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文字数 5,457文字

  【193X’4月19日(水)】


 この日も弓部(ゆべ)は姿を見せなかった。



 邸内の調査を終えたものの、何の進展も得られなかった興梠(こおろぎ)は食堂で片岡(かたおか)夫妻の顔を見るのが辛かった。重苦しい雰囲気に輪をかけたのが、いつもは登校してその場にはいない令息の青生(しょうき)が、今日は一緒に朝食のテーブルに着いたせいだ。
「今朝は寝坊をしたのでテニスの朝練は休むことにしたんだよ。それはいいけど――昨日、僕の部屋を探ったって? 何か面白いものは見つけたかい、探偵さん?」
 大会前だそうで昨夜は部活が長引き夜半の帰宅だった。直接顔を合わせるのは一昨日の夕食以来となるこの令息、さっそく皮肉に満ちた言葉を投げてきた。
「やめなさい、青生。私が許可したんだ。おまえも、一日も早く珪子(けいこ)に帰って来てほしいだろう? ならば協力しなさい」
「別に、文句を言ってるわけじゃないさ。何か見つけたのかって訊いただけだ」
 神妙に応える探偵。
「何も見つけられなかったです」
 続いて助手、
「そう。君の部屋が雪原みたいに寒々としてたこと以外はね」
「これ、フシギ君――」
 興梠は制したが、遅かった。少年の目が異様に煌めいた。
「へえ! こりゃあいいや! 雪原みたいに? 寒々と? で、君は、雪は見たかい? 舞い落ちる雪は?」
「!」
「いい発見だ、助手くん。僕の部屋は雪に閉ざされているんだ。晶子(しょうこ)姉様がいなくなった年の、あの雪の日以来――」

 ガチャン。

 誰かがフォークを取り落とした音。
 刹那、食堂の空気が凍りついた。

「あの年の冬は美しかったな! お庭にたくさんの雪が積もったっけ。僕たちはそこで雪遊びを楽しんだ……」

  ―― でておいで! いっしょに あそぼう……!

        てんしのつくりかたを……


           おしえてあげるよ……


「わっ!」
 夫人が声を上げてテーブルに突っ伏した。
「奥様!」
 家庭教師兼話し相手(コンパニオン)笹井(ささい)嬢が跳びついて夫人の肩をしっかりと抱く。
「青生! やめなさい!」
 片岡家当主の鋭い叱責が飛んだ。
「おまえは自分の言動がどれほどお母さんを苦しめているかわかってるのか?」
「ごめんなさい、謝ります。僕は本当に悪い子なんです。だから、ずっと、苦しんでいる。行かせるべきじゃなかった。止めるべきだったんだ。あの日――」
「え、青生ちゃん?」
「何の話をしているんだ、青生?」
 震えだす両親に背を向けて青生は探偵を振り仰いだ。
「探偵さん。教えてあげるよ。姉様は雪の中に消えた。姉様がいなくなったのは春の日じゃない。雪遊びをした冬の日……全てはあの日に続いている……」
「何を馬鹿なことを言うの、青生ちゃん? 晶子がいなくなったのは4月――春の最中(さなか)よ。そして、私が家を空けた日。ああ、そうよ、私さえ家にいればこんなことにはならなかったのに! ごめんなさい! 悪いのは私、私だわ……」
「奥様! 違います、そんなことはありません! 奥様には何の落ち度もありませんっ!」
 笹井敦子(ささいあつこ)の声は悲鳴に近かった。
「それに、今回はちゃんと奥様はお家にいらした。それなのに珪子お嬢様は連れ去られてしまったんですもの――」
 言い過ぎたことに気づいて両手を揉み絞る。
「あ、いえ、つまり、私が言いたいのは、奥様には罪などないということ。悪いのは」
「だから! 悪いのは僕だ! 姉様と雪遊びをした僕だ! そして、珪子にも雪遊びをさせてしまった――」
「何を言っている、青生?」
 蒼褪めた顔で息子を見つめる父。もはや青生の吐く言葉は理解の領域を超えている。
「おまえ、気は確かか?」
「僕は知っているんだ! 晶子姉様も、珪子も、雪の精に魅入られた! 姉様は雪の精に連れ去られた!」
 青生の絶叫が窓硝子を震わせる。
「白い悪魔にーーーーーー!」
「やめなさい!」
 瑛士は立ち上がった。息子への怒りか、恐怖か、テーブルを掴む指の関節が真っ白になっている。それでも、喚き合う一同を見回してなんとかその場を鎮めようとした。
「青生も……瑠璃子(るりこ)も! 笹井さんも、落着きたまえ! お願いだから、皆、黙って……食事を……続けよう……」
「旦那様――」
 若き当主を支えるべく傍へ駆け寄る老執事。逆にメイドたちは盆を胸に廊下へと後ずさった。
 興梠はナプキンを置いて静かに椅子を引いた。
「御馳走様でした。僕たちはこれで失礼します。今日は外出する予定です」
「興梠さん」
「行こう、フシギ君」
 無力感を噛みしめて探偵は助手と片岡家の食堂から退出した。そして、そのまま駅へ向かった。
「ごめんなさい、僕のせいだね?」
 道の途上、志儀は謝罪した。
「僕が『寒々とした部屋』なんて言葉、不用意に口にしたから……アレで青生君を刺激しちゃった……」
「いや、君にのせいじゃないさ。皆、限界なんだ。この状態に」
 丘の上、白亜の豪邸を振り返って興梠は言う。
「片岡家の人々は平穏を装い冷静であろうと努めて来た。だが、ああなって当たり前だ。大切な娘が二人も消え去ったのだ。誰が耐えられる?」

