握る

文字数 14,341文字

 その4 にぎる
 
 「昨日おごったんだから、今日はおごってくれよ。勢い付けて今日の昼、熟デリ呼んだから金がないんだよ。いいだろ、タチバナ。」
 店は遅い時間になって少しお客も減ってきた。中学生の姿は一人もいなく、いつもの静静けさを取り戻しつつあった。というよりか、今日の夕方になって明らかに客の数が減っていた。客の入を見越して多めに仕込んでしまった廃棄される運命を辿るであろう材料が山ほどあった。それを集めて野良犬に餌をやるように助川に料理を出した。
 「なんだこれ、トマトがやけに多く乗っているけど、あれか、俺の健康気遣ってくれてるのか、さすが長年の付き合い、ご飯も大盛りだし、千切りキャベツの野菜炒めか、うまそうだな。感謝するよ。」
 カット野菜の持ち越しは禁止されている。しかし、捨てるのも忍びない。考えようによっては、助川も役に立つ。ハイエナのごとく汚い食べ方をするが、豚のようになんでも食べる。一方助川は、余りものを出されている事に薄々気がついていたが、タダなので文句は言わない。というより、自分から野菜をお金を出してまで食べていないので、たまに食べる野菜は新鮮に映り、食欲が増す。健康とは程遠い生活を送っていたので、健康に良いと言うイメージの野菜をたくさん食べることによって。精神的にも「野菜を食べた。」という安心感も得られるので、願ったり叶ったりといったところだった。
タチバナも休憩兼ねて助川と同席する。タチバナは仕方ないように野菜を食べる。出どころの分からない野菜は色々な長い経路を経てここまで来たせいで、微妙に臭う。だが、腐らせると申し訳ないので、これは、いただきますから始まる供養みたいなものだと思い口にする。決してうまいとは思わないが、だからといって無下には出来ない。
「それでさあ、今日来たお気にの熟デリ嬢なんだけど、安っぽいけど、素地は綺麗で、しかし愛想がないんだよ。でも、追加払うとなると、なんでもしたな。最高なのは・・」
タチバナでさえ聴くに耐えないゲスな蛮行を助川は嬉々として大声で話す。その話声が店内に響く。店内を回る広瀬は助川の姿を見かけると嫌悪感だけが湧き上がった。こうなると無条件で、向かいに座るタチバナも同罪とされる。席に座って丸い背中の醜い豚が餌をあさっているようにしか見えない。お客が引いていったのもそのせいかもしれないと広瀬は思ったが、実のところ、原因は他にあった。だが、まだ店内の誰も知らない。
タチバナが耐え切れず仕事に戻ると、助川はすることもなくドリンンクバーを何杯も飲みながら店内でスマートフォンをいじっていた。客は数人、常連の谷川が一人で陣取り、あとはパート仕事を終えた主婦四人がドリンクバーで粘って、職場の愚痴で盛り上がっている。もう時計は十時を過ぎようとしていた。タチバナはソワソワし始めていた。そろそろ吉山親子が来る頃である。ゼブラが残さず食べた、それを吉山が少し感心した感じだった。という情報が広瀬からタチバナに入っていた。ただし、その情報は、広瀬の脚色が入っていた。実際のところは吉山に何の反応も無かったのだが、ゼブラの方は機嫌良く帰っていったので、おそらく家で巻寿司をねだったのではないかという希望的観測から「感心していた。」という創作された感情が盛り込まれていた。そんなことを知らないタチバナは表情崩さず「そうですか。」と答えるのみで内心は何らかの反応を期待していた。
そこへ吉山親子がやってくる。自動ドアが開き、その音に反応した客が吉山の方を見る。目があった。その客は一瞬驚き、次にこれ以上ないぐらいのイヤラシイ笑い方をした。吉山は驚きの後、焦りと怒りを交えた表情を抑え目で浮かべ、愚図るゼブラを引っ張って、店から出て夕闇に消えていった。一瞬の出来事を折詰めの稲荷寿司を抱えたタチバナはじっと見ていた。何が起こったんだろう?どういうことだろう?案外理解できているが、それは見えないように握り締めて、分からない、いや、関係ないことのように飲み込もうとしていた。
「おい、タチバナ、さっき、入ろうとした女いるだろ、あれ、今日の昼きた熟デリ嬢。あいつ子供いるのに、あんなことしているんだな。俺の顔見て逃げていった!」
真実は残酷である。助川の下衆話が、タチバナの脳裏に立体的に浮かび上がる。顔が分かってしまうと、消そうとしても鮮明なイメージとなって描き出される。はじめから吉山に対して健全なイメージを持っていなかったので、どんなことをしていても構わないはずだったが、身近な助川が関わったことで、あまりにも生々しいものになってしまい、まるで、炊き立ての真っ白なご飯の上に痰を吐きかけられたような最悪な気分がした。
