第4話 桜井市初瀬  天照大御神と泊瀬川

文字数 1,763文字

 奈良ホテルに満足し、本日の予定の長谷寺に向かった。妻に運転してもらい、私は持参の奈良市から長谷寺までの道のりと景色を確認しながら窓外と地図をながめた。初めて走る道だが、全国展開の馴染のみせも多く、ヤマダ電機など目印となる。多分、この道を通り平安時代の貴族は牛車でのんびり移動していたのだろう。生活環境も違うと、考えも現代人と違ったゆったり優雅という気持ち が多かったのだろう。
 ホテルから1時間の道のりである。更級日記の作者は、当時、牛車に乗り山や河を越え道中宿泊しながら向かったのだろう。平安時代だからとは言え、苦労談はなく「これが当たり前」という考えだったのだろう。野原でゴザを敷き、夜露にぬれながら、仮眠をとるのは辛いことだが当たり前だった。誰もがやっているから、我慢して横になる。貴族は仮小屋など建て横になったのだろう。そこまでして京都から奈良えを越え、初瀬まで行く理由があったのだろう。
 天理市を過ぎ、桜井市に入ると、国道165号初瀬についた、山に囲まれた、田舎町の感じである。しかし此処が昔は有名な初瀬という場所で、京都や大坂から尋ねてきたらしい。
どんな魅力があったのだろうか、いまも面影は残っているだろうか。長谷駅があった。そこから3キロはありそうだ。歩くのには遠すぎ、バスが走っているようだ。
門前の車一台通れる街並みに着いた。駐車500円と、民家が彼方此方に看板を出している。祭りや年始の時は、人が殺到するのだろう。両側には古そうな建物がある。大きそうな駐車場あったので、車を止めて歩くことにした。
 昔、遠方から長谷寺参りに歩いて来て、大勢の客が泊まったのだろう。娯楽のない時代、神社仏閣に参り信心することが、極楽へも行け、現世でも楽しめるということだ、人気があったのだろう。二階建ての多くが一階が店で、参拝客にお茶や菓子を提供し商いをする。江戸時代までは、宿場としえも役割もあったと思われる。
長谷寺の山門近く、左側に「草餅の製造販売の店」がある。店の外へ熱い水蒸気を飛ばし、お客の気持ちを誘う。売り子の中年女性が小さな草餅を
楊枝にさして、「試食をどうぞ」と通行人に愛想良く声をかける。私も食べて見たくなり一つ貰った。味はなかなか良いようだ。「又帰りに買います」といいながら、店内をみると高齢男性が餅の加工をしている姿が見えた。私は直感した「年寄りは、この参道の多勢の客を相手にして、情報も多く持ってはしないか。また、先祖から言い伝えで昔のことを覚えているかもしれない」と想像した。「更級日記の作者が、来たことを聞いたことはありませんか?」と尋ねた。中で作業をしていた古老男性が「長谷寺は確かに更級日記の作者が来たという話しは聞いています」と切り出した。やはり、年季の入った人に昔話は聞くべきであし、話好きのようだ。「近くに『おおふ(小夫)大神社』というのがあります。天照大御神( アマテラスオオミカミ )を祭っている神社です。初瀬は大昔は「泊瀬」と書き「はつせ」と呼ばれていました。泊瀬川の瀬に天照大御神が流れ着かれここに立ち上がられ、上陸されました。小夫大神社の近くに化粧壺や化粧川と
いう地名が残っています。これは大昔の神様がお使いになった道具の名残でしょう。天照大御神 は暫くこの地に住まれ、伊勢の方へ行かれました。そこれから伊勢神社というのが出来た、と当時では言い伝えられています。長谷寺の中に、天照大御神 を祭られています」と、祖父から聞いた物語を説明してくれた。初瀬に着いて早々に、長谷寺の歴史を伝承の形で、覚えていられる末裔の方に会えるとは、これこそ仏様のお引き合わせと、おおいに感激した。この先に、何らか、歴史的に有益な話を聞く機会があるに違いないと確信し、気持ちが高ぶった。
現地に来ないと聞けない情報は、たくさんあるはずだ。遠くから此処まで来た甲斐があるというものだ。
 次の店も古い建物で奈良漬を売っている。店員は白衣の作業服を着た中年男性だった。店の奥まで行くとガラス越しにこ洒落た風情のある庭がある。建物も柱も太く堂々たる風格をしている。外に出て隣も含め店の全景を撮影した。餅屋のご主人は隣の店も私どもの所有ですという。昔は大儲けをして金持だった雰囲気が感じられる。
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