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文字数 5,070文字

 探偵がゆっくりと復唱する。
「なんですって? 鳥居の墓……鳥居の印の入った墓がある(・・)?」
「あるよ」
 作家はあっさりと(うなづ)いた。
「鳥居の刻まれた墓だろう? 探偵のくせにそんな当たり前のことを知らなかったのかね? これだから現代の若い者は――」
 そこまで言って川端(かわばた)は首を振った。
「いや、地元の人間じゃないから、鞘阿弥陀仏(さやあみだぶつ)同様、知らなかったのか。とはいえ、おい、君、君だって知っているだろ? この鳥居の印入った墓について」
 若い僧に水を向ける小説家だった。
「はい。存じております。大伴(おおとも)家の墓のことですね?」
 僧も当然という顔で応えた。
「大伴家は鎌倉幕府から鶴岡八幡宮の神主に任じられて、以降ずっと神主の座にありました。それが明治維新になり、当時の政府の意向で神仏分離が徹底されたため神主の職を離れざるを得なかった。けれど、長年の誇りをしっかりと墓に刻んでいます。大伴家の墓は神道の象徴である鳥居を印した極めて珍しい形をしているのです」
「明治政府がいかに強引にこの神仏分離を推し進めたか、実に嘆かわしい!」
 美しい日本を愛する小説家は憤った。
「古来日本では神社も素晴らしい仏像を有していたのに、政府の御触れに従ってたくさんの仏像が放出されたのだ。海外に売られたモノはまだいい。それこそ、壊してしまったり、道端に捨ててしまった神社も多いんだよ」
「像だけではありません。いきなり職を解かれて行き場のなくなった神主が仕方なく僧侶に鞍替えなさったりしたそうです。この覚園寺(かくおんじ)でも神主出身の(にわ)か僧侶を大勢受け入れたとか」
「そんなことが? ……初めて知りました」
 己の無知を深く恥じ入る探偵だった。
「それで――その墓は何処にあるのですか?」
 小説家と僧侶は同時に応えた。
浄光明寺(じょうこうみょうじ)だ」
「浄光明寺と言うお寺です」
「なんだよ、そういう話、この辺りの人は皆知ってるの? だったら、前回、境内案内してたあなた(・・・)にあの場で問い質していたら、その日の内にこの件はアッサリ解決してたんだ!」
 悔しそうに頬を膨らませる志儀(しぎ)。作家は苦笑して、
「まあ、鎌倉に住む人が全員知ってるとまでは言えないが――寺社関係に携わる人なら知っているだろうさ」
「では、私はこれで失礼します。どうぞ、川端様、そして、皆様も、ぜひ、お帰りの前には庫裡の方へおいでください。住職様がお茶をご一緒したいと楽しみにお待ちしています」
「お誘いありがとうございます。でも、僕たちはこれから、お教えいただいたその寺――浄光明寺へ向かおうと思います」
 改めて興梠(こおろぎ)は覚園寺の若い僧侶に真向かうと丁寧に頭を下げた。
「御坊様には前回といい、今回といい、なにかとお騒がせして申し訳ない」
 続いて小説家に挨拶する。
「川端様も、ご協力、本当に感謝しています。おかげで助かりました。ありがとうございました!」
「つぎまた、探偵小説書いたら、僕、絶対読みます! 次回作はガッカリさせないでくださいねっ」
「これ、フシギ君!」
 かくして、辞去の言葉もそこそこに薬師堂を飛び出す探偵と助手だった。
 突然、動き出した〈謎〉。行く手に明るい光が差した気がする。一気に山門まで駆け下りた。
 幸運にも、一台、タクシーが入って来た。
「ナイスタイミング! あれに乗って行こうよ! タクシーの運転手さんならその寺――浄光明寺? まで最速で連れてってくれるはず」
「うむ。あ!」
 停車したタクシーから降りて来たのは、弓部(ゆべ)警部補だった。
「あれ、弓部さん! お久しぶり、片岡(かたおか)邸で僕たちがここだと聞いて追いかけて来たの?」
「あ、興梠さん、志儀君……」
 この場での再会は双方ともに予想外だった。弓部の眉間に皺が寄る。明らかに弓部は困惑していた。
「いや、僕は、今日はまだ片岡邸へは顔を出していないんです。時間がなくて――それより、貴方たちこそ、どうかしたんですか? また覚園寺へ舞い戻っていたとは。ひょっとして、まさか、この寺で何か?」
「何かも何も、遂に謎が解けたんだよ!」
 少年助手は得意満面に両手を広げると、
「例の〈鳥居 ハカ〉の意味がわかったんだ!」
「今から、僕たちはその墓があるという場所へ向かうところです」
「そりゃ、スゴイ! 本当ですか? ならば――僕もお伴しますよ」
「え? でも、弓部さんはこの寺に用事があったんじゃないの? だから、来たんでしょ?」
 即座に首を振る警部補。
「いや、僕の要件の方は急ぎません。それより、謎が解き明かされる瞬間をこの目で確認したい。ぜひ、同道させてください」
 こうして、弓部が乗って来たタクシーにそのまま興梠と志儀が乗り込んで出発した。
 目指すは浄光明寺である。