「悪いけど、帰れ。お前はクズだ。あの親子はここでよく食事しているんだ。」
吹きすさぶ怒りの嵐、その隙間にタチバナはゼブラが笑いかけようとした顔を思い出した。それが、どうしようもない罪悪感を生む。自分は悪くない。と自身に言い聞かせるが、ハッキリとした自信が無かった。言われっぱなしの助川は「何が悪い!俺は金を払っているんだ!お客様は何したっていいんだよ!」と言い返してやろうかと考えたが、タチバナの雰囲気が尋常でないことを感じ取って、黙って店を出た。ただ、日を置いて、また来ようとは思っていた。
タチバナの剣幕に押されて助川が出て行った後に主婦グループも空気が悪くなったからと続いていそいそ出て行った。たった一人、谷川だけがお客として店にいる。
「広瀬ちゃん、どうしたもんかね、今日は客がいなかったねえ。」
「そうなんですよ。でも、たまにはこんな日もあっていいんじゃないんですか。」
そうは言ったものの広瀬も夕方から十時過ぎにかけて、ここまでお客が少ない日を体験したことが無かった。もしかして、店の外では戦争でも始まってみんな非難しているのかもしれない。ここにはテレビもラジオもないから情報が来てなくて、そのうち警官が入ってきて「なぜ、まだここにいる!急いで避難して!」なんて言うかもしれない。そう考えてみたが、サイレンもなってなかったし、通りには普通に車が走っている。谷川は自分しかいない状況に少し満足していた。これなら広瀬に対していつもより話しかけやすい。
一方で、タチバナは敗北感のようなものを抱えて家に帰った。助川から携帯電話に着信があると気分が悪いので、音を切っておいた。そして言いようのない不貞腐れと心中する勢いで泥のように眠った。その間、携帯電話は無音のまま何度も着信で暗がりの中、光り輝く。夜通しかけての着信履歴は六十回を超えていた。
朝早く家の扉を叩く音がした。タチバナはその音で目が覚めたが、今日は午後からの出勤だったので、もう少し眠ろうとしていた。
「おい、タチバナ、生きているか!田村だ。おい、早く出ろ!」
その声にタチバナは急いで起きた。グリルドファミリアの上司、この地域のSV(スーパーバイザー)である田村の声だった。田村は体育会系の大きな男で、タチバナより十才年下だが、責任感、貫録もあり、給料も倍近く貰っていた。タチバナはそんな田村が苦手だった。
「はい、今起きます。」
着替えようかと思ったが、早く出たほうが得策だと思い、スウェット姿で玄関を開けた。
「おい、なんで電話でなかった?本部からも俺からも何度も鳴らしただろ?寝ている場合じゃないんだ。早く着替えろ。すぐに店に行って、バイトを全員集めろ。もちろん俺も行く。大変なことになっているんだ。」
 「えっと、何かあったんですか?」
 「知らないのか?まあ、知らないから呑気に寝てたんだろうな。もしかしたら、電話に出ないのは、責任感じて首でも吊っているのかと思ったけど、違ったみたいだな。いや、本当に生きていてよかったよ。準備出来たらすぐに店に来い、俺は先に行ってるからな。逃げるなよ。」
 田村が去った後、タチバナは何があったのか考えてみたが、思いつかなかった。助川の猥談が問題になるなら、もっと性質の悪い客はいくらでもいるし、中学生が店に集まっていることが問題になるなら、マクドナルドをはじめとするファーストフードは日本から無くなる。考えられるのは食中毒だったが、冷凍のものに火入れするだけの調理なので、もし、何かあれば、うちの店だけじゃなく、日本各地にある百五十六店舗全部に及ぶはずだ。いや、まさか、ゼブラに出した巻寿司が問題だったのだろうか、いや、違う、吉山が助川と自分が仲良く話しているのを見て、腹を立てて、言いがかりをつけてきたんだ。やはり、勝手なことをするべきではなかった。親切心があだになった。いや、下心から始まったのだから、仕方ないのかもしれない。色々分析を試みて、答えらしきものを見つけたつもりでいるが、現実はタチバナの想像を超えていた。
