○203号室 井ノ寺 明日人

文字数 11,193文字

「一体このアパートには何があるというのだ」

俺は引っ越しの作業を手際よく終わらせると、
2階の窓からエントランスを見つめる。

ここならカナタが家賃を払ってくれるし、
その上給料も出るというから来てみたものの……。
なぜそんな好条件なのかは全く知らずに引っ越してきたというのが
本音だ。

話は数日前に戻る。
俺はカナタに呼ばれ、あいつの職場へ邪魔をしていた。

「ゾンビスクラップが解散、3+再結成っていうのは
かなり大成功だったんだけど、
何人か不穏なファンがいるんだよねぇ。
実際Ryuseiは刺されたし」

「そうそう、それだけならまだしも、地獄の殺人鬼にも
ヤバい手紙も届くようになったからね。オレも普通に不安だよ」

「レイ、スカートの中が見えるぞ?」

「いいじゃん、社長室だし、誰もこないんだから」

あぐらをかいていたレイに注意しても、憎まれ口しか返ってこない。
こいつは小さい頃から生意気だった。かわいいことは認めるが。
だけど高校生になってから、余計に態度が悪くなっているようにも感じた。

「……それでカナタ。お前は俺にどうしてほしいんだ」

「明日人さ、仕事辞めるせいで寮を追い出されるんでしょ?」

「ぐっ……人が気にしていることを。だったらなんだ。
今の俺は、他人が信じられん」

俺は警察官だ。……いや、だった。
退職したのだ。
理由はあまりいいたくないが、俺のメンタルはかなり弱い。
弱いというか……思い込みが激しすぎるのと、過剰に心配してしまうところがある、
いわゆる不安症というヤツだ。

不安症も度が過ぎれば病気だ。
俺は中学在学中、常に不安を抱えていた。
都内の私立中学に通う際は、満員電車で気分が悪くならないように
酔い止めを持ち歩いていたし、
そのほかにも胃薬、整腸剤、絆創膏など一通りのケガや気分の悪さには
対応できる薬を持って常に外出していた。

クラスを空ける際も、人が確認するのが信じられず、
全ての施錠を俺がやっていた。

学食に異物が混入している可能性もあると、
自分で手製の弁当を持参していた。
周りからはちょっと距離を置かれていたが、
俺はそれを普通だと思っていたんだ。

が、普通だと思わなかったのが俺の両親だ。
メンタル系の病院に連れて行かれた結果、
何やらよくわからない病名をつけられた。

……しかし、それから高校に入って、
カナタやみんなと出会ったことで
俺の変な病気はありのままの『俺の個性』として
案外あっさりと受け入れられた。
だが、精神科にはずっと通わされていた。
高校時代は、見た目も青髪をウニのように立てた
『見た目だけヤンキー』だったというのにな。
中身と外見は比例しないということだ。

紙メンタルを秘密にして警察官になったところまではいい。
しかし警察には公安というわけのわからない輩が存在する。
俺が精神科に通っていたことは静かに知れ渡り、
せっかく死ぬほど頑張って合格したのにも関わらず
退職を余儀なくされたのだ。
要するに、警察官たるもの肉体的にも精神的にも健康でなければいけない。
そういうことだろう。
既往歴の詐称も問題だったのかもしれない。

「まったく、自分のことではあるが、情けない……。
バンドを辞めてから3浪して、やっと公務員試験に受かったというのに!
くそっ! 俺はずっと普通だったのに、医者が変な病名をつけたせいでっ!」

「ホントもったいなかったよね。高校のテスト、いつも最下位だったお前が
頑張って公務員になったってのに……」

俺は銀縁メガネをくいと持ち上げると、
鼻で笑った。

「ふん、人は変わるのだ。
俺だって勉強すれば試験にも合格できるようになる!
当時のテスト結果が、数学4点、古典2点、英語5点でもな!!」

「確かに変わるね。
青髪でキーボード弾いてたやつが、今や黒髪のメガネ。
服装がしっかりしてればまぁ、やり手のサラリーマンにも見えなくはない」

「実際俺は、警察学校時代優秀だった!」

「それ、嘘だよね」

レイは俺をじっと見つめ、くすっと笑った。

「知ってんだよ? おっさんが手錠プレイ好きだってこと」

「なになに、レイ。細かく教えて~!」

意地悪そうな顔のレイに、カナタが近づく。

「ま、待て! 手錠プレイって……いかがわしい言い方をするな! 
俺はただ、うしろ手に錠をかけて、その状態からこう……腕を身体の前に持ってくるという柔軟体操が得意なだけで!」

