文字数 4,199文字

 爆弾に設定されたタイマーの解除は――30分程かかっただろうか。僕は解除コードの目処が付いていたので、竹野内刑事とその部下に指示をして解除してもらった。啓治さんもそこまで頭が良くなかったのか、解除コードはどの爆弾も同じものだった。その数字は――「19560117」。つまり、是枝佐清の命日である。爆弾の解除コードを彼の命日に設定した理由は――多分、是枝製薬の罪滅ぼしなのだろう。
 改めてタイマーの解除を確認した所で、僕は屋敷の地下へと向かった。もちろん、水川監察医に頼んで防護服も用意してもらった。じゃないと――逆に、僕が被爆してしまう可能性があったからだ。それだけ、是枝佐清が戦時中に開発していたモノは――とんでもない代物だったのだ。
 埃臭いと思いつつ、僕は地下室の照明を点けた。水銀燈(すいぎんとう)であるが故に――完全に視界が明るくなるまで10分程かかってしまった。
 古びた薬品庫の中には――放射性物質と思しき薬品がびっしりと入っていた。多分、タリウムとかポロニウムとか、そういうモノなのだろう。目が慣れるまで光っていた液体はラジウムだろうか。いずれにせよ――是枝佐清が放射性物質を用いた生物兵器を開発していたのは、紛れもない事実なのかもしれない。
 もしかすると、彼が患っていたのはパーキンソン病ではなく――原爆症なのか。彼は実験の過程で大量の放射能を浴びてしまい、原爆症を患ってしまった。そして、朽ちていくようにして命を落とした。この実験施設を見ていると――そんな気がした。
 僕が辺りを見回していると、竹野内刑事が中へと入ってきた。
「これはまた――とんでもない施設ですね」
「そうだな。――世田谷の地下に、こんな施設があること自体がおかしいんだ」
「放射性物質と薬品、そして――散布装置。こんな代物が戦時中に出回っていたとすれば、是枝佐清は大悪人ですね」
「逆に出回らなかったことが奇跡なんだ。多分――これは、軍部から搬入された放射性物質だろうな」
「それってもしかして――」
「ああ、言うまでもなく『虐殺兵器』だ。そして、大宮啓治が『暁の革命軍』に対して横流しをしようと思っていたのも、この兵器だ」
「なるほど。それで――これは押収すべきなんでしょうか?」
「どうだろうか。押収しようにも、数が膨大だ」
「それはそうですけど――このまま放っておく訳にもいきません。僕たち警視庁でなんとかしないと」
「困ったな。――ここは、テロ対策本部でも呼ぶべきだろか」
「僕に公安を通せと? そんなこと出来ませんよ」
「そうだな。――忘れてくれ」
 それにしても、実験施設の面積はどれぐらいあるのだろうか。屋敷の地下に存在していたとしても――大きい。多分、学校の体育館ぐらいの大きさはあるのではないのか。この屋敷が元々是枝佐清の所有物だったことを考えると――矢張り、是枝製薬の精鋭を集めて研究をしていたのか。そして、その研究は大宮神丞に引き継がれて、大宮啓治にも引き継がれた。しかし、どこで狂ったのか――是枝佐清が求めていたモノと大宮啓治が求めていたモノの間には、齟齬(そご)が生じていた。是枝佐清が開発していたモノは恐らく「原爆症の治療薬」だったはずだ。しかし、大宮啓治が開発していたモノは――「相手を被爆させて命を絶つ薬」だったのだろう。智晴さんや深雪さんが「相手を被爆させて命を絶つ薬」の犠牲になったとしたら、僕は――大宮啓治というマッドサイエンティストが憎い。
 そんなことを考えても仕方がないので、僕は予備のガイガーカウンターを辺りに翳した。――矢張り、放射能の測定値は普通の原子力発電所のソレを遥かに上回っていた。ここは――死地だ!
 僕は、活動限界を感じたので地上へと戻ることにした。多分、これ以上あの場所にいても――無駄なだけだ。
 地上では、水川監察医が煙草を吸って待っていた。
「それで、あの地下には何があったのよ?」
「――原爆症の治療薬だったモノだ」
「『だったモノ』? どういうことよ」
「これは僕の憶測にすぎないけど、是枝佐清が開発していたのはパーキンソン病の治療薬じゃなくて、原爆症の治療薬だった。しかし――開発が進むに連れ、大宮啓治が道を踏み間違えた。彼が道を踏み間違えた結果――智晴さんや深雪さんを毒殺したあの毒物が完成したのだろうな」
「なるほどねぇ。――罪深いヤツね」
「原爆症の治療薬がこの世に出回っていたら――それこそ、ノーベル医学賞も夢じゃなかったはずだ。でも、大宮啓治は過ちを犯した。結果的に、2人の命を落としたことになるからな」
「そうね。――卯月さんの言う通りよ」
「それにしても、これで事件は解決したのだろうか。僕は――モヤモヤしている」
「そう? 卯月さんは頑張ったと思うけど?」
「いや、この事件は――まだ解決していないような気がする」
「そんな不穏なこと言わないでよ」
 僕の不穏な予感は――意外なカタチで的中することになる。ふと、スマホの通知を見る。そういえば、一連の流れの中で僕は「スマホを見る」という行為をしていなかった。スマホの通知の中には――西本沙織からのメッセージも入っていた。
 メッセージには、次のような文言が書いてあった。
 ――事件、無事に解決したそうね。
 ――ニュース速報で「大宮啓治容疑者を逮捕」って入ってきたわよ?
