〇103号室 笹井琉成

文字数 10,909文字

「それではフェスお疲れということで……カンパイ!」
「カンパイ!」

今日は事務所の食事会というか飲み会だ。
僕たちのバンド3+と、地獄の殺人鬼は見事フェスのステージを
盛り上げた。
今夜はそのお疲れ会だ。

出席しているメンバーは、3+から九郎と耕平。そして僕。
地殺のメンバーの吉田くんとテツくんと石坂くん、ヒロくん。
今日はカナタ社長とレイさんもいる。
場所は芸能人御用達の焼肉店だ。

「今日は好きなだけ食べて飲んでね。事務所が立て替えておくから」
「あざーっす!!」

九郎とテツくんが頭を下げる。
まったく、ふたりとも……。

食事をしているうちに、自然と話題はフェスのことになる。

「暑かったですよね。野外だったっていうのもあったけど、
さらに照明が当たるじゃないですか。ほら、俺赤くなっちゃいましたよ」

テツくんが腕を見せる。
確かに日差しが強かったし、ボーカルは最前列で歌うからな。
僕も少し頬がピリピリしていた。
鏡を見ると、ほんのり赤く焼けていたし。

「でもドラムも大変だったでしょ?」

僕は九郎と吉田くんにたずねる。

ドラムの運動量は半端ない。
身体全体でリズムを刻むから、汗が飛び散っていた。

「そうですね。曲と曲の間に、ずっと水を補給してましたよ」
「さすがにきつかったな~」
「……ちょっと、それじゃ一番ベースが楽みたいな言い方じゃない」

耕平と石坂くんが、ちょっとムッとする。

「ギターだってきつかったですよ!?」

ヒロくんも文句をポツリ。
言い争いってほどじゃないけど、みんなは自分のパートが
一番大変だったという。
それを収めたのが社長だった。

「うん、みんなが大変だったのは俺がよくわかってるから。
そのためのお疲れ会でしょ?」

そうだった。
みんなも気づいて、肉に箸を伸ばしたり、ビールをゴクゴク飲んだり
し始める。
吉田くんはオレンジジュースだけど。

「ま、秋に入れば少しはスケジュールも緩やかになるから。
少しは休みも取れると思うよ」

「休みか……そう言えばフェスがあったから、
しばらくの間休んでなかったな」

耕平がぼそりとつぶやくと、九郎は中ジョッキを空にして
おかわりを頼む。

「みなさんは、お休み中はどう過ごす予定なんですか?」

吉田くんの質問に、みんなはそれぞれ答える。

「そうだな、掃除かな。しばらく片付けてなかったから」

石坂くんの言葉にちゃちゃを入れたのが、テツくんだった。

「えぇ~!? それじゃつまんねーだろ。せっかくなんだから、
どこか出かけたらどうだ?」
「俺も家でDVD鑑賞をする予定だぞ?」

ヒロくんも引きこもり宣言だ。
まあ、それも仕方がないことなんだよな。
僕らは面が割れてしまってるから、外出するとしたら
いちいち変装しないといけない。
それだったら家にいた方がいい……という選択肢しか残っていない。

「九郎もでかけないの? それじゃ、MUGIに会えないね」
「ぐっ!? げ、げほっ、げほっ……な、なんであのお花畑の名前が出るっ!」

耕平のツッコミに、思わず九郎は飲んでいたビールでむせる。
しかし耕平の言葉にテツくんやヒロくんも乗ってきた。

「ああ、聞いてますよ、KUROさん! MUGIさんに猛烈アタックしてるって!」
「俺もこの間、レストランに連行していく姿、見てましたっ!」
「ふたりとも、先輩をからかうなよ」

石坂くんは大人の対応。しかし、九郎にとどめをさしたのは、吉田くんだった。

「せっかくのお休みなんですから、デートとかしたらどうですか?」
「できるかっ!!」

九郎が怒声を上げる。
……そりゃそうだよな。
九郎もMUGIさんも売れっ子だ。
ふたりでデートなんて、ゴシップ誌のかっこうの餌食だ。
九郎はやけになって、またビールをゴクゴクと飲む。

