それから

文字数 1,001文字

 主任児童委員になると、担当中学校・小学校との連絡会に参加できる。
 個別の児童・生徒や家庭の情報が、守秘義務のある者たちの間で共有されるのだ。

 例の兄妹(きょうだい)については、毎回のように議題に上がった。
 曰く「休職中の父親が暴れて、あざを作って登校してきた」。「お弁当を持ってこなくて、午前中で帰ってしまう」。
 配食サービスもあるけれど、それは使ったことがないらしい。
 
 なにより悲しかったのは。
「公的支援?んなもん、いるかっ!」
 面談で放たれたという父親の怒声。
「俺を憐れんでんのかっ。バカにしてんのかっ!!」
 あなたにではなく、子供たちにだ!という言葉を、支援側の全員が飲み込んだことだろう。

 なかなか成育環境が改善しないまま、兄の高校進学が連絡会で話題となった直後の11月。

「佐倉さん?あのおうち、ものすごい怒鳴り声が途切れないの!大きな物音もしてるし!」
 あの兄妹(きょうだい)の近所に住む民生委員さんから電話が入ったのは、夜の11時に近いころ。
 こんな日に限って、夫は職場の歓送迎会で帰宅が遅い。
 簡単な事情をかいたメモを食卓に置き、室内着の上にコートを羽織って、家を飛び出した。

「佐倉さん、ほら!」
 兄妹(きょうだい)の家の玄関先にいる、民生委員さんの顔色が蒼白だ。
「フザケやがってっ!!〇×※~っ!!!」
 聞き取れない怒鳴り声と、絶え間なく物が倒れ、壊れるような音。
「警察には?」
「ま、まだ」
 震える民生委員さんを責めることはできない。
 だって、通報するということは、責任を伴うのだから。
「家に入れてもらいます。警察に電話してください」
「わかった。気をつけてね」
 スマートフォンを取り出した民生委員さんを背中に、インターフォンのボタンを連打する。
「こんばんはっ!主任児童委員の佐倉ですっ!子供会役員のっ!!」
 どの役職なら開けてくれるだろう。わかってくれるだろう。
 祈るような気持ちで拳を叩きつけると、突き飛ばされる勢いでドアが開いた。
 涙で顔をべたべたにしている妹が、ドアの縁を握ってへなへなと座り込んでいく。
 急いで助け起こそうとして、その向こうの光景に背筋が凍った。
 父親の胸倉をつかんでいる凶悪な目をした兄の腕が、思い切り振り上げられている。
 靴も脱がずに室内に走り込んで、怒鳴った。
「そんなヤツに、人生をくれてやるなっ!」
 兄と父親の間に体を潜り込ませたとたんに、ものすごい衝撃を頭に感じて、世界は暗転していった。
 
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