バーボチカの旅立ち!
文字数 6,682文字
孤島の営み●
リョート島、古代に栄えた帝国ヤーポンの最北端に位置する孤島。
この国ではかつて、戦争があった。三百年以上も内戦が絶えなかったこの国はある時、天変地異によりこのリョート島のみを残して深海に沈んでしまう。
その原因は、ある軍閥の禁術か、不毛な戦争に怒った神の裁きか。諸説あるものの、真相を知るものはもう誰もいない。今この島に住む者達はそんな血塗られた歴史を知らず、平和な日々を紡いでいた。
「さあみんな、今日は木の実を集めるよ!」
母親と思わしき年長の女性達。だが背は低い。一見しただけでは、彼女らが大人と気づくものはそういないだろう。
そして男の子達はそれ以上に異様な見かけ。長い鼻に緑の肌、まるで悪魔の子供みたいな顔。そう、彼らはゴブリンである。
「わーい!」
子供達が、一斉に駆け出す。木の実といえども大事な食料。それを集めるのは大事な手伝いである。だが子供達はそれ以上に、採取を純粋に楽しんでいるようであった。
それから長くかからない内に、彼らは戻ってきた。カゴいっぱいに、木の実を入れて。
「――うん、みんな偉い!」
ここからは大人達の仕事である。木の実をどのように加工するか。生のまま食べるもの、果汁を搾ってジュースにするもの、食用には適さないもの、食用以外にも活用できるもの。それらを村に帰ってから選別する。それが彼女らの仕事だった。
子供達のおかげで充分な蓄えを用意できたことを満足する大人達は、帰り支度の準備に移ろうとしていた。
「あれ、バーボチカは?」
だが大人達の一人が気づく。まだ戻っていない子がいることに。
「ええーまた? どこに行ったのよ、あの子?」
「見つからなかったら大変だよ。あの子シャーマン様の一人娘だからね」
勝手な行動が多い、手のかかる子供らしい。その上親は身分の高いシャーマン。もし無事で帰ってこなかったら、そう考えるだけで気が気でないだろう。だがその時、遠くから音が聞こえてきた。それは草をかき分ける音だ。
不安そうな表情を浮かべる女性達だったが、やがてその姿が明らかになる。
飛び出したのは、いなくなっていた女の子だった。
「よっと」
「あ、戻ってきた」
大人達と同様普通の少女の姿をしていた。色白な肌ととがった耳が特徴の子だ。だが彼女が身に着けている服はボロボロで、あちこちほつれており、汚れてもいた。
どうやら森の中で迷っていたようだ。だが彼女は元気そのものの様子で、疲れた様子はない。むしろ何かいいものを見つけ満足しているような顔をしている。
「どこ行ってたのよ。あまり遠くにいっちゃダメだって言ったでしょ?」
「はーい」
「で、どれだけ採れたの?」
勝手に遠くまで行ったからにはいいものを取ってきたんだろう。そんな期待をして大人達は差し出されたかごを受け取る。
だが入っていたのは木の実ではない。それは不吉なものとされる赤い花。
「うわ、なにこれ……この赤い花……」
間違いなくそれは、彼岸花であった。だがどうしてこんなものを摘んできたのか。
「アハハ、そんな花なんて食べられないじゃん!」
男の子達はこれが不吉なものであることを知らない。困惑する大人達をよそに、ただただ可笑しいと思って笑っている。
だが大人達は笑わない。笑えるはずなどなかった。
「こんな気味の悪い花捨ててきなさい」
この花を毛嫌いする彼女らは当然のように告げる。
「え、いらないんですか?」
だがそれを少女は自覚せず拒絶した。せっかく苦労して集めてきたというのに。
「だったら私、このお花貰っていきますねー」
そう言って少女はかごの中に入っていた赤の花を両手一杯に抱えると、そのまま走り去ってしまう。 呆れ果てる大人達をよそに、向かうのは家の方向であった。
その光景を大人達は呆然と見つめることしかできなかった。
「……もう勝手にしなさい」
そう、これが彼女を取り巻く村の日常である。
――それから三年が経ち、バーボチカは六歳になった。そこから彼女は狩りに熱中するようになる。
