ネコ嫌い

文字数 3,520文字

 僕の記憶の最後はこうだ。
 久しぶりの同期の飲み会で楽しく飲んでいた。三か月の研修で意気投合した仲間である。飲み始めた当初は仕事の話や上司、先輩の悪口で盛り上がっていたが、そんな話は長くは続かない。すぐに学生のノリで話せるところが、同期の集まりの良さだと思った。恋人の話や異性との飲み会の話、趣味の話、犬派猫派なんて下らないコトまで話した。ひと通り飲み食いが終わって、次の店へ行くことになった。オフィス街の雑居ビルの二階にある居酒屋の階段は急で、同期のヤマダと軽口を叩きながら段を下りようとした時に足を踏み外した。ヤマダの驚いた顔が視界の下の方に流れていき、階段の天井の蛍光灯を見つめていると視界が真っ暗になった。
 そして、僕が目を覚ました時に最初に感じたことは違和感だった。目覚める時に母親の声を耳にするのは、実家に居た高校生の頃までだった。それに僕がくるまれている布団も自宅の物でもなければ、実家の物でもなかった。慌てて目を開けると、そこは僕の知らない病室だった。
 後で知ったことだが、僕は雑居ビルの階段から落ちて三日間、意識を失っていたらしい。幸いと言っては不謹慎だが、頭に五針縫う傷を負った他は、擦り傷と打ち身だけだった。同期の話では、映画みたいな血溜まりにみんなはパニックになったらしい。お陰で、血溜まりに横たわる自分の写真を見ることは出来なかった。それが残念だと言って、みんなで笑った。
 でも、医者が言うには、頭の傷よりも頭を打ったことによる意識喪失の方が問題とのことだった。それで、意識が戻ってから検査で一週間も入院させられた。退院する頃には頭の傷の抜糸を残すだけで、体調は良好だった。
 退院が決まると、医者は「脳には目立った損傷は無いが、当分の間、自動車の運転は一人でしないでくれ」と言っていた。僕は言われるまでもなく、自分の身体は大丈夫だと思っていた。入院中も普段と変わらない生活が送れた。脳にダメージがあるわけないと信じていた。
 しかし、そうではなかった。
 その日は事故の後、初めての出勤日だった。久しぶりの出社は、何だか恥ずかしいものがあった。その一番の原因は、僕の坊主頭だ。当然、頭の傷を縫う時には傷の周りの髪の毛を切られた。それならと、洒落で坊主にしたのが間違いだった。まるで僕が酔って怪我をしたことを反省しているみたいだ。
 案の定、同僚にはからかわれ、上司には笑われた。上司に至っては、「少なくとも抜糸するまでは、飲みに連れていくなよ。再入院は困るからな」と詰まらない冗談を言っていた。そのお陰で、僕の快気祝いは無くなった。
 しかし、良いことが一つだけあった。ちょっとしたミスなら「頭を打ったせいで・・・」と冗談にすることが出来た。これは応用も利くし、一週間くらいなら笑ってもらえるだろう。
 そんな感じで、一日の仕事が終わった。同僚は、僕をからかうように飲みに行ってしまったので、僕は真っ直ぐ自宅へ帰るしかなかった。でも、自宅へ帰れば、母親の作ったカレーがあるはずだ。母親はその日の昼に実家へ帰っていった。いつものことだが、母親は帰る前に必ずカレーを作ってゆく。多分、日本全国の母親の習性なのだろう。
 そんなことを考えながら最寄り駅から自宅のアパートまでの暗い夜道を歩いていた。
 すると、視界の先で、一匹の白猫が一軒家の門の内に入っていくのが見えた。
 僕は猫が嫌いだった。猫の顔が、人の顔に似ているところが気持ち悪いのだ。あの飲み会でもそんな話をした。同期の一人も同じことを言っていたので、意外とそんな人は多いのかもしれない。犬よりも低い鼻が、人の顔の形に近く感じるのだろうか。両目が前を向いているところが人に似ているのだろうか。瞳の形が変わるところが、表情の機微に感じるのだろうか。理由はどうあれ、僕は生理的に猫が好きになれないのだ。
 特に白猫だ。色素の関係なのか、白い猫は目の端や鼻が赤いところに僕は恐怖を感じてしまう。よりによって、その時、目にした猫も白猫だった。そうだ、白猫は耳の内側も赤いのだ。
 いや、そんなことはどうでも良い。僕は恐る恐る白猫の入っていった家の前を通る。人はこんな心境の時、怖くて見られないものを確認しないといられないものだ。
 僕が門の内側を覗くと、猫もこちらを窺っていた。
 そんなことは、よくあることなので驚かない。僕が驚いたのは、猫の顔が少年の顔だったことだ。目が大きく少しだけ釣り目で、鼻筋が通っていて、スポーツが得意そうな整った少年の顔が、不思議なものでも見るように僕を見つめていた。
 僕の心臓は、止まっているのかと思うほど静かだった。僕は覗き込んだ時と同じスピードで門の前を横切る。その間、僕の目は少年の瞳から離れることはなかった。僕は忍び足のまま、二軒先の門灯の明かりの前まで歩くとアパートまで全速力で走った。
 自分の部屋に入り玄関のカギを掛けると、そこで忘れていた呼吸が始まった。心臓は内側からゴリラに叩かれているように痛いほど早く脈打っていた。
 心臓が落ち着くと、僕は習慣で母親のカレーを温め始めていた。すぐに自分が滑稽なことに気が付いてコンロの火を消すと、インターネットで「人面猫」について調べた。出てくる情報は、人みたいな表情の猫の写真と猫の顔に人の顔を合成した写真ばかりだった。僕が見たものとは全然違う。僕が見たのは、本物の少年の顔だったのだ。人面猫の情報は、都市伝説一つ見つからなかった。
 僕はもう一度、カレーを温めながら考えた。人面猫なんていないのだから、問題があるのは僕の頭だ。医者は「脳には目立った損傷は無い」と、確かに言った。僕の頭には目立たない損傷があるのではないか?
 明日は病院へ行こう。そうと決めると、少しだけ安心できた。

