茨の魔法 FullVer:呪いと対価の5000字

文字数 5,189文字


 これは姫が眠りにつく原因となった小さな茨の魔法のお話。

 ここは物理と魔法が支配する世界。
 物理と魔法は全く異なる定数で動いているけど、不思議と関連して存在している。その関係性は未だ解明されていない。学者や魔法使いにとっては果てなき挑戦だ。

 でもそんなことはこの世界に生きる多くの人には関係ない。僕も何年か前まではそうだった。けれども今の僕には小さな種が植え込まれ、それに促されて羊とともにここまで歩いてきた。

 遥か向こうの地平線に霞む青灰色の山。そこから運ばれてくる風が草原を渡る。最初に遠くの黄金色の草の穂先を波のように揺らしてその訪れを知らせ、目の前に散らばるモコモコの羊の毛を撫でて、どこか乾いた匂いとともに僕に到達してそのまま背後の丘の麓にある城下街まで流れていく。
 僕にはこの風が物理ではなく魔法的なもので、時間が来たという合図だと明確に感じられる。だから僕はあの山の麓からここまでやってきた。

 待ち合わせていた商人に全ての羊を売り渡して、その代金で高い通行税を支払って、丘の麓の石造の壁に囲まれた街に入る。今日はこの国の姫の16歳の誕生日。
 本来は悦びに満ちる日であるはずなのに、街は悲しみにくれたようにひっそりとして、まだ日は高いのに商店の門扉は半ば閉じられていた。

 広場の真ん中には焼き尽くされた糸車の残骸が積み上がっている。
 何があったんですか、とかそんなことを聞く必要もなく、僕はその理由を知っている。今日が魔女との約束のその日。僕がここまで来た理由。
 見上げると視界に入るキラキラと美しく光る白くて優雅なお城。このお城はあの女の子にとても似合っていて、春の温かな陽光をその白い外壁で照り返していた。
 僕はその城の前で待つ。時間が来るのを。

◇◇◇

 僕がその女の子に会ったのは7年前。
 もうここからは見えなくなっちゃったけど、僕が来た青灰色の山の麓の小さな小川のそばだった。
 僕はその頃すでに羊飼いをしていて、その日も今日のように温かかった。10頭ばかりの僕の羊が川沿いの草をもさもさと食んでいる時に、突然その女の子が現れた。

 薄い淡い色の布を何枚も重ねたような不思議な服。フワフワした淡い色の髪の毛。驚きに満ちた少し大きな目でキョロキョロと辺りを見回し、つややかな唇が不安そうに震えていた。

「君は誰? どこから来たの?」

 声をかけるとその女の子は驚いた顔でこちらを向いて、それからほっと息をついた。羊の影で僕が見えなかったようだ。太陽があたってふかふかもこもこの羊の背中を間に挟んで僕と女の子は話をする。

「わかんない。私、どうしてここにいるのかしら。さっきまでお庭にいたはずなの」

 こんな豪華な格好の女の子を見るのは初めてだった。どこか遠くから来たのだろうとは思うのだけど、迷子なのかな。
 女の子はまたあたりを見回し、小川に目を留めた。僕の羊が何頭か水を飲んでいる。でも女の子が見ているのはそのさらに先の暗い森のようだった。

「わたし、あっちに行かないといけない気がするの」
「それは止めたほうがいいよ」

 この小川が隔てる先は魔女の足元、魔女の領土。少しの川原の奥には黒い森が広がり、その奥には魔女の居城があると聞く。誰も安易に立ち入ってはいけない魔女の帝国。でも女の子はにこりと笑ってこう言った。

「魔女なら大丈夫。みんな私の誕生日を祝ってくれたわ。お友達よ」

 そんなことがあるのかな。魔女というのは魔法の理に触れて世界を動かす者。そんな者が人を祝うなんて。

「君にはわからないと思うけど、魔女というのは色々な種類がいる。いい人と悪い人がいるように、いい魔女も悪い魔女も。けれども魔女は等しく世界と同じ。だから安易にかかわらないほうがいい」
「この先にいる魔女は悪い魔女なの?」
「この先の魔女はちょうど中間かな。もらったものと同じものを相手に返す衡平な魔女。名前は茨」
「それならきっと大丈夫。お父様はこの国の魔女はみんな私のお友達と言ってくれたの」

 その子は自信満々にもう1度言って、にこりと笑って靴と靴下を脱いで両手に持って、暖かな陽の光をきらきらと穏やかに照り返す川をちゃぷちゃぷと歩き、そして対岸に一歩足をのせた瞬間、地面から突然生え伸びた黒く尖った茨に囚われ姿を消した。

