船旅の思い出

文字数 4,266文字

船旅の始まり
「さーて、出航するよー!」

 翌朝、船長の掛け声によって動き出す船。避難によって積み込みが大きく遅れ、さらに荷物も増えたので一晩明けてからの出航となった。


「あんた達はこの部屋を使ってくれ。船の仕事は無理して手伝わなくていいからな」

 船室へ案内され、部屋の中に足を踏み入れると、温かな光が差し込む。小さな窓から見える景色は、青い海と空が広がっていて、船の揺れとともに風景がゆっくりと変わっていく様子が感じられる。船室には様々な装備が整っており、旅の安全を願うかのように、壁には海の神々へのお守りが掛かってる。

「おや、なぜかの?」

 スカジは船員たちの言葉に疑問を抱きながら、その理由を説いた

「あんなバケモンから守ってもらったんだ。そんな恩人をこき使うなんて姉御に怒られる」

 本来の用心棒のいないところを魔物から守った。いくらでもお礼をせがめるだろう。
 彼らもそれを理解しているから接待するようだ。

「ホッホッ、確かにあの船長はちと恐ろしいのう。あんな短気な女は初めて見たわ。わらわの村はのんきな者が多かったからの」




――バーボチカは保存食で朝食を済ます。一方スカジは草を煎じて飲むだけ。

「……妖精王様、お水だけで大丈夫ですか?」
「ああ、この器の動力は魔力じゃからな。マナの草を煎じて飲むだけでも充分じゃ。食料は全部一人で食べていいぞ」

 妖精は魔力をエネルギーに生きるもの。強い力を持つものはそれだけ維持に必要な魔力が多い。人間に干渉する妖精が小さく弱い者ばかりなのはこのため。

「……さーて、船員共の様子でも見に行こうか。人間関係を把握するついでに色々からかってやろう」

 子供っぽく笑って部屋を出た。賢く美しい王でありながら、未だに人間をからかうのが大好きないたずら妖精。

「……行ってらっしゃーい」

 その様はバーボチカよりも幼い心の持ち主であった。





「おや、こんにちはお客さん。もし良かったら僕と釣りでもしない?」

 甲板にいたのは案内をした船員とは別の痩せた男だ。手すりの前で釣竿を垂らしている。釣りが好きなのだろう。

「ホッホッ、結構じゃ」
「え? なんで?」

 実を言うと彼女は釣りが好きではない。理由は想像の斜め上を行くものだった。

「安全な船上から罠を仕掛けるなど面白くない。狩りとはお互いが向かい合って初めて楽しいものなのじゃ」

 あろうことか、釣りを狩りになぞらえて楽しみたいらしい。彼女の常識では魚も獣も同じなのだ。

 だが相手にとってみればとんでもない話である。例え彼女からは陸から安全に罠を仕掛けるように見えても、その過程や結果には緻密な技術が練り上げられている。

 特に大物のスズキ相手だったら釣り上げるのも一苦労である。

「……そうかい」

 ばつが悪そうに視線を逸らす彼。好きなことをバカにされて心底気分が悪いことだろう。
 せっかく友好的に接してくれた相手に失礼というもの。妖精王は長生きしているから、少なからず傲慢なのであった。

「誘うならバーボチカを誘ってくれ。心底退屈そうにしていたからの」

 ひと通り見回してまた中に入っていくスカジ。働いている者を邪魔する気はないらしく、休憩中の者と話すようだ。そして彼女が向かった先は船室の中である。

「……しかし、気になるのはあのドミニクという男じゃの」

 先程までの児戯とは違い、やけにナイーブな口調。実は彼女は、そのドミニクという男のことを疑っていた。核心に迫る証拠は不十分だが、あの男には何かあると感じていたのだ。

――奴は、なぜ水竜をあそこまで誘導したのか。

 それは彼が水竜から逃げてきたことだ。正確にはどうやって逃げてきたのか。彼女が一番気になったものとは、距離感。

「おや、スカジの姉ちゃんじゃないか。どうしたんだい?」

 その中で鉢合わせたのは副船長であった。

「おお副船長さん。丁度良かった。ドミニクの部屋はどこじゃ?」
「ああ、あいつの部屋ならあそこだけど」
「おお、助かった。ありがとの」

 教えられた方向に行くスカジ。しかしそこを副船長が引き留めた。

「あ、でも行っても無駄足だと思うよ」
「なに?」
「あいつ、なぜか部屋に誰も入れないんだよ」
「……ほう、なんと?」

 振り返り見せたのは疑念の表情。新しいパズルのピースが見つかった、とでも言わんばかりの。

「……どうしたんだい、そんな顔をして」
「副船長さんや、今から聞くことに正直に答えてほしい」
「……ええ?」

用心棒の裏の顔
 一方その頃ドミニクは、船長室に呼び出されていた。

「……何だい、アネゴさん。僕に用かい?」
「白々しい口を利くんじゃないよ、あんた!」

 開幕から凄まじい怒号が響き渡る。耳が敏感なのかドミニクは思わず両手で抑え込んだ。

「あんた、よくもまた約束を破ってくれたねえ! アタシは確かに次やったらクビだって言ったぞ!」

 出港直前の迷子の件を、彼は問いただされていた。

「……ああ、それって冗談じゃなくて本気?」

 負けじと不服そうな声色で言い返すドミニク。口ではそう言っているが、アレクシアの怒りが冗談ではないのはずっと前からわかっていたことだ。

「とにかく、あんたにはもう船を降りてもらうからね!」
「ええーいいのー? あのお宝、僕がいなかったら絶対とれなかったでしょ?」

 確かにドミニクは腕の良い用心棒だ。だがこのまま何も処罰しないままでは確実に規律が乱れる遠因となる。他の船員にも彼に不満を持っている戦闘員は少なからずいた。

「黙りな! 港についたら荷物降ろして出ていきな!」
「……ちぇっわかったよ」

 アレクシアの言葉は有無を言わせぬ迫力があった。仕方なく折れると、彼はすごすごと部屋を出ていこうとした。

「……最後なんだ。お別れの食事会くらいはさせてやるよ」

 そこに来た慈悲の提案。船長はドミニクのことを好いている船員もいることも把握していた。特に専属のコックであるジェフは、前々から彼の喜ぶ料理を必死で考えているという。