 その寺は北鎌倉にあった。
「あれぇ? ここ、鎌倉へ来て、最初に興梠さんが僕を連れてってくれた英勝寺(えいしょうじ)に近いんだね?」
 車窓から真っ先にそれに気づいたのは志儀だった。
 線路を挟んで隣り合う位置だ。
「英勝寺も浄光明寺も、徳川家に関わりの深いお寺なんですよ。創建は北条(ほうじょう)氏六代執権・北条長時(ほうじょうながとき)で建長三年(1251)、宗派は真言宗です」
 タクシーの運転手が教えてくれた。
「さあ、着きました!」


 徳川家所縁と聞いてなるほどと思う興梠だった。
 山門を潜り、真正面に建つ客殿のなんと堂々としていることか。
 入母屋造りの唐様建築、後で知ったがこの様式では日本最古という。
 山門すぐ横にある社務所で来訪の目的を明かすと気さくにも住職自身が出て来てくれた。
「鳥居のお墓ですか? ご案内いたしましょう」
 客殿の右横、鐘楼と不動堂を抜け、石段を上がる。登り切った瞬間、探偵は感嘆の声を上げた。
「おお……!」
 山門前の客殿とは明らかに趣が違う。こちらは中世寺院の香りを色濃く残す造作だった。
 住職が腕を伸ばして指し示した。
「これが本殿です。私たちは阿弥陀堂と呼んでいます。だが、まずはご覧ください、お堂の前に繁る大樹を。右がイヌマキ、左が白檀(ビャクダン)。ともに鶴岡八幡宮の大銀杏と同じ樹齢です」
 つまり、当寺院もそのくらい古い創建なのだ。改めて瞠目する一同。
 住職は誇らしげに微笑んだ。
「こちら阿弥陀堂は江戸時代の再建ですが、建材は鎌倉時代のそれを再利用しています。ですから、その頃の雰囲気を忠実に伝えています」
 袖を振って言葉を(つな)ぐ。
「堂内に安置されている阿弥陀像は鎌倉時代後期、正安元年(1299)の作で、木造では我が国2番目の大きさです。だが、注目すべきは大きさにあらず。装束の土紋です」
「土紋?」
 興梠が反応した。
「覚園寺の鞘阿弥陀像にもありますね?」
「おお、御詳しいですな! おっしゃる通りです。この土紋を有す像は希少で、ここ鎌倉でも7体しかありません。それから――脇侍を見ていただきたい」
 住職の眼光がキラリ、輝いた。
「何かお気づきになりませんか?」
「いや、失礼ながら、御住職様、僕たちは仏像を拝見にきたわけではなくて――」
 住職と探偵の仏像談議に業を煮やしたらしく警部補が割って入った。
「鳥居の刻まれた墓を見に来ただけ――」
 だが、探偵の叫びが警部補の声を吹き消した。

水月観音(・・・・)!」

「おわかりですか? そう、この脇侍の観音・勢至(せいし)両菩薩は東慶寺(とうけいじ)の水月観音像と同時期の作造なんです」
「うわっ! こりゃ眼福だ! 素晴らしい!」
 帝大で美学を学び美術芸術を心から愛してやまない探偵が震えだすのも無理はない。
 水月観音とは、観音が水面に映った月を覗く姿を顕した像のこと。
 東慶寺の水月観音像は鎌倉時代を代表する珠玉の仏像、我が国の至宝である。
 その像に顔貌も、やや首を傾げた所作もそっくりなのだ!
  ※水月観音像についてはfile:4《画家からの手紙10》でも言及しています。 

 これは脇道で隠れた美に出合った、まさに予期せぬ遭遇……至福の瞬間……!

