第13話

文字数 8,991文字


 ジュニアの腕に着いているスマートウォッチのようなものからピーッという電子音が鳴るとその画面に見たことのない文字のようなものが表示されて点滅を始めた。

 慌ててそれを見たシニアとスリムが互いに顔を見合わせる。
「残念ですが、ジュニアはもう長くないでしょう…」栗原と由紀子の方を向いてシニアが静かに告げる。

「え、どういうこと?」驚いた由紀子がシニアを見て言うと、
「わたくしも残念です…」スリムが悲しそうに言った。

「ジュニアちゃん! どうして…」由紀子は絞り出すように言うと、「どうして具合が悪いと言ってくれなかったの? そんなに無理してまで…」大粒の涙を流し、ジュニアの腕を取り必死で撫でた。

 ジュニアの腕に着いているスマートウォッチから今度はひときわ高い音がピーッと鳴り響いた。

 由起子はその音に驚いて泣くのを止め、シニアとスリムの顔を見ると、
「ジュニアの命は尽きました…」言い終える前にシニアは下を向いた。

「うそ、うそよ! だめ、ジュニアちゃん行かないで!」「ジュニアちゃんの家に行って粘土で何か作ろうと言ったじゃない!」「一緒に住もうと言ってくれたじゃない! なのにどうして…」由紀子はジュニアの身体をゆすりながら必死で叫び続ける。

 全く反応がないジュニアを見た由紀子が涙でグシャグシャになった顔を小さな胸にうずめた時、固く何かを握っていたその右腕がだらんと滑り落ちた。
 垂れ下がって伸びた腕の緩んだ拳の中にオレンジ色のものがあることに気付いた由紀子はその手を取り、そっと開いてみる。

 それは最終練習の時に由紀子が着けた、手作りのガーベラだった。

 オレンジ色のその花を見た瞬間、「僕、由起子さんの為に頑張るよ!」そう言うジュニアの声が由起子の頭の中に蘇って聞こえた。

「由紀子さんも一緒にジュシスに行こうよ! 僕の家に来て粘土で何かを作ろうよ!」というジュニアの声が何度も響き、その時のジュニアの笑顔が蘇った。

 ジュニアが命を懸けてまで地球の滅亡を防ごうとしてくれたと知った由起子は、ジュシスの為に自分の人生を捧げると亡骸に誓った。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 その日の夕方、シニアはスリムと2人で長さが1.5メートル程ある、宇宙船のボディーと同じ素材のカプセルみたいな物を持ち出してきた。

 上半分が透明になっているそのカプセルをシニアが指差しながら、
「ジュニアをこのカプセルに入れ、わたし達が遺体を安置する為に利用している星へ向けて送ります。この大きさと素材なら地球のレーダーでは探知できませんが目撃されると困るので暗くなってから行う予定です」神妙な顔でジュニアの遺体に付き添っている栗原と由紀子に説明する。

「星が墓地になっているのですか?」栗原がそう訊くと、
「いいえ。いつか自分達の起源がわかり、その地に埋葬するまでの安置所としてその軌道上に乗せています。今は地球がその地だと判明したので移住が完了したら全て呼び戻し、ここに埋葬します」シニアはそう答えた後、カプセルの横にあるボタンを押して透明な上の部分を横に開いた。

 ジュニアが乗るベッドをカプセルの隣に並べると自動でマットの部分だけが横にスライドして遺体と共にカプセルの中に収まった。

「では、暗くなる前にお別れをしてください」静かな声でシニアが告げた。

 それを聞いた由紀子は広場の端まで歩いていき、そこに沢山咲いているガーベラから一輪だけ摘み取ると再び戻ってカプセルに歩み寄る。
 夕焼けに照らされたその顔は何かを決心しているように見えた。

「カプセルをここに咲くガーベラで一杯にして送り出そうと思ったけど、自然を大切にするジュニアちゃんが私にしてくれたように一輪だけ摘ませてもらったわ…」そう言葉を掛けてからオレンジ色のガーベラをそっと胸に置き、静かに祈って別れを告げた。

