第23話:東日本大震災とこども食堂

文字数 2,302文字

 すると広瀬社長が8億とはすごいと言い具体的にはと聞いたので東京から近くて避暑地と言えば御殿場が良いと言い現在2つレストランを経営して土地勘もある。御殿場は小田急ロマンスカーで新宿から90分で、車で30分で箱根、芦ノ湖、山中湖、河口湖、1時間圏内には甲府、熱海、湯河原、小田原、もう少し行けば諏訪湖、松本、蓼科、清里など高原リゾートが多い。

 2010年となり人手不足がひどくなったのでパート、アルバイト9人増やし調理師を各店舗で2人ずつ増やした。2010年は人員の影響もあり2010年は売上主導で純利益も20%も増えてきた。これは大量一括購入による原価低減が大きかった。城ヶ島も御殿場でも多くのコックが十分に料理をする事ができなかった。

 健二が今年の赤字を計算して従業員を減らしたいと達夫に相談したので、そんな短絡的な事はしないで嵐が過ぎ去るまで決して1人も退職させるな融資は絶対に続けてやると保証した。そのため1人も解雇しなかった。この2011年11月、寒くなった頃、達夫が健二にグループの大型ワゴン5台とトラック2台で2011年11月6日1週間、全店を臨時休業した。

そして食材と調理器具を乗せて総勢60人で東北の被災地に出かけ仙台のボランティア管理センターで指示された場所に行き炊き出しを実施。テントレストランであつあつのグラタンやシチュー、カレー、ラーメン、魚のあらの味噌汁、ステーキ、スパゲッティー、タンドリーチキン、鳥の唐揚げ、と大量の御飯を避難所の方々にふるまうことができた。

 2日で食料がなくなると福島や新潟へ食材を買い出しに行き11日までの6日間、自衛隊のテントの簡易食堂で暖かい食事のサービスを無料で行った。これが新聞に載り、その後、励ましの電話が鳴り止まなかった。御殿場と城ヶ島に戻ってきて、店の前に頑張れ東北と書いた横断幕を張り出し多くの募金箱を置くと徐々にお客さんが増えてきて、賑わいを取り戻してきた。

 12月に入るとパーティーの予約も入り、唐揚げ、麻婆豆腐、ビーフステーキ、ビーフシチュー、ハンバーグ、ベーグルサンドやサンドイッチの持ち帰りの客も増えた。その後12月を終えて2011年の売上と利益を集計すると2010年のマイナス20%の減少に踏みとどまった。東北の復興救済のレストランの経験から達夫は子供食堂を「妻有の里」主催で計画した。

 立川の本店、東京と横浜の厨房設備のある地区センターでやらないかと広瀬社長に持ちかけると若手コックの修行になるし良いかもしれないと言い計画を安田達夫と夢子に任せると言った。そこでインターネットの妻有の里のホームページに家に残っているうどん、ラーメン、そば、冷や麦や缶詰、中元歳暮で使ってない商品などの供出をお願いした。

「妻有の里」立川本店と駅前の販売店、八幡山の工場に持って来てくれるように書き込んで、持って来られない人を取りに行くので来て欲しい日時を指定してくれる様にお願いした。問屋、小売店に賞味期限1ケ月以上残っている製品を無償もしくは、捨て値で出してくれるように書き込んだ。更に、食品工場、その他の農家の規格外品商品を取りに行くことを書き込んだ。

 すると大きな反響があり、毎週水曜日、午後15時から夜20時まで、取りに伺う事にして、商品の配達のボランティアもお願いした。子供だけでなく大人も老人も100円で一般の客は500円で料理を提供する事にした。2012年1月から開始すると多くの商品が集まり賞味期限の短い純に料理に使用。また後片付け、皿洗いを30分手伝うと無料で食べられる様にした。

 このサービスを最初5ケ所で始めたが毎週、場所を替えて3月には20ヶ所になって、少数のスタッフでもできるように麺類2種類、パン1種類、丼物2種類、汁もの2種類とメニューを絞って、効率的に短時間に、できるだけ多くの料理を作り、対応して行った。もちろん、利益はなく、赤字であったが、寄付などにより、損金も出ずに、輸送費が赤字になる程度であった。

 また老人や仕事で忙しくて恵まれない人のため安価で弁当を頼めないかというニーズが出て来て基本1日千円1ケ月なら3万円で、状況によっては本部の判断で無料で配達するサービスも始めた。これについては、日時と場所だけ書いて決して店の宣伝のために写真を載せたり運営の内情は明らかにせず取材等も全部お断りした。

 若手のコックのまかない飯の練習みたいな感じで継続する事を第一目標に続けていった。数ヶ月後、近くの自治会の会長さんが来られてバザーをして運営費に充てて欲しいとの申し出があり、その後15ヶ所の自治会からも話が来た。その自治会長さんが運営費についてインターネットで費用明細、補助金明細と利用者数、給食配達の数など明らかにした方が良い助言してくれた。

 そこで来月からインターネットの「妻有の里」のホームページに載せること約束した。このバザーのお陰で赤字は解消されるようになって行き「妻有の里」の出店の売上が上がってきて、また2012年に東京都内で20店舗出店した。その後、横浜でもやって欲しいという話が出て来たので2013年には、東京と川崎・横浜で半々に子供食堂をやるようにした。

 2013年3月、町田の郊外の売り工場を「妻有の里」が購入した。そしてそこで食品を製造して神奈川県内に30軒の直営売店を出店。2013年4月からは「妻有の里」のコックさん2人ずつで、1ヶ所の子供食堂に出向いて地元のボランティアさんと協力して、50ヶ所で東京と神奈川で毎週1回、水曜日の午後3時から8時までの子供食堂を展開していった。
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