「そういう耕平は、休みをどう過ごすの?」

僕がきくと耕平は首を振った。

「みんなは休みだけど、俺、雑誌のコラム書いてるから……それやらないと」
「あ、そうか。大変だね」
「うん。でも今度は熱海に呼び出そうと思ってるんだよね。俺、諦めたわけじゃないし」
「……呼び出す? 諦める?」
「なんでもない」

まったく、いつも通り耕平はボーッとしていてよくわからない。
だけどこの間合いが、僕は好きだったりする。
でも何を考えているのかわからないのは、ちょっと怖い。
ある日突然とんでもないことをやらかしそうな空気はある。

「それより琉成は?」
「僕は……」
「そうですよ! 笹井さん、チャンスじゃないですかっ!」

声を張り上げたのは吉田くんだ。
吉田くんがはりきっているときは、大抵ろくなことが起こらない。
僕の予想は大当たりだ。

「笹井さん、今しかないですよ! 静さんをデートに誘うにはっ!」
「デート!? 笹井さん、誰ですか! その『静さん』って……」

地殺のメンバーも驚いて一斉に僕の顔を見つめる。
それを九郎が冷静に説明した。

「なんでもアパートの大家をやっている美人さんらしいんだけどよ、
超天然で何度告白してもスルーされてるらしい」
「それって……気がないんじゃ……」

テツくんがボソッというが、それを否定したのがなぜかカナタ社長だった。

「いや、それはないよ。静は本当のド天然だから。
本当に気づいてないだけだと思う。
従妹で、小さい頃から知ってるしね」

……はぁ。
だけどド天然にしても毎回スルーはないよなぁ……。
僕がいじいじと卵焼きを小さく刻んでいると、
さらに吉田くんは僕に提案した。

「でも笹井さん、静さんとふたりで出かけたことないでしょう?
それだったらどっかに連れて行って、そこで告白すればいいじゃないですか」
「だけどさ……告白が失敗したら、アパートに居づらくなるじゃないか」
「本当に困った人だなぁ」

吉田くんに言われたくない。
そもそも吉田くんは、自分にまだ好きな人がいないくせに
他人の恋愛事情に口出ししすぎるんだ。
でも、デートか……。
何回も告白みたいなこともしてるのに
静さんは気づいてくれない。
それならいっそ、吉田くんの言う通り
デートに連れて行くのも手なのかもしれない。

「……よしっ! 僕、デートしますよ!」

言い切ると、「おお!」とみんなから歓声が上がる。
……僕ってそんなヘタレなのか?
デートに行くと宣言しただけで歓声って。
それは百歩譲っていいとして……。

「でも、どこへ行けばいいんでしょうか?」
「やっぱり……夢の国じゃない?」

レイさんが口を出す。吉田くんもそれにうなずくが、
他のメンバーはいい顔をしない。

「いやさ、学生ならともかく、24、5の男女の初デートだぞ?
悪くはないけど、もっと落ち着いたところがいいんじゃないか?」

そう言ったのは石坂くん。
ヒロくんも首を縦に振った。

「そうそう。そもそもテーマパークなんてめっちゃ混んで出るぞ?
Ryuseiさんの正体がバレたら、デートどころでもなくなるし……」

「動物園とかはどうかな? 静さん、動物好きそうだし……」
「動物園って! 小学校の社会科見学かよっ!!」

九郎も思わず俺にツッコむ。

「だったらどんなところが……」

悩んでいるところに案を出してくれたのが
カナタ社長だった。

「それなら江ノ島はどうかな?
変装していればバレても人混みの中に逃げ込める。
遊園地だとバレたらずっと追いかけられちゃうかもしれないけど、
江ノ島だったらうまくまけると思うし。
それに……」

社長はジョッキを空にすると、満面の笑みで僕に言った。

「江島神社でうちの事務所の益々の発展を願ってきてよ。
あそこ、弁財天……芸事の神様で有名でしょ?」

それか、本当の目的は。
ま、でも江の島は悪くないかもしれない。
鎌倉やその辺りも観光にはうってつけだし。

「そうそう、近くにはラブホもあるしな」
「九郎っ!!」

じゃんじゃんビールを飲んでいた九郎が僕をからかう。
付きあう前からそんなこと……!
変に意識しちゃうじゃないか。

ともかく、その日は満腹になるまで食べて飲んで、
解散となった。
僕は静さんと江の島にデートへ行くことにみんなに決められてしまったが……
どうやってデートの申し込みをしよう?
アパートまで帰るまで、タクシーの中で吉田くんが色々言っていたけど、
僕はその日少しだけ飲み過ぎて、眠くてしょうがなかった。

