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文字数 2,782文字

 急遽、横浜へ取って返した興梠(こおろぎ)志儀(しぎ)、タクシーで片岡邸へ駆けつける。


「お待ちしていました」
 出迎えた執事に導かれて応接室へ。
 応接室には家族と弓部(ゆべ)警部補、そして、平生は外で警護に当たっている警官も2名、弓部の傍らに控えていた。
 興梠は改めて片岡家の人々を一瞥した。
 同じ室内、同じ位置。朝と同じ顔が並んでいる。蒼白のマスクだ。
 ふと、思いついて、興梠は案内してくれた執事に小声で訊いた。
河北(かわきた)さん、この邸に猫はいますか?」
「はい?」
 執事はどちらに驚いたのだろう? 質問の内容か? それとも、名前を呼ばれたことか?
 だが、すぐに威厳を取り戻して応える。
「いえ、当邸に猫はいません」
「ずっと? 10年前も?」
 執事河北はきっぱりと首を振った。
「この邸をお建てになった初代様以来、当邸では一度も猫が飼われたことはありません」
「興梠さん、何故そんなことを訊くんです?」
 弓部が歩み寄って怪訝そうな顔で問う。
「いや、ちょっと気になったので……単なる思い着きです」
 片岡家の家族の顔が蒼白の人面(マスク)に見えた、とは言えない。そこから連想して、先に郵送された4枚の手紙の絵にあった耳の付いたマスクが〝猫〟を思い出させた――
「話を逸らせてしまい、申し訳ない。新しい進展があったそうですね?」
「そうなんだ。ああ、河北、君も証人として同席してくれ」
 執事に命じると当主・片岡瑛士(かたおかえいじ)は話し始めた。
「先に、弓部警部補には伝えましたが、もう一度繰り返します。今日午後、1時過ぎ、電話がかかって来ました。私はその時は桜木町の会社にいてここにはいなかった。電話を取ったのは執事です。当邸にかかった電話は、全て、この河北が受けます」
 片岡邸の電話は玄関ホールの階段下に置かれている。他には書斎と主寝室にあるが、家族は主にこの玄関ホールの電話を使用している。
「河北、その際の様子を改めて興梠さんに話してくれ」
「かしこまりました。ベルが鳴って、私が受話器を取りますと、いきなり珪子(けいこ)お嬢様のお声が聞こえました」

 ―― 私よ。珪子よ。
 
 ―― お嬢様! お嬢様ですか!?

「私は思わず叫んでしまいました。すると、私の声をお聞きになって青生(しょうき)様が飛んで来られて、私は電話を代わりました」
「そこからは僕が話すよ」
 進み出る片岡家令息。
「今日は土曜だったので、早く家に帰っていて良かった! 僕は自分の部屋にいたんだけど電話の鳴る音が耳に入ったので、廊下に出た。そこで河北の叫び声を聞いて、階段を駆け下りて受話器をひったくったのさ」

 ―― 珪子? 珪子なのか?
 
 ―― お兄様?
 
 ―― おまえ、今、何処にいるんだ? 皆心配してる。場所を教えてくれ。
    すぐに会いに行くから。
 
 ―― ほんと? 兄様、会いに来てくださるの? 
    でも、珪子はここがどこか言えないの。番地を知らないもの。

 ―― 住所なんかわからなくていいさ。窓の外はどう? 
    何が見える? どんな風景だい?
 
 ―― 窓はないわ。

 ―― じゃ、今、おまえがいる部屋には何がある? 
    なんでもいい、教えておくれ。

 ―― ……

 ―― いいかい、珪子。これは謎々ごっこだよ。兄様とよくやるだろう?
    その要領で、見えるものなんでも言ってごらん。
    兄様にヒントをおくれ。そしたら、
    兄様が、必ず、珪子の居場所を当ててみせるから。

 ―― まあ、面白い! 謎々ごっこね? じゃ、行くわよ。
    えーとね、壁にね、絵があるわ。3枚。

 ―― どんな絵だい? 紙をくれ、河北(これは執事に命じている)
    さあ、言ってみて。

 ―― 上に並んだ2枚の絵は、どっちも冬の絵よ。
    一つは、高い木があって反対側にはお家がみえる。
    雪の道を男の人が一人、背中を向けて歩いているの。
    自分のお家へ帰るところかしら?
    もう一つは、これも雪景色。とても寒そう! 
    雪の原が続いてて、一羽、真っ黒い鳥がね、留まってる……

 ―― それから?

 ―― 今言ったふたつの絵の下にもう一枚、絵があるの。
    こちらは人の絵だわ。
    鎧をつけて剣を持った男の人がね、
    腰を下ろして私をじっと見てる。

 ―― 他には? まだ他に何かないかい? 絵以外のもの。
 
 ―― 他には…… (ここでドアの音)
    あ、お姉ちゃん――

    ガチャン!

 ―― 珪子? 珪子?

    ツー・ツー・ツー・ツー ……

 電話は切れてしまった。




「弓部さん、興梠さん、これは一体どういうことだ?」
 瑛士(えいじ)(うめ)いた。
「私たちはどうすればいいのだ?」
「でも、これだけは言えるよ、父様。今現在、珪子は生きているんだ! 拘束されてもいないようだし怪我だってしてなさそうだった。元気な声だったよ!」
「本当に、珪子の声だったのか、河北?」
「はい、確かに珪子お嬢様のお声でした」
「何故、河北に確認するんだよ? 僕がそう言ってるのに」
「おまえは……嘘つきだからな」
「へえ? 父様に似て?」
「なんだと?」
「やめて――」
 夫人が声を上げる。
「珪子ちゃんがいなくなったのに……! 晶子(しょうこ)ちゃんもいないのに……! 家にいる、残された人たちが争うのはやめて! せめて私たちは仲良く暮らさなきゃ。ね? そうでしょう? だから、お願い、皆、仲良くしてちょうだい……!」
 ワッと泣き伏す瑠璃子(るりこ)夫人だった。
「奥様……奥様……」
 宥める家庭教師兼話し相手(コンパニオン)
「ごめんなさい、母様」
 青生は母のそばに駆け寄ると謝罪した。そのまま、手を握って横に座る。
「すまない、悪かったよ、瑠璃子」
 瑛士も頭を下げて、気まり悪げに椅子に腰を下ろした。
 弓部が咳払いをする。
「とにかく――青生君の言う通り、ひとまず珪子ちゃんの無事は確認されました。それから、誰かが傍にいるというのも会話から(うかが)えます。それが犯人かどうかは現段階ではなんとも言えませんが――」
 志儀が即座に相槌を打った。
「若い女の人だね? 『お姉ちゃん』と呼びかけていたもの」
 警部補は少年助手に頷き返す。
「うむ。一番の問題は居場所だ。しかし、壁の絵だけではどうにもならない。どんな絵かすら判明できないのに……」
「そうでもありませんよ」

 凛とした声。

 探偵の言葉にその場にいた全員が一斉に顔を上げた。


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