第11話 旅考

文字数 2,020文字

 まる蔵もおちひも旅が大変に好きである。

 まとまった休みが二人で取れると、日帰り・泊りのいかんを問わずに遠出をするのが習慣であり、それが生きがいとなっているようだ。よって、ちょくちょくわたくしを置いてけぼりにして、二人でいなくなる。そのたびにわたくしは、大好物のおちひ特製卵焼きを食いそびれるのだからたまらぬ。

 それはさておき。

 旅先や日程を決めるにあたって、この二人には暗黙の約束ごとが三つある。

 一つは、「お互いが興味がある場所」である。これに関しての嗜好は二人とも共通しているために、まず揉めることがない。片方が寺社仏閣を希望しているのに、もう片方が大型テーマパークに行きたいというような、重大な齟齬は発生しないのだ。そもそも、四十路手前にしてすでに「枯淡」の境地に一足を踏み込んでいるこの二人。繁華街や人工的な夢の国などの、ひたすらけばけばしく、上っ面の幸福のみを押しつけるような能天気な場所には、最初から足が向くことはないのであった。
 
 もう一つは、「時間・体調に無理がない」こと。例えば仕事終わりの休前日の夜中に出発する、例えば訪問地をあれこれ詰め込んで帰宅が深夜になる(ちなみに翌日は平日である)、などである。時間的な無理は、すなわち、肉体的に支障をきたすことに直結する。体調不良の状態では、本来素晴らしいものでも曇って見えてしまうだろう。それでは旅先の土地に失礼である。ゆえに、当然ながら「月の障り」も含め、体調のよいときにしか旅には出ないことを徹底している二人なのである。
 さらに、欲張って短時間であっちこっち巡っても、それらの場所の印象は案外残らないものだという。それではつまらぬだろう。

 最後の一つは、「人で混まない」ことである。これは二人が大変に重んじていることのようだ。

 二人とも「人混み」が大嫌いなのである。
 さらにいうと、「人混み」の中で「他人の悪意」に触れることに辟易しているのである。

 まず、せっかくの名勝・景勝地でも、人混みの中では何をするにも不自由で、満喫できぬ。結果的に、その場所に対して悪い印象を持ってしまうことになろう。それではやはりつまらぬ。
 そして、人が多いと必ず不快な思いをする。雰囲気を壊す行為(大声ではしゃぐ・規則に従わず勝手をはたらく・静寂の中で放屁するなど)を平気でする愚か者。環境を汚す行為(ゴミを路上に捨てる・樹木や建物を傷つける・唾を吐くなど)をしても良心が痛まぬ愚鈍な族。おちひもまる蔵も、そういった人間たちにまみれるつもりは毛頭ない。
 「だったら、行かぬ。」
 徹底してこの信念を貫いているのである。

 ここに上げた条件を勘案すると、旅先の選択肢は限られてくる。遠方の有名な一大観光地などはまず無理であろう。近場であっても全国的に名をはせる場所は同じく難しい。それは本人たちも、もちろん承知している。事実、二人の旅遍歴を振り返ると、そこに有名観光地の名は一つしか顔を出さない。
 二人で訪れた唯一の有名観光地は、武家屋敷通りが有名な、秋田にある「みちのくの小京都」である。趣ある町並みの静謐さを味わうべく、馳せ参じたのである。
 
 結果は、散々であったという。

 武家屋敷通りの景観は素晴らしく、訪問したのは秋であったが、春夏秋冬それぞれの表情を見てみたいと思わせるほど、美しかった。しかし……
 そこでは、景観にそぐわぬ下品な亜細亜人が大勢闊歩し、騒ぎ立てていたという。派手な色で着飾り、食い物片手に「ふにゃふにゃ」大声で喋りながら。せっかくの雰囲気を台無しにする数々の振る舞いに二人は気分を害し、口数少なく早々に立ち去った。
 この一件があったため、二人の足は有名観光地には向かなくなったのである。

 そもそもこの二人が旅をする理由は、誰かに自慢するための、今でいう「映える」ための、観光地での見栄を張った豪遊などではない。
 
 ただ、「感じる」ということをしたいのだ。
 
 美しいもの、独自の哲学があるものを見て、接して、「気づき」を与えてもらい、新たな「心の糧」を己の中に取り込みたいだけなのである。

 よってこの二人は、自らの価値基準・判断基準をもとに選び抜いた、「鄙びたひっそりとした場所」に、自らもひっそりと出没するのである。旅先の飯も宿も、質素であって一向にかまわぬ。「華がない旅行」と言われようが、勝手に言わせておけばよいという気構えだ。

 この信念を前提に、二人の「旅三原則」を見直してみよう。まず、訪問地の有名・無名は関係なかろう。肉体的に万全の状態で訪問したいというのも頷ける。さらに、「感じる」ためには、他人の行動に気を取られている暇はない。沈思黙考するためには、人混みにまみれるわけにはいかぬのだ。
 
 他人から見れば、なんともつまらぬ、味気ない旅に思われるかもしれぬ。この二人の旅は「歓楽に身を委ねる堕落の時間」ではなく、いわば「精神修養」に近いといえよう。

 
 

 
 
 

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