6 転向と沈黙

文字数 3,462文字

6 転向と沈黙
 中野の転向の独自性の一端を自らの転向体験をモチーフにした『村の家』の次の箇所が告げている。

 彼は再び保釈願いを書き、政治活動をせぬという上申書を書き、(しかし彼は、彼の属していた団体が非政治的組織であり、彼が非合法組織に加わっていなかったという彼自身の主張はどんな意味ででもふれなかった。)一方病室にはいれるよう要求し、看守長に会って、下獄する場合東京もしくは東京近県で服役できるかどうかを検べた。
 彼は病室に入れられた。隠されている病名は肺浸潤であることを知り、目方が四四・五キロにへったことを知った。
 ある日彼は細い手でお菜を摘まみ上げ、心で三、四の友達、妻、父、妹の名を呼びながら顎をふるわせて泣き出した。
「失わなかったぞ、失わなかったぞ!」と咽喉声でいってお菜をむしゃむしゃと喰った。彼は自分の心を焼き鳥の切れみたいな手でさわられるものを感じた。一時間ほど前に浮かんだ、それまで物理的に不可能に思われていた「転向しようか? しよう………?」という考えがいま消えたのだった。ひょいとそう思った途端に彼は口が乾上がるのを感じた。昼飯がきて受け取ったが、病気は食い気からと思って今朝までどしどし食っていたのがひと口も食えなかった。全く食欲がなく、食欲の存在を考えるだけで吐きそうになった。両頬が冷たくなって床の上に起き上がり、きょろきょろ見廻した。どうしてそれが消えたか彼は知らなかった。突然唾が出てきて、ぽたぽた泪を落としながらがつがつ噛んだ。「命のまたけむひとは──うずにさせその子」──おれもヘラスの鶯として死ねる--彼はうれし泪が出てきた。

 主人公勉次は病気とそれがもたらすかもしれない狂気への恐怖によって「政治活動をせぬという上申諸」を書くが、彼は非合法組織、すなわち共産党に所属していたということは自白しない。これは、蔵原惟人らと比較すると、転向の基準としてはいささか特異である。勉次がこだわっているのは、政治活動を続けるか否かでもマルクス主義を放棄するか否かでもなく、党員であるかを認めるか否かにある。けれども、これは、他の党員たちが彼が党員であることを認めていることからも、警察にとってもさほど問題にならない。弁護士も彼に「無駄」だと提言している。柄谷行人は、『中野重治と転向』において、中野のこうした態度は転向=非転向の単純な論理の図式に回収されるのを拒むためだと言っている。対立は差異性ではなく、構造的な同一性によって生じるのであり、確かに、中野は「政治と文学」や「転向と非転向」といった二項対立を退けている。と言うのも、彼にとって、それらが二者択一といった選択の問題ではないからである。

 政治的に意味があっても、芸術的・文学的にはとるにたらない作品が書かれていることの是非を問題にするような論争は、中野には、本質的に意味をなさない。中野にとって、『むらぎも』で述べているように、文学は「才能」の問題ではなく「道徳」の問題である。

 「才能」のせいにして文学を放棄するか否かということを問題にするのは、いわゆる責任転換しているのであって、「道徳的」ではない。自分の「道徳的」な姿勢によって書くか否かが決定される。書くということはその人間の持つ道徳的な姿勢による。存在と認識の乖離が不可避的である以上、書くことはひとを傷つけまた自分を傷つけざるを得ない。それにもかかわらず、書くという行為に自らの人間性を賭けざるを得ないことによって書くことは始まる。書くことはそういう自らを裏切らざるを得ないというおそれとおののきの経験とともにあり、つねに「道徳的」なものだ。書くことはその不可能性において始まる。書くことは才能によるのではなく、この不可能性に賭けられるか否かにかかっている。中野にとってそのような「道徳」の問題である文学に政治的な価値があるかどうかという選択は根本的にあり得ない。

 さらに、柄谷は中野の作品に見られる「わかりにくさ」を彼が「差異への感受性」として表明する「感じ」に帰着させている。しかし、中野の「感じ」は、むしろ、同一への感受性、すなわち直観である。中野は差異にこだわっていたが、それは構造的同一性を見出す直観力が引き起こしている。自分自身に対してもその直観力は例外なく働くけれども、彼ら自身は党派によってしか生きられない。