 今日はいつもより早番で八時出勤の加賀美は、愚図る鉄馬を保育園に預けて車で店に向かっていた。昨日の夜は鉄馬が中々寝ずに、寝かしつけでくたびれて、テレビも見ることも出来なかった。朝八時と言う出勤は少し大変だ。洗濯も出来ないし、朝食の片づけも中途半端で出ていくことになる。まあ、昼までなので、文句も言えない。今日は昼を食べて帰ろう。従業員価格で安く食べられる。何にしよう、ドリアかな?そう考えると少し楽しくなってきた。ところが店の近くになると渋滞が発生していた。なにやらカメラを持った人が数人いる。事故でもあってテレビが来ているのだろうと思ったが、マイクを持った人が店の入り口で何か説明していて、カメラで撮影しているようだった。まさかお店で事件でもあったのではと思い身構えるとコンコンと車の窓を叩く音。驚いて外を見ると先日の中学生三人だった。
 「あっ、やっぱミラー姐さんだ。あの店、マジ大丈夫?」
 「おはよう。何かあったの?」
 「えっ、知らないの?姐さんヤバし。」
 「テレビ見てないの?俺、勉強せずにテレビ見てたし。」
 「テストきてるし、でも、ミラー姐さんの店、もっとキテるよ。」
 「ちょっと、何があったのか教えてよ。昨日テレビ見てないの。」
 「ツイッターに馬鹿投稿した人いるんでしょ。なんか、裸でハンバーグ体中に乗せててキモかったんだけど、焼くから大丈夫?」
 「なにそれ?あの店のことなの?」
 「てか、今日は姐さん、休んじゃいなよ。どうせ営業停止だし。テレビで言ってたよ。店から連絡なかった?それこそヤバいね。あっ、車進んだよ。がんばってね。」
 もう少し情報が欲しかったが、車列のルールに逆らうことは出来なく、仕方なく車を前に進める。店の入り口まで来てウインカーを出そうかと思ったが、結構な数の取材陣が来ていて入れそうになかった。それに、入ることが躊躇われた。建物は同じだが、景色がまるで変ってしまい、何か毒でもばら撒かれて、汚れたような印象を受けた。店の前でインタビューを受けている人がいた。常連の高間だった。
 「この店は、よく利用させてもらってますが、サービスに問題はありました。学生とかがうるさくて、私たちのようなちゃんとしたお客が、もう少し静かにならないのかとお願いしても、なんの対応もなく、いい加減なところがありました。ええ。だから厨房でも非常識なことが行われていても、まあ、あり得るのかもしれませんね。」
 したり顔でインタビューに答える高間はオピニオンリーダーとして胸を張っている。正義は我にあるといった感じで得意げだった。そんな様子を野次馬的に車列のドライバーたちが眺めている為に車はナメクジのようにしっとりノロノロ進む。加賀美はそこにある危機を理解した。とにかく早くここから離れたかった。だが、最悪なことに運転席から高間と偶然に目があった。
 「あいつです、あいつはここのウェイトレスです。」
 犯罪者を断罪するように大声で高間が叫び加賀美の車を指した。カメラは一斉に加賀美の方を振り返る。カメラの黒い目がすべてを見透かしたように加賀美を狙う。加賀美の胸に黒いものが飛来して、頭の中は真っ白になった。ゲリラ豪雨に襲われたように、とにかく早く通り過ぎればいいと焦ったが、車列はさらにゆっくりと進む。着いて来いよと言わんばかりに高間が報道陣を引き連れて加賀美に向かって歩き出す。加賀美はハンドルを握りしめる。心臓が飛び出るぐらい脈打ち、嫌な焦りが募る、車列構わず思わずアクセルを踏みしめようとしたとき、加賀美の車の前に壁が出来た。中学生三人が立ちふさがったのだ。彼らは加賀美に向かって一瞬笑って振り向くと、ありもしない正義を振りかざす大人たちに立ち向う。報道陣は戸惑いながら中学生にマイクを向ける。
 「何かあったんですか、そこの店はいい店だし、何かのまちがいだし!」
 「イエーイ、これテレビ?」
 「いま、俺たちテスト週間だし。」
 三人の行動に報道陣は一旦止まり、その隙に車列は進み加賀美は店の前から逃れることが出来た。加賀美はほっと胸を撫で下ろし、男気ある三人の中学生に言いようのない深い感謝をした。それから、自分の息子たち、春馬や鉄馬が、大きくなったら、あんなふうに男らしく立ち振る舞って欲しいと願った。
 その五台後ろにタチバナの車はあった。見覚えのある加賀美の車がうまく素通りしたのを見て、悩むことなく自分も素通りすることにした。
 「あっ、店長だ、ここの責任者が来た!あいつです!」
 一度は逃したが、次は逃すまい。高間の執拗な社会的正義感は、つぎの生贄を逃さなかった。タチバナの車に向かって報道陣が動き出す。店長なら構わないだろう。黒い目が近づく。集団は狩のようにタチバナを追い詰める。タチバナは顔を沈めて、なるべく映らない様に小さくなったが、車のそばまで来た報道陣は窓にマイクを押し付ける。