 ――そういえば、ウッディは「地下に何かあるかも」って言ってたけど、それってホントなの?
 ――もし都合が悪くなければ、教えてほしいの。
 ――一応、報道部の方にも手回ししておくから。
 これは返信して良いのだろうか? 僕は悩みつつ、彼女のメッセージに対して返信した。
 ――地下には、是枝佐清が開発していた原爆症の治療薬と、大宮啓治が開発していた劇薬があった。
 ――多分、人体実験の正体はこれだと思う。
 ――これが特ダネになるかどうかはさておき、多分、事件は解決へと向かっている。安心してくれ。
 これでいいか。送信してすぐに既読がついたところから見ても、彼女はすぐに報道部へと手回しするつもりだろう。
 スマホの画面を消して、僕は背伸びをした。僕は周りの女性よりも背が小さいので――滑稽だ。
 水川監察医が、その様子をジロジロと見ている。
「アハハ、卯月さんって――面白いのね」
「僕のどこが面白いんだ?」
「ううん、なんでもない。アンタ、神戸の人間なんだってね。(たける)くんから聞いたわよ?」
「そうだ。別に、東京に住んでいる訳じゃない」
「でも――アンタとの共同捜査、面白かったわよ? また、いつでも来ていいのよ?」
「東京は肩が凝る。もう二度と来るもんか」
「まあ、そう言わずに。――アンタなら、神保町(じんぼちょう)とか似合うんじゃないの?」
「神保町か。古書の街だな。そして――京極夏彦の聖地でもある」
「ああ、『榎木津(えのきづ)ビルヂング』ね。私も京極夏彦は『絡新婦(じょろうぐも)(ことわり)』でストップしてるけど、最後まで読み切りたいわね」
「そうか。――頑張れよな」
「でも、あんな分厚いモノ、どうやって読むのよ」
「気合いかな。僕は中学生の頃にそれで『邪魅の雫』まで読み切ったからな」
「へぇ、やるじゃん」
「じゃないと、ミステリ研究会を旗揚げしたりしないからな」
「その時の話、今度詳しく聞かせてくれないかな。――これ、私のプライベートのスマホの番号だから」
「ありがとう。――登録しておく」
 彼女とそんな話をしている時だった。――西本沙織からのメッセージが入ってきたのだ。一体、何の用事だ?
 ――ウッディ、まだ世田谷?
 ――今すぐ屋敷に戻ったほうが良いわよ?
 ――なんだか、厭な予感がするから。
 厭な予感か。昔から、彼女の厭な予感は悪い意味で的中する事が多いが、まさかこの()に及んで新たな事件は起きないだろう。僕はそう思っていた。しかし――事件は思わぬ方向から発生してしまう。
 屋敷に戻った僕は、最後に大宮春香の顔でも見て帰ろうと思った。ところが、食堂には彼女の姿が見当たらない。一体、どこへ行ったのだろうか? 僕はアサ子さんに彼女の行方を聞くことにした。
「アサ子さん、春香さんはどこへ行ったんだ?」
「それが――私にも分からないのよ。死神騒動以来、ショックを受けて寝込んでいるらしいんだけど――」
「そうか。――ここは直接、彼女の部屋に行くしかないな」
 僕は、彼女の部屋のドアをノックした。
「――春香さん、いるか?」
 しかし、返事がない。もしかしたら――本当に寝込んでいるのか。僕は申し訳ないと思いつつ、ドアを開けることにした。
 しかし、部屋の中にも彼女の姿は見当たらない。なんとなく、僕の心臓の鼓動が早くなる。他に彼女がいるとすれば――矢張り、館の屋上か。僕は、屋上へと向かうことにした。
 屋上では、夕日が輝いている。東京の夕日というモノを見たことがなかったので、僕の目にはなんだか新鮮に見えた。――見てはいけないモノが目の前にあることを除けば。
「こ、これは――」
 屋上では、大宮春香だったモノが白目を剥いた状態で宙吊りにされていた。まるで、『ノートルダムの鐘』の鐘撞(かねつ)き男みたいに、館の屋根の内部に彼女の遺体は吊るされていた。
 彼女の頸動脈に手を当てて、脈を確認した。しかし――彼女はすでに事切れていた。どうして、僕は彼女を守ることができなかったのか。そう思うと、なんだか悲しくなった。そして――僕は慟哭(どうこく)した。慟哭したところで、どうにもならないのは分かっていたのだけれど。
 僕の叫び声を聞いたのか、竹野内刑事がすぐに屋上へと向かってきた。
「卯月さん、これはどういうことだ!」
「残念だけど――これは、自死でしかない」
「自死? ということは――犯人は存在しないのか?」
「そうだ。多分、彼女は孤独だったんだ。兄を(うしな)い、2人の姉も喪った。だから――彼女も天国に行きたかったんだろう。まあ、どのみち白血病で彼女の余命は僅かだっただろうし、長生きは出来ないと思っていたけど」
「それにしても、こんな事件の幕切れ――考えたくありませんでした」
「僕だって――考えたくなかった。でも、起きてしまったことは仕方がないんだ」
 徐々に沈んでいく夕日の中で、僕は悲しみに明け暮れていた。これで、大宮家の生き残りは――大宮神丞と大宮アサ子だけか。2人共高齢だし、大宮は――朽ちていく命のように崩壊していくのだろう。僕はそんな事を思いながら、大宮春香だったモノを水川監察医の元へと送り届けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
  • Phase 01 美しい鶴と小鳥が遊ぶ

