の失敗は責めるような、そんな畜生が僕なのだ。
「…………はぁ、なんかもう嫌になってきた。瑠夏のとこにでも行くか。」
自己嫌悪に自己嫌悪を重ね、軽く鬱になりかけたところで、僕は家を出た。
瑠夏の病室に着くと、瑠夏は窓の外を見つめていた。
「……瑠夏、何見てるんだ?」
声をかけると、ようやく僕の存在に気がついたようで、ぎこちない笑顔を向けてくれた。
「お兄ちゃん…一昨日の夜はごめんね。取り乱しちゃった。」
瑠夏は頬をかきながら、少し照れくさそうに笑った。
その健気な姿に、僕はまたもや涙腺を刺激されるが、何とか自前の『人でなしの心』を使って堪える。
というか、僕はどうやら家族ぐるみの話には弱いみたいだな。今までこんなに泣いた記憶はなかった。
そして、僕は瑠夏のそばに寄って頭をくしゃりと撫でてやってから、お見舞いの品として持ってきた林檎を切り始めた。
「わあ!りんご持ってきてくれたんだね。私がりんご好きなの覚えててくれたんだ!」
「まあ…な。母さんがよく嬉しそうに僕に教えてくれてたんだ。瑠夏の好きな物とか、最近よく見てるアニメとか。」
「………お母さんが……?」
少し震える声が聞こえた。
僕はなんてまずいことを……この状況で母の名前を出すのは悪手にも程がある。人の心を考えられない僕の特性がここで効いてきた。
そこで慌てて謝ろうとすると――
「……ありがとうお兄ちゃん。」
と、まさかのお礼。
そして、訳がわからずペティナイフを片手に固まっている僕を見て、くすりと瑠夏が笑い出した頃合いで、僕の硬直は解けた。
「お礼?」
すると、わずかばかりの逡巡を経てから、瑠夏は理由を語り出した。
「無理にお母さんの話題を避けるのは、正直やめて欲しかったの。だって、それはお母さんを忘れようとしてるみたいで、何だか悲しいでしょ。だから、その話題を出してくれたのが、嬉しかったからお礼。」
そういって、僕の切り途中だった林檎を一つ手に取ると、瑠夏は美味しそうに食べた。
その笑顔は、入室時のとって付けたような偽物の笑顔ではなく、本物の宝石みたいな笑顔だった。
「…………」
その事実にまたも、涙が出そうになるが、それをなんとか堪えていると、ノック音が部屋中に響き渡った。
「……どうぞ?」
すると、中に入ってきたのは黒服のゴツいお兄さん方。
危険を感じた僕は、瑠夏を庇うような態勢をとり、そばにあったペティナイフを構える。
「いや、待っていただきたい。我々は怪しい者ではない。どうかそのペティナイフを下ろして、我々の話を聞いていただけないだろうか。」
黒服の中でも、一際階級の高そうな男がそう語りかけてくる。
僕は一応警戒は解かずに、話を聞くことにした。
「我々は対魔女特別捜査部隊だ。」
「……!対魔?」
「ああ、市民の間ではそう呼ばれているらしいな。そう、君の想像通り、我々は魔女を専門とした部隊だ。」
「……何の用ですか。」
「君たちの家族を殺した魔女の話でここにきた。」
「見つかったんですか!?」
「いや……それは残念ながらまだなんだ。」
僕はわかりやすいくらいに落胆して見せる。
しかし、黒服の男は言葉を続けた。
「ただ……魔女の正体はわかった。」
それは、僕がここ数日知りたかったことである。
とりあえず昨日は、心の中で散々責めてしまって申し訳ない、と内心で謝っておくことにした。
それにしても、正体……?