 「すいません、ここの店長さんですよね?なぜこのようになったか、説明してほしいんですが、ちょっと、車を停めてもらえませんか!窓開けてください!食品の安全に関してどのような管理を行っていたんですか!従業員への教育はどのように行っていたのですか?マニュアルはどうなっているんですか?」
 よくもまあ、次から次へと聞くことが浮かぶものだとタチバナは思いながら、こんなに騒ぎが大きくなるなんて、いったい何があったのだろうかと考えていた。高間は何を思ったか、タチバナの車の前に飛び出した。急いでブレーキを踏んでぶつかることはなかったが、もう、前には進めそうになかった。腹が立ったのでクラクションを鳴らしたが、それがスイッチになって、同時に沢山のフラッシュを一斉に浴びることになってしまった。まばゆい光の連続がタチバナを追い詰める。仕方がないのでウインカーを出して車を駐車場に向けた。すると報道陣は、そういったマニュアルが存在するかのように一斉に道を開けた。タチバナは一気にアクセルを踏んで裏口までタイヤを鳴らして車を走らせ、車から出て裏口のカギを開けて店の事務所に入った。その様子は、悪意を持って編集され、まるでタチバナは犯罪者といったイメージに作り上げられ、後日、何度もテレビで流された。
裏口から事務所に飛び込むと、ドアのカギを後ろ手で締め、リモコンキーで車のカギを閉めた。締め出す音に、ドアの向こうが一気に騒がしくなった。だが、邪魔者は、これで入ってこれない。
 店の中は、これまでに見たことがないほど静まり返っていた。明かりの消えた店内は薄暗く影が伸び、厨房のグリルコンベアはかつての活躍が嘘のように、熱を失い、もはや埃を被った産業廃棄物のように意味を失っていた。これは死んでいる。その印象がタチバナに深く刻み込まれる。外のざわめきが少し聞こえていたが、目の前に音は無く、色は失われ、空気さえその対流を失っていた。タチバナはその中で、時計を見失い、ぼんやりとして、棒きれのように突っ立っていた。
 外のざわめきが増したと思ったら、鍵を回す音、ドアが開くと雪崩のように雑音が入り込んできたが、タチバナのそばに音が届く前にドアによって打ち切られた。
 「あいつらも、ご苦労だな。すぐに群がってきやがる。昨日の夜のニュースで映像が流れてから、すぐに店を締めようと電話したけど、お前は出なかった。仕方ないから夜中の高速道路飛ばしてここまで来たよ。担当エリア広いからな。知ってのとおり俺一人で三十店舗見てるんだ。端から端まで百キロは超える。店に着いたのは一時過ぎだったな。広瀬君と深夜の安本さんが店に鍵して怯えていたよ。変な連中が因縁つけてきて、俺は警察呼んだり、変な連中追っ払ったりして、そのうちマスコミがライトバンでやってきた。とにかく広瀬君と安本さんを無事に帰さないとって、深夜の脱出劇だよ。で、二人は何とか見つからず帰すことができた。で、二人に問題の画像を見せたよ。びっくりしていたよ。タチバナはもう見たか?」
 田村は昨日の朝から全く寝てなかったが、トラブル山積みの冒険活劇のヒーローを演じている最中なので、大いに気が張っていて、カフェインたっぷりの高価なドリンク剤を飲まなくても、あと十五時間ぐらい起きていても大丈夫だった。大きな苦難を乗り越えると、普通の苦難は、些細なことになる。田村は今ここで血まみれの殺人事件が起きたとしてもテレビを見るぐらい冷静に受け取ることが出来そうだった。
 「田村SV、すいません。まだ、何が起こったのかわかってないんですが。」
 タチバナは田村のことを役職であるSVを付けて呼ぶが、決して「田村さん」とは呼ばない。ずっと年下に敬称を付けて呼ぶことはどうしてもできなかった。この後に及んでも、それが最後に残された「意地」のようなものだった。
 田村はカバンからタブレット端末を取り出し、ニュース素材に使われている画像を拡大してタチバナに見せた。タチバナは言葉を失った。画面には、そこにある野菜を切ったり、冷凍食材を解凍したり、皿を並べて盛りつけをする大きなステンレスの調理台に、裸の男が仰向けに寝転んで、体中に冷凍ハンバーグを乗せている様子が写っていた。
 「ここに塚本ってバイトがいるだろう?そいつがツイッターに投稿していたんだ。それが昨日の晩、一気に広まった。インターネットで流れて、ついでに夜十時のテレビで報道。それからファミリア本部にガンガン電話が鳴った。で、結論から言うと、この店は即閉店。どのみち不採算店だったから、いい機会が出来たよ。」