  • 1
  • 2
  • 3
  • Phase 02 深い雪でも春は香る

  • 4
  • 5
  • 6
  • Phase 03 死神の宴

  • 7
  • 8
  • 9
  • Final Phase 傷痕

  • Epilogue

登場人物紹介

卯月絢奈(うづきあやな)

主人公。小説家見習い。女性だが一人称は「僕」。

友人からの依頼で東京へ行くことになる。

西本沙織(にしもとさおり)

講談社で働く編集部員。文芸第三出版部所属。

ゴシップ記者時代に取材したある情報を絢奈に提供する。

竹野内尊(たけのうちたける)

警視庁捜査一課の刑事。絢奈と共に事件の謎を解き明かす。


無類のスイーツ男子。

天海光秀(あまみみつひで)

警視庁捜査一課の警部。尊の上司。

水川代里子(みずかわよりこ)

警視庁直属の監察医。ドクターなのにヘビースモーカー。

高橋充(たかはしみつる)/小鳥遊美鶴(たかなしみつる)

売れっ子俳優。絢奈に事件の解決を依頼する。

大宮神丞(おおみやしんすけ)

大宮家当主。

大宮アサ子(おおみやあさこ)

神丞の妻。

大宮啓治(おおみやけいじ)

神丞の息子。大宮財団記念病院の医師。

大宮清恵(おおみやきよえ)

啓治の妻。

大宮智晴(おおみやともはる)

大宮家長男。

大宮深雪(おおみやみゆき)

大宮家長女。絢奈とは友達になるが……。

大宮佳苗(おおみやかなえ)

大宮家次女。

大宮春香(おおみやはるか)

大宮家三女。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み