「一度鍵失くして、大変だったんでしょ?」

「どこで知った……」

「オレの情報網、侮らない方がいいよ?」

「高校生風情がっ……! 
で、カナタ、いい加減に俺を呼び出したのはなぜか、話せ!」

先ほどまでレイと冗談を言い合っていたカナタは、
俺に向き合ってこほんと咳払いをした。

「今の話を聞いてわかったと思うんだけど、
3+と地獄の殺人鬼には危ないファンがついている。
だから、警備員をつけたい。それにうってつけだと思ったのが、明日人だ」

「すりーぷらす? じごくのさつじんき?」

「あのね、ハイツ響ってところに、偶然なんだけど
3+のギターボーカルと地獄の殺人鬼のドラマーが住んでるの。
まだ1室空室があるからさ、おっさんそこに入居して
アパートの住人を守ってよ」

「は……? 要するに俺は、アパート住み込みの警備員といったところか?」

「うん。そういうこと」

カナタは手を組み笑顔でうなずく。

「他にも数人、有名なミュージシャンとかもいるから、
誰にもケガとかさせないようにね?」

「……わかった。俺はともかく
その殺人鬼とコンビニみたいな名前のやつらを
守ればいいんだな? しかも家賃はタダ、給料もお前からもらえると」

「その通りだけど……みんなバンドマンなん……」

カナタの言葉を遮ると、俺は話をまとめた。

「細かいことはわからんが、引っ越しするなら早めがいい。
部屋を引き払わないといけないからな。
入居できるようになったら、電話してくれ。
俺はさっそく寮を退去する準備に取りかかる!」

公安のせいで、人間不信気味になっていた俺には、
時間が今必要だ。
ひとりで過ごす時間が。

「……警備の仕事はひとりでしてもいいんだろう?
問題ない」

これで俺の先行きも安心だ。
新しい職に新しい仕事!
悪いことがあったばかりだが、運がいい。
これも俺の日頃の行いがよかったからだろう。

「それではな!」

バタンと扉を開けて、社長室を出て行く。

「……おっさん、わかってると思う?」

「ありゃダメかもしれない。
明日人、思い込みが激しいからな。
警察も、辞めさせることはなかったと思うんだけどね。
っていうか……」

「警察じゃない分、余計タチが悪いかもな。
猪突猛進だから」

そんなレイやカナタの声を聞くことなくして、
気分よく寮へ戻り、荷造りに取りかかった。


――こうして俺はハイツ響に引っ越してきた。

ゾンビがうんぬんとか、スリーなんとかがうんぬんとか
殺人鬼がどうとか言ってたような気がしたが、
正直なところよくわからん。

俺はともかくこの部屋から各部屋やエントランスをひとりで
見張ればいいのだろう。
大家の日比木という人から、メールで監視カメラの設置許可ももらってるし、
明日にでも設置すれば細かく観察できるな。

荷物として新しく買ったデスクと、数台のパソコンを組み合わせると
あとは適当に布団を敷いた。
壁にはお気に入りのアニメキャラクターのタペストリーとポスターを何枚か。
抱き枕も布団に置き、やっと俺の部屋らしくなった。

その日の夜からさっそく警備だ。
俺はエントランスを通る住人の名前と顔を一致させるため、
窓からずっと見張りをしていた。

平日夜。
一番に帰ってきたのは、学生カバンを持った少年だった。

「こんなところにひとり暮らしとは、
上流家庭に育っているようだな」

高校生でこのアパートにいるのは、『吉田翔太』だけ
だったな。
なかなかかわいらしい顔をしているから、
高校ではモテるだろう。

次に帰ってきたのは、ひょろっとしたジャージ姿の男だった。
やたら辺りを気にしているのが引っかかったが、
あれが多分、『笹井琉成』という男だ。
このアパートに住んでいる男は、俺を含めて4人。
ひとりは先ほどの高校生・吉田。
もうひとりはかなり特徴ある人間だと、カナタからもらったメモには書かれている。
となると、残りは俺と笹井琉成。自然と答えは出る。