 続いて栗原も同じようにガーベラを一輪だけ摘むとその胸に置き、
「ジュシスの人々が移住を叶えられるように見守って下さい」と手を合わせた。

 シニアとスリムも同じように花を置き、3倍速の早口で別れを告げるとカプセルのボタンを押して上の部分を閉じる。

 それから4人はジュニアのカプセルの横で言葉を交わすこともなくただ、夕日が沈むのを待った。

 やがて夕焼けのオレンジ色に染まった空の端が微かな紫色に変わり始めると全ての色を押し流すように紺色の夜空がやってきて、あっという間に広場は闇に包まれた。

 シニアがジュニアのカプセルにゆっくり近づくと、
「暗くなりましたので、これから送ります」皆に向かって言い、カプセルの横に付いた小さなボタンをいくつか押した後、「では、旅立ちます」と下を向いたまま静かに3人に告げた。

 黙って頷いた3人がカプセルを見つめると微かに浮かび、動いているのがわからない位ゆっくり上昇を始める。
 カプセルの内部が暗く表面に月が反射していたのでジュニアの顔は良く見えなかったがその胸に置かれた4つのガーベラは鮮やかなオレンジ色を見せていた。
 そのままゆっくり上昇するカプセルが胸の高さになると由紀子と栗原は手を合わせてジュニアの冥福を祈った。

 その後、頭の高さを超えるたカプセルは銀色の底だけを見せながら夜空に吸い込まれるようにしてどんどん加速していき、やがて星に紛れて見えなくなった。

「絶対にやり遂げるから、安心してね…」由紀子は再び手を合わせてそう呟き、ジュニアが消えた夜空をいつまでも見つめていた。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 国際会議は昨日の宇宙人との遭遇で中止となり、各国の首脳は自国へ戻り始めていた。

 様々なメディアによって3人の演説場面が世界中を駆け巡り、地球が50年も続かないと告げられたことによって人々をパニックに陥れた。
 各国の諜報機関や軍隊は宇宙船の行方を血眼になって追っていたが超低空を飛んで広場へ戻った為、どの国もレーダーで追尾することが出来ず、その行先は不明だとしていた。

 宇宙人の手掛かりが何もない世界中のメディアは想像を基にした不確実なものばかりを報道し、あるテレビ局は3人を海底から来た海底人と呼び、ウエットスーツを着たその容姿が証拠だなどとしている。
 そうして正しい情報がないまま数日経つといい加減な報道によってパニックを起こした人々が暴徒化するなどして、どの国でも社会が混乱し始めていた。
 宇宙人から示されたデータを何とか解明しようと懸命な科学者達をよそに、混乱を鎮静化したい政府が「地球に終わりが来るというのは嘘で、宇宙人はここを征服しようと企んでいる」と発表した為、人々はそれを信じるようになった。
 その後、宇宙人の攻撃には地球全体で備えるべきと訴える政治家が多くなると地球の終わりなど信じたくなかった人々は軍備の増強へ舵を切ることに反対することはなかった。

 2週間後、世界の首脳は国連に集合した。

 何の手掛かりも掴めない宇宙人に対して、世界が協力して対応せねばならないという各国からの要望に加え、地球滅亡という恐怖よって世界が混乱することを避けようと急遽、会合が開催されることになったのだ。

 宇宙人の高度な科学技術による攻撃には地球上の最強兵器である核ミサイルで迎え撃つしかないと考える大国によって招集された会合だったがそれらの国々は既に軍備の増強を始めており、これまでのパワーバランスを大きく狂わせていた。

 大国によってその数を大幅に増やされた核ミサイルが本当に宇宙へ向けられたものかは発射されるまで判らないから、そのまま敵対する国の脅威となった。
 一方の敵対国は宇宙人の攻撃に備えるという大義の基で増やす事を許された核ミサイルを大国の脅威に対抗する手段として配備してしまった為、世界は『核の悪循環』に陥っていた。

 それを見かねた国連は各国が増強できる核ミサイルの数を制限しようとしたが大国が既に増やした分を国家機密として明かさなかった為、全く実効性のないものとなってしまった。
 そうなると大国以外の国々もこれから増やす数を正確に公表しなくなり、世界が協力して成し遂げようとした防衛計画は地球自身に向けられる核ミサイルをいたずらに増やすだけの結果に終わってしまった。