「興梠さん!」
「興梠さんってば!」
 両脇の警部補と助手の声で我に返る探偵だった。
「これは失敬、菩薩像があんまり美しいもので。それで――今日、僕たちがたちが捜している、来訪の目的である、墓――」
 その先を警部補が引き継いで今度こそ言いきった。
「鳥居の刻印のある墓はどちらにあるのでしょうか?」
「ああ、それならこちら……」
 右奥がやぐらになっていた。もう幾たびも見た、鎌倉の地特有の崖を掘った(ほこら)、そこに奉られていたのは――
「これだ!」
 まさに、鳥居の刻まれた墓石……! 神主墓が7基、その他総勢23基の神道墓碑群……!

 それは確かに存在した。

「ご満足いただけましたかな? では、ごゆっくりとお参りなさってください。当寺は典型的な中世寺院造りです。ここは2段目。この上にまだ3段、4段と雛段状に境内が続いています。よろしければそちらも巡ってみてください。見所がたくさんありますよ。但し、足元には十分ご注意を。なにせ、古くて苔むした階段ですから、転落の危険があります」
 こう言い残して親切な住職は去って行った。
「やった! 行き着いたぞ!」
 が。
 辿り着いた迷宮の果てに、興奮が冷めると助手は肩を(すく)めた。
「で? だから、なんなの?」

 確かに。
 眼前に〈鳥居 ハカ〉の実物はある。だが、それ以外、目立ってこれと言ったモノはなかった。
 犯人はいかなる意図で探偵たちをここへ導いたのだろうか? ひょっとして……
「ねえ、僕たち完全に犯人におちょくられているんじゃないの?」
 いち早く助手がピシリと疑念を口にした。 
「でなかったら、時間稼ぎに利用されてるとか? だってさ、どう見たってこの状況は堂々巡りだよ?」
「――」
 黙り込む探偵。代わって警部補が口を開く。
「先刻の住職も言っていたじゃないですか。せっかくだから、境内全部を見て回りましょう。この鳥居の墓の周囲に目につくものがないとはいえ、これ以外の場所で新しい発見なり伝言なり、犯人の痕跡が見つかるかも知れませんからね」
「――」


 3段目、階段を昇る。そこにはやぐらと石造りの地蔵像があった。
 地元では〈網引き地蔵〉と呼ばれて慕われているそうだ。その昔、由比ヶ浜の漁師の網にかかって引き揚げられたと説明書きが記されていた。背中には正和二年(1313)の銘が刻まれている。
 4段目にあったのが、江戸時代に水戸光圀(みとみつくに)公自ら発掘、安置した歌人・冷泉為相(れいぜいためすけ)の墓――宝篋印塔形式の石塔である。これは左上が欠損しているところが、逆に、この塔が経て来た長い歴史をまざまざと感じさせた。冷泉為相のは母、阿仏尼(あぶつに)は『十六夜日記』で知られている。
 五段目。昇り切った最上段の境内から、煌めく由比ガ浜の海が見渡せた。
「うわあ! 綺麗だなぁ!」
 歓声を上げる志儀。
「正直、僕には観音像や石塔より、この景色の方が心揺さぶられるよ!」
 海からの風を存分に受けて、再び2段目へ戻って来た時、一同はそれを発見した。
 最初に気づいたのは、はしっこい中学生の助手だった。
「見て、興梠さん! こんなの、さっきなかったよ(・・・・・・・・)!」
「?」
 鳥居の印された墓石の前。白い封筒が小石を重しにして置かれている。
  ( 一体誰が? )
 思わず周囲を見渡す興梠。だが、近辺に人影は無かった。
「開けてみましょう」
 弓部が手袋を嵌めて開封した。
「これは……!」
「むむっ?」


一枚の絵。
橙色の靴下と翡翠色の靴を履いた少女の足。



☆神道墓碑について
 http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage703.html
☆土紋は
  http://www8.plala.or.jp/bosatsu/domon.htm
☆水月観音像……
 http://www.tokeiji.com/heritage/suigetsu-kannon/
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