朝――。
いつも通り静さんが玄関を掃除している。
僕たちの休みは今日から1週間。
早く誘わないと、あっという間に休みは終わってしまう。
ともかく静さんに声をかけないと。
僕は玄関を出ると、静さんに挨拶した。

「おはようございます、静さん」
「あら、笹井くん。おはようございます。今週はお休みじゃなかったの?」
「いえ……それなんですけど」

僕が言い淀んでいると、2階からバタバタと階段を下りてくる
やつらが来た。

「ケン~、相変らずなんでうちの学校に来たがるのさ!」
「お前の学校の学食、うめぇんだもん」
「ケンもだけど、井ノ寺まで……」
「ケンに学食の件を聞いてな。ぜひ食べてみたいと思って」

げ。最悪だ。
僕がこうして静さんをデートに誘おうとしているところを
見たら、絶対に冷やかされる!!

「お、静さんに笹井か。朝っぱらから何してんだ?」
「今日はゴミの日でもなかろう」
「あ~、どうせ笹井のことだし、静さんと話しようと近づいてきたんでしょ!」
「あら、私も笹井くんとお話するのは好きよ?」

だからそういうことではなくて……。
頭を抱えていると、井ノ寺さんがどこから仕入れたのかわからない
話をし出した。

「そう言えば……琉成、今日から1週間休みだそうだな」
「……なんで井ノ寺さんが知ってるんですか」
「この間、カナタに聞いた。外出する際は変装させるようにって、連絡があってな。
どこかでかけるのか?」

その質問に反応したのが、ちゃらんぽらんふたり組だ。

「ってことは、今静さんに話しかけてたのって……」
「デートの誘いか!?」

だーっ!! もう!!
予想通りの反応をしないでくれっ!

俺が顔を真っ赤にしても、静さんは困った笑みを浮かべるだけだ。
……こうなったら仕方ない。

「伊藤さんっ!」
「お、おう、なんだよ」
「……あの『なんでもいうことを聞く』って約束、今実行します!」

伊藤さんのお見合いを潰したとき、僕たちは彼と約束したんだ。
『お見合いを潰したらなんでもいうことを聞く』って。

「静さんがデートを承知してくれるように、誘導してくださいっ!」
「はぁ? そんなの自分でやれよ……ヘタレだな」
「ヘタレでもなんでもいいです! ともかくお願いしますよっ!!」

伊藤さんとの内緒話が終わると、僕はさっそく静さんのスケジュールを
何気なく聞き出そうとした。

「あの、静さんは今週時間ってありますか?」

あ、『何気なく』というのは取り消し。
言葉が見つからずダイレクトアタック。
それでも静さんはマイペースだ。

「え? そうねぇ、特に今週は何も予定もないし……」
「ちょうど秋だし、行楽シーズンじゃないか。
だったらよ、笹井とふたりでどっか出かけてきたらどうだ?
気分転換にもいいと思うぜ?」
「ケン?」

松本さんと井ノ寺さんが不思議そうな顔をする。
それでも伊藤さんはふたりに目で合図をして、
同調するように指示する。

「……あ、あ~、そうだね。どこか出かけるとしたらちょうどいい
気候だもんね」
「……日比木さんはいつも休みがないからな。たまに休むのもいいんじゃないか?
何かあったときは、俺がいる」

よかった。みんな僕に協力してくれている。
みんなからの言葉に、静さんの心も揺らいでいる。

「お出かけねぇ……」
「大丈夫です、静さん! 僕がエスコートしますからっ!」
「そう? ……じゃあ、みんなで行きましょうか!」

静さんの盛大なボケに、思わずみんながひざをつく。
そうじゃない!
僕はふたりっきりで静さんと出かけたいんだってば!