老齢になり引退した狩人から弓とナイフを譲り受けた彼女は、その技巧を磨きあげる。射撃術、地理学、生物学、罠の組み立て……小さいながらも彼女は大人達から認められる優れた狩人となった。
だが評判が良いのは男達の間だけ。女性陣からは依然として、むしろあの時以上に強い疑念を向けられていた。
「あの子、また狩りに行くのね。少しは畑仕事を手伝ってほしいものだわ」
この村で子供は物心ついた頃から親の仕事を手伝い始めるのだが、ある日を境にバーボチカは畑仕事を手伝わず狩りばかりに集中するようになったのだ。無論男達はそれでも喜んでくれた。優秀な後身がまた一人できたと。
だがこの村の女性達は家事と畑仕事、これらで戦う男達を支えるのが仕事であった。それを全く手伝わず一人で山に出ることは勝手な行動に見られても仕方がない。
「帰ってくる度に獲物とは別で、あの花をたんまり持って帰ってくるし……」
依然としてあの花も集めていることが、何より疑念を強めていた。
「しかもあの花、シャーマン様が集めさせていたらしいわよ」
「ええ、それ本当!?」
これは事実だ。シャーマンの娘であるバーボチカは、他の親世代よりもシャーマンである母の言うことに従って行動していたのだ。それがどんなものなのかはまだ誰も知らないが、とにかく特別なものであることだけは確かだ。
だが不吉な花を娘に集めるよう命じたシャーマンの行動は、母親として理解に苦しむもの。その上女性達の不満はそれだけではなかった。
「そもそもあの子の父親って誰なんだろうねえ。シャーマン様には旦那様がいないのに。一体どこで授かったのだか」
そう、シャーマンには夫はいない。つまり彼女には父親となるべき男性が存在しないのに、何故かあの子は生まれてしまった。
どこで授かったのかわからない、謎の子供。そのことが余計に、彼女を怪しく思わせてしまうのだった。
「ちょっとよしなよ。亡くなった人の裏を探るなんて」
シャーマンの身分は高い。村長が条例で村人を縛るような真似を好まない人物であるため、彼女は実質上村で最も強い発言権を持っていた。
生贄の要求や危険な儀式などの村人達に実害を出すことはしていないが、それでもその人となりには謎が多い。
だがそれでも、有力者相手に反逆する勇気がある者はいない。村人達は彼女ら親子に行動を起こさないまま日々を過ごしていた。
幸か不幸か、後継者が選ばれる前にシャーマンはこの世を去ったため後任は空席になっている。
シャーマンの人となりを今から知ることはもうできないが、未知の存在である彼女に怯える必要はなくなったらしい。
――そんな日常が紡がれる中、彼らの平和を壊す者が現れた。
「ヒャッハー!」
踏み込んで放たれた拳。村の戦士を捉え、一撃で倒した。
先程まで生きていた戦士は、もう冷たい死体と化した。
そしていま倒れ伏す彼こそが、この村最後の戦士。もう彼らに抗う術は残されてはいない。
「父ちゃん! なんで、嘘だ、父ちゃん!!」
背中から乱暴な力が襲いかかった。気がつくと子供は侵略者の手へ。
この男は外海から来た冒険者。目的は不明だがたった一人で村を強襲し、戦士を一人残さず惨殺した。
「オラオラッ! このガキを助けたければ水と食料を全て俺様に差し出せぇ!!」
声を張り上げての嘲笑、その様はまさしく本物の魔物であった。
「やめるんじゃ! お前さんの気が済むのならわしが代わりになる! だから、だから――」
村長の必死の懇願。しかし男は耳を貸さなかった。
「うるせえ! そういう指図は俺様の欲しいものをよこしてからにしやがれ! 見てろ!!」
男は宣言するやいなや子供を勢いよく投げつけた。
地面に叩きつけられた衝撃で子供の顔はひしゃげ、骨が折れる嫌な音が届いて、血が飛び散り、砂煙が収まる頃には子供の姿は変わり果てていた。村長は何もできずただただ絶句していた。
「ああ!? なんということを!?」
「さあ早くよこせ! 別のガキが同じ目に遭いたくなけりゃなあ!!」
「キャアァー!?」
村を放棄してでも逃げるしかない。それが生き残るためにできる唯一の方法であった。