「……なぜわざわざ僕たちに報告を?」
「ああ、疑問に思うのもわかる。だが、我々は君たちに報告をしにきたわけではなく、調査をしにきたんだ。」
いまいち要領を得ない会話に、僕は首を傾げるばかり。
すると、黒服の男は瑠夏の方を見つめると、質問を始めた。
「君が未度瑠夏ちゃんかい。」
「は……はい、そうですけど。」
怯えた、というよりかは緊張した様子の瑠夏が、なんとか応答する。
しかし、黒服の男の様子を見るに、目的は僕ではなく、瑠夏の方にあるようだ。
「君に何個か質問があるから聞きたいんだけど、いいかい?」
「え、えと。」
瑠夏は助けを求めるように、僕を見つめるが、残念ながら僕では力になれそうもない。
だから助け舟になるかはわからないが、とりあえず会話に参入しておくことに。
「瑠夏、その話受けるべきだと思う。お前の話が、母さんたちの仇になるかもしれないし。」
すると、瑠夏は「わかった…」と言って、黒服の質問を受けることを決意したようだ。
「あの、僕は出て行った方がいいでしょうか?」
黒服の男性に尋ねると、彼は首を横に振った。
「いえ、そこまで気を遣わなくて結構です。それに、あなたにも把握しておきて欲しい事ですから。」
「そ、そうですか。ならお言葉に甘えて。」
そう言って僕は瑠夏のベッドの横のベッドに腰掛けて、黒服と瑠夏の質疑応答を物見遊山することにした。
「――まず、未度瑠夏ちゃん。君は、魔女の姿を見たかい?」
「………………」
魔女――その単語を聞いた途端、瑠夏の表情が分かりやすいくらいに青ざめた。
「そうか…その反応だけで充分だよ。辛い質問をしてしまったね。ただ、今一度だけ……耐えてはくれないだろうか?親族の仇を……我々が取るためにも。」
黒服がそんなことを伝えると、瑠夏は逡巡した後に頷いた。
「ありがとう。その魔女はどんな見た目だった?」
「…………赤い……髪色をしていました。」
「赤い髪色……もしや………」
黒服が反芻するように呟くと、何か合点がいったのか目を見開いた。
そして、焦るように瑠夏にもう一度こう質問した。
「もしかして、その魔女は自分の背丈よりも大きな鎌を持っていなかったかい?」
「………は、はい!持っていたはずです…。」
「……な、んだと………いや、ありがとう未度瑠夏ちゃん。君のおかげで魔女の特定がすんだよ。」
「え、今のだけでですか?」
傍観を決め込んでいた僕が、思わず会話に横槍を入れてしまうほどに、サクサクと話が進んでいく。
すると、黒服は僕の疑問に答えるようにこう続けるのだった。
「きっと、今回の魔女は
「七色の魔女……そんなものが」
「はい……それに加えて…我々人類は、いまだ一度として七色の魔女に勝利したことはありません。」
「…そ、そんな……」
僕も瑠夏も、そして、黒服の面々でさえも絶望的な心境で床を見つめていた。
それほどまでに人類と魔女の力の差は歴然としていたのだ。
だが。それでも。
夢ぐらい見させて欲しい。
少しくらいは、希望とか言うやつに、期待したい。
「………
すると、黒服は苦虫をすりつぶしたような顔をうかべて、悔しげにこう語った。
「七色の魔女は―――千年あっても、一万年あっても。永久に追いつくことはできないくらいの、力の差があります。」
そしてさらに彼は、僕らを絶望の境地に叩き込んでくるかのように、続けるのだった。
「人間では、七色の魔女に触れることさえできません。」
※※
それから、黒服の集団は撤収して行った。
魔女の件はどうなるのでしょうか―と言う質問に対しては「できる限りのことはしますが、相手がいかんせん最悪の部類です。仇を取れるかの確証は、ほぼないです。」
申し訳ございません――と、最後にそう言い残して、彼らは病室を後にした。
絶望的な心境のまま、僕と瑠夏は心ここに在らずといった感じで、一言も喋らずに虚空を見つめていた。
ようやく仇を取ってもらえる、と期待をした自分が馬鹿だったのだ、と気付かされた。
と言うか、常識的に考えて、魔女のように、魔法を使えるような存在に僕ら人間が叶うはずがなかったんだ。
化学では、魔法には勝てない。
これは、とある対魔が残した言葉だ。
その通りだ。無理なんだ。
「魔法が……あれば……僕にもあいつらを殺せるのに…」
「―――――――」
声が聞こえた――気がした。
この病室には、僕の他に瑠夏しかいないはずだが、確かに僕と瑠夏以外の声が。
「……………」
しかし、いくら待てどその声はもう一度することはなかった。
多分、疲れすぎて幻聴でも聞こえたのだろう。
――そう思うことにした。