「でも、今週はみんな、色々忙しいんじゃなかったでしたっけ?」

のそっと出てきた吉田くんは、今までの話を聞いていたらしい。
彼の出した助け船に、みんな一気に飛びつく。

「そ、そうだ! 俺はバンドのイベントがまたあるし!」
「あたしも卒論関係が……」
「俺は静さんが出かけるなら、アパートにいないとな」
「オレもアキラと遊ぶ予定なんですよ。ってことは、みんなダメですね!
静さん、笹井さんと息抜きして来たらどうですか?」

ナイス、吉田くん!
いつもは迷惑だったり、しゃしゃりですぎだったりするけど、
今日はいいアシストだ。

「わかりました。じゃ、笹井くん。どこに行くかも、あなたに任せていいかしら?」
「はいっ! もちろんですっ!」
「ふふっ、楽しみにしてますね?」

こうして僕は、みんなの協力を得て、静さんとデートする権利を得たのだった。

「はぁ……静さんとデートかぁ……」
「で、何を着ていくつもりなんだよ」
「わっ!? 伊藤さん! なんで僕の部屋に……」

静さんとの約束を取り付けた僕は、有頂天で部屋の扉を閉めたはずだった。
なのに、玄関にはふたりの男。

「ちょっ! 伊藤さんも井ノ寺さんも、
松本さんの大学に行ったんじゃなかったんですか!?」
「予定変更だ。翔太に言われてな」
「吉田くんに?」

井ノ寺さんは、吉田くんからのメッセを僕に見せる。

『静さんとのデートに着ていく笹井さんの服を探してください!
あの人、毎日ジャージかツナギなんで!』

くっ、あの高校生……っ!
バカにされてる感満載だ。

僕が唇を噛んでいる中、伊藤さんと井ノ寺さんは
勝手にクローゼットを漁っている。

「……マジかよ。全部黄土色のジャージとTシャツじゃねぇか!
下はジーパンで……ま、こっちはヴィンテージだからマシだが」
「こっちはツナギだな。ステージ用か?」
「あーもうっ! 勝手に漁らないでくださいって!!」
「こりゃ、大問題だな」
「ああ」

伊藤さんと井ノ寺さんは、ふたりでうーんとうなっている。
……文句言わないでくれよ。
今までほとんど休みは引きこもってたから、
特に服なんて必要もないと思っていた。
せいぜい買っても好きなバンドのTシャツ。
確かに吉田くんの言っていることは間違いじゃない。
僕にはデートに行くための服がない。
この際、メンツなんてどうでもいい。
僕はふたりに頭を下げる。

「こうなったらしょうがない! 伊藤さんか井ノ寺さん!
服を貸してください!!」
「………」

……あれ? 無言?
頭を上げると、またふたりは顔を合わせている。

「わりぃ、俺、お前のこと悪く言う資格なかったわ」
「え……あっ」

そうだったな。
伊藤さんも僕と同じだ。
いつも黒Tシャツにジーパン。
冬は革ジャン、ついでにブーツ。
井ノ寺さんはというと、僕と身長が10cm違う。
この人184、5あるって雑誌で紹介されてたもんな。
多分、着ることができてもブカブカだろう。
服のセンスは悪くはないけど……
ちょっと年齢的にもサラリーマンっぽさが出ている。

「こうなったら、ガキが帰ってくるまで待って
みんなで服屋に行くぞ!」
「そ、そんな大事にしなくっても……」
「いや、大事だ。恥をかくのは琉成ではない。日比木さんなんだぞ?
それでもいいのか?」
「……困ります」

吉田くんが帰って来るまで、
僕らは仕方なく待つことになった。
多分、彼のセンスが一番まともだろうから。
しかし吉田くんが帰ってくると同時に、
悪魔たちも帰宅するということを僕らは忘れていた。

「笹井さん、すみません。
なんかみんなついてきちゃって……」
「ちーす、キモ男!」
「ま、松本さん?」
「……と、お久しぶりです、笹井さん」
「どーもー」
「って、お前らもかよ!」

伊藤さんがツッコミをいれるのも当然だ。
なぜか松本さんの友達・狛江くんと、
吉田くんの友達・高橋くんまでも僕のうちを訪れてきたから。

「ま! これだけメンバーがそろえばいい服も見つかるって!
うちの大学のイケメンリア充・狛江がいるんだしね!」
「イケメンって……」
「狛江、笑ってんじゃねーぞ! こら」
「いって!」

