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文字数 1,247文字

 そんなナオキの様子は、とても自然なものに思える。わたしも、なぜか肩肘から力が抜けていくような感じがした。
「でもわたし、ナオキやリサが思うような立派な母親ではないよ。うん、そう、全然よくない」
「なんで、そう思うの」
 ナオキの切れ長の瞳が、ちょっとキツく光った。
「イリヤの誕生日も、ろくすっぽ憶えてない」
「あらら。いつ頃に生まれたか、それくらいはわかるでしょ。生涯で最高最大で、お腹を痛めてたんだから」
「えっと、去年の十二月。政府が開戦の発令を出した日、その夜」
「なんだ、わかりやすいじゃないの。それなら十二月の八日だよ」
「え」
「え、って。なんだよー? 『イチニ、レーハチ』って呼び方されるだろ? その日の正午に報道内容が一斉に切り替わったんだ。あっ、もしかして。サラさんは産気づいていてニュースを見る余裕がなかったとか?」
 ナオキが笑った。
 わたしは躊躇いながら、彼を見る。
「それ、十日じゃなかった?」
「おいおい」
 相手は冗談めかした仕草で、片手でこめかみを押さえる。
「サラさん、役所から手帳を貰ってないの? 生まれた届を出したときに、窓口で渡されるアレ」
「いつも置いているボストンバッグの中に……あっ!」
 ボストンバッグの中にある、と言いかけて、息を飲んだ。そうだ、そうだった。生まれた翌朝に届けを出したのではなかった。二日目に退院させてもらって、その足で役所に赴いたのだ。
「十日は、出生届を出した日だったわ」
「なんで、二日も勘違いしてたのさ」
 心底から不思議そうな顔のナオキに、わたしは言った。
「役所の人が『生まれたのは、今日。十二月、十日ですね』って言ったのよ。違う、って否定したんだけど、手帳に書きこまれた」
「あとでサラさん自身で書き直したり、しなかったわけ?」
「あれって自分で修正しても、いいものなの?」
「決まってるじゃん」
 相手が呆れたように、ため息をつく。
「あの手帳、俺の母親も書き直してたよ? 小学校に上がる前に、役所の窓口で何回か修正させてた」
「そうなんだ、そんなこと。しちゃいけないと思ってた」
 今まで、そんなことを考えたこともなかった。ただ上の立場のものに渡されるもの、言われたものに従うことこそが「良いこと」だと、どこかであきらめていた。
 でも、そうではなかったんだ。イリヤのことだもの、わたしはわたしの感じた正しいことを、すればよかったのだ。
 ナオキが、うつむいたわたしを包み込むように言った。
「今の世界が、こうなっちゃったけどさ。予防接種とか、先々で正しい誕生日が必要になってくるから直しておいたほうがいいよ。書くもの……ペンとか、なにか持ってる?」
「あると思う」
 なぜかリサの顔が浮かんだ。あの子なら、持っているだろうから。あとで貸してもらおう。
 ナオキは顔を上げたわたしに、にこにこと微笑む。
「よかったな、イリヤの誕生日が判明して」
「うん」
「いいこと教えてやるよ、サラさんに」
「なに?」
 ちょっと照れくさそうな言葉が返ってきた。
「イリヤと、俺。誕生日、一緒だ」




 

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