 政府や軍隊、市民の殆どがパニックになっている中で唯一、科学者達だけは冷静で宇宙人の進んだ科学技術とその思想が現在地球上でもっとも深刻な問題である温暖化を食い止める手段になり得るという意見で一致していた。
 今ある地球上の知識では彼らが示したデータを解明することは到底不可能だとしながらもその信憑性はあると訴え、攻撃に対する準備ではなく平和的なコンタクトの方法を模索するべだと必死になって主張した。
 しかし、地球がこのままでは50年も続かないという世紀末的な現実を信じようとする人は少なく、科学者達の主張が受け入れられる事はなかった。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 由紀子が売店のテレビで10時のニュースを見ていると、入り口の開いたままのガラス戸から区長の高橋が入ってきた。
「日本もついに核兵器を持っちゃったんだね。原爆で犠牲になった人達が見たらどう想うんだろうか…」被っていたキャップを団扇代わりにして顔を仰ぎながら残念そうに言って黙った。

「私もたった今、ニュースで知りました。核ミサイル20基を宇宙に向けて配備したようですね」由紀子はテレビを消して険しい顔のままそう応えた。

 高橋は入り口の冷蔵ケースからアイスキャンディーを1つ取り出し、何も言わずに由紀子がいるガラスケースの上に代金を置くと椅子の1つに腰かけた。

 高橋も由紀子もニュースの事を考えてか何も話さずにいる。


 シニアとスリムはジュニアをカプセルで送った後、1週間は山の広場で地球の様子を見ていたがそのあまりの混乱に今、協力を得る事は不可能だとして同行の人達と共にジュシスへ帰ってしまった。
 そして、4ヶ月経った今も彼らからは何の連絡もなかった。

 ジュシスの人達が戦うという発想を持たない平和主義者だと知っていた由起子はそれとは対照的な地球人の好戦的な姿勢やヒステリックなまでに怯える姿をニュースで見る度にうんざりしていた。
 その後、先制攻撃を仕掛けるべきと主張する国の軍隊が衛星を飛ばし、宇宙人達が住む星の探査を始めたという本当が嘘か判らないようなニュースを耳にして、いつか地球人がジュシスを滅ぼしてしまうのではないかとの危機感を抱くようになっていった。

 ジュシスは別の銀河にあるのだから、地球の科学技術で発見される筈はなかったがあの『移住・環境大臣』が話したように将来もずっと発見されないという保証はない。
 もし、地球人が何らかの手段でジュシスを見つけ、その征服を企んだり攻撃を仕掛けたりしたら戦う手段を持たない彼らは全滅するか地球人の言いなりになるしかないのだ。

「私が守ってあげないと…」
 そんな事を考えていた由紀子が小さく呟くと、高橋が顔を上げて何か言い掛けたが、
「さあ、油ばかり売っているとばあさんに怒られるから、帰るとするか…」とアイスキャンディーの袋を丸めながら出ていった。

 夕方、迎えに来た軽トラックの助手席に座った由紀子は
「ジュシスの人に地球からの攻撃に備えるように伝えないといけないわ。ここ日本からも核ミサイルが宇宙へ向けられるようになったのだから…」運転席の栗原を見ながら言った。

 毎日の送迎で走る道は翌日の仕事を考える時間にし、何も話さないのが当たり前だったから助手席に座った途端に話し出した由紀子に栗原は少し驚いたが、
「こちらから連絡を取る方法はないからなあ…」現実的に考えてそう返事し、「それに、戦う事を知らない彼らは攻撃に備えろと言われても、どうすれば良いのか全く分からないだろう…」困ったように言って黙った。

「じゃあ、どうしたらジュシスを地球の攻撃から守れるの?」それ以上何も言わない栗原に焦れた由紀子が言うと、
「防衛は戦う経験のない彼らにとっては簡単じゃないだろう。ジュシスを本気で守りたいなら、『攻撃は最大の防御なり』と言われる通り、地球を跡形もなく消滅させてしまえばイイ。高度な科学技術を持つ彼らにとっては簡単な事かも知れないよ」栗原が笑いながら話す。