「顔は悪くないが、ずいぶん細見だな。
俺が当て身を食らわせたら、一発で吹き飛びそうだ」

吉田と笹井、ふたりが帰ってきたのは23:00前だ。

大家の日比木という女性は、今日は家から出ていないようだから、
残りふたり……
『伊藤健次郎』と『松本ノゾミ』だ。

米は炊けている。
昼間に買った弁当の残りである鮭と海苔、シソと梅干を乗せると
茶漬けにして窓からの監視を続けながら食った。

0:00。
まだ帰宅する気配はない。
これはもしかして、終電になるか?
明日も平日だというのに……。
松本ノゾミは大学生だと聞いている。講義は大丈夫なのだろうか。
伊藤健次郎も、一体何をしているんだ。

時計を気にしながら待っていると、
1:00を過ぎた頃、ふらふらと揺れるふたつの影を見つけた。

「あれが伊藤健次郎と松本ノゾミだな」

伊藤健次郎はぼさぼさの長髪に黒縁メガネが特徴だ。
松本ノゾミは赤茶の髪をしていると聞いている。

「ふたりで飲んでいたのか? ということは、仲は悪くないということか……。
男女の仲なのだろうか? だが、若干年齢が離れているかと思うのだが」

しかし、とりあえず今日の業務は終了と言ったところだろう。
また、明日の朝、住民たちが出る時間をチェックする。
生活パターンを読み込めば、やつらに何かあったとき対応できるからな。

俺は食器を洗い、残った白米を冷凍庫に入れると、布団へ横になった。

翌日。
5:00に携帯のバイブ音が鳴る前に気配で起床。

顔を洗い、身支度をすると、本日も住人の観察だ。

7:00に出てきた美人な管理人、『日比木静』。
彼女が出てきたのと同じタイミングで、笹井琉成も部屋から出てくる。
ふたりで楽しそうに会話をしているようだが、
どうも笹井の顔が赤いような気がする。
ほう、ホレているのか?
まぁ、彼女ほどの美女だったら気持ちが傾いてもおかしくはないな。
挨拶すると、彼はそのまま駅の方へと歩いて行った。

そして7:40に吉田翔太が学生服で登場。
真面目に学校にも通っているようだし、問題点はないだろう。

9:00になると、大学生である松本ノゾミも部屋を出た。

だが、201号室の伊藤健次郎だけは部屋から出てこない。
今日は休日なのか? 平日が休日という仕事も世の中にはあるからな。
もしかしたら今日は部屋から出てこないのかもしれない。

だったらちょうどいい。

防犯用の監視カメラを取り付けるには持ってこいだ。
日比木静と伊藤健次郎以外、不在だしな。
一応、大家である日比木静にはひとこと言っておかないといけないか。

俺は工具とカメラを持つと、さっそく101号室へ向かった。

「すみません」

「は、はい! あっ、確か昨日引っ越してこられた……」

「井ノ寺と申します」

「昨日ご挨拶に行こうかとも思ったんですが、
引っ越しのお邪魔になったらご迷惑かなと思って……。
朝お会いしたらご挨拶しようかと」

「そんなことはどうでもいい。それよりも監視カメラの設置を
許可していただきたいのですが」

「はぁ」

「エントランスと各部屋入口……ポストの部分を見るためにですが、
今から設置しても?」

「え、ええ、住民のみなさんには警備のためにカメラを、と
話はしてありますから」

「わかりました。では」

「………」

なんだ?
なんで彼女はあんなにひきつった笑みを浮かべていたのだろうか。
笹井という男や他の住人にはもっと柔らかい笑顔を見せていたようだったが……。
ま、気のせいだろう!

