『あのテレビ番組』

文字数 943文字

居間にある液晶テレビと、合板の古いテレビ台。その裏側も床掃除がしやすいように、壁とテレビ台のあいだに、手のひらくらいの隙間を空けています。今さっき、ネコがその隙間に隠れました。

裏側から、ネコがいろいろな配線に触れそうで、なんだか落ち着きません。今日は雨が降っていて、ネコは出掛けられずに、家の中で退屈しています。

()いていないテレビの画面を、なんとなく見つめて、ふっと、思い返します。

わたしが小さい子供のとき、保育園児の頃。お昼と夕方のあいだの時間に(ひと)りきりで観た、あるテレビ番組のこと。

あれは日本の昔話のような、人形劇の舞台セットでした。背景に、緑色の山並みと青空。広がる田畑の真ん中に細い畦道(あぜみち)があって、画面の手前に向かって道は続いています。

その畦道を、着物姿でおかっぱの童人形が、遠くから歩いてきます。人形は単純な造形でした。何かの童謡が鳴っていて、そのうちに、人形はずいぶん近くまで来ました。

急に、背景の青空が朱色の夕方に変わりました。童謡も消えて、無音になって。

少しして、人形のお腹の帯の辺りが大写しになりました。そして、画面の端から細身の鉄棒のようなものが出てきて、「ずっ」という音と一緒に、帯に刺し込まれました。

わたしは、怖くなって泣きました。その映像の続きも、それからわたしがどうしたのかも、うまく思い出せません。

漠然と、あれは番組の中の場面転換で差し込まれた映像だったような、そんな気がします。たしか、いろんな人が入れ代わりで喋っているところで、あの人形劇に切り替わったような。

昔のテレビは、機械の正面にいくつかダイヤルが付いていて、それを回してチャンネルを変えたり、音量を調(ととの)えたり、そういう作りになっていました。ダイヤルに手が届く、間近で観た、あの番組。わたしは子供だったから、独りでとても心細かった。

怖さであったり、(さみ)しさであったり、子供の頃はいつだって不安が尽きないけれど、大人になって気持ちの工夫ができるようになったら、少しくらいなら、ごまかせる。少しなら。

居間の液晶テレビは、映画などを映すときに点けています。テレビ番組は、もう、すっかり観なくなりました。天気予報くらいです。

テレビ台の裏側に隠れたネコは、隙間の居心地が良いみたいで、いつの間にか、眠っています。
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