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文字数 1,348文字

 リサは体半分をわたしに向けて子供のように、決まり悪そうに舌を出した。
「ま、『役所の人』って。要するにターニャのことなんだけどね」
「そ、そうなんだね」
 曖昧にうなずきながら、彼女に調子を合わせる。
「で、でもリサちゃん。こんな遠くまで歩いていたの? それも、夜更けに?」
「そうよ?」
 少女は至極当然、といった感じだ。
「避難所で寝ているところね、イビキと歯ぎしりが酷い人がいるのよ。毎晩、眠れないの。だから、時々こっそり裏口から出て、お散歩」
「さ、散歩って……。若い女の子が、夜中に独りで歩いているのは危ないよ」
 まるで気軽にピクニックに出かけるような口調に、わたしは呆れる。でも考えてみれば、あの教会に十代の少女を一日中閉じ込めておくのも酷といえば酷なのかもしれない。
「でも一日中、営業しているドラッグストアを見つけることが出来たから。いいじゃない、それで」
 はすっぱに言ったリサに運転席のターニャが、厳しく咎める。
「なんて言い方するの、サラさんも心配しているのに」
「う、うん」
 少女は、はじめて悪びれたような声を漏らした。わたしはミラーに映るターニャの目を見ながら、言った。
「すみません。わ、わたし。出過ぎたことを言ってしまったかもしれない」
 ターニャが唇の端だけで笑いながら、片手を振る。
「こんな怖いもの知らずの子には、厳しく言ってくれる人が必要なのよ。だからサラさんは、悪くない」
「そんなものでしょうか」
「ええ」
 彼女はこちらの緊張をほぐすように、ちら、と体をこちらに向ける。
「サラさんは開戦してから、夜道を歩いたことはないの」
「とんでもない」
 わたしは隣にいるイリヤを、胸の前で抱っこしながら答えた。
「この子に何かあったら、生きていけないです。歩いてみたいと思ったことはあっても、実行に移すなんて」
「それもそうね、つまらないことを聞いてしまった。ごめんなさい」
 ターニャはハンドルを動かしながら、やさしい口調で言った。
「いえいえ」
 むずむず動きたそうにしているイリヤの背中を撫でながら、ターニャへと話しかける。
「ターニャさん、役所にお勤めなんですね。いろいろと大変でしょう」
「そうでもないわ、実のところ」
 こともなげに言葉を返した彼女に、助手席のリサが笑い声を上げた。
「なに、その物の言い方。すっごく階級が上の人みたい」
「失礼ねえ」
 そう言われても運転手の方は、まんざらでもない様子だ。
 そのとき何故か「あれっ?」と、感じた。なんとなくだが、ターニャとリサは初対面同士とは思えないくらい、気心が知れたような仲のように思えたから。
 でも今、それを尋ねるのは無粋なのかもしれない。
 だって。ずっと、こんな戦時下の状態で。
 元々の性格が明るいだろうリサは、人懐っこい可愛い笑顔で誰とでも仲良くすることができる。それなのに、ずっと避難所に閉じ込められることを余儀なくされたら。とてもつらいだろうと思うのだ。時々は破目を外したくなることもあるだろう。
 そんなときに、夜明け前の路上で話しかけてくれる人が「役所の人」で良かったのかもしれない。わたしだって、もしもイリヤがいなかったら今頃なにをしているのかわからないのだ。

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