第一節 悪夢 4

文字数 2,491文字

「本当は、元々ティエラ山には俺じゃなくて、お前の言った通り本物の混血の治安維持官が潜入する予定だったんだ」
 連盟には他にも混血の人間くらいいるだろうという、自分がイーサンへ向けた言葉をエドガルドは思い出す。
「ところが直前にそいつが怪我をして、任務に就けなくなった。治安維持局は彼を学徒としてティエラ山に入山させる手続きを済ませていたから、準備していたIDや経歴をそのまま使いたかったんだ。いくらなんでも、たて続けに二人も都市人から学徒になりたいと申請があったら、不審に思われるだろうからな」
「まあ、それはそうだな」
 二人続かなくとも、最初から不審に思われていたことに変わりはなかったが、エドガルドはあえて口にはしなかった。
「そんなときにキャベンディッシュが、特殊作戦遂行班の入隊訓練をパスした新兵の中に保護スーツを着ずに都市の外で過ごせる都市人がいることを聞きつけて、俺に白羽の矢を立てたってわけだ」
「お前があのイーサン・ロウだってことを彼は知っていたのか」
「最初はどうだったか知らないが、俺のところに話を持ってきた時には当然知っていた。俺の家族が第二ドームのテロで全員死んだってこともな」
 上官に呼ばれて彼の部屋を訪れると、一目で高級と分かる三つ揃えに身を包んだキャベンディッシュが、椅子に腰掛けてイーサンを待っていた。彼から〈ラファエル〉と呼ばれる先住民テロリストの存在が疑われており、その男ないし女が第二ドームのテロの主犯格と目されているという話を聞かされた時、イーサンの中でその任務を断る選択肢はなくなった。
 特殊作戦遂行班の入隊訓練をパスしていたイーサンには、武器や特殊機器の扱いを改めて学ぶ必要はなかったが、尾行や読唇術などのスキルを短期間で習得する必要があった。幸いイーサンは才能に恵まれており、期待される以上の実力を身につけてティエラ山へ潜入することになったのである。
「まあ、治安維持局がこんな急ごしらえの作戦を強行したのは、ティエラ山への潜入そのものは比較的危険度の低い任務だと判断したからだと思う。最悪、正体がばれて任務が失敗に終わっても、お前たちが連盟の人間に害を及ぼす可能性は低いだろうと踏んでいたわけだ。そしてそれは、あながち間違いでもなかった。プラシドは俺の正体に薄々気付いてたのに、なにも言わなかっただろう」
「ナシオとの討論会で、プラシドがお前とナシオの間に割り込んだらしいな」
 エドガルドが人の悪い笑みを浮かべて言うと、イーサンはその時のことを思い出したのか、苦々しい口調になった。
「急な任務で準備の時間もない中、俺がどれだけ大変だったと思う。それでもなんとかやりこなせたが、俺の教育レベルについてだけは散々注意を受けた。高等学校出の持っている知識はこのくらいだっていうのを、いやというほど覚え込まされたよ。なのにティエラ山に着いて早々、経歴が偽物だとプラシドに看破された俺の気持ちが分かるか」
 初めての任務でとんだ失態だ、とイーサンがいつにない口調で語るのを聞いて、エドガルドは思わず失笑した。プラシドの執務室に呼ばれてイーサンの経歴について語り合った時のことを思い出す。まさかこんな裏話があったとは、プラシドも想像していなかったに違いない。
「ナシオとの討論はどちらかというと哲学的な論調で展開したから、良かったんだ。だがプラシドが横槍を入れてきて、混沌エネルギーについて散々議論を吹っかけてきた。気をつけていたつもりだったが、余りにも微に入り細を穿って訊いてくるから、つい口が滑ってひとこと答えてしまった。たった一度のミスで、もうお終いだったよ。プラシドが我が意を得たりとばかりに質問を畳み掛けてきた。今さら知識のないふりをしても余計怪しまれるだけだと思って、この辺でやめておこう、やめておこうと思いながらも少しずつ答えていったら、最終的にはどうにも引き返せないところまで議論が深まっていた。あんな虫も殺さないような顔をしているくせに、ティエラ教義の大学師っていうのは恐ろしい奴だと思ったね」
「ははっ」
 エドガルドが珍しく声を上げて笑う。
「プラシドに聞かせてやりたい。お前にそこまで言われて、彼は光栄に思うだろうな」
「俺にどう思われようと、彼は光栄に思ったりしないだろうよ」
 イーサンが心底嫌そうに顔を(しか)めて言うので、エドガルドは益々おかしくなる。いつもは落ち着き払っているイーサンが、初めて年齢相応の若者に見えた。
「そんなことはない。プラシドは本気でお前に一目置いていた」
 笑いながら言い、エドガルドもイーサンの隣の地面に横たわった。仰向けに空を眺めると、吸い込まれてしまいそうな星空が視界いっぱいに拡がっている。
「綺麗だ」
「ああ」
 二人は無言で夜空を眺め続けた。
 暫くしてエドガルドがイーサンの方へ顔を向け、気配を察したイーサンも彼の方へ顔を向ける。思ったより間近からエドガルドが自分を覗き込んでいたので、イーサンはたじろいだ。
「お前と旅をするのは楽しい」
 子供のような率直さで、エドガルドが告げる。イーサンを見つめる(はしばみ)色の瞳が、月明かりを受けて多彩な色彩を放ち、先ほどまで見上げていた星空より綺麗なくらいだ。
 イーサンは動揺し、
「そろそろ寝るぞ」
 と言い置いて立ち上がると、エドガルドをひとり残してシールドの中へ入ってしまった。エドガルドは特に気に留めず、イーサンの後を追ってテントの中へ入る。
 二人はテントの中に寝袋を敷いて、それぞれ横になった。
 エドガルドは、今夜は(うな)されることはなかった。
 彼は野宿をしている時は悪夢を見ない。エドガルドが魘されるのは屋根の下で眠る時である。危険や緊張に晒されると、彼は一時的に恐怖を忘れることができる。それゆえ、エドガルドが無意識のうちに自分を緊張状態に置きたがることを、イーサンは知っていた。
 昨夜とは全く異なるエドガルドの穏やかな寝顔を見つめながら、イーサンは自分の胸に湧き上がる感情が憐憫なのか、それとも何か全く別のものなのか判然としないまま、目を閉じた。
 そのままイーサンは浅い眠りに落ちた。
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