それはそうと――という言葉如きで、話題転換ができるほど軽い話とも思っていないが、それでも話を前に進めねばどうにもならないというものだ。
なんにせよ、まずは行動するべきだと、僕は思う。
「瑠夏…お前は魔女を倒したいか?」
僕は虚空を見つめ続ける瑠夏に、そんな質問を何気なくしてみる。
本当に、何気なく、ほとんどの感情の起伏を発生させずに発した言葉だった。それでも、その話題が瑠夏に熱を与えるのにはそうそう難しい話ではなかったようだ。
瑠夏は、自分自身の腿のあたりを握り潰さん勢いでぐっと掴み、声を上げて泣き始める。
そして、慰めの言葉も思いつかない僕は、そっと瑠夏の頭を抱き寄せた。
――――それしかできなかった。
※※
泣き疲れたのか、瑠夏はその後倒れるように眠り込んでしまったので、僕はそそくさと足早に病室を出た。
病室を出る直前、看護師さんが僕に何か声をかけようと手を伸ばしていたが、そんなことにすら目もくれず、病院を出る。
そして、駆けた。
しっとりと雨が降り始める。
外気がだんだんと冷えてきたことで、僕の吐く息の温度が、より一層高く感じる。じんめりと気持ちが悪い。
母と弟が魔女に殺され、父親は脳死状態。妹も入院送り。
そして、その状況を作り出したのが緋色の
正体さえわかれば、仇を取れると考えていた僕の浅はかな考えは、見事に玉砕することとなった。
そんな絶賛傷心中の僕は、冷たい雨に降られることで、頭を冷やすことにした。
昂った怒りを、洗い流すために。
「魔女なんか……消えてしまえ。」
ただひたすらに、切実に思う。
しかし、現実はこんな僕にも刃を向けてくる。
心をずたずたに引き裂かれた僕にすら、鋭いナイフを向けてくるのだ。
とことん運命とかいうやつは、僕が嫌いらしい。でも大丈夫。僕も大嫌いだから。
ぴちゃりぴちゃりと、いつの間にかできていた水たまりを踏み潰しながら、雨の街を闊歩する。
その行為は、なんだか世界すらも踏み潰してやっているように思えて、少しだけ気分が良くなった。
「うぉぇ…」
雨の音に紛れて、明らかに大きな吐瀉物の撒き散らされる音が響いた。
今この場に誰もいなくてよかったと、ひたすらに思っていると、さらなる吐き気が僕の腹を蝕む。
でもこれくらい許されてもいいではないか―そう思うのは、傲慢であろうか。
やがて、思考もまともに働かなくってきた頃に、僕は吐瀉物に塗れた顔と手を、無意識に地面に広がる水たまりで洗い流すと、ふと、鼓膜に響く音を察知した。
「―――――」
それは、雨の音にかき消されるほど、小さな声で、耳をしっかりとすまさなければ拾えないくらい、小さな音だった。
「――――て」
「………………」
「――――けて」
「あ」
「助けて」
足が動いた。
考えるよりも早く、僕はその声のする方向へと足を動かしたのだ。
あれだけ人の心がわからないと宣っていたこの僕が、人の救いを求める声に反応するなど、どういう風の吹き回しだ、という話であろう。
そんなこと、僕が一番知っている。
家族を初めて失ってわかったこと。
それは僕が、僕の思っている以上に人間であること。
そして、今この声を聞いてわかったこと。
それは、僕が僕の思っている以上に、お節介好きだということ。
冷たい雨が、顔を突き刺すように降ってくるが、そんなことは気にせずに、僕はとにかく足を進めた。
そして、声のした路地裏までやってくると、そこには声の持ち主が倒れているのが見えた。
何があったのか想像もつかないが、そこには大きな血溜まりができており、雨の影響で、じんわりと小さく小さく広がっていっている途中だった。
また、その血液の持ち主であろう少女は目を疑うほど美しい銀髪の持ち主であった。
危うく見惚れかけていると、再び「助けて…」というか細い声が。
それで我に帰って僕は、急いで少女を抱き抱える。
「……おい!大丈夫か?」
首を支えるようにして、声をかけるが、未だ目は閉じたままで、頭からは、溢れんばかりの血液が激流のように押し寄せてきていた。
「お、おい!本当に大丈夫か!?」
すると、その声が耳に触ったのか、少し顰めた顔をした少女は、小さく瞳を開くと、僕の存在を認知した――かと思えば。
「人間……今はそれで良いか…贅沢は言っておられん。」
と、何やら不吉なことを口にし始めた。
「ど、どうした?病院まで送るぞ」
「いや、それは…遠慮しておく」
「…………でもこの傷じゃ…」
「大丈夫じゃといっておるじゃろ……それより…本当にもう意識が途切れてしまう……奪うぞ」
奪う?なにを………