 タチバナは田村の言ったことがうまく理解できないでいた。なんで、塚本はこんな写真をネットで公開したのだろう?どうしてそれが、店の閉店に繋がるのだろう?不採算なのできりが良かった?舌の先が痺れたようにうまく言葉が出なかった。田村はタチバナが落ち込み、これまでの怠惰な勤務を反省する姿を期待していたが、どうやら、そこまでたどり着いてない事を見てとって、知る者としての責任として、再び口を開く。
 「でね、タチバナ、お前の処遇は、店長からクルーに格下げで、関連会社の「すし太大市場」に転籍してもらう。で、アルバイトのクルーたちは、この近くの店に移動、無理なら辞めてもらう。で、問題の塚本だが、会社は損害賠償で訴える事にした。店一つ潰したんだ。ただじゃおかない。で、その説明をするのに皆をこの店に集めて欲しいんだが・・無理だな。まだマスコミが集まっているんじゃあ、誰も来れないな。」
 タチバナは田村がすごく意地悪に見えた。あと、集まってきた連中が面倒だった。感想はそれだけだった。後は何も思い浮かばない。
 「タチバナ、とりあえず、東町店にバイトを集めろ。昼でいい。どうせ、ほかの店も今日は客は少ない。で、その前に塚本のところに行け。なんとしてでも連絡を付けて、こいつで会話を録れ。これ、後で重要になってくる。さあ、ここにいても仕方ない。出るぞ。」
 タチバナは手渡された録音器を握り締めて、振り向くことなく店を出る覚悟を決めた。ドアを開くと光が差し込む。怒号が差し込む。だが、踏み出した世界は、空は高く、世界は果てなく続いている。タチバナは遅い巣立ちを迎えた気になっていた。確かに巣には既に飽きていた。居心地が悪いことも知っていた。しかし、その染み付いた体温が冷えていくことが、タチバナでさえ、やはり、遣る瀬無かった。息を止める。崖から飛び降りる様に覚悟を決める。あとは突っ走るだけ。
 何度か塚本を送ったことがあるので、場所は知っていた。車で十分もかからないところで、訪問者はそのアパート前の公園の駐車場に止めることができる。車の中から塚本の部屋を見る。カーテンは閉まっているが、塚本の原付は駐輪場に止めてある。電話をかけてみる。やはり出ない。メールを送ってみる。
 「おつかれさまです。今回のことで話がしたいので、前の駐車場まで出てきてください。出てこないと、こっちにも考えがあります。」
 五分も待たないうちに返信があった。
 「お疲れ様です店長、すみません、今は出られません。今回のことは、友達同士で投稿合戦をしてて、彼女がスゴイの見せてよって言ってきて、だから、すごいの見せようと思って、服を脱いで、廃棄するハンバーグを体に乗せました。台も終わったら拭きました。僕は悪いことをしてませんが、学校からも厳重注意を受け、両親からも叱られました。お願いです。店長から、捨てるハンバーグだから問題ないと世間に言ってください。このままだと彼女が離れていきます。僕はそれが嫌なのです。」
 返事を読んで、これは話をしても無駄だろうと判断したタチバナはメールを田村に転送した。廃棄するもので悪戯して何が悪い。もし、この理屈が通るなら、死体損壊という罪状は無くなるだろう。役割が終わっても、尊厳は残るはず。こんな当たり前のことが、知らないうちに期限切れになっている。タチバナは世界にはびこる新たな危機を発見した。
 「塚本君、君の言い分は分かった。また連絡を入れる。だが、一つだけお願いがある。あの店は閉店することになった。君の行動が、あの店を無くしたのだ。その事実は深く理解してくれ。あと、連絡は付くようにしておいてください。電話が嫌ならメールでは必ず答えて欲しい。」
 「\(^o^)/了解!」
 タチバナは絵文字付きの返事を見て、虚をつかれ、理解するために学生時代を思い出す。当時、確かに友人からの支持を得たいが為に奇をてらった行動をしたことがあった。だいたいそれは、カラオケボックスでマイクを折るとか、居酒屋の電飾路面看板を蹴って割るとか、放置自転車を投げ飛ばして距離を競うなどの器物破損行為が多かった。あれと同じだろう。だが、今の世の中は暴力が表から排除されている。となると、日常に溢れているものを使って変わったことをする方向に行くのも、仕方ないことなのかもしれない。ただ、タチバナとしては、食べ物を粗末にすることは気分悪く感じる。どうも、程度が低く、幼稚すぎて悲しい。それにしても、写真に撮って自慢することだろうか?タブーを犯すことを勇敢とする考えは、野蛮だ。ただ、野蛮なことに人は興味を示す。タチバナは無駄になった録音器を手に取り、何か試しに話してみようかと思ったが、記録に残すと面倒なことになりそうなので、止めた。
