第一節 悪夢 3

文字数 2,193文字

 翌日の夜は近くに適当な集落がなく、エドガルドとイーサンは野宿をすることにした。
 森というほど深くもない、立ち並ぶ喬木の中の少し広まっているところに馬を停め、二人は特殊なシールド装置を用いた仮想テントを張った。ティエラ山が旅をする学師のために開発した先進機器で、天幕の代わりに簡易的なシールドを張る装置だ。混沌エネルギーを利用し内部は快適な温度に保たれ、野生動物から身を守ることも出来る。周囲の光を複雑に反射することで目隠しやカムフラージュの役割も果たす優れものだった。
 簡易シールドを張り終えた二人は火を(おこ)し、湯を沸かす。米と穀物を乾燥させて固めた携帯食に湯を掛けて戻し、温めた干し肉を載せて食す。干し肉の塩味が染みだして丁度良い塩梅となり、見た目よりずっと美味だ。
 食事を終えたイーサンは蜜を入れた温かい香草茶を(すす)りながら、独りカオスの荒野をさすらい、混沌エネルギーの計測と解析を行っていた日々を懐かしく思いだした。あの頃、家族を喪った彼には孤独が心地よく、静けさが慰めだった。
 その自分の隣に、今はエドガルドがいる。おそらくこの世界で最もカオスの力に精通した存在である、ティエラ・ゲレロの一人が。
「どうした。俺の顔に何かついているのか」
 イーサンの視線に気付いたエドガルドが不審げに尋ねる。
「いや、昔はこんな夜に独りでいるのが良かったが、ティエラ・ゲレロを道連れにカオス世界で野宿をするというのも、趣深いものだと思っていた」
 エドガルドが複雑な表情を浮かべて自分を見つめたので、イーサンは苦笑した。
「そんな顔で見るな」
イーサンがカオス世界を独りで彷徨(さまよ)っていたのは、精神的に最も荒んでいた時期だ。当時は気付いていなかったが、心のどこかで破滅を望みながら、身を切るほどの孤独を求めてこの世界をさすらっていた。
 今のイーサンはあの頃とは別人だったが、エドガルドの目に映っているのは、今も家族を喪った傷から血を流し続け、混沌の荒野を彷徨っている男なのだろう。
「星がきれいだ、エドガルド」
 雰囲気を変えたくて、イーサンは地面にごろりと寝転がると、喬木(きょうぼく)の隙間から夜空を見上げて言った。
 満天の星が、今にも地上に降ってきそうだ。手を伸ばせば星を掴めるのではないかという気さえする。
「こんなに広い空は都市にはない」
そう語る彼の声音は生き生きとして、この世界への愛おしさが滲んでいる。
 エドガルドは隣に横たわるイーサンの顔を見下ろした。濃く長い睫毛に縁取られた黒瞳が星の光を映して煌めいている。その端正な面立ちを少しのあいだ眺めた後、自分も星を見上げてエドガルドが言った。
「お前が連盟の兵士になろうなんて、本当に突拍子もない思いつきだ」
 イーサンは目だけをちらりとエドガルドの方へ向けると、すぐにまた星空へと視線を戻す。
「そうか」
「そうだ。連盟の人間になってテロリストを追うにしても、お前みたいな奴なら分析官になろうとするのが普通なんじゃないのか」
「俺みたいな奴」
 イーサンが鸚鵡(おうむ)返しに呟く。
「それはどんな奴だ。兵士になる前の俺は、ただの量子物理学者だぞ。分析官になったところで、テロリストを捕まえるのに役に立つような専門知識も技術も何も持っていない。それに都市のオフィスに閉じ籠もってデスクワークをするなんて、想像しただけで息が詰まりそうだ」
「学者だった頃のお前にとっては、それが普通の生活だったんじゃないのか」
「それで息が詰まって、都市を出てフィールドワークばかりするようになったんだ。外の世界でふらふらしているうちに、連盟採用のエナジー銃を製造している会社が、混沌エネルギーの局所的予測可能性についての論文で俺が打ち立てた近似式を、エナジー銃の照準補正プログラムに使用したいと打診してきた。承諾したら俺にまで特許権をくれて、おかげで働く必要もなくなった」
 イーサンは何でもないことのようにその話をした。
「プログラム開発にも関わって自分でもエナジー銃を触るようになったんだ。色々手を加えると照準精度が上がるのが面白くて、すっかり夢中になったよ。お前がティエラ棒術を得意とするように、俺にはエナジー銃が向いてるんだろうな。あっという間に銃の扱いに習熟した。それも兵士になろうと思った理由の一つかも知れない」
 エドガルドは呆れた表情でイーサンを見下ろす。
 エナジー銃の照準補正プログラムに採用されるような理論を打ち立てた量子物理学者が、自らその銃を使う兵士になろうというのは、エドガルドにはやはり突拍子もない話に聞こえた。
「お前みたいな奴をティエラ山に潜入させようと考えた連盟も相当のものだ。そもそも、お前は頭脳も容姿も目立ちすぎる」
「容姿は関係ないだろう」
「存在を覚えられやすいというのは潜入捜査に向かないんじゃないのか」
「場合によりけりだな。ティエラ山では目立ったおかげでアダンの噂話を耳にできたし、良し悪しだ」
「ふうん。そういえばアイナが、お前が市場に現れると女性の店員がどんどん声を掛けてきて、それが追っ手の目を引いたんじゃないかと言っていたな。そう考えると、彼らを罠にかけられたのはお前が目立つ容姿をしているおかげか」
 そんなことを真剣に分析しているエドガルドの様子がおかしく、イーサンは少々愉快な気分になる。カオスの大いなる自然に抱かれているという開放感からか、彼は常より饒舌になった。
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