その瞬間――その目の前の傷だらけの銀髪の少女は、僕の唇に顔を寄せると、やたらと鉄臭いキスをしてきた。
何が起きたのか理解が追いつかなかった僕――だが、それを待ってはくれない彼女は、その後も僕の口内で舌を暴れさせていた。
目の回りそうな勢いでそんなことが繰り広げられてからか、僕の頭は真っ白で、思考のピースがうまく繋がらず、言葉も行動も何もできずに、ただされるがままになっていた。
なるほど。奪うというのは、僕の行動や意識のことだったんだな。
そう納得した刹那、僕の唇から口を離したその少女は、唾液のアーチを舐めとると、やや上気した頬をしながら、僕の胸元あたりに顔を埋めてそのまま倒れてしまった。
対する僕は、その少女を抱き抱えながらも、今起こった状況の整理に追われていた。
結果的にこのあと僕は、数十分の間はこうして、雨の中思考を巡らせるわけだけど、どう足掻こうが、その少女の真意が読めなかったので、諦めて家へ向かった。
※※
雨に降られた僕の衣服は、まるで鉛のように重く、全ての行動が億劫になってしまうほどであった。それに加えて、今の僕は見ず知らずの少女を担いでいるのだから、合計重量はかなりのものだ。
それから僕は、重たい衣服を脱ぎ、濡れた身体と髪をバスタオルで拭いてから、黒いスウェットを着た。
そして次にするべきは、この少女の扱いだけれど、これって服脱がしたりするのは犯罪になるだろうか。いや、犯罪云々の話をするのであれば、家にこうして連れ込んだ時点でアウトなわけなのだが、それは緊急事態ということで見逃してもらいたい。
そんな、誰にしているのかもわからない言い訳を並べていると、死んだように意識を手放した少女が、息を吹き返すように目を覚ました。
「……身体は無事か?」
目を覚まして、よく分からない場所にいるのも怖かろうと思い、声をかけてみたのだが、よくよく思い返せばいきなりキスをされた僕の方が怖かった。
しかし、そんな僕の気持ちを気にする様子もない彼女は
僕のそばにじりじりと近寄ってくるのだった。
「な、なんだよ。」
「………………」
じーっと僕の顔を見つめながら、その少女は赤ちゃんみたいに這いずりながら近寄ってくる。
「別に、僕はお前のことをどうこうするつもりはないからな?それに、今回だって血だらけで倒れてたから助けただけだし……変なことはしてないぞ」
こうして捲し立てるように言葉を並べると、たとえそれが本当のことであっても、信憑性が薄れるのは何故だろうか。
そんな僕の疑問は拭えないまま、このおかしな状況は続く。
そして、とうとう僕は少女と、息のかかりそうな距離まで接近した。
しかし、そこから何が起こるわけでもなく、しばしの沈黙の中、僕は少女と視線をかち合わせていた。
だが、それもほんの少しの間のことで、やがてその沈黙は彼女によって破られた。
「……弱い人間じゃの。」
そんな、いわれのない悪口を浴びせられることによって。
閑話休題。
「貴様じゃよな?わしと『契り』を交わしたのは。」
「契り?そんなもん交わした覚えはないぞ。」
そもそも、僕はあの時何かの書類に、サインをした記憶は無いし、そもそもペンすら持っていなかった。
すると、少女は「違う違う」と呆れるように僕の勘違いを訂正してくる。
「人間の世界じゃ…キスというんじゃったかな。」
「……あれが『契り』?」
「むぅ、人間じゃから知らないのも無理はないが、説明するのも面倒くさい。かといって、巻き込んでしまった側としては、説明しないのは流石に筋が通ってないの。」
と、面倒くさそうに彼女は言葉を続ける。
だが、その前に。
「お前はそもそも何であそこであんな血だらけで倒れてたんだ?喧嘩か?」
こんな少女がするわけない――とも言い切れないので、一応聞いてみたが。
「そうじゃな。喧嘩みたいなもんじゃな。ちょっと旧友とどんぱちして、負けただけじゃ。」
「どんぱちて……」
おおよそ中学生くらいの見た目の少女が使う言葉じゃないが、あの惨状を見た直後では妙にしっくりくるのは何故だろうか。
「まあそんなことは良いのじゃ。そろそろ契りについて説明するからよく聞け」
「…………」
「契りというのは、人間と魔女の間で行われる契約のことじゃ。」
「魔女?」
「魔女。」
「誰が」
「ワシが」
その言葉の意味を理解した瞬間―僕はぞわりと鳥肌が立つのを感じ、部屋の隅に全力で飛び退いた。
そして、精一杯の怒声を出して
「お前……魔女なのか!?」
「そうじゃと言っておろう。」
信じられない。あんなに憎んだ魔女を助けてしまったなんて。
「くそ……」