一方村長は一人、その場を動かずにいた。老い先の短い己が囮になって、子供達が逃げる時間を少しでも多く作るために。
「ヒャッハハハー! 臆病すぎだ、テメーら!!」
下品に笑う男。これこそが最高に愉快な景色とでも言わんばかりに。
「最初ハナっからそうすりゃいいんだよ、ヴァカ共が!」
奪い取った水を、男が乱暴に飲み始めた。散々見せつけた己の力をさらに誇示するために。
「なぜじゃ……なぜわしらがこんな目に……」
民を守るため自ら囮になるという勇気、それは目の前の横暴な略奪を前に失意へと変わっていく。
その悲しみに満ちた呟きに迫るのは、傲慢たる剛腕。水を飲んでひとまず満足した大男が、腕を鳴らして村長へ迫る。
「さーて、後は図々しく指図してくれたテメーをぶっ殺すだけだな」
男の拳が振りかぶられる。村長には避ける力も残っていない。
「消え失せろー!!」
――もはやこれまでか。諦めかけたその時だった。その拳は途中で止まった。
「――ッ!?」
男の振りかざした手には矢が。既に戦えるもののいないここで、一筋の希望が差したのか。
「誰だ、邪魔しやがったのは!?」
「あ、あれは!?」
先に気が付いたのは村長。そこにいたのは、狩りから帰ってきたバーボチカだった。
「なんだガキか。しかもメスかよ」
男も彼女に気が付く。不意打ちをしかけたのは女の子。どんな強い男が来たのかと期待していたのだろうか、途端にガッカリした。
「…………」
無言で矢をつがえるバーボチカ。二度目の射撃を行うつもりだ。
「よせ、バーボチカ! 男衆が総出でも勝てなかったのじゃぞ! お前一人で勝てる相手ではない、逃げろ!」
必死の制止、しかしその最中に響く風を切る音。構わず戦いを続ける気だ。
しかし今の射撃は互いに見合っていたこともあり、かわされる。
「……ケッ生意気なガキじゃねえか。上等だ! 望み通りぶっ殺してやる!!」
逆上し男が走る。それに気づいたバーボチカはあえて反撃せず、森の中へ逃げた。
傲慢たる使徒●
「ヒャッハー!」
迫る男が放った乱拳、それが衝動の赴くまま空を切る。
「……えい!!」
だがそれに合わせてバーボチカが地を蹴った。己の姿勢を重力に合わせ、はるかに大きい男の肩へ飛び乗る。
「なに!?」
これでは自慢の拳も届くはずがない。
「ねえお兄さん、あなたは今まで何人殺したんですか?」
首を囲うのは足、ナイフをつきつけるのは右手。
「そんなの知るかよ!」
「ふーん、そうですかあ」
余裕を見せながら笑うバーボチカだが、次第に怒気を強めていく。敵は殺しを楽しんでいる。それを確信したからだ。
「私はあなたが殺したおじさん達がどのお友達のお父さんなのか、みんな一人一人覚えているのですよ?」
平静を装う裏に、どれだけ強い怒りがあるのか。
「うるせえ! 未練がましいんだよ! そんなにそいつらが好きなら今すぐそいつらのところに送ってやるよ!!」
逆上した男が奇手に出た。地面にめがけて背面飛び、これで潰すつもりだ。
「おや?」
それに対するバーボチカの動きは、見事な垂直跳びだった。
「ウゲッ!?」
男が仕留めそこなったことに気付いた時には、少女が重力を活かして飛びかかっていた。
「とおっ!」
胸に飛び乗ったバーボチカが両手に握ったナイフを全力で突き立てた。
「痛ぇ!?」
「えいえいえいえーい!!」
浴びせられた追撃は別のナイフによる連撃であった。しかし相手の鍛えられた肉体にはほとんど痛手を与えられない。丸太につけた切り傷みたいに浅い。
「――フンッ!」
案の定反撃のチャンスを与えてしまった。男がとっさに両手で掌底を放つ、それをモロにくらい、バーボチカは強く跳ね飛ばされてしまう。
「うわああ!?」
ナイフを落とし吹っ飛び、思いっきり尻もちをついてしまった。
「その程度か、クソガキ?」
男が嘲笑交じりにナイフをブーツで踏み潰し、破砕。これでもう、彼女に戦うすべはない。
「ウフフフ……」
だが不思議なことに、彼女は笑っていた。
「……何がおかしい?」
「皆さん、敵は私が討ちました。安らかに眠って下さい」
「……ハァッ!?」
