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文字数 4,773文字

 その場所に立った時、最初に声を上げたのは弓部(ゆべ)警部補だった。

「エレベーター!?」

 即座に探偵を振り返って、
「でも、ここは、10年前には晶子(しょうこ)ちゃん行方不明後すぐに雨宮(あまみや)警部補が……そして、今回の珪子(けいこ)ちゃん事件後には僕が、きっちりと調べましたよ?」
「ええ。僕も、昨日、調べました」
 蛇腹の扉を引き開けながら興梠(こおろぎ)が指を指す。
「でも、それは上、天井でしょう? 探すべきはそこじゃない。あそこです」
 興梠の視線は鏡面仕上げの奥の壁に向けられている。
「こうして改めて中に入ってみると、どうです? 家庭用エレベータとはいえ狭すぎると感じませんか?
 どうも内部を鏡貼りにすることで錯覚させているようだ。横幅は変えられない。だとすれば残るのは奥の壁――」
 顔を寄せ丹念に見回していた興梠が叫んだ。
「これは本当の壁じゃない。薄いパネルですよ!」
「あ!」
 隅を押すと簡単に外すことができた。
 使用されなくなって止められたエレベーターだったので入る人はいなかった。従って、内部を詳細に眺めることもなかったのだろう。容易に取り外すせる壁の向こう、出現した空間に大きな箱が据えられていた。
 金属製の現代の(ひつ)。舶来の大型電化製品。

「これは……アメリカGE社の冷凍庫……?」

 ――そこに、10年前と変わらない姿のまま少女がいた。



   でておいで! いっしょに あそぼう……!


       てんしのつくりかたを……


          おしえてあげるよ……


   
  ゜・。゜ ・。゜。゜・。゜ ・。゜ ・。゜・。 ゜。゜・。゜・ 

  
    

 曽根武(そねたけし)が大学電気工学科卒の電気屋店主で、片岡(かたおか)邸の電気器具全般を担当していたことが彼の不幸の始まりだった。
 舶来のエレベーターを設置、管理したのも彼だが、当主の瑛士(えいじ)から『使用をやめたい。スペースを遊ばせておくのも勿体ないから代わりに大型冷凍庫置き場にしたい』と相談され、電気系統の配線等、実行した。この後、エレベーターは瑛士の秘密の小箱、隠し部屋となったのだ。『父の研究室のように?』という言葉を探偵は飲み込んだ。
 そういうわけだから、片岡家の長女・晶子の姿が見えなくなったと聞いて真っ先にその行方について不安を抱いたのは武だった。当日、警官に事情を聞かれた彼がひどく動揺したのも頷ける。更に――
 曽根武は逃亡したのでなかった。その夜、瑛士に呼び出されたのだ。

 ―― 真相を告げたい。警察に出頭したいので同伴して、君からも説明してほしいんだ。あのエレベーター改造については、武君、君が一番詳しいだろう?

 だが、それは武を誘い出すための嘘だった。瑛士は車で武を曼荼羅洞(まんだらどう)へ連れて行き、口封じのために殺害した。このことは瑛士自身が逮捕後、語っている。
 その際の殺害方法は、曼陀羅堂の崖から突き落としたのではなく持ち出したコレクションの鉱物で撲殺した後で遺骸を蹴り落とした。使用した鉱物名は菱マンガン鉱だった。
「英名はロードクロサイト。あれなら血が付着しても見分けがつかないでしょう? 研磨するとインカローズになるんだが、私のは本当に美しい真紅の単体結晶です。ええ、今でも、私の棚に並べてありますよ」


 興梠の言う通り、彼は人間ではない。悪魔の思考回路など常人に理解できるはずもない。






   【193X' 4月20日(木)】

青生(しょうき)君、僕はね『何故?』と問うのはやめた。それこそドス黒い迷宮に自分が迷い込むばかりだ。親子とはいえ、犯罪を犯す者の心理を辿ることは永遠に不可能なのだ。だから君も、そんな無駄なことはせずに、ただ光の道を歩いて行きたまえ」