俺は脚立を部屋から持ってくると、さっそく取り付け作業だ。
エントランスと各部屋に付けると、
部屋に戻ってしっかり映るかどうか確認作業だ。

「……よし。問題ないな」

問題がないとわかれば、近くのスーパーまで急いで買い物。
食料を調達すると、軽く昼飯を作り、
ずっと監視作業だ。

「……しかし一体何になるのだ! こんな一般市民をずっと監視して……。
まぁ、バンドしながらオンゲ三昧だったときと同じような感じでは
あるが……」

まったくもってよくわからん仕事を押しつけるな、
カナタは。
これで金になるんだし、文句は言わないが……。

しばらくうとうとしながらモニターを眺めていたら、
松本ノゾミが帰宅してきた。
どうやら日比木静に用事があるらしく、彼女の部屋に寄っている。
そのあと部屋から出てきた伊藤健次郎もだ。
学校から帰ってきた吉田翔太も。

何か起こっているのか? このアパートで。
だが、笹井琉成だけは何もアクションを起こしていない。
いや、むしろ起こせない……!?
彼の身に何かあったというのか!?

俺は警察学校時代の勘を取り戻し、ジャケットを羽織ると
外へ出る。
笹井の部屋は103号室。
笹井は帰ってきていただろうか?
くそっ、こんなときに限って映像を見逃している!

笹井のことはよく知らんが、
あいつが人に恨まれるような柄でもなさそうなのは
いい人そうな顔でわかっている!
何かあったら俺が助けないと! 元・警察官としてっ!!

1階に降りると、俺はさっそく103号室のインターフォンを連打した。

ピンポンピンポンピンポンピンポン!!

「だ、誰!?」

「……笹井だな! どうした、そんな真っ青な顔をして」

「え!? だ、だって……誰ですか、おたく!」

「そんなことはどうでもいい! それより異常なことはなかったか?」

「今が異常ですよっ!! ホント、何なんだ……」

「しかし、お前だけだぞ? 今日帰って来てから日比木静の部屋に
行ってないのは」

「それは……僕、静さんのメッセのID、知ってますから。
伝えたいことがあったら、それで連絡しますよ。
そりゃ、本当だったら会いたかったけど、帰ってきたのも今だし……。
遅くにお邪魔したらご迷惑だから」

「そうか。だからか。……だとしたら、他の住人はなぜ日比木静の部屋へ
寄っていたんだ!? ますますわけがわからん!」

「訳がわからないのはこっちですよ!
とりあえず出て行ってくださいっ!!」

バタンッ!!

「……追い出されてしまったが、このアパートで何か起こっていることは確かだ。
明日、日比木静に話を聞きに行こう」

俺はとりあえず自室へ戻って、再度夜の監視だ。
ここの住人に何かあったらいけない。
平和に生活させるのが俺の仕事であるんだから。
何故だかは知らないがな!

「……あいつ、明日静さんに会うって言ってたよな!? だ、大丈夫かな、静さんっ!!」

俺が部屋でコーヒーを淹れていたとき、
103号室の笹井がそんな不安で頭を抱えていたことは、
まったくもって気づかなかった。
そして俺はそのあと仮眠を取った。

朝7:00。今日も日比木静がエントランス前を掃除する。
俺はそれを確認すると、部屋から日比木静の元へと向かった。

「日比木静……さん」

「あ、い、井ノ寺さん、おはようございます」

「単刀直入に聞こう。このアパートで、何か物騒なことは起こっていないか!?」

「へ!? いえ、何も起こっていませんが……」

「ではなぜ!! なぜ、昨日各部屋の住人があなたの部屋を訪れたんですか!」

「ええと、それは……」

日比木静がうろたえていたところ、103号室の部屋が開いた。

「ちょっとあんた! 静さんに何の用事なんですか!? 
昨日だって僕に変なことを聞いてくるし……」

「それは当然の義務だからだ!
日比木静さん、それで何かあったのか?」

「いえ、特にはありませんでしたよ」

「……そうか。ただの杞憂か。
まぁ、あなたは住人に好かれているようだし、
声も頻繁にかけられるのでしょう」

「井ノ寺さん。あなたも住人のひとりなんですから、
なんでもひとりで抱えず、いつでもみんなを頼ってください。
ここのアパートはなんだかんだ言って、みんな仲がよいので……」

日比木静はにっこりと笑う。
少し怯えているようにも見えるが。

『ひとりで抱えず、みんなを頼れ』か。

誰かも昔言ってたな。
誰だっただろうか?
今ではすっかり忘れてしまった。

「俺の仕事はここの警備です。それでは」

うしろをむくと、自分の部屋である203号室へ戻る。
エントランスにいたが、特に今日は事件も事故も起こっていないようだな。

「……あの、笹井さん」

「なんですか?」

「お願いがあるんですけど……」

「お、お願いっ!?」


アパートの住人に異変は起きてはいないが、
俺自身にそれが起こるとは油断していた。

昼食を済ませて監視業務に戻っていたところ、
部屋のインターフォンが鳴った。
……誰だ? こんな真っ昼間に。

玄関を開けると、笹井琉成が立っていた。

「どうした? 何かあったのか?」

「いえ……そうじゃないんですけど、きちんと挨拶してなかったですから」

「挨拶?」

「井ノ寺さんが引っ越してきてからですよ! 
僕やみんなのことは何故だか知ってるみたいですけど……
ともかくちゃんと挨拶させてください。
笹井琉成と言います。
103号室に住んでますので、よろしくお願いします」

「はあ……。ああっ!!」

「な、なんですか!? 井ノ寺さん」

「挨拶か! 俺は仕事としてここに来たから気にしなかったが……
よく考えたらそうだよな。
新しく入居者が来たら、きちんと挨拶回りすべきだ」

目の前にいる笹井琉成は、呆れたように大きくため息をついた。

「あの……言わせてもらいますけど、あんた相当みんなから誤解されてますよ?
松本さんは不気味がってますし、
吉田くんは僕の命を狙うまずいファンじゃないかって騒いでたし……。
伊藤さんは監視カメラの設置がうるさいってキレてました。
だからみんな静さんに苦情を言ってたんですよ。
僕は静さんに頼まれて、井ノ寺さんと仲良くなってほしいと言われて
来ましたけど」

「俺自身がみんなの不安要素になっていたということか……!!」

「ですね。それに僕ら、井ノ寺さんが何者かもわかってませんし」

なんという失態!
しかし、今から挨拶したところで、『怪しい人物』のレッテルを
はがすことはできないのではないだろうか……。
こうなったら仕方がない!

「笹井琉成! 今度みんなの休日が重なる日はいつだ!」

「えっ……知りませんけど、何をする気ですか?」

「俺の引っ越し祝いだ!!」

「はぁ!?」

「ともかく予定を聞いておいてくれ。俺のIDはこれだ。全員の日程を調整したのち、
連絡してくれ!!」

「え……あ、ちょっと!!」

「じゃあな! 俺は仕事に戻る!!」

バタンと扉を閉めて笹井を追い出すと、俺はまた監視カメラの映像を眺める仕事に戻った。
笹井が苦虫を潰したような顔をしていたことは、見なかったことにした。

そして翌日の昼。
笹井からメッセージが届いた。
どうやら今度の月曜の夜ならば、全員が集まれるらしい。
普通だったら土日に時間があるはずだと思うのだが……。
ここの住人たちは謎だらけだ。
伊藤健次郎は毎晩夕方に部屋を出て行き、夜中に帰宅する。
笹井琉成も何をやっているのか、数日間部屋を空けることがある。
吉田翔太も未成年だというのに、ギリギリの時間帯に帰ってくることがあるし、
松本ノゾミにいたっては、徹夜が4、5日続くことがあるようだ。
部屋の電気がつきっぱなしなのでわかる。

「よく考えたら、あいつらの職業についてよく知らなかったな。
カナタやレイに聞けばわかるかもしれんが……まぁいい。
月曜の夜、引っ越し祝いのパーティーの時にでも聞きだそう」

さて、パーティーには何を用意すればいいだろうか。
まずは飲み物……吉田以外は酒でもいいだろう。
あとは食べ物だが、適当に作って……。
そうだ! ボードゲームやカードゲームなどがあっても
楽しめるかもしれないな!