へらへらしていた狛江くんに、鉄拳を加える伊藤さん。
確かに狛江くんの服装は女子ウケしそうな感じだ。

「でも……高橋くんはなんで?」
「ああ、オレ? オレ、みんなの服のコーデが趣味なんだよね」
「オレが連れてきたんです! アキラはライブのときの衣装も見繕ってるから……」
「翔太、しっ!」
「ぐ!?」

なぜか高橋くんは、吉田くんの口を塞ぐ。
吉田くんはライブの衣装、高橋くんに選んでもらってるのか?
そんな話は聞いたことなかった。
というか、僕らといっしょにレイさんとカナタ社長が
スタイリストさんと打ち合わせして決めてるものかと思ってたのに。

「あー、オレはただついてくだけなんで! そんなに気にしないでくださいっ!」

高橋くんはにっこり笑う。
なんだかこの笑顔、見覚えがある気がするけど……
いつも吉田くんと高橋くん、一緒にいるからかな。

「ほら! 早く行かないと夜になっちゃう! 野郎ども、出かけるよ!」

松本さんの命令で、僕らはわさわさと渋谷のデパートへ
向かうことにした。
……そこまではよかった。

「……しぶや」

今日は一応、キャップをかぶっている。
吉田くんも私服に着替えて帽子姿。
それはいい。
ただ、僕は人の多さに驚いていた。
渋谷でライブをすることは多い。
だけど、普段は車移動でライブ会場まで行ってしまう。
その後、事務所で解散といった感じだ。
僕だけじゃない。
松本さんも、井ノ寺さんも唖然としていた。

「……おい、アスト。どうした?」
「い、いや。俺も昔はライブでよく来たが、
久々の混雑っぷりに驚いてしまった」
「松本も、なにぽかんとしてるんだよ」
「あ、あたしは……その、普段はこういうリア充の遊び場なんか
来ないし!」

そんな中、平然としていたのは高校生ふたり組。

「行くよー、みんな!」
「笹井さんはあそこのショップがいいんじゃないかな」
「翔太! オレもそう思ってた!」

松本さんじゃないけど、完全に遊び場だ。
ふたりと狛江くんが僕たちを先導して店へと連れていく。

「ああ、ここの服は俺もよく買うよ」
「そう言えばその服もここのブランドですね!」
「狛江さ~ん! この近くのクレープ屋、行ったことある? うまいんだよねぇ!」
吉田くんたち3人は楽しそうだ。

「おい、お前らしっかりしろ」
「いや……もうキツい。リア充無理」
「僕も……」
「若いというのは罪だな……」

伊藤さんに励まされながら、
僕はみんなのマネキンになる。
次々と服をあてがう吉田くんと狛江くん。
それにうなずく高橋くん。

「こっちはどうだ!?」
「ない」
「ないです」
「趣味悪っ!」

伊藤さんの選んだ迷彩ジャケットに、
狛江くん、吉田くん、高橋くんの順にダメ出し。
伊藤さんは珍しくへこんでいた。

松本さんと井ノ寺さんはというと階段に座っている。
限界だとかつぶやいていた。
だったら来なければよかったのに……。
とはいえ、僕のことを思ってついてきてくれたんだ。
そこは感謝しないとな。

何とかジャケットと白のインナー、パンツを買うと、
僕はみんなにペットボトルのお茶をごちそうした。
その途中……。

「あれ? 井ノ寺は?」

復活した松本さんが辺りを見回す。
おかしいと思ってみんなで探すと……。

「琉成! 大事なものを忘れてるぞ!! 
俺が買ってきてやったから安心しろ」
「忘れ物……ですか?」
「これだ!」

さっきまで人混みに酔っていたはずの井ノ寺さんが
僕に見せたのは、
くっそ変態チックな黒いTバックだった。

「な、なんですか! それ!!」

もしかして……いや、もしかしなくても、
デートのときにこれを履いて行けと!?
いくら見せなくても恥ずかしいわ!!