 別れの朝、片岡邸の玄関で見送りに出た青生に探偵が投げかけた言葉である

「……興梠さん」

 賑やかな笑い声を響かせて裏庭から駆け込んで来たのは珪子(けいこ)だ。続いて追いかけてやって来たワンピース姿の少女が曽根(そね)マリ。この数日間、雪ノ下の家で珪子の面倒を見ていた曽根武(そねたけし)の実妹である。
 二人はすっかり仲良しになっていた。実際、長女の晶子(しょうこ)が生きていたらこんな風景だったのだろう。
「珪子のヤツ……すいません、あいつはまだ何が起こったのか理解できていないんです」
「いいじゃないか。妹さんの無垢な笑い声は何よりの宝物だ」
 興梠は眩しそうに目を細めた。
「あの笑顔こそ、君が護ったものなんだぞ、青生君」
「母の方はまだ起きられなくて……でも、笹井(ささい)嬢が傍についていてくれているので安心です」
「そうか」
 今回の事件で瑠璃子(るりこ)夫人が受けた衝撃はどれほど大きかったことか……
 兄は走り回る妹を手招きした。
「おいで珪子、探偵さんたちにお別れの挨拶をしよう」
「さようなら、探偵さん! どうぞ、また遊びにいらしてね! 今度は珪子の居る時に!」
「このたびは……その、兄も私も……色々ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません」
 曾根マリ嬢は深々とお辞儀をした。
「ご迷惑などと、とんでもない!」
 今回の案件は何から何まで特異だった。片岡家当主による10年前の実子殺害に端を発し、長男で未成年の息子が妹を誘拐、協力者は10年前の事件の殺人犯とされた人物の遺族兄妹(きょうだい)……
 だが、これから先は探偵の領域ではない。
「あなたもお兄さんもこの10年間お辛い思いで過ごされてきました。よく頑張りましたね。一日も早く正しい法の裁きが下されるよう僕も願ってやみません」
 真摯な眼差しの探偵の傍らで助手は感慨深げに息を吐いた。
「やっぱり、あなた(・・・)だったんですねぇ……」
 そう、荏柄(えがら)天神社界隈の道で出会った、花束を抱えていた少女こそ、この曽根マリだったのだ。
「おや、なんだい?」
「いや、興梠さんには関係ないことさ。ウフフ」
 これは今回の事件で唯一の美しい思い出だ。志儀(しぎ)は思っている。あの素敵な一瞬、夢のような邂逅は僕だけの秘密にしておこうと。とはいえ、謎は全て精査しておかねば。
 表情を引き締めて少年助手は尋ねた。
「そうだ、最後に確認させてください。僕は興梠探偵社の記録係ですからね。
 覚園寺(かくおんじ)で風に揺れる言葉――蝋燭を並べたのはあなたのお兄さんの曽根理(そねおさむ)さんだってことだけど、僕らが目撃した、やぐらから最後に走り去ったスカーフの女性はあなた(・・・)ですね? いやぁ、あの目暗ましにはまんまとひっかかっちゃいました。でも、ホントに素敵な後姿でしたよ!」
「あら!」
 マリは薔薇色に頬を染める。横から片岡家令息が、
「あれは、()だよ。なんだ、君、まだ気づかないままだったのか? マリちゃんにはできるだけ珪子の側にいてもらったよ」
「え? あれ、青生君だったの」
 一瞬、見慣れたシニカルな微笑を煌かせる青生だった。
「後姿を褒めていただきありがとう」
「アハハハハ、こりゃあ探偵助手失格だな、志儀君!」
 思わず噴き出したのは弓部警部補である。
「ムカッ! ナンダヨ! 僕のこと、笑えないだろ、弓部さん! 脇が甘いのはあなただ!」」
「これ、フシギ君、やめたまえ」
「いいや、やめるものか、言ってやる! だいたい、あなたのふるまいのせいでどれだけ僕らが振り回されたと思ってんだよ! 特にあの白犬、シュニー!」
 助手が指摘したのは西洋婦人の一件だ。あの日、弓部が連れ歩いていたのはまさしく片岡家次女の珪子だった! 弓部が語るには、未解決の晶子ちゃん事件をずっと気にかけていた彼は、休日、片岡邸周辺にやってくることが多く、その際、次女の珪子と顔見知りになったとか。女中頭公認で散歩することも多々あった。だが晶子の写真秘匿の件もあり、誤解されるのを恐れて口に出すのを躊躇した……
「ったく! 弓部さん、ハナシをややこしくしすぎだよ。あなたこそ、警官失格だ!」
「……面目ない」
 赤面しつつも警部補は一歩前へ出て興梠に握手の手を差し出した。
「興梠さん、実際、僕は今回、貴方と一緒に仕事をさせていただいて多くを学びました。何より――アマチュアは卒業せねばということ。いつまでも『親に請われてこの職についた』などと甘えたことを言ってはいられない。それから、警官に向く性格などないのだ、ということも痛感しました」
「その通りですよ。皆、迷いながら歩いています。人生こそ一番の迷路かも知れません。僕だって、果たしてこの仕事を続けていいのか、未だによくわかりません」
「いや、興梠さん、貴方は天職でしょう!」
「そう言っていただけて光栄です。では、僕らはこの辺で」
「本当に、車でお送りしなくてよろしいんですか?」
 片岡家の両運転手は静養中だが、タクシーは呼べる、と申し出る令息に探偵はきっぱりと首を振った。
「いや、この方がいい。景色を楽しみながらのんびりと歩いて行きます――」
 言葉通りゆっくりと歩きだす探偵と助手。
 港の見える丘の道を心地よい風が吹き渡る。その中ほどで一度だけ足を止めて興梠は邸を振り返った。