 午後になって東町店にタチバナは到着した。三つ机を並べて、田村が中心に陣取りタチバナはその横に座った。その向かい側に広瀬たちアルバイトが六人並んだ。
 「エリアマネージャーの田村です。では、今回の事故とその対応について説明しようと思います。事の経緯ですが、十一月二十日、アルバイトの塚本賢治がディナーシフトの勤務中に調理台の上に裸で寝そべり、廃棄するはずの百グラムのベースハンバーグを二十個、上半身の上に載せて携帯電話で撮影。それを十一月二十三日ツイッターに投稿したところ、交友関係内にとどまらず、翌週である今週二十七日になって爆発的に広まってしまい、マスコミ等に取り上げられる結果となりました。結果、消費者に不快な印象を与えてしまい、株式会社グリルドファミリアとしては、西町店の継続的な営業は困難と判断して、昨日を持って閉鎖することとなりました。その結果を受けまして、アルバイトの皆様は、ここ東町店での受け入れを考えております。条件等をすり合わせ、可能な方はこちらに転籍していただくことになります。また、今回の事の経緯に関しては、株式会社グリルドファミリアにとっては不利益を生じた出来事であり、事の早期収束を目指しております。よって、マスコミ等、また、ソーシャルネットワーク上でも、今回の情報を一切出さないでいただきたい。インタビューなどの依頼があった場合は「本社広報部に問い合わせてください。」もしくは「よくわかりません。」と答えてください。それでは、練習しましょう。立ってください。」
 広瀬たちはまごついて立ち上がり、お互いをそっと見て、仕方なく前を向いた。田村が歯切れの良い大きな声で、「本社広報部に問い合わせてください。はい繰り返して!」と「いらっしゃいませようこそ。」の来店挨拶練習を思い出させる行動を始めた。広瀬たちは頭では戸惑ったが、体は素直に反応した。
 「本社広報部に問い合わせてください!」
 「よくわかりません!」
 声は揃っており、発音も澱みなかった。タチバナも行動を共にしたが、広瀬たちと同じ事を考えていた。ただ、ひどく懐かしい気がした。皆、入店直後はあいさつ練習をしてきた。声が思ったほど上手く出なかったり、抑揚がおかしかったりするのを体験して、規格通りの挨拶ができるようになった。皆、その練習によって、人前で声を出すことが案外難しいことを知った。その後、新しい人が来るたびに、その人が練習する様を見て、共有する心強さと、マニュアルが刷り込まれていく不思議さを無意識に感じていた。長いこといる広瀬は「よくわかりません!」という練習が胸にこたえた。何時の間にか、拳を握り締めていた。大きな目からはとめどなく涙が流れる。「本社広報部に問い合わせてください!」バカにしているのだろうか?星野もだんだんと腹が立ってきた。それ以上に、情けなかった。全員で三回ほど復唱した。繰り返すほど気分が沈んだ。
 「では、皆さん、席について下さい。質問がある方はお願いします。」
 田村が司会進行し、タチバナは議事録を取る。無言の時間が過ぎた後、流した涙の文だけ気分が落ち着いた広瀬が口火を切った。
 「あの、悪いのは塚本くんだと分かりますが、会社は私たちに謝らないんですか?私と安本さんは昨日の夜、怖い思いをしました。田村さんには助けていただきましたが、その点は感謝してますが、会社に所属して、ちゃんと仕事していて、会社の事件に巻き込まれたのだから、謝ってほしいです。」
 田村は判断に迷った。会社からはアルバイトに対して謝罪しろとは言われてない。もし会社の指示以外のことをして、アルバイトの権限を大いに認める意思表示をしたならば、それが会社に伝われば、今後の評価につながる。ここは何事も無く、すっかり握りつぶして、跡形もなく平穏無事済まさないといけない。田村には当然の行為、そこには正義感はなく、保身しか無かった。
 「その点に関しては、西町店の管理者であったタチバナ店長が個人としての見解を述べてもらう。」
 タチバナはいきなりの出番に、喉は張り付き、言葉が詰まる。しかし、どうにか、ここで言わなくてはならない。しかし、個人的な見解とは一体何だろう?