「地球を消滅させられたら困るわ…」由紀子は口を尖らせた。

「それも宇宙の環境破壊だろうし、彼らの故郷でもある地球を消滅させるような事は絶対にしないさ…」
 栗原は真顔になってそう言うとエンジンを掛けて車を出した。


 夕食を終えた由紀子は自分の部屋で1人、その存在を誰にも明かしていない『夢日記』の事を考えていた。

 おばあさんがジュシスを訪れた日に見た、その星の生物多様性や自然を大切にしている住人の事、そして『その星の美しさは筆舌に尽くしがたい程だ』という最後に書かれていた一文を思い出した。

 言葉では表現出来ない程に美しい、そんな星で1日でもジュニアと過ごせたおばあさんの事が今はとても羨ましく思えた。
 そして、自分もその美しい星を訪れ、もう一緒に過ごすことが叶わなくなってしまったジュニアの事を感じたいと心から願っていた。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 連日、各国が核ミサイルを完成させて配備したとのニュースが続く中、あるデマが世界に配信された。

 それは、宇宙人が3000年前に脱出した人類だと嘘をついて地球を植民地にしようとしていた事が判明したというもので、3人が会議場で示した科学的なデータもでたらめで、だから地球の科学者が内容を解明できないのだというもっともらしい理由まで同時に配信されていた。

 地球がなかなか攻撃されないので余裕が出てきたのか、テレビなどのメディアは視聴率を稼ぐために宇宙人の話題をエンターテインメント化して事実に基づかない事の数々を放送していた。
 過激なものでは宇宙人が地球人の子供を食べている場面や宇宙船が世界の都市を攻撃して壊滅させる場面などをCGで映像化して流した。
 そんな風に情報が錯そうしてくるとどれが事実でどれが嘘なのか分からなくなり、地球外生物を敵視する団体がでっち上げた、宇宙人による地球征服のストーリーを冷静だった人々までが信じ始めた。

 そんなニュースやテレビ番組を目にする度に半分呆れて怒っていた由紀子だったが国際会議の会場で演説したジュニアの映像が加工され、3人がまるで悪魔のように仕立てられたものを見てからかなり憤慨するようになっていた。


 それから1ヶ月程経ったある日、2人が縁側で沈みゆく夕日を眺めていると突然、銀色の宇宙船が音もなく庭に向けて降下してきた。

 栗原と由紀子は信じられない表情で互いの顔を見て、
「シニアとスリムが?」
「シニアとスリムが?」と同時に同じことを呟いた。

 庭に着陸した宇宙船から音もなくエレベーターが降下し、スロープが伸びてくる。

 誰がそこから降りて来るのかと、2人が緊張しながらゴム毬の壁を見ているとそこからシニアとスリムが出てきた。

 スロープを下りて2人が縁側までやってくるとすぐにリビングに招き入れる。

「お久しぶりです。お2人を迎えにきました!」先ずシニアが言って、
「地球にいるのは危険です。わたくし達とジュシスへ行きましょう!」すぐにスリムが続けた。

 あまりにも突然でシニアとスリムが何を言ったのか理解出来ずに栗原と由紀子は唖然としていた。

 すると、シニアが2人を見て、
「すべて配給されますので何も要りません。さあ、時間がないので行きましょう!」と急かして言う。

 それを聞いた由紀子は目が覚めたようにして、
「待って、一番大事なものだけは持って行かせて!」と言うやいなやアトリエに走った。

 栗原はどうしたら良いのか分からずそのまま動かずにいたが、彼らが言った事を理解出来なかったというわけではなく、どうするのかを決めかねていたのだった。
 彼らが核ミサイルで埋め尽くされてしまった地球から自分達を救出に来てくれたのは良く分かったが地球を出たらその行先はジュシスだとも分かっていたから、そこに行くかどうかを決めかねていたのだ。

 あまりに突然でその判断に栗原が迷っていると、両手で箱を抱えた由紀子がアトリエから走って戻った。

「これだけは持っていきたいの。イイでしょ?」箱の中に入れた、ジュニア、シニア、スリムの粘土の作品を見せながら必死の形相で訊くと、
「構いません。では行きましょう」とシニアが縁側に向かった。

