第一節 悪夢 2

文字数 2,104文字

「何をしてる。そんなところにいたら寝ている間に床に落ちるぞ」
 イーサンが遠慮のない仕草でエドガルドの身体を引き寄せ、後ろから抱き込んくる。
 エドガルドは驚きのあまり身体を強張らせたが、イーサンがあまりにも無造作に自分の身体を扱うので、却って気持ちが落ち着いた。
 エドガルドは決して小柄な方ではないが、この体勢を取るとイーサンの大きな身体にすっぽりと包み込まれてしまう。イーサンの高い体温に全身を包まれ、エドガルドは不思議と小さな子供の頃に戻ったような安心感を覚えた。
 まだアダンもエドガルドも学師になる前の学徒だった頃、二人はティエラ山の本院の、麓寄りの建物にある小さな部屋で一緒に寝起きをしていた。本当に幼い頃は、毎晩のように抱き合って眠った。
 エドガルドは、その頃のことを懐かしく思い出す。先ほどまでアダンに犯される夢を見て(うな)されていたというのに、子供時代のアダンとの思い出はエドガルドの中でいつまでも優しく綺麗なままだった。
「こうしていると、子供の頃を思い出す」
「俺もだ」
 予想外にイーサンが同意を示し、エドガルドの首元で小さく笑う。
「妹も弟も、悪夢を見ると決まって俺のベッドに潜り込んで来た。どちらかが先に俺のベッドに来ると、それに気付いたもう片方が自分も悪夢を見たって言い張って、ベッドに入って来るんだ」
 イーサン。怖い夢を見たの。一緒に眠って。
 子供の頃、幼い妹と弟はしょっちゅうそう言ってイーサンのベッドに潜り込んで来た。一人目の言うことは本当だったが、二人目はただ自分だけ取り残されるのが寂しくて悪夢を見たと言い張るのだった。そんな弟妹たちが可愛くて、イーサンはいつも二人共ベッドに招き入れた。昔から同年代の子供たちより頭一つ背の高かった彼は、幼い弟妹の身体を抱くのに充分な長さの腕を持っていた。
 もちろんエドガルドは子供ではないし、歳もイーサンより上だが、悪夢に怯える彼はイーサンに亡くした弟妹を彷彿とさせ、優しい気持ちを抱かせる。
「温かい」
「お前はもう冷え始めてる」
 体温の低い彼らしく、エドガルドの身体は風呂から上がったばかりだというのにイーサンの腕の中で既にひんやりとし始めていた。
「もっとくっつけ。お前はどうしてそんなに体温が低いんだ」
「どうしてと言われても、生まれつきだ」
 イーサンが抱き込む腕に力を込めてくる。スキンシップに慣れていないエドガルドも、イーサンが与えてくれる人肌の温もりと優しさに、心が慰められていくのを感じる。
「イーサン」
「うん」
「ありがとう」
 だしぬけに礼を言われ、イーサンは言葉を失って腕に抱いたエドガルドの後ろ姿をじっと見つめた。後ろ髪が横に流れ、いつもは隠れているうなじの焼き印と刺青が露わになっている。
イーサンはエドガルドのうなじの刺青を指でなぞりながら訊いた。
「どうしてここに刺青を彫ったんだ。焼き印とは別に、額に彫ったって良かったんだろう」
「第五の刺青は首の上でさえあれば、別にどこに入れてもいいんだ。上級学師たちが額に入れるのは象徴的な意味合いにすぎない」
「それでも、お前も額に彫ったって良かったんだろう」
 イーサンが言い募り、エドガルドは返答に窮する。
 二年前ティエラ・ゲレロの称号を授かる際、象徴であるからこそ、彼はどうしても第五の刺青を額に彫る気にはなれなかった。そんな自分に対し、プラシドがうなじの焼き印を上書きするように紋を入れることを提案してくれて、どれだけ気持ちが楽になったか知れない。
「これで良かったんだ」
 そう言ったきり、エドガルドは黙り込んでしまう。
「お前がそう言うんなら、そうなんだろう」
 イーサンにとってエドガルドのうなじの焼き印は、命を脅かすほど過酷な経験を彼が生き抜いたことの象徴である。そこにエドガルドの生命そのものを感じ、イーサンは左手で優しくエドガルドの頭を抱え込むと、そっと焼き印の痕に口づけた。
 エドガルドは大人しく身を任せ、じっとしている。前にもこんなことがあったな、とエドガルドはぼんやり考えていた。過去の話をしたせいで具合の悪くなったエドガルドを、イーサンが門下街の宿で介抱してくれた時だ。あの時も、イーサンは風呂に入れたエドガルドをベッドに寝かしつけ、後ろから抱き竦めてうなじに口づけてきた。
 こんな風に触れ合うのは、イーサンにとって普通のことなのだろうか。考えてみても、エドガルドにはよく分からない。分かるのは、自分はイーサンに触れられるのが嫌じゃないということ、寧ろ心地よいと感じていることだけだった。
 イーサンはそれ以上は刺青について触れることをせず、子供をあやすようにエドガルドを優しく抱き締める。
「こうしていれば、もう夢は見ない。安心して眠れ」
 ほら、僕が抱っこしておいてあげるから、もう怖い夢は見ないよ。約束する。だから安心して寝てごらん。
 子供の頃、兄ぶって何度も弟妹たちに告げてきた言葉を、イーサンが口に乗せる。
 エドガルドは言われた通り素直に目を閉じた。イーサンの腕の中で、彼はこの上ない安堵を覚えた。
 やがてエドガルドが安らかな寝息を立て始めたのを聞いて、イーサンも眠りに就いた。
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