第2話:イトマン事件と進学

文字数 1,763文字

 このころ、不気味な経済事件が頻発した。1990年にイトマン事件が、発覚。1991年7月にイトマン経営者ら6人が逮捕された。その後、1973年のオイルショックで経営環境が悪化した。主力行の住友銀行の役員だった河村良彦を社長として起用。イトマンは、繊維商社から総合商社への方向転換を図った。

 一方、協和総合開発研究所の社長「経営コンサルタント」だった伊藤寿永光は、当時、仕手株投資家として名を馳せていた。コスモポリタン会長や大阪府民信用組合理事会長に対し、雅叙園観光の仕手戦に関して融資していた200億円の貸金が焦げ付いていた。伊藤は、このように資金繰りに窮する中、住友銀行の磯田一郎会長やその腹心である河村に急接近した。

 そして、伊藤萬の経営に筆頭常務として参加し伊藤萬を介し住友銀行から融資を受け始めた。また雅叙園観光の債権者の一人であった許永中も同社の再建処理を行う上で伊藤寿永光との関係を深めた。その後、伊藤を通じて伊藤萬との関係を持った。1990年5月の日本経済新聞の報道で、伊藤萬の不動産投資による借入金が1兆2千億円に及んだことが明らかになった。

 許は、河村に美術品や貴金属などを投資すれば経営が安定するとの話を持ちかけた。これを受けて、伊藤萬は許永中の絡む三つの会社から、許永中の所有していた絵画・骨董品などを総額676億円で購入。これらの美術品は鑑定評価書の偽造などが行われ、市価の2~3倍以上という法外な価格だった。しかし、河村や伊藤はこれを認識しながら買い受けた。

 これにより伊藤萬は多額の損害を受けた。異常な取引が続いた背景には河村が磯田の後ろ盾でワンマン体制を取り誰も河村を止められない。その他、伊藤や許は、伊藤萬に対し地上げ屋の経営や建設の具体性の見えないゴルフ場開発へ多額の資金を投入。その結果、伊藤萬本体から360億円、全体では3千億円以上の資金が、住友銀行から伊藤萬を介して闇社会に消えた。

 その中には伊藤萬の経営に対し批判的記事を書いた新潮社や日本経済新聞社へのマスコミ工作と称して流出した資金もあった「実際には、真偽は不明」1991年元日、朝日新聞が、絵画取引の不正疑惑をスクープ。7月23日、大阪地方検察庁特捜は特別背任の疑いで伊藤・許・河村を含む6人の被疑者を逮捕、起訴された。

 最終的には2005年10月7日、最高裁の上告棄却決定により、許について懲役7年6月・罰金5億円、伊藤について懲役10年。河村について懲役7年の刑がそれぞれ確定した。しかし、これらの巨額資金の行方は、今もって謎に包まれ、まるで推理小説の様な事件が、実際に日本を舞台に起こった。富川、八重、土佐は、1993年、高校2年の春、大学受験のために同じ予備校に通い始めた。

 1994年になると、富川と土佐は、東京工業大学情報理工部の合格を目標に八重は、一橋大学経済学部、明治大学商学部を目指した。1995年3月、石上は、慶応大学商学部、富川と土佐は、念願の東京工業大学情報理工部に合格した。しかし、八重は、一橋大学受験に失敗したが、明治大学商学部に合格できた。

 その後、石上と富川、八重、土佐の4人は、父親が、株投資をしたので、その影響を受け、20歳になると同じ日本橋のN証券に投資口座を開いた。そして、時間が出来ると4人は、N証券での投資勉強会に参加した。その後、1997年6月の勉強会で、今後は、コンピューター時代、その部品として半導体、集積回路が、きっと注目されるはずだという話を耳にした。

 その他、アメリカで、始まったコンピューター同士のインターネット通信ネットワークが、世界中で、利用される時代になると教えられた。その中でも株が上昇しやすいのは、半導体、集積回路銘柄だと語った。現在、日本の株式市場の中で言うと、規模の大きい順番に東京エレクトロン、ニコンと言われた。

 その他、個性的な銘柄として集積回路のローム、半導体製造装置のアドバンテスト、半導体カッター専門のディスコを紹介された。中堅企業で株価が低い東京精密が、面白いと説明を受けた。コンピューター通信としては、ヤフーというアメリカで、既にコンピューター通信を行っている企業の日本法人が注目され、そのヤフー・ジャパンが、東証、店頭市場に上場申請をした。
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