「井ノ寺……そんなもんどこで買ってきたの……」

松本さんはお茶を飲みながら、
きらきらした笑顔を見せる井ノ寺さんに呆れる。

「童貞は何でそれを選んだよ……」
「ケン、俺が童貞だと?」
「え……ま、まさか……!」
「……想像に任せる」
「ちょっとふたりとも! 一応、女性の前じゃないですか!」

吉田くんが注意するが、松本さんは顔が真っ赤だ。

「はは、照れるなって。かわいいなぁ、松本」
「う、うるさい! 狛江!!」
「あ~っ、狛江! ノゾミの頭をなでるな!」
「なんのことですか? ケンさん」
「はぁ……Ryuseiっていつもこんなメンバーの世話してんの?
めんどいね」
「あ、あはは……」

高橋くんは肩をすくめる。
僕だってこんな一員をまとめるのは面倒だ。
そもそも、いつもまとめているのは僕じゃない。
まとめているのはなんだかんだ言って静さん。
彼女はまさに珍獣使い。
僕も含めて珍獣、か。
そう考えるとつい笑いたくなってしまい、
帰りの電車でひとりニヤニヤしていた。
また松本さんにキモがられたけど、まぁいいか。

そしてデート当日――。
僕はみんなに選んでもらった服を着て、
101号室のインターフォンを鳴らす。
ピンポン、と軽快な音が響くと、
ガチャリと扉が開く。

「おはよう、笹井くん。
今日はよろしくね?」
「は……はい!!」

今日の静さんはいつもよりきれいに見える。
もしかしたら念入りにメイクしているのかもしれない。
……僕のために?
い、いや、過度の期待はしちゃいけない。
僕は『いつも通り』を心がけて、静さんをエスコートする。

「ここからだったら新宿に出て……」
「そうね。江ノ島なんて久しぶり。楽しみだわ」

僕はこの花のように咲く笑顔を見るだけで幸せだった。
だけど今日は……その隣を歩くことを許されている。
こんな幸福を味わってもいいのだろうか。

「笹井くん?」

僕は首を振った。
今日のためにみんなも応援してくれた。
こうして着る服を選んでもらった。
それも堂々と彼女の横を歩くためだ。

なのに、僕はまだ卑屈なまま……。
『静さんの声を取り戻す』。
その約束は果たせたけれど、僕の実力なんかじゃない。
――僕は『自分の実力』で、何かを果たしたことはあるのか?
バンドで成功した。
……これはレイさんとカナタ社長、九郎と耕平のおかげ。
僕はただ、ステージの真ん中でギターをかき鳴らして
大声を張り上げていただけ。
高校を卒業してから、何も変わっていない。

「……どうしたの? 気分が悪いなら他の日に……」
「いえ! 大丈夫です。心配かけてすみません!
行きましょう、江ノ島へ」

いくら僕が卑屈でも、静さんの笑顔を曇らせたらいけない。
今日は絶対に、彼女に暗い顔をさせない。
ダメな自分にはいつでもなれる。
だけど、静さんとふたりきりになれるのは
今日だけなのかもしれないんだから。


「海風が気持ちいいわね」
「そうですね、あ! 静さん、ソフトクリーム……」
「食べますっ!」

静さんは元気よく手を挙げた。
しらすソフトを買うと、静さんに渡す。

「甘じょっぱいっていうのかしら? 不思議な味」
「しらすはあわないでしょう」
「もう! 笹井くんが買ってきたのよ?」
「じゃ、僕の紫芋のと交換しますか?」
「いいの? ありがとう!」
「あ、ちょ、ちょっと!」

冗談で言ったのに、静さんは僕の手から勝手にソフトクリームを
奪うと、自分のと交換する。

「うん! おいしい!」
「………」

これって間接キス……。
って、僕は中学生か!? 若しくは変態!?
なんで彼女が絡むと僕は子どもレベルになってしまうんだ?
静さんだって気にしてないんだし、僕だって……。

「……お、おいしいですよ? しらすソフトだって」
「ふふっ、無理してるんじゃないの?」
「そ、そんなことありません! 
それよりも静さん、ほっぺたにクリームが……」
「え? どこ?」