 もう限界だ(・・・・・)。興梠は胸の中で繰り返した。これ以上、持ちこたえられない。片岡家の人たちも、そして、自分も。
 一日でも早く、せめて珪子ちゃんの居場所だけでも割り出さねば。
 それには、何としても与えられた謎を解く必要がある――





 再び訪れた覚園寺(かくおんじ)は静謐の中にあった。
 心が洗われるような新緑の色。春風に揺れる木漏れ陽。
 本堂の横を抜け境内へ入る。最初に見えて来た藁葺き屋根の薬師(やくし)堂の前で自然、興梠の足は止まった。
 またあの鞘阿弥陀仏(さやあみだぶつ)を見てみたい。(すが)るというよりも、優しく怜悧な眼差しに満たされたいと強く思った。事ここに至っても美の吸引力には抗えない。巡礼者(ピルグリム)なのだな、俺は。
「ちょっと覗いて行こう、フシギ君」
「OK! わかっているよ、興梠さん」
 訳知り顔にウィンクを返す助手。
「フフ、興梠探偵には(アート)の栄養補給が必要だもんね。じゃ、僕は、僕の干支の十二神将に願をかけようっと! 『どうぞ、急転直下、今回の謎が解決しますように』」
 両者、それぞれの理由で足を踏み入れた堂宇。ところが、そこには先客がいた。
 燦ざめく陽光が一転、薄墨を流したようなほの暗い室内、鞘阿弥陀の前に佇む人影。
 ゆっくりと振り向いたその人は――

「やぁ、君は……」
「あ! 貴方はあの時の……?」

 英勝寺(えいしょうじ)近くの蕎麦屋で、(さや)の絵柄が〝鞘阿弥陀仏〟だと指摘し、この寺の所在を教えてくれた人物ではないか。
「その節は御世話になりました」
 頭を下げる興梠に紳士は笑い返して、
「結構結構、君たち、早速、拝みにやって来たんだね?」
「違うよ、オジサン。僕たち、ちゃんとあの日の内に訪れたんだよ! だから、ここへ来るのは――今回でもう3回目さ!」
「ほう。で、(とりこ)になったわけか。私もさ。君たちに話をしたら、また拝みたくなった……」
 しみじみと鞘阿弥陀仏を見上げる。
「どうだい、素晴らしい像だろう?」
「ええ、感動しました」
川端(かわばた)様、参拝のあとは住職様がぜひ庫裏の方へお寄りいただきたいと申しています――」
 ここで、入った来た若い僧侶は、先日の境内案内の際、面倒をかけた僧だった。
「あ、失礼しました。お連れがいらっしゃったんですね?」
 僧も探偵たちを憶えていたらしく吃驚した顔で、目を見張る。
「貴方がたはこの前の? ――川端様の御知り合いだったんですか?」
 興梠の驚きは別のところにあった。
川端(・・)……ひょっとして、こちらは小説家の……あの川端康成(かわばたやすなり)氏……?」
 そういえば住職が言っていた。

 ―― あの阿弥陀様に魅了される文化人は多いんですよ。小説家の川端康成殿などしょっちゅう拝みにいらっしゃる。あの方はこの界隈――二階堂にお住まいで……

 1930年代のこの時期、川端康成は作家として脂の乗り切った30代後半。鎌倉は二階堂325に居を構えていた。1935(昭和19年)に創設された芥川賞の選考委員となり、その賞を欲しがった太宰治(だざいおさむ)と一悶着起こした頃だ。