 それを聞いた栗原が
「待ってください。僕はまだ行くかどうか決めていないんです…」困ったように言うと、
「わたし達がここへ来た事は地球上のレーダーで既に探知されている筈です。だからここを離れる際、宇宙船に向けて核ミサイルが発射されるかも知れないのです。宇宙船はミサイルをかわせるので心配ありませんが、どこかの国の防衛システムがそれを自国への攻撃と誤認して報復用ミサイルが発射されれば報復の連鎖が始まり、地球上のすべてのミサイルが飛び交う事になってしまうでしょう。わたしが言っている事を辰則さんもお分かりの筈です」シニアが早口で答えた。

「それは良くわかっていますが、しかし…」シニアの目を見ながら栗原が呟くように言い、由起子を見ると、
「だったら、行かないのは自殺行為だわ。迷う必要なんてないじゃない!」そう言って、すがるような目で栗原を見つめた。

「いや、必ずそうなるという訳じゃないし、僕はまだジュシスで生きていく自信がないんだ…」残念そうに言うと下を向いた。

 誰も何も言わず、シニアとスリムはただ残念な表情をしている。

 少しの沈黙の後、由起子が静かに話しだした。
「私が会社を辞める決心をした時に辰則は、『今、由紀子を必要とする人が必ずいる筈で、それをこれから探せばイイんだ』と慰めてくれたわ。そして、3人が帰ってしまった時だって『ジュシスに会いに行けばイイ』と言ってくれたじゃない。今、ジュシスが私達を必要としているのよ。私はジュシスの人達が好きだし、ジュニアちゃんが暮らしていた場所で生きてみたいの」話し終えると栗原をじっと見つめた。

 その目の中に固い意志を感じながら栗原は
「君が行く事を止めはしない。だけど僕は行かれない。まだその覚悟が出来ていないんだ!」由紀子を見てハッキリ告げ、「僕は自分の感情を表現する為に陶芸を始めたんだ。ジュシスのように合理性を最優先にする社会で自分が生きられるとは思えない。ジュシスに行って生き甲斐を失うことになるなら地球と一緒に滅亡するのも同じなんだ。この先どんな兵器が開発されてここから宇宙に向けられるのか知れず、ジュシスの人達も簡単には地球に近付けなくなる。1度行ったらもう戻れないかも知れないんだ」正直に心の内を話した。

 すると由紀子は
「平和を愛し、自然を大切にするジュシスの人達は宇宙における希望よ。彼らの地球への帰還の夢を叶えるには私達の助けが必要なの。だから私は地球に戻れなくても後悔はしないわ」その固い意志を今度は言葉でハッキリと示し、「一緒に行って欲しかった…」下を向いて最後にそう呟くと宇宙船から伸びたスロープを1人で上がり始めた。

 涙を流しているように見えたが栗原はそれ以上何も言えずにただ、ゆっくりスロープを上がって行く由起子を見ていた。
 どこか遠くの銀河にある知らない星へ旅立つその姿を見てもそれが一生の別れになってしまうかも知れないという実感が湧かずに、別の国を旅するための飛行機へ乗り込むような感覚しかなく、白いゴム毬が並んだ壁の中に由紀子の姿が消えるまで黙って見送っていた。

「わたし達の星で沢山の人達に感情を芽生えさせてくれれば、辰則さんも生きられるのではと思っていましたが…」シニアが残念そうに言い、
「わたくしも辰則さんが一緒に来てくれたら良いと思っていました」スリムが静かに言った。

 栗原はそんな2人の気持ちを断ち切るように話し始めた。

「皆に感情を芽生えさせてしまえばジュシスの人達ではなくなってしまいます。そのままの自然な宇宙の姿を大事にするあなた達なら僕が言っている意味はわかりますよね。もし、感情を持てば地球人のように戦いを初めてしまうかも知れず、僕はそんな風になって欲しくないと心から思っています。友達になれたシニアとスリムに会えなくなるのは本当に残念ですがいつまでも元気でいてください。由紀子を宜しくお願いします」栗原はそう言うと丁寧に頭を下げた。

「わたしもスリムも今は友情というものがわかるようになりました。そして辰則さんが大切な友達だという事も…。だから大切な友達の考えを尊重し、あなたを連れていくのは諦めます…」そう言うシニアの目には涙が浮かんでいた。

 スリムを見るとその目からは光るものが流れる。

 栗原はシニアとスリムを順番に抱きしめた。

「わたし達がここへ来ることはもう無いでしょう。辰則さん、これまