第1話

文字数 2,054文字

 ボクはこの春、私立の男子校を四百万円で卒業した。
 成林学園っていってね、君も名前くらいは知ってると思うけどさ。出版されている「学校案内」の本で、あそこの広告が載っていないのがあったら、是非とも送ってくれよ。お礼は弾むからさ。―幼稚園から大学までの一貫教育を目指して―とか、何とかね。まるで「ゆりかごから墓場まで」ってなもんさ。もっともボクがこの学校に厄介になったのは、去年の春からだけど。持参金付きでね。その前は、村森学園っていう、やっぱり私立の高校に行ってたんだ。と、言うよりは学籍があったってのが本当のとこだな。多額の寄付金を置き土産に、退学と引き換えに、何とか高2の単位をもらった。
 一年の時は、都立の京橋高校にいたんだ。この学校は傑作だよ。毎年三月の終わりに、八十人以上の新二年生を欠員募集するんだ。毎年だよ。二年の始業式に、バイクで乗り付けて、煙草に火をつけたら、クビになったっけ。体育担当のゴリラみたいな教師に、思いっきりひっぱたかれた後でね。奴さんボクが思ってたほど、馬鹿じゃなかったな。ボクが退学した後じゃ傷害罪になるって、わかってたもんな。ちゃあんとさ。
 親父は、それでも、校長をなだめすかして、おそらく知り合いの都議会議員の口利きと、いくらかつかませるかして、転校手続きを推薦状付きで手に入れた。
 ボクとしてはさ、学校なんかどうでもよかったんだ。でもさ、ボクが学校を追い出されるたびに、親父は悲しそうな目でボクを見るんだ。咎めるんでも、呆れるんでもなく、ただ、悲しいって感じでさ。やりきれないよ。殴られたほうが、よっぽどマシだ。お袋は、泣くばかりで口をきこうともしないんだ。気が滅入っちゃうよ、まったく。
 ま、そういうわけで、一応、高卒ってことになってんだ、ボクは。授業料やなんかの他に、軽く一財産かかってんだろうな。とにかく、親父はそれくらいの金持ちではあるわけだ。
 それから親父はボクを、高田馬場にある予備校に押し込んだ。今回は、正当な手段でね。高校時代に覚えたのは、酒と煙草の味だけだな。で、今は早稲田学院に籍を置いているわけだけど、一度も顔を出してないんだ。毎朝、決まった時刻に登校と称して家を出るんだけどさ。そうしないと、お袋が心配するからね。あまり心配させたくないんだよ。ボクは優しいんでね。心優しき道楽息子ってとこかな。で、有り余る小遣いで喫茶店をハシゴして、一日中口から煙を吐いてるってわけ。アメリカの小説かなんか、読みながらね。
 ボクは翻訳したやつってのは好きじゃないんだ。翻訳家ってのは原作をインチキなものにしちまうんでね。嘘だと思ったら試してみなよ。同じ原作を違う翻訳家の翻訳本で読んでみなよ。天と地ほどの差があるから。
 ボクはアメリカ人じゃないから、米語は半分も理解できないけど、翻訳家なんて、十分の一だってわかっちゃいないんだから。わかろうとしているのかさえ疑問だよ。それに、翻訳本が出てる本てのは、向こうでそれなりの評価をされたものだけだろ。人が「いい」って言ってから読むなんて、インチキじゃないか。で、ボクは手当たり次第、ぺーバーバックスを買い込んで、面白いのだけを読み切るんだ。ま、一冊でもみつかれば、ラッキーかな。日本のやつもたまに読むよ。推理小説なんかをね。暇つぶしにはなるからね。もともとボクは暇つぶししかしない人間なんだ。古典は沢山読んだな。教師やなんかに強制されたのも含めてね。高2の時の古典の教師がさ、『源氏物語』の熱烈なファンでさ、一生懸命に勧めるんだ。あいつはちっとはマシだったな。もともとボクは女性には点が甘いからね。トシをくってたってさ。で、読むには読んだんだけど、ボクは光源氏みたいな奴は大嫌いなんだ。虫唾が走るよ。奴は実のところ一人の女だって愛しちゃいなかったのさ。愛してたのは自分ひとりだけなのさ。とんだナルシストの話だよ。
 高三の時の担任は―こいつも古典担当なんだけど―『枕草子』を絶賛してたね。ボクはあの自慢話を読むとケツがムズムズしてくるんだ。考えてもみろよ。あれが現代文でさ、それを読まされたらどう思うか。あんなこと言う奴が、もし、もしだよ、ボクの前に現れたら、横面の一つや二つ張り飛ばしてやりたいね。でも、きっとボクにはできないだろうけど。何しろボクは女性には弱いからね。「君の髪はきれいだね」なんて言っちゃうんだろうな。またく女性にかんしては、ボクは形無しなんだ。それは認めるよ。
 ボクが古典で気に入ったのは、『虫愛ずる姫君』だな。あんな娘がいたらおもしろいと思うよ。ちょっと爽やかだね。ま、それだって、とんだブルジョワジーなんだけどさ。もし彼女が、貴族のお姫様じゃなくて、農民かなんかだったら、虫を集めるどころの騒ぎじゃないと思うんだな。きっとさ、あの姫君のまわりの農民は思ったんじゃないかな。自分たちは、明日の飯にも事欠いているのに、何が虫だ、こん畜生!ってね。それとも、そんなこと考える元気もなかったのかな。

 
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