 中野にとっては一人の人間として生きることが先にあるということから、その同一性からこぼれてしまう自分自身がある。中野は健康である。病気は定義を前提にするが、健康を定義することは難しい。中野の健康は「道徳的」に「丈夫」(宮沢賢治『雨ニモマケズ』)だということを意味している。「政治と文学」や「転向と非転向」といった二項対立は、「道徳的」に病的である。健康なる者は自分を絶対化せずつねに自分を相対化すること、すなわちこの程度の苦痛や苦悩はたいしたことではないと自らに言い聞かせることを忘れない。中野にとって、「道徳的に外れてしまうこと」はそれを忘却した自己欺瞞・自己倒錯にほかならない。

 中野は、「『文学者に就て』について」において、道徳について次のように述べている。

 僕は君が僕の考え方に賛成するだろうと思う。しかしそれならば僕は、まだ肝腎なものがぬけているといわなければならない。君の支払勘定にあらゆるものはのっているが、最大のもの──「転向の事実」はのっていない。君の言葉によれば、これは、転向作家たちから第一義的なものを奪ったし、将来にわたって奪っているものである。そのため君に「むしろ死ぬべきであった」という非難にさえ頭を垂れさしたものである。それがのっていない。君のは大福帳が間違っているのだ。「文学のために命がけの政治的経験」を目たたきとともに葬り去った最大の政治的経験は君の支払勘定にははいらないのか。「敗れはしたが命をかけた経験」ではない、「命をかけた(?)のに自ら敗れたという経験」──これこそがすべての作家もかつてなめなかった第一義的な敗北、深い恥にみちた最大の支払なのである。そしてそのことによってそれが、もしわれわれがそうするために努力しとおすならば、第一義的な文芸実践の最も強い土台の一つとなれるのだ。

 中野の「道徳」はこのような認識に基づいている。転向を「敗れはしたが命をかけた経験」とすることは自己倒錯・自己欺瞞にすぎない。むしろ、「命をかけた(?)のに自ら敗れたという経験」こそが転向にはあり、これはかつてなかった経験であって、そうすることによってのみ、生を肯定できる。転向は、本多の主張とは違う意味で、倫理的である。

 確かに、中野の作品には心理的な説明がないため、その「道徳」は認めがたい。肝心の転向に関しては、『村の家』の中で、「明くる日朝早く弁護士が来た。勉次は問題の点を認めることにすると答えた」と書いているだけである。中野の作品にはこうした詩的とも言える省略が少なくない。彼の文体はどこか寡黙である。作品を内省的に書いてはいるが、転向を内面の問題としても、環境の問題としても、描いてはいない。その主人公はつねに事後的に振り返って内省し始める。福田恆存は、『中野重治』において、中野に対して「近代人の自意識」がなく、彼が『斎藤茂吉ノオト』を書いたのは「茂吉の近代性を押し立てることによつて自己の古さをカヴァーしようとしている」からだと指摘している。中野が自意識を持っていないことに関して、柄谷も彼を自意識の他なるものとして理解している。けれども、それだけでは不十分である。しばしば志賀直哉も自意識を持たないとされているからである。

 中野は、「『暗夜行路』雑談」において、志賀直哉を「甘え」た「気随息子」がそのまま老けた「老人」であると糾弾している。さらに、『小僧の神様』に関して、「最初は真実に立っていた。ただ最後へきて──主人公が移動してしまうが──柄にもないことを止めれば、小僧に鮨が食えなくなることについての自己の(正邪にかかわらぬ)断定を避けたところに隙ができてしまった」と批判する。中野は志賀の作品に見られるアイロニーを嫌う。と言うのも、アイロニーは自己欺瞞と自己倒錯、自己嫌悪と自己憐憫に基づいているからである。そのようなアイロニーに満ちた志賀の私小説は生の否定といった病的な精神が生み出したものだ。中野の認識をもたらしたのは絶対的な他者性への意識ではなく、それは生きることそのものへの意識である。
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