 「・・・先ほど、塚本くんのアパートに行きましたが、出てきませんでした。しかし、メールでのやり取りは有りました。彼は・・ノリで今回の行動を起しました。学生同士のたわいのないノリです。悪ふざけです。ハンバーグは捨てるものだったから別に悪くないと言っていました。テーブルも拭いて綺麗にしたから問題ないと言っていました。それに、マニュアルにはハンバーグを裸体にのせるな、それを写真に撮るな!なんて書いてありませんでした。だから、もしかしたら、誰も悪くないのかもしれません。いや、結果的には、お店も閉鎖されてしまったので、店長としての私の責任なのかもしれません。その点に関しては、やはり・・、しかし、これは仕方ない事かもしれません。規制が多くて、悪ふざけの場が、迷路に迷い込んだような気がします。それに、悪ふざけに適したスマートフォンとかあるし、それのせいで、なんら努力しなくても、きっかけがあれば、目立てばいいという風潮なのも気になります・・」
 聞いている一同はだんだん不安になってきた。タチバナの言っていることがまるで意味不明なのだ。葬式の場で近頃の洗濯物の話をしているように、この場に不必要、相応しくないようにしか聞こえないのだ。田村は早く切り上げろとしか思ってなかったし、広瀬もさっさと謝罪して、次に進ませて欲しいと思っていた。しかし、タチバナは話を続けた。行き先のない空事を五分ほど続けた。タチバナは話せば話すほど自分が固形石鹸のように泡立って、跡形もなく消耗していくことを誰よりも感じていた。まるで霧の中を歩いているように、不安は増していく。一体、何処に行き着こうとしているのだろう?
 タチバナの柱のない演説が功を奏したのか、話し合いは有耶無耶のうちに終わった。田村は誰も責任を取らないという一番良い結果を残したタチバナに対して、使い方によっては、役に立つのかもしれない。と感想を残した。広瀬は腑に落ちなかったが、仕方ないと思うようにしていた。星野はバカバカしくなったので、その数ヶ月後、付き合っていた彼氏と結婚することにした。他のメンバーも結局、ファミリーレストラン、グリルドファミリアを去る事になった。手放せば、諦めてしまえば、事はすんなりと片付いていく。
 タチバナと田村は夕方になって、二人きり、一切言葉を交わすことなく、潰れていく店舗の冷蔵庫を開け、食材の廃棄をした。ダンボールに行儀良く並んだ冷凍ハンバーグは、日の目を見ることなく、産廃業者のトラックの荷台に投げ込まれる。投げ込むタチバナの腕は重かった。一つ一つの行動が無意識のうちに規制され、しかし、動きを止めるわけにもいかなく、引っかかりながら作業を続行する。袋に整列してならぶ真っ白なフライは油に潜ることなく、身を焦がすこともなく、ゴミとして放り込まれ、そのうち溶けて、グニャリと姿を歪める。その肉は、何の為に殺されたのだろう?タチバナは口を真一文字にして、作業を続ける。何か、体の内側から薄く剥ぎ取られたものを捨てるような、そぞら寒い思いがして、少し吐き気がした。さっきまで冷蔵庫の中の食べ物だったものが、荷台に投げられ、一山のゴミになった。タチバナはそれを見ていると、薄暗闇の中、いい知れぬ不安感を覚えた。
 翌々日、タチバナは白い作務衣のようなユニフォームに着替えていた。すし太大市場、グリルドファミリアの持株会社であるミールソリューションホールディングスの回転すし事業部。つまりタチバナの転籍先だった。
 「わいが店長の金森や、よう言う事聞けいよ。ここではわいの命令が絶対や。わかるか?かならず、返事をするときは「はい、金森店長。」と返事をするんやで。ええな。おまえは特に問題児や。店を潰した穀潰しや。ここでは性根入れてやってもらわんと、わいの評価に傷がつく。まあ、あれやで、自分の意思で去るんなら、止めることはせえへん。とりあえず、お前は、丁稚や。履歴書見たが、国立大学まで出て、わいの下で丁稚や。そこらへん、よう理解せえよ、分かったな!」