 朝はいつも通りに起床して、いつもよりゆっくりと朝の支度をする。頃合いを見計らって上司に電話すると、快く病院へ行くことを許してくれた。僕は病院へ行くには早い時間に部屋を出た。もう一度、猫を見て確認したかったのだ。
 探すとなると、猫はなかなか見つからなかった。やっとのことで見つけた猫は、病院の敷地の植え込みの下にいた。その猫は、疑り深い上目遣いの少女の顔をしていた。とても怖かったが、自分の推測が正しいことが分かって少し安心できた。
 主治医に前夜からのことを話すと、検査の時の僕の脳の画像を見ながら教えてくれた。「はっきりしたことは言えないが」と前置きがあったが、簡単に言うとこうだ。
 人の脳には人間の顔を判別する部位があって、僕の場合、その部位の近くに小さな血の塊があるそうだ。それが事故によって出来たものかは分からないが、その塊が影響している可能性がある。
 普通は脳の機能に影響するほどの塊ではないが、詳しく調べてみないと分からないとのことだった。主治医も準備があるので、一週間後に来院することを約束して診療は終わった。
 猫の顔が人の顔に見えること以外は体調が良かったので、僕はあまり気にしていなかった。元々、猫の顔を気持ち悪く思っていたのが、もっと気持ち悪くなった程度にしか考えられなかった。どちらかと言えば、特殊能力っぽくて気に入った。
 それからは、色々と実験してみた。それで解かったことは、生きている猫だけが人の顔に見えるということ。写真や動画ではそれまで通り、猫の顔に見えた。それに、顔は若い男女であることが多いということ。これは猫の運動能力に関係あるのかもしれない。僕は猫の動きに若さを感じているのだろうか。
 そして、猫の顔も一つとして同じ顔は無いということ。元々の顔の形の他に、猫も性格が表情を作っているのかもしれない。
 思っていた以上に楽しく一週間を過ごした。
 病院へ行く日、事情を知った母親が実家からやってきた。母親は付き添うと言ってきかず、車で送迎してくれることになった。
 正直に言って、母親の運転は怖くて乗るのが嫌だった。「僕が運転しようか?」と言うと、医者に止められていることを盾に母親は譲らなかった。
 母親の運転する車は、見通しの良い直線道路を進む。目の前の信号機が赤なので減速するが、車が止まる前に信号は青に変わった。
 母親がアクセルを踏んだ時、様子を見ていた一匹の猫が車は止まるものと思い込んで車道に飛び出した。
 僕の口から飛び出した「あっ」という言葉で、母親も猫に気が付いたが遅かった。
 僕は猫が飛び出したから声を出したわけではない。
 向かってくる車に驚いて立ち止まり、こちらを見ている猫の顔が僕の見知った顔だったからだ。
 驚いて目を見開く僕の顔がそこにはあった。

 これが僕の記憶の最後だ。
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