 それはあまりに一瞬のことで、僕には何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
 あの子は全く痕跡を残さず消え失せた。まるで最初からそこに何もいなかったように。でも僕の隣の羊がメェと鳴いた。僕は確かにさっきまでこの羊を挟んであの子と話をしていたはずだ。

 さっきあの子を掴んだ茨はあまりにも凶悪で強大だった。多分あのあの子は茨の魔女と何かの関係があったのだろう。
 世界の魔法は関わりのあるもの同士を近づける。あの子はなぜ自分がここにいたかよくわからないようだったけど、きっと世界があの子を魔女に合わせるために連れてきたんだろう。でもさっきの茨の暴力的な様子からその関係はあまり良くないもののように感じた。このままでは、きっとあのあの子に悪いことが起こる。

 僕はあの子にすっかり恋をしていた。だからじゃぶじゃぶと急いで川を渡った。けれども何も起きなかった。茨も出てこない。ただ僕がいた対岸と同じ静かな川原と、その奥に何も言わない茨の森が広がっていた。
 僕と魔女は関わりがない。つまり僕が魔女に招かれることはない。だから僕が魔女に会いにいかないといけない。

 なんとなく、魔女に会いにいけば戻れないだろう。そんな気がした。
 だから一旦川向うに戻って羊を全て開放してから再び川を渡り、その先の茨の森へ分け入った。茨は皮膚を鋭く掻き、歩を進める度に僕を血に染める。でもこの痛みは支払わなければならない。魔女と出会う対価として。
 どのくらい歩いただろうか、茨に覆われた冷たい白亜の城が現れた。これが噂の魔女の居城。

 覚悟を決めてその門前に立つと、門はゆっくりとその内に開かれた。恐る恐る様子を伺いながら入ると、そこには1人の魔女がいた。魔女はすらりと背が高く、静かな目で僕を見下ろした。

「用はあるか」
「ございます。少し前に女の子が川を渡りました。その子を助けたいのです」
「助けるとは何か」
「あの子をもとの生活に戻してあげたいのです」
「あの者の国はかつて私を拒絶した。次は私が拒絶するのが理である」

 魔女とは世界と同義だ。何故その国はそのような暴挙にでたのだろうと僕は混乱した。ひょっとしたらあの子の国ではあまり魔法がないのかもしれない。魔女と世界についてあまり知らないのかもしれない。旅人にそんな国もあると聞いたことがあった。

「私はあの子の国の者ではありません。私の願いで交換したく存じます」
「何を差し出すのか」

 困った。あの子の国がこの魔女に何をしたのかわからない。釣り合うものが測れない。

「私で釣り合いはとれるでしょうか」
「1年ほどであれば相当であろう」

 僕の命は少女の命の1年分相当。
 1年経てば、少女は世界に拒絶される。

「何か方法はないでしょうか。あの子を不幸にしたくはないのです」
「不幸とは何か」
「私はあの子が世界に拒絶されるのは嫌なのです。あの子にこのまま笑って暮らして欲しいのです」

 魔女は世界の理に触れ、それを行使するもの。あの子は世界に導かれて自ら魔女の領土に足を踏み入れた。そうである以上、負債を支払わずここを出るのは均衡が取れない。
 あの子は何も知らなかったのだろうけど、世界にとっては知らないことなんて何の言い訳にもならない。
 僕は対価を払って魔女の下までやってきた。だから魔女は対価に見合う時間を僕に支払う義務がある。
 魔女は対価の衡平性について頭を巡らせた。

「では私の仕事をそなたに依頼しよう。それで対価に満ちるだろう」

 僕と同じ16歳になるまであの子は生き、僕が行使する茨の魔法によって城ごと時をとめて凍りつく。対価として魔女は時を受け取り、その価値が等しく満ちた後、あの子と城の時は再び動き出し、その運命に従って理どおり生命を終える。

 呪いになればもう人には戻れない。けれども僕は一も二もなく同意した。僕は魔法となり、世界との橋渡しを行い、あの子をこの世界に繋ぎ止める茨となる。魔女は僕にに茨の種を埋め込んだ。
 一瞬、この居城に来るまでの痛みを想像したけど、種はするりと僕の胸骨をすり抜けて心臓に根付いた。僕とあの子と世界を繋ぐ茨の魔法。

 その後、魔女はあの子の国に、あの子は16歳のときに糸車に刺されて眠りにつくと宣言した。その国は恐慌に陥り国中の糸車が焼かれた。あの子が16歳になる前月、糸車がないか改めて国中が探索され、国に入る荷車は全て検閲された。