すると、魔女は少し寂しそうな表情を浮かべながら、僕にこう尋ねてきた。
「……魔女は嫌いかの?」
「そんなもん当たり前だ。大っ嫌いさ。最近、
「……またルーファか。」
「ルーファ?」
「貴様ら人間が、
コテンパンに負けた――それもついさっきということは。
「お前が血だらけで倒れてた理由って……」
「ああ、ルーファと少し喧嘩してたのじゃ。」
魔女の少女は、あっけらかんとそう言うのだった。
僕はその平静すぎる彼女の姿に、僅かにたじろんでしまう。
「でも、喧嘩なんで…なんてしたんだ?」
こんなこと、聞かなくてもいいことだ。むしろ、憎き敵である魔女とこれ以上会話を続けようとするのは、馬鹿のやることだと、僕は自覚している。
それでも、僕は尋ねずにはいられなかった。
何故かは知らないか、この魔女となら、会話してやってもいいと思えたから。
と、僕がそんなことを考えていたら、魔女はどこか遠くを見つめるように語り出した。
「止めようとしたんじゃ。これ以上、人間と争うのはやめようと。じゃが、説得は失敗に終わった。それに、ルーファだけじゃない。他の七色の魔女にもわしは、説得を試みた。まあ、わしを半殺しにまで追い詰めたのは奴だけじゃがな。」
「………お前が嘘を言ってるかどうかは置いておいて、お前みたいな魔女も居るにはいるんだな。」
「当たり前じゃ。元来ワシは戦うこと自体好かん。じゃからこの争いを止めたいのも、結局ワシのエゴなんじゃよ。」
いい顔はできん――と、やはりどこか物悲しそうに彼女は語るのだった。
「……それで、契りの説明の続きじゃが……いま、ワシと貴様は契りを交わしたことにより、一心同体のような関係性になっておる。」
「一心同体?」
「ああ。わしはさっき、
なるほど、ならば、体がさっきから痛むのはそれが理由だったわけだ。
それにしても。
「能力が半分使えるって……僕がお前のいわゆる」
「魔法が使えるってことじゃ。」
「…………!」
魔法――あれだけ欲した、僕が欲した力。
それが今、僕の手の元に……。
「じゃが、馬鹿なことは考えるな。魔女を恨んでいる貴様のことじゃから、力を得たあと、何をするのかおおよそ予想がつく。復讐はやめろ。それほどまでに、今の
魔女が強いなんてことは、百も承知だ。
そして、僕がこの力を得たところで、勝ち目がないことなんて鼻からわかっている。
なんせ、
「でも………」
「?」
「なら、僕のこの気持ちは――どう鎮めればいいんだ。」
この怒りは…何にぶつければいい?
黙って、このまま時間に身を任せて、忘れるのを待てっていうのか?
「そんなの……僕には無理だ…」
「あいにく」
「……………」
「わしは、人間の感情は、あまり理解できん。わしは魔女じゃからな。じゃが、わしが生き残るがために、貴様の体を巻き込んでしまったのは、申し訳ない。それに、貴様は一応、わしの命の恩人であるわけじゃ。」
「………」
「それでも、わしの力はわしの力じゃ。そして、貴様の体は貴様のものじゃ。貴様が死ねば、わしも死ぬし。わしが死ねば、貴様も死ぬ。いわば、運命共同体とかいうやつじゃの。じゃから、お互いがお互いの同意なしに命を投げ打とうとするのは、最悪の行いじゃ。」
「………なにが……言いたいんだよさっきから。」
魔女は、「まだ分からないのかの?」と、僕を嘲笑した。だが、それが変に嫌味になっていなくて、怒りは生まれない。
「つまり、意見と利害が一致すれば、わしらはお互いの目的を果たせるのじゃないのかの?」
「………じゃあお前の目的はなんなんだ。僕は言うまでもないと思うけど、
「くくっ……他の七色の魔女が聞いたら笑いそうな内容じゃ。じゃが、青臭くて良い。――して、わしの目的じゃが。」
魔女は弛緩した表情を引き締めると。
「魔女と、人間の争いを断つことじゃ。」
そう言った。
魔女が、そう言ったのだ。
僕は、正直、このまま死ぬまで、人類は魔女に怯えながらも敵対していくのだろうと思っていた。
そして、いつかは対抗する力もなくなって、滅ぼされるのがオチだと、てっきり思っていた。
だが、和平という道があるのなら、それを取らないわけはない。それでも、
「………わかった。和平を……僕も望もう。そのために、僕はお前に生きる力を。お前は僕に、戦う力を貸してくれ。」
「………わかっておる。わしも
魔女を殺すのを手伝う代わりに、魔女と仲良くするのを手伝ってくれって………矛盾した契約だ。
だが、僕は思う。
人に仇なす敵を排除すれば、待っているのは平和だ。
だから
「………あ、雨上がったじゃん。」