  ( やっぱり似ている…… )

 あの瀟洒な洋館の中で、残された家族のこれからの日々に想いを馳せる探偵だった。
「大丈夫さ! あなたでさえ、乗り越えられたんだもの!」
「そうだな」
「但し――僕が見逃すと思うなよ、興梠さん」
「え」
「あなた、青生君の命を助けようとカブトウエノイマで奮闘したのは認めるけど。あのセリフは正しくなかった。『孤独なだけでなく変態』って……」
「ありがとう、フシギ君! 君はそう言ってくれると思っ――」
「あそこはさ、〝孤独な〟ではなくて〝女性にモテない〟がより真実だ。つまり正確にはこう言うべきだったんだよ」

 ―― どうも僕は、女性にモテないだけでなく変態のようだ。

「……的確な修正、ありがとう」
 歩き出そうとして、再び興梠は助手を振り返った。
「だが、フシギ君。これで君もわかったろう? 僕は犯罪者の息子だ。しかもただの犯罪者じゃない。歪んだ欲望に染まった異常性愛者……
 僕は、その父の邸に住み、今なお、殺人者の父と、父が殺めた看護婦の幽霊が徘徊するのを怯えながら見つめている。君がこれ以上助手を続けたくないというなら、遠慮はいらない。いつでも去って行ってくれたまえ」
「ふうぅーん? いかにも興梠さん好みのロマンチックな言い回しだねぇ」
 少年助手は鼻の頭を掻いた。
「でもさ、ほんとのこと言ってみてよ。最近は幽霊ナンカ出なくなったろ? 何しろ優秀な〈二人の守護天使〉が目を光らせているから」
「!」
「興梠邸の守護天使、その一人は悪魔のごとく真っ黒で鋭い爪と尖った耳と長い尻尾を持つ天使。もう一人は、言わずもがな、赤い癖毛の美少年の天使さ!」
「毒舌の、な?」
 サッと突風が吹いて、二人に降り注いだのは雪でも、いわんや、天使の羽でもない――
 丘の道に枝を伸ばす梨花の巨木から舞い散る花びらだった。



       迷路抜け 見上げる空や 白き風   興梠

       帰りなん 二人の天使の居るところ   浮鴫



      




 追記:風の(・・)便りによると、弓部警部補は未だその職を辞めていないそうである。


          天使の迷宮 ―― 了 ――


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