 僕はそんな街に入り、城を見上げた。荊の魔女の居城から吹いてくる強い風が丘を下ってこの町に吹き続けている。僕と繋がる世界の真理も時が間も無く満ちると告げている。
 僕は今日このためにここにいる。

 その夜、魔女は僕のために老婆の姿で尖塔に現れ、糸車を用意した。そうでなければ魔女は対価にあの子を刈り取らなければならなかったから。
 世界が導きあの子は塔を登る。既に約束された通り、糸車の針に触れてその血が世界を経由して僕に伝い、茨の種が発芽する。
 茨の種は僕の血管を通して胎内を駆け巡り、次々に僕の皮膚を破ってその蔦を伸ばして城を包む。痛い。けれどもこの棘の1つ1つがあのあの子をこの世界に繋ぎ止める杭に、軛になる。
 ぞりぞりと僕を削りながら伸びる茨の蔦はその反動で僕を地中深くに押し込め、その代わりにあの子を守るように城を包む。その蔦は宝石のように光を帯びた新芽のような黄緑色で、魔女の魔法はとても美しかった。
 その美しさとは対極的に、僕は冷たい地中に横たわる。魔女の言葉を思い出す。美しい草木でも根は須く節くれ茶色で、固く冷たく動かない。その花を愛でて摘み取るのは他の誰かだ。僕は親切な魔女にそれでもいいと言った。

 魔法は果たされ、城は眠りについた。僕は魔法を維持するために地中で身を潜める。呼吸するたびに喉に絡まる茨が刺さる。風が吹くたび茨が揺れて血が吹き出る。けれども僕に後悔はなかった。

 僕は魔法と同化して、魔法が行使される城の中を眺めた。たくさんの人が日々の姿のまま時を奪われ、動きを止めた。既に魔女の姿はないけれど、あの子も尖塔で針が刺さった姿のまま動きを止めた。随分久しぶりに見たあの子の姿は記憶より随分大きく美しくなっていて、女性っぽさを増していた。

 城は時を止め、この国は魔女に呪われたと噂がたった。豊かだった街はだんだんと寂れ、人がいなくなって砂にかえった。時折城の中に財宝が眠っているという噂が立ち、野盗やどこかの国の兵士が攻め寄せてきたが、僕は茨を増やして城を守った。いつしか僕から生える茨は数を増やして、もともと街があった範囲くらいまでその外縁を延ばした。あの魔女の領土にあった茨の森のように。
 ひょっとしたらあの魔女も僕と同じように茨を生やしているのかもしれない。そう思うと、僕の痛みは少し軽減された。もうあの魔女に会うことはないのだろうけれど。

 どのくらいたっただろうか。世界は時が満ちたと鐘を打ち鳴らして僕に知らせた。
 あの子とこの国の対価は完済された。僕は役目の終わりを感じてようやくほっと一息ついた。

 その時茨の先端に誰かの訪れを感じた。
 それは奇麗な身なりをした若い男だった。耳をそばだてて会話を聞いてみたけれども、このあたりの地図は長い年月の間にすっかり書き換えられていてよくわからない。でも従者は男を王子と呼び、その応答からは誠実さが感じられた。

 ゆるゆると茨を解いて道をつくる。茨はもうただの茨で、僕はもうただの根っこ。魔法は終わってあとは世界を開くだけだ。男は恐る恐る街に立ち入り、城に立ち入り、動かない人々の姿に驚きおののく。
 一番硬く茨が巻き付いた尖塔への道を開き、その中に誘う。そしてようやくあの子のいる部屋の扉を開けて、おとぎ話の作法に則り呪いの起点のあの子に口づけをする。

 その途端、茨の魔法はすっかりとけてこの城は全ての時間を取戻す。
 よかった。これであの子に幸せが訪れる、そう思って僕が意識を手放そうとしたとき、頭の中に声が響いた。

「駄賃である」

 懐かしい魔女の声とともに茨を通して僕にわずかの魔法が僕に戻る。
 僕はその全て魔法を使って、僕に繋がる茨の全てに花を咲かせた。たくさんの大輪の真っ赤な薔薇を。その花びらは風を呼んで春の暖かさを呼びよせた。眠りについたあの子と同じように。
 僕は確かにあの子を祝福して、散り果てた。

◇◇◇

 その羊飼いの身体は今もこの城の地中深くで静かに横たわっている。
 この羊飼いのことは世界と茨の魔女以外、誰も知らない。

Fin.
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