 「・・はい、金森店長!」
 短い脚に白い長靴を履いて、必要以上にふんぞり返る金森にとっては、すし太の、ここの店舗が全世界であり、そこの店長である自分は、この中では一番偉いと信じ、思い込んでいる。三十代半ばだが、年長者への礼儀も知らず、この不採算店舗で、外の世界の何も分からず、恥さえ知らず胸を張っている。無知で尊大、筋肉質だが、チビで底抜けに間抜けな金森を見て、タチバナは自分の立場を理解した。これは一種のリストラである。だが、ハンバーグから寿司にメニューが変わったことに、密かに期待していた。
 しかし、数時間後、その希望は一つ一つしっかりと潰されていく。アルバイトのリーダーであるフリーターの斎藤に連れられて職場の説明を受ける。斎藤の姿はタチバナによく似ていた。だが、年は親子ほど違った。斎藤はまだ十九才だった。
 「ここが冷凍庫で、ネタが入っている。ネタの解凍は流水が基本。再凍結はダメ・・です。いいですか?」
 「シャリは何処で炊くのですか?」
 「ああ、どっかで炊いてるよ。毎日ライスクックが三回持って来ている。水色の保温箱に入ってくるよ。あれは重いんだ。」
 タチバナの下手に出た質問に、斎藤は、この場合、相手に敬語が要らないことを確信して、少し先輩面して返答する。タチバナは唖然とした。べつに斎藤の口ぶりが気になったわけではなかった。ご飯をここで炊いていないことに、熱いご飯に酢を合わせる作業がここには無いことに、不安と寂しさを感じた。熱いご飯に酢を混ぜると、湯気立つ飯が酢を吸っていく。熱されてむせ返る酢のいい匂いが一面に広がる。あの至福の時間がここには存在しない。それの何処が寿司屋なのだろう?
「で、ここが、にぎり寿司製造現場。ここで握った寿司にネタを乗せて、皿に盛って、コンベアに乗せるんだ。エビとかマグロとかの指示は端末に出るから、その通りに作ればいいよ。簡単なんだ。」
斎藤は寿司を「にぎる」と言っていたが、あるのは四角い機械だった。上部の白い入口にシャリを入れると白い沢山の歯車が回って、最後に、丸い円盤の出口に、成形されたシャリの玉が出てくる。その玉は楕円形で、十六グラムきっかりで、最速毎分五十個出てくる。つまり、機械が寿司をにぎっている。いや、正確に言うと、握ってはいない。あれは成形しているだけだ。本当は、シャリを手に取り、人の手で表面はしっかりと、内側はふんわりと、口に入れると解けるぐらいの繊細な力加減で握って、それにネタを乗せて、優しく握ってシャリと馴染ませてこそ、にぎり寿司であって、目の前のそれでは誰も握ってないから、「機械成形ネタ乗せ酢ご飯」とでも言った方が正しい。それが大きな駅の入り組んだ線路のようなレーンに、ピカピカの電車のように綺麗に並んで、一定の速度で、内線から外線に出ていく。タチバナは回る寿司をじっと見ていた。ベルトコンベア、大量生産、規格製品、大量消費、コスト削減、いいものをより安く、お客様、満足感、安全安心、美味しさ等の繰り返し聞かされた言葉が、目の前でゴミ溜めの川に捨てられ、流されていくように見えた。タチバナは冬の波止場から見える、燃え尽き消える様に落ちる夕日を見るように、黙ってそれを認めようとしていた。
「えっと、これだけ言っておくね、店長の前で学歴の話したらダメだよ。コンプレックスがあるみたいで、一方的に逆恨みするから、学歴の話はダメ。あと、長谷っていう、五十前のパートのおばさんと店内不倫しているから、それも見て見ぬふりしてね。馬鹿げているようだけど、ここでは大事なんだ。それのせいで、何人も辞めている。」
斎藤はようやく見つけた自分より下の丁稚が居なくならないように、ここ、すし太大市場みなと店での処世術の教育をしっかり始めた。
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