本当だったらここで僕自身が取ってあげるべきだ。
でも、僕はやっぱりビビリだ。
情けなくティッシュを彼女に渡す。

「ありがとう。笹井くん」

……ああ、やっぱりへこみそうだ。


坂道を上り、途中でランチ。
もちろん名物のしらす丼だ。
腹ごしらえをすると、いよいよ江島神社へのお参り。

「実は……ここの神社を勧めてくれたのはカナタ社長なんです」
「ああ、弁財天ね! カナタくんったら、変なところ信心深いんだから……。
でもカップルで弁財天にお参りすると、別れるとも……」
「え!?」

な、マジですか……!?
まさかカナタ社長、僕たちを認めないからここを勧めたんじゃ……。
だけどすでに静さんは隣で手を合わせている。
目をつぶる彼女はやっぱり美しい。
情けないけど、僕もお参りするしかない。
お賽銭を入れ、お辞儀をする。
どうか神様、今日だけは例外。
僕らはまだ付き合ってもいません。
だから……。

「真剣にお願いしてたわね。やっぱりバンドのことを?」
「え、あ、ま、まあそうですね!」

頭をかきながらおみくじを引く。
……嘘だろ。

「どうだった? 笹井くん」
「これ……」

静さんに引いたおみくじを見せる。
最悪だ。静さんも口を押える。
……ここまで来て、まさかの凶。
なんてこった。ここまできていいことなしなんて。
いや、ある意味僕らしいのかもしれないな。

「でも、悪いことばっかりじゃないわ。ほら、恋愛運!」
「……あ」

『恋愛……努力すれば叶う』

努力か。
これでも努力してるんだけどな。
神様はもうちょっと細かい攻略法を書いておいてほしい。
天然を通り越して鈍感な彼女を落とす方法。

「笹井くんは……おつきあいしている女の子、いないの?」
「い……いるなら、こうやって静さんを誘ってませんよ」
「まぁ……私でよければいつでも気分転換におつきあいしますし、
応援だってしますから!」
「応援なんて! だ、だって、僕はあなたが……っ!」

「うわあっ!! バカ、ケンっ! なんであたしのせんべいかじるのよっ!」
「でかすぎてふたりが見えなかったんだ」
「おいしいですね! しらすせんべいって!」
「………は? はぁぁぁっ!?」
「おい、みんな。琉成に見つかったようだぞ」

な・ん・でここにいるんだ! いつものメンバーがっ!!
松本さんと伊藤さん、吉田くんに井ノ寺さんは
神社の隅に潜んでいた。
しらすせんべいで顔を隠していたつもりらしいが、
あれだけ騒げばこちらも当然気づく。
静さんもびっくりしているみたいだったけど、
すぐにいつもの笑顔を浮かべる。

「なんだ。みんなも来ていたのね。
せっかくだから一緒に回りましょう!」
「あっちゃ~……」

松本さんが頭を抱えるが、彼女が最初に声をあげたんだ。
それに伊藤さんも。
そして静さんの悪いくせ。
本当はいいところなんだけど、アタックしてる立場からすると
最悪だ。
誰かとふたりきりよりも、『みんな』で。
大きくため息がもれる。
ニコニコしている静さん以外、全員から。
……まぁ、そんな彼女だから、僕は惹かれてるんだけど。

「あ、カニ! カニですよ!」
「吉田、あんまりそっち行くと、足滑らすよ! ……うわっ!?」
「そういうお前もな、ノゾミ」
「うぅ……ケン、さんきゅ」
「ケンもブーツなんだから、気をつけろ」

岩屋の近くではしゃぐみんなを眺めながら、
僕と静さんはゆったりとした時間を過ごしていた。

「あいかわらず、ですね」
「ええ。みんな変わらない。もう全部部屋が埋まってだいぶ経つのにね」
「僕も……変わりませんか?」
「え……?」

やっぱり変わらないのかな。
ゾンビスクラップから3+になった。
かぶっていた仮面を外して、前髪を切った。
僕の勇気なんて、大したものじゃない。
だって、まだ静さんに告白すらできてないんだから。
もっと僕を見てほしい。
僕の言葉を聞いてほしい。
……みんなの静さんじゃない。
僕だけのあなたになってほしい。

「僕は勇気がほしいです」
「それは私も一緒よ」

優しく微笑む静さん。
彼女の言葉の本当の意味。
それにまだ僕は気づけないでいた――。

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