「改めて御礼を申し上げます。これは大変な人にご教授いただいたものだ!」
 興梠は恐縮して再度頭を下げた。
「いやなに、こちらこそ、私の名を知っていただいてるとは、光栄です」
「知ってるよ! 僕、貴方の作品、読んだことあるもの!」
 これは意外な事実である。助手は探偵小説しか読まなかったはずだが。
「え? フシギ君。凄いな、君、いつから文学少年になったんだい? 見直したよ」
「『級長の探偵』を読んだよ! それ以外は知らないけど」
「『級長の探偵』か! ハハハハハ……」
 川端は上機嫌に笑い出した。
「あれは私が初めて書いた探偵小説なんだよ」
 『級長の探偵』は1937、中央公論社から出版された青少年向けの小説である。ちなみに表題作(級長の探偵)は『少年倶楽部』収録作品だ。
  ( 探偵小説……あ、なるほどね。)
 それなら志儀(しぎ)が読んでいても不思議ではない。大いに納得する興梠だった。だが、和やかに微笑んでいられたのは束の間で、文豪を前に毒舌の助手は恐るべきことを言ってのけた。
「ふぅん? 初めて書いた探偵小説なんですか? それを聞いて安心しました! あれは御世辞にも上出来とは言えませんからね」
 慌てて助手の腕を引っ張る探偵。
「こ、これ、フシギ君、口を慎みたまえ」
「でも、ほんとのことだよ、興梠さん。あの作品は探偵モノとしてはなってなかった。少年小説を馬鹿にしすぎだ」
 川端は帽子で着流しの胸元へ風を送りながら、
「正当な評価、ありがたく傾聴するよ」
 先刻の笑いはどこへやら。苦虫を噛み潰したような顔である。
「ウム、ここだけの話、私もあの作品は失敗作だと恥じているのだ。今後、永遠に人目に晒したくないと思っているほどだ。いい機会だ。アレの再出版はしない。そのことをここ、鞘阿弥陀の前で君に誓おうじゃないか」
 若い僧は何とかこの場を取り繕おうとポンと手を叩いた。
「なるほど! お二人は本職の探偵だから、その種の読み物――〝探偵小説〟には格別に厳しい目をお持ちなんでしょうね!」
 こんど驚くのは小説家だった。
「何? 君たち探偵なのか? こりゃ面白い! 私はその種の人間に合うのは初めてだよ。ああ、だからか!」
 思い出して頷く。
「前回、蕎麦屋で不可思議な手紙を持っていたのか!」
「その節は〈鞘〉について読み取って頂き本当に感謝しています。僕たちだけなら到底、ここへは辿り着けなかった。まだ迷路を彷徨(さまよ)っていたでしょう」
「実際、まだ彷徨っているけどね。僕たち、新しい謎にブチ当たってサンザンなんだよ」
「ほう? 新しい謎とは?」
 川端康成は大いに興味をそそられた様子だ。
「そうだ、せっかくだから、また見てもらおうよ、興梠さん。蛇の道は蛇に訊けっていうよ。この人、ヘタクソだったにしろ一応探偵小説も書いてるんだもの! 少年向きの探偵小説は不得手でも謎解きの才能はあるかも!」
「フシギくん! 頼むから、君は黙っていてくれっ」
 興梠は平身低頭あるのみ。
「川端先生、御無礼の数々、何卒お許しください。我が助手には、今後、僕が責任を持って、礼儀作法を叩き込みますから」
「かまわんよ。少年はこのくらい正直な方が気持ちいい。それより、新しい謎とは?」
「はぁ、謎、というか、伝言……絵文字の類なのですが……」
 冷や汗を流しつつ興梠は手帳を差し出した。



     



「ここ覚園寺の十三仏のやぐらに浮かび上がった蝋燭の灯りがこう読めたのです。どうも、この、鳥居とハカ、二つの繋がりが掴めなくて……」
「そう! それで僕たち、参ってるんです。どっかに鳥居のマークの入ったハカでも有れば即、解決なのにな!」
「いや、それはいくらなんでも有り得ないよ、フシギ君。鳥居は神社――神道だし、墓は仏教で寺院に属すから、水と油、全く別物だ。鳥居のマークの入った墓など日本国中探したってどこにも無いさ」

ある(・・)よ」

 暫し訪れる沈黙。
 戸外で鶯が一鳴きした。



☆『級長の探偵』(川端康成著 中央公論社 1937年)
収録作品9編のうち、1編が『少年倶楽部』に、他の8編は『少女倶楽部』に、1929年から1936年にかけて発表されたもの。表題作〈級長の探偵〉は、収録中唯一の少年向け作品でした。本書の復刻をほるぷ出版から依頼された際、〝川端は「いやです」と返事し、「あなたもあの内容をいいとは思はないでしょう」と述べた〟と『名著複刻日本児童文学館第二集解説書』に記されています。
実際には1974年ほるぷ出版から復刻版が出ました。

☆最新では2005年7月出版の講談社文芸文庫『日本の童話名作選―昭和篇』で読むことができます。

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