まさかの勝利宣言。逆上する敵を背に、村長の待つ村の方へ走った。
「……ふっざけんじゃねえー!!」
「村長さーん!」
仕留めた獲物を拾いなおして戻ってきたバーボチカ。その背にはあの男が。
「いかん、逃げろ! そんなものに構っている暇はない、殺されるぞ!!」
「待ちやがれぇぇぇー!!」
その時だった。叫ぶ男の口から勢い良く血液が飛び出す。
「――!?」
さらに胴からも出血。出血性の劇毒だ。元から即効性の高いものだが、この男が些細なことで激昂することで血流が良くなっており、通常より早く毒が回ったのだ。
倒れる男。もう立ち上がることはない。確実に死んでいた。
「……な、何が起こったのじゃ?」
「お母さんが元気だった頃、強力な毒の作り方を教えてくれたんです。いつか必要な時が来るから忘れずに持っていなさいって」
その毒とはあの彼岸花から抽出したもの。バーボチカの母はシャーマン。生前の頃からこのような事態を予知していたのか、事前に対策を打っていたのだ。
「村長、ご無事ですか!?」
逃げた村人達が戻ってきた。同族ではない背の高い女性を連れて。
「あ、ああ……じゃが、なぜ戻ってきたのだ」
「妖精王様が賊を倒すために来て下さったのです!」
「なんじゃと、それは本当か!?」
妖精王降臨
「者共、安心するがよい。わらわが来たからにはもう大丈夫じゃ。大地を汚す賊はわらわがこの手で討つ」
前へ出る麗しい女性。侵略者の男とほぼ同等の高い背丈に高貴な紫のドレス。そしてそれよりも強く赤がかかった髪。彼女こそが妖精王。村人達の祈りに応えて、転移魔法で現れたのだ。
静けさが辺りに広がり、森の中の小さな村は、妖精王の出現によって生まれた奇跡に包まれました。その美しい姿勢と確かな自信は、村人たちに勇気を与えました。
「あ、あの……それなのですが……」
「なんじゃ?」
妖精王は村人の声に耳を傾けた。
「実はもう、賊は倒されたのです」
「ほう?」
報告に驚く妖精王。戦士達が全滅したことも何もかも聞いたのに、自分の手を借りずに賊を始末したとは。とてもではないが信じられない話であった。
「賊を倒したのは誰じゃ?」
妖精王は疑念を隠さずに尋ねました。
「この娘です」
バーボチカを前に出す村長。それを見て一気に村人達が声を上げる。
「うそ!? バーボチカが!?」
「いくら腕のいい狩人だとしても相手は大人の男全員が敵わなかったのよ!?」
「嘘だ! 父さんを殺したあいつをお前なんかが倒せるもんか!!」
誰一人信じない村人達。彼女は救世主だというのに。
「やめんか!」
それを一喝したのは妖精王であった。
「この者はわらわ抜きでこの窮地を乗り切った英雄じゃ。邪険に扱うのはわらわが許さん!!」
その一言で黙る村人達。妖精王はそのままバーボチカに迫り、抱きかかえる。
「わー……」
顔が向かい合う高さまで持ち上げられ、バーボチカは驚きのあまり体が全く動かない。
「そなたがあの子の娘か」
どうやら彼女はバーボチカの母のことを知っているようだ。
「やっと見つけたぞ、神の子を」
「…………?」
意味深な言葉。バーボチカはもちろん、周りの大人達も何もわからなかった。
「者共、聞くがよい。この戦いは始まりにすぎん。これから一か月後、大陸から侵略者が来る。それも艦隊で。上陸を許せば今度こそ誰一人助からん」
「えええ!?」
村人たちは声を揃えて驚く。
「だからこそ」
バーボチカを皆の方へ向け、話す妖精王。
「わらわはこの英雄と共に、奴らの艦隊を破壊するための旅へ出る。この島を守るために」
旅立ちを強制されたバーボチカ。それでも彼女は、拒絶するようなそぶりを一切見せなかった。
「バーボチカ、過酷な旅じゃが大丈夫か?」
妖精王は彼女に問いかけました。
「……はい、行きます。行かなかったら皆死んでしまうのですよね?」
バーボチカは決然とした表情で答える
「……そうじゃ」
「なら、私がみんなを守ります」
小さな体で力強く宣言する彼女に、妖精王は微笑んだ。
「……小さいのに立派な子じゃな。わらわの名はスカジ。この島を守る妖精王じゃ。バーボチカよ、共に行こう」
リョート島、古代に栄えた帝国ヤーポンの最北端に位置する孤島。
この国ではかつて、戦争があった。三百年以上も内戦が絶えなかったこの国はある時、天変地異によりこのリョート島のみを残して深海に沈んでしまう。
その原因は、ある軍閥の禁術か、不毛な戦争に怒った神の裁きか。諸説あるものの、真相を知るものはもう誰もいない。今この島に住む者達はそんな血塗られた歴史を知らず、平和な日々を紡いでいた。
「さあみんな、今日は木の実を集めるよ!」
母親と思わしき年長の女性達。だが背は低い。一見しただけでは、彼女らが大人と気づくものはそういないだろう。
そして男の子達はそれ以上に異様な見かけ。長い鼻に緑の肌、まるで悪魔の子供みたいな顔。そう、彼らはゴブリンである。
「わーい!」
子供達が、一斉に駆け出す。木の実といえども大事な食料。それを集めるのは大事な手伝いである。だが子供達はそれ以上に、採取を純粋に楽しんでいるようであった。
それから長くかからない内に、彼らは戻ってきた。カゴいっぱいに、木の実を入れて。
「――うん、みんな偉い!」
ここからは大人達の仕事である。木の実をどのように加工するか。生のまま食べるもの、果汁を搾ってジュースにするもの、食用には適さないもの、食用以外にも活用できるもの。それらを村に帰ってから選別する。それが彼女らの仕事だった。
子供達のおかげで充分な蓄えを用意できたことを満足する大人達は、帰り支度の準備に移ろうとしていた。
「あれ、バーボチカは?」
だが大人達の一人が気づく。まだ戻っていない子がいることに。
「ええーまた? どこに行ったのよ、あの子?」
「見つからなかったら大変だよ。あの子シャーマン様の一人娘だからね」
勝手な行動が多い、手のかかる子供らしい。その上親は身分の高いシャーマン。もし無事で帰ってこなかったら、そう考えるだけで気が気でないだろう。だがその時、遠くから音が聞こえてきた。それは草をかき分ける音だ。
不安そうな表情を浮かべる女性達だったが、やがてその姿が明らかになる。
飛び出したのは、いなくなっていた女の子だった。
「よっと」
「あ、戻ってきた」
大人達と同様普通の少女の姿をしていた。色白な肌ととがった耳が特徴の子だ。だが彼女が身に着けている服はボロボロで、あちこちほつれており、汚れてもいた。
どうやら森の中で迷っていたようだ。だが彼女は元気そのものの様子で、疲れた様子はない。むしろ何かいいものを見つけ満足しているような顔をしている。
「どこ行ってたのよ。あまり遠くにいっちゃダメだって言ったでしょ?」
「はーい」
「で、どれだけ採れたの?」
勝手に遠くまで行ったからにはいいものを取ってきたんだろう。そんな期待をして大人達は差し出されたかごを受け取る。
だが入っていたのは木の実ではない。それは不吉なものとされる赤い花。
「うわ、なにこれ……この赤い花……」
間違いなくそれは、彼岸花であった。だがどうしてこんなものを摘んできたのか。
「アハハ、そんな花なんて食べられないじゃん!」
男の子達はこれが不吉なものであることを知らない。困惑する大人達をよそに、ただただ可笑しいと思って笑っている。
だが大人達は笑わない。笑えるはずなどなかった。
「こんな気味の悪い花捨ててきなさい」
この花を毛嫌いする彼女らは当然のように告げる。
「え、いらないんですか?」
だがそれを少女は自覚せず拒絶した。せっかく苦労して集めてきたというのに。
「だったら私、このお花貰っていきますねー」
そう言って少女はかごの中に入っていた赤の花を両手一杯に抱えると、そのまま走り去ってしまう。 呆れ果てる大人達をよそに、向かうのは家の方向であった。
その光景を大人達は呆然と見つめることしかできなかった。
「……もう勝手にしなさい」
そう、これが彼女を取り巻く村の日常である。
――それから三年が経ち、バーボチカは六歳になった。そこから彼女は狩りに熱中するようになる。
老齢になり引退した狩人から弓とナイフを譲り受けた彼女は、その技巧を磨きあげる。射撃術、地理学、生物学、罠の組み立て……小さいながらも彼女は大人達から認められる優れた狩人となった。
だが評判が良いのは男達の間だけ。女性陣からは依然として、むしろあの時以上に強い疑念を向けられていた。
「あの子、また狩りに行くのね。少しは畑仕事を手伝ってほしいものだわ」
この村で子供は物心ついた頃から親の仕事を手伝い始めるのだが、ある日を境にバーボチカは畑仕事を手伝わず狩りばかりに集中するようになったのだ。無論男達はそれでも喜んでくれた。優秀な後身がまた一人できたと。
だがこの村の女性達は家事と畑仕事、これらで戦う男達を支えるのが仕事であった。それを全く手伝わず一人で山に出ることは勝手な行動に見られても仕方がない。
「帰ってくる度に獲物とは別で、あの花をたんまり持って帰ってくるし……」
依然としてあの花も集めていることが、何より疑念を強めていた。
「しかもあの花、シャーマン様が集めさせていたらしいわよ」
「ええ、それ本当!?」
これは事実だ。シャーマンの娘であるバーボチカは、他の親世代よりもシャーマンである母の言うことに従って行動していたのだ。それがどんなものなのかはまだ誰も知らないが、とにかく特別なものであることだけは確かだ。
だが不吉な花を娘に集めるよう命じたシャーマンの行動は、母親として理解に苦しむもの。その上女性達の不満はそれだけではなかった。
「そもそもあの子の父親って誰なんだろうねえ。シャーマン様には旦那様がいないのに。一体どこで授かったのだか」
そう、シャーマンには夫はいない。つまり彼女には父親となるべき男性が存在しないのに、何故かあの子は生まれてしまった。
どこで授かったのかわからない、謎の子供。そのことが余計に、彼女を怪しく思わせてしまうのだった。
「ちょっとよしなよ。亡くなった人の裏を探るなんて」
シャーマンの身分は高い。村長が条例で村人を縛るような真似を好まない人物であるため、彼女は実質上村で最も強い発言権を持っていた。
生贄の要求や危険な儀式などの村人達に実害を出すことはしていないが、それでもその人となりには謎が多い。
だがそれでも、有力者相手に反逆する勇気がある者はいない。村人達は彼女ら親子に行動を起こさないまま日々を過ごしていた。
幸か不幸か、後継者が選ばれる前にシャーマンはこの世を去ったため後任は空席になっている。
シャーマンの人となりを今から知ることはもうできないが、未知の存在である彼女に怯える必要はなくなったらしい。
――そんな日常が紡がれる中、彼らの平和を壊す者が現れた。
「ヒャッハー!」
踏み込んで放たれた拳。村の戦士を捉え、一撃で倒した。
先程まで生きていた戦士は、もう冷たい死体と化した。
そしていま倒れ伏す彼こそが、この村最後の戦士。もう彼らに抗う術は残されてはいない。
「父ちゃん! なんで、嘘だ、父ちゃん!!」
背中から乱暴な力が襲いかかった。気がつくと子供は侵略者の手へ。
この男は外海から来た冒険者。目的は不明だがたった一人で村を強襲し、戦士を一人残さず惨殺した。
「オラオラッ! このガキを助けたければ水と食料を全て俺様に差し出せぇ!!」
声を張り上げての嘲笑、その様はまさしく本物の魔物であった。
「やめるんじゃ! お前さんの気が済むのならわしが代わりになる! だから、だから――」
村長の必死の懇願。しかし男は耳を貸さなかった。
「うるせえ! そういう指図は俺様の欲しいものをよこしてからにしやがれ! 見てろ!!」
男は宣言するやいなや子供を勢いよく投げつけた。
地面に叩きつけられた衝撃で子供の顔はひしゃげ、骨が折れる嫌な音が届いて、血が飛び散り、砂煙が収まる頃には子供の姿は変わり果てていた。村長は何もできずただただ絶句していた。
「ああ!? なんということを!?」
「さあ早くよこせ! 別のガキが同じ目に遭いたくなけりゃなあ!!」
「キャアァー!?」
村を放棄してでも逃げるしかない。それが生き残るためにできる唯一の方法であった。
一方村長は一人、その場を動かずにいた。老い先の短い己が囮になって、子供達が逃げる時間を少しでも多く作るために。
「ヒャッハハハー! 臆病すぎだ、テメーら!!」
下品に笑う男。これこそが最高に愉快な景色とでも言わんばかりに。
「最初ハナっからそうすりゃいいんだよ、ヴァカ共が!」
奪い取った水を、男が乱暴に飲み始めた。散々見せつけた己の力をさらに誇示するために。
「なぜじゃ……なぜわしらがこんな目に……」
民を守るため自ら囮になるという勇気、それは目の前の横暴な略奪を前に失意へと変わっていく。
その悲しみに満ちた呟きに迫るのは、傲慢たる剛腕。水を飲んでひとまず満足した大男が、腕を鳴らして村長へ迫る。
「さーて、後は図々しく指図してくれたテメーをぶっ殺すだけだな」
男の拳が振りかぶられる。村長には避ける力も残っていない。
「消え失せろー!!」
――もはやこれまでか。諦めかけたその時だった。その拳は途中で止まった。
「――ッ!?」
男の振りかざした手には矢が。既に戦えるもののいないここで、一筋の希望が差したのか。
「誰だ、邪魔しやがったのは!?」
「あ、あれは!?」
先に気が付いたのは村長。そこにいたのは、狩りから帰ってきたバーボチカだった。
「なんだガキか。しかもメスかよ」
男も彼女に気が付く。不意打ちをしかけたのは女の子。どんな強い男が来たのかと期待していたのだろうか、途端にガッカリした。
「…………」
無言で矢をつがえるバーボチカ。二度目の射撃を行うつもりだ。
「よせ、バーボチカ! 男衆が総出でも勝てなかったのじゃぞ! お前一人で勝てる相手ではない、逃げろ!」
必死の制止、しかしその最中に響く風を切る音。構わず戦いを続ける気だ。
しかし今の射撃は互いに見合っていたこともあり、かわされる。
「……ケッ生意気なガキじゃねえか。上等だ! 望み通りぶっ殺してやる!!」
逆上し男が走る。それに気づいたバーボチカはあえて反撃せず、森の中へ逃げた。
傲慢たる使徒●
「ヒャッハー!」
迫る男が放った乱拳、それが衝動の赴くまま空を切る。
「……えい!!」
だがそれに合わせてバーボチカが地を蹴った。己の姿勢を重力に合わせ、はるかに大きい男の肩へ飛び乗る。
「なに!?」
これでは自慢の拳も届くはずがない。
「ねえお兄さん、あなたは今まで何人殺したんですか?」
首を囲うのは足、ナイフをつきつけるのは右手。
「そんなの知るかよ!」
「ふーん、そうですかあ」
余裕を見せながら笑うバーボチカだが、次第に怒気を強めていく。敵は殺しを楽しんでいる。それを確信したからだ。
「私はあなたが殺したおじさん達がどのお友達のお父さんなのか、みんな一人一人覚えているのですよ?」
平静を装う裏に、どれだけ強い怒りがあるのか。
「うるせえ! 未練がましいんだよ! そんなにそいつらが好きなら今すぐそいつらのところに送ってやるよ!!」
逆上した男が奇手に出た。地面にめがけて背面飛び、これで潰すつもりだ。
「おや?」
それに対するバーボチカの動きは、見事な垂直跳びだった。
「ウゲッ!?」
男が仕留めそこなったことに気付いた時には、少女が重力を活かして飛びかかっていた。
「とおっ!」
胸に飛び乗ったバーボチカが両手に握ったナイフを全力で突き立てた。
「痛ぇ!?」
「えいえいえいえーい!!」
浴びせられた追撃は別のナイフによる連撃であった。しかし相手の鍛えられた肉体にはほとんど痛手を与えられない。丸太につけた切り傷みたいに浅い。
「――フンッ!」
案の定反撃のチャンスを与えてしまった。男がとっさに両手で掌底を放つ、それをモロにくらい、バーボチカは強く跳ね飛ばされてしまう。
「うわああ!?」
ナイフを落とし吹っ飛び、思いっきり尻もちをついてしまった。
「その程度か、クソガキ?」
男が嘲笑交じりにナイフをブーツで踏み潰し、破砕。これでもう、彼女に戦うすべはない。
「ウフフフ……」
だが不思議なことに、彼女は笑っていた。
「……何がおかしい?」
「皆さん、敵は私が討ちました。安らかに眠って下さい」
「……ハァッ!?」
まさかの勝利宣言。逆上する敵を背に、村長の待つ村の方へ走った。