「……って、こんなの何年振りだろうな」

俺はメモに必要なものを書き出しながら、ふと笑みを浮かべる。
カナタたちとバンドをやっていたあの頃……。
打ち上げは誰かの家に集まって、俺が料理担当で。
メジャーデビューしてから少し。
結局バラバラになって、
最後には各自自分の道へと進んでしまったけれど……。

「あの頃は楽しかったんだな」

今まですっかり忘れていた、自分の居場所。

『アストはおかんかよ!』
『ちげーだろ、キーボーディスト兼マネージャー!』

俺以外のみんなは、それぞれの道を歩んでいる。
カナタは芸能事務所の社長、
いまだ音楽の道にいて、ボーカリストとして歌ってるやつもいる。
もちろん、普通の生活に戻ったやつもいるけど、
マネージャーとしてアーティストを支える側に回った人間も。
携帯のアドレス帳に、まだひっそり残っているメンバーの名前。
またいつか開くときが来ることを想像して、
その日は珍しくモニターの前で眠ってしまった。

そして迎えた月曜日の夜。
ピンポン、と軽快な音が1回した。

「………」

ドアを開けると、ハイツ響のメンバーがそろっている。

「やあ、お待ちしていました!」

「お待ちしてましたじゃねーよっ!!
何が引っ越し祝いパーティーだっ! その前に挨拶だろうが!
てめぇ、引っ越してきてから勝手に他人の監視ばっかりしやがって……。
なんだよ! あの監視カメラはっ!!」

さっそく食ってかかってきたのは伊藤健次郎だ。

「警備上の理由でつけさせていただきました」

「その話は聞いたけど……。アンタ、あたしたちの私生活を監視してたんでしょ!?
無職の自宅警備員っ!」

今度声を荒げたのは、赤髪の松本ノゾミ。
大人しそうな見た目とは裏腹に、口は悪い。

「それは誤解だ!! 俺はある人間から頼まれてアパートの警備を任されていた」

「そ、そうですよ。井ノ寺さんは悪い人じゃ……」

「ともかく話を聞きましょうよ! 聞かないとわからないし!」

日比木静と吉田翔太が間に入ると、俺は全員を料理が並べられた部屋へと通した。

「さあ! 引っ越し祝いという事で、酒も食べ物も用意したっ! 好きなだけどんちゃんやってくれっ!」

「いや……それより、このモニターは?」

「あーっ!! ここ、あたしの部屋じゃんっ!!」

笹井や松本の目に入ったのは、料理ではなくモニターか。
仕方ない。まずは打ち解けてから自己紹介を……と思ったが、
こうなったら最初から説明するしかないようだな。

「みんな、聞いてくれ。自己紹介が遅れてすまなかった。
俺の名前は井ノ寺明日人。元警察官で、今はこのアパートの警備員として雇われている身だ」

「アスト……って、もしかして、社長のバンドの!?」

笹井が目を丸くする。
社長……ああ、カナタのことか。

「SODのキーボードをやっていたアストさん!?」

「おいおい、マジかよ……」

「信じられないです!! そんな大先輩と同じ空間にいるなんて!!」

伊藤健次郎も俺を見て驚いているようだ。
それも当然か。当時は青い髪をピンピンに立ててたからな。
今の銀縁メガネの黒髪からは想像もつかないだろう。
吉田は……なんで興奮してるのかわからない。
ファンか? でも俺たちの現役時代なんて、こいつ小学生か中学生だろう。
よくわからんな。

「はぁ!? ちょっと待ってよ。このオタが!?」

松本ノゾミは部屋中に貼られたポスターやタペストリーを見て
若干引いているようだ。
日比木静も苦笑いをしている。

「しかもマコの絵とか……」

「松本ノゾミ! マコを知ってるのか!?」

俺が彼女の手を握ると、思いっきりふり払われた。

「し、知らないっ!! た、ただネットで有名なイラストレーターだから、
名前だけ知ってただけだからっ!」

「で? その元SODのキーボーディストがなんでアパートの警備なんて
してんだよ」

松本ノゾミの話を無視した伊藤健次郎が、俺に質問をする。
答えは簡単だ。

「カナタに頼まれたんだ。警察を辞めた俺は仕事も済む場所も失った。
そこでカナタが、どういうわけかここのアパートの住み込みの警備員になってくれと
頼み込んできたんだ」

「社長が?」

笹井と吉田が顔を見合わせる。
……なんだ?
どういうことだ。俺は何かおかしいことを言ったのか?