 偏食の強い彼のために用意した特別なメニューの数々も用意しているようだ。
 その話を聞くとドミニクの顔はぱっと明るくなった。

「……ふーん、それは楽しみだなあ」

 だがその一方でドミニクは、ただ明るいと呼ぶには妙に含みのある笑みを浮かべていた。アレクシアがその笑顔を見ることはなく、彼は船室を出ていく。




「――ヴァーカ、食事会でお別れするのは君達だよ」

 船室を出て部屋へ戻る途中での独り言。

「さあ、最後の仕事を始めないと。皇帝サマのためにね」

 握った剣の根元に刻まれた刻印――それはこれからバーボチカ達が向かう侵略者の国『アルミュール帝国』の憲兵隊の紋章であった。

海の上での絆
「……はぁーあ、やることないなー」

 ベッドに寝ころび天井を眺めるバーボチカ。彼女の初めての船旅は退屈極まりないものである。

 水地が危険な島で育った彼女は船の上での楽しみを何も知らない。弓を使った狩りは海ではできない。大好きな花も海にはない。大陸に着くまで何一つやることがないのだ、

 もちろん遊びで旅をしているわけではないことは自覚している。それでも楽しみが何一つないのは辛い。

「もしもーし、バーボチカちゃーん。入っていいー?」
「あ、どうぞー」
「はーい、こんにちわー!」

 入ってきたのは甲板で釣りをしていた船員だった。

「バーボチカちゃん、もしかして今退屈かい?」

 見事に現状を言い当てる船員。彼の名はジェフ。この海賊団唯一のコックである。仕事は調理と釣りによる食料確保。力仕事は苦手なので宝さがしの際は船の見張りをしている。

「……そうですけど」
「だったら僕と一緒に釣りでもしない? 楽しいよー?」

 嬉々として掲げられた釣り竿とバケツ。その中身は空っぽだ。釣りが趣味と言うだけあって準備は万端らしい。

「あ、いいですねー!」

 無論これにバーボチカが乗っからないはずがなかった。



「わーい、また釣れたー!」

 釣れたのはパープルイワシ、釣り入門にはピッタリの魚だ。これでもう十匹以上。一方隣のジェフは大きなアギトスズキを五匹程釣ったようだ。

「おおー! 初めてなのに上手だねー!」

 実は彼女、今まで釣りをしたことがないのである。というのも、リョート島の水地はどこでもギルマンが現れるから川で魚を取ることはできないのだ。

 だからと言って海まで出るのも内陸だから移動に時間がかかる。そうなったら陸地の獲物ばかりに興味が向くのが自然なことである。

「そういえばジェフ君、ドミニクさんはなんで昨日ご飯の時間に来なかったんだろう?」
「それなんだけど彼は自力で用意するからいらないって条件で雇ってもらったらしいよ」

 ジェフは少し眉をひそめ、船員たちの中で一際孤立しているドミニクのことを考え込んでいるようだった。

「あの時は船長、そんな美味しい条件で用心棒になってくれるのかって喜んでいたね」
「ふーん……」

 再び竿に注視しながら、バーボチカは話を続けた。

「あんなに美味しいのにもったいないですねー……」
「それなんだけど、実は船長に内緒で何度か彼の部屋にご飯持って行ったんだよね」

 美味しい食事は、孤独な航海生活においても心の支えとなり得るものだった。

「そうなんですか?」
「うん、でも毎回追い返されたよ。だから彼に料理を食べてもらったことは一度もないんだ……」

 一方で、彼女が何度も追い返されたことには少し驚きが隠れていた。その態度には謎めいた何かが漂っているようだった。
 料理人なら自分の作る料理を喜んでもらえないことはつらいだろう。なぜそこまで拒絶するのか、それすら教えてもらえないのはあんまりであった。

「お魚、嫌いなのかなー?」
「さあ、僕にはわからない……」

 そう言いながら、ジェフは竿を引き上げた。針には餌しか残っていない。
――その時である。

「そうだ、ドミニクさんが魚が苦手なら、魚が苦手な人でも食べられる魚料理を作ろうよ」

 バーボチカの発した何気ない提案。

「――そ、その手があったのか! いいねえそれッ!」

 だが、それは彼にとって天啓に等しかった。

「じゃあバーボチカちゃん、釣りが終わったら一緒に考えてみないか!?」
「はーい!!」

――それから彼は、思い思いに魚が苦手な人でも食べやすい料理を考察し始めた。熱心な二人はすぐに意見を出し合い、時には喧嘩になり、そして妥協案を出しては試食してみる。

 そして、ついに一つの結論に至った。これなら魚が苦手な人にもお肉と同じ感覚で食べられるというものを、造り出した。

 だが二人の思いは、想像を超えた形で裏切られることになる……。
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