「……ふっざけんじゃねえー!!」
「村長さーん!」
仕留めた獲物を拾いなおして戻ってきたバーボチカ。その背にはあの男が。
「いかん、逃げろ! そんなものに構っている暇はない、殺されるぞ!!」
「待ちやがれぇぇぇー!!」
その時だった。叫ぶ男の口から勢い良く血液が飛び出す。
「――!?」
さらに胴からも出血。出血性の劇毒だ。元から即効性の高いものだが、この男が些細なことで激昂することで血流が良くなっており、通常より早く毒が回ったのだ。
倒れる男。もう立ち上がることはない。確実に死んでいた。
「……な、何が起こったのじゃ?」
「お母さんが元気だった頃、強力な毒の作り方を教えてくれたんです。いつか必要な時が来るから忘れずに持っていなさいって」
その毒とはあの彼岸花から抽出したもの。バーボチカの母はシャーマン。生前の頃からこのような事態を予知していたのか、事前に対策を打っていたのだ。
「村長、ご無事ですか!?」
逃げた村人達が戻ってきた。同族ではない背の高い女性を連れて。
「あ、ああ……じゃが、なぜ戻ってきたのだ」
「妖精王様が賊を倒すために来て下さったのです!」
「なんじゃと、それは本当か!?」
妖精王降臨
「者共、安心するがよい。わらわが来たからにはもう大丈夫じゃ。大地を汚す賊はわらわがこの手で討つ」
前へ出る麗しい女性。侵略者の男とほぼ同等の高い背丈に高貴な紫のドレス。そしてそれよりも強く赤がかかった髪。彼女こそが妖精王。村人達の祈りに応えて、転移魔法で現れたのだ。
静けさが辺りに広がり、森の中の小さな村は、妖精王の出現によって生まれた奇跡に包まれました。その美しい姿勢と確かな自信は、村人たちに勇気を与えました。
「あ、あの……それなのですが……」
「なんじゃ?」
妖精王は村人の声に耳を傾けた。
「実はもう、賊は倒されたのです」
「ほう?」
報告に驚く妖精王。戦士達が全滅したことも何もかも聞いたのに、自分の手を借りずに賊を始末したとは。とてもではないが信じられない話であった。
「賊を倒したのは誰じゃ?」
妖精王は疑念を隠さずに尋ねました。
「この娘です」
バーボチカを前に出す村長。それを見て一気に村人達が声を上げる。
「うそ!? バーボチカが!?」
「いくら腕のいい狩人だとしても相手は大人の男全員が敵わなかったのよ!?」
「嘘だ! 父さんを殺したあいつをお前なんかが倒せるもんか!!」
誰一人信じない村人達。彼女は救世主だというのに。
「やめんか!」
それを一喝したのは妖精王であった。
「この者はわらわ抜きでこの窮地を乗り切った英雄じゃ。邪険に扱うのはわらわが許さん!!」
その一言で黙る村人達。妖精王はそのままバーボチカに迫り、抱きかかえる。
「わー……」
顔が向かい合う高さまで持ち上げられ、バーボチカは驚きのあまり体が全く動かない。
「そなたがあの子の娘か」
どうやら彼女はバーボチカの母のことを知っているようだ。
「やっと見つけたぞ、神の子を」
「…………?」
意味深な言葉。バーボチカはもちろん、周りの大人達も何もわからなかった。
「者共、聞くがよい。この戦いは始まりにすぎん。これから一か月後、大陸から侵略者が来る。それも艦隊で。上陸を許せば今度こそ誰一人助からん」
「えええ!?」
村人たちは声を揃えて驚く。
「だからこそ」
バーボチカを皆の方へ向け、話す妖精王。
「わらわはこの英雄と共に、奴らの艦隊を破壊するための旅へ出る。この島を守るために」
旅立ちを強制されたバーボチカ。それでも彼女は、拒絶するようなそぶりを一切見せなかった。
「バーボチカ、過酷な旅じゃが大丈夫か?」
妖精王は彼女に問いかけました。
「……はい、行きます。行かなかったら皆死んでしまうのですよね?」
バーボチカは決然とした表情で答える
「……そうじゃ」
「なら、私がみんなを守ります」
小さな体で力強く宣言する彼女に、妖精王は微笑んだ。
「……小さいのに立派な子じゃな。わらわの名はスカジ。この島を守る妖精王じゃ。バーボチカよ、共に行こう」