「要するに3+のボーカルと地獄の殺人鬼のドラマーが住んでるアパートだから、
警備を強化したかったっつーわけか。
やっぱりあそこの社長は狸だ」

「え~っ!! そうだったの!?」

伊藤の説明に納得したらしい松本がオーバーなリアクションを見せる。

「ああ、そう言えば言われたな。
スリーなんとかってコンビニみたいな名前とか、
殺人鬼がどうとか……。しかし、ボーカル、ドラマーということは、
もしかしてそのふたつはバンド名なのか?」

「バンド名だよっ!! っていうか、笹井のことも吉田のこともよく知らないで、
警備してたってこと!?」

「そんなに驚くことなのか? 松本さん。
というか、笹井くんと吉田くんもバンドマンなのか?」

大声を出し続ける松本ノゾミを目の当たりにして質問すると、
彼女ではなく日比木静が答えた。

「ええ、笹井くんと吉田くんはもちろんですが、伊藤さんもギターとベースを弾きますし、
ノゾミちゃんもDTMを……」

「静さんだって昔は音大の歌姫って言われてたんだかんね!」

「ほう、ここのアパートは全員が音楽をやっていたのか……」

あごに手を当てて、俺はようやく自分がここに派遣された意味を知った。

カナタめ。
なんだかんだ言って、自己嫌悪に陥っていた俺を励ますために、
昔と同じような環境の場所へと引きずり出して来たってわけか。
まったくあいつってやつは、本当に……。

「リーダーだったんだな……。今も昔も」

「おい、井ノ寺! ここにある酒は飲んでいいんだろ?」
「もちろんですよ」
「ノゾミ、飲むぞ!」
「あ~い」

伊藤さんがビール瓶をあけると、松本さんのグラスに注ぐ。
日比木さんは吉田くんと笹井くんに料理を取り分けてくれている。

「井ノ寺さん! SOD時代のこと、もっと色々教えてくださいっ!」
「え、吉田くん! 3+……僕たちは!?」
「琉成さんが言ったんですよ? 『なりたい人になればいい』って。
オレは色んなミュージシャンの話を聞いて、
いつかはみんなが憧れるようなドラマーになりたいんですっ!」

笹井くんと吉田くんもなんだか楽しそうだ。

本当に懐かしいな。
こうやって大勢で食事をするのは。

警官も辞めてしまったことだし、
俺も始めよう。新しい人生を、このハイツ響で――。

「俺の新しい門出に、乾杯!」

そういうと、なぜか伊藤さんにビール瓶で軽く殴られた。


引っ越し祝いのパーティーの数日が経った。
俺は監視カメラではなく、
普通に朝、外へ出てみんなに挨拶をしていた。

「琉成、ピックは余分に持ったか?
それと弦の替えは……」

「持ってますって」

琉成は俺を鬱陶しそうに見る。

「翔太、宿題は済ませたか?
忘れ物もないか?」

「大丈夫です!」

翔太はいつも通り元気いっぱいだ。

「ノゾミ、肌荒れてるぞ。
ほら、サプリ」

「……うっさい」

そう言いながらも差し出された
ドリンクを受け取るところなんかは
素直でかわいい。

「ケンさんは今日も夕方からみたいですよ」

「そうですか。じゃあ、昼間の作業は静かにしないとな」

静さんとふたりでみんなを見送ろうとしていたところ、
琉成が間に入ってきた。

「明日人さん、あんまり静さんにべったりしないでください!
迷惑だと思いませんか!?」

「ああ、すまなかった。だが、問題はない。
俺は彼女のことをそういう対象としては見ていない。
琉成は静さんのことがよっぽど心配なんだな!」

「ちょ、明日人さんっ! 声でかいっ……」

「笹井くん、遅れるわよ?」

「あ、はい!」

こうして今日もみんながそれぞれの場所へと
向かってアパートを出て行く。
見送ると俺は、静さんと別れて自分の部屋に戻った。

今日は大切なものが届くんだ。
俺が一度手放したもの。
新しい人生を始めるんだ。だったらもう一度。

「シロネコ便で~す!」
「はい」

受け取ったのは昔使っていたものと同じ
キーボード。
久しぶりの鍵盤は、触れるだけで
俺の心を震わせる。

まずは何を弾いてみようか?
そうだなぁ。ああ、あれがいい。
思い出のあの曲を。
もう二度と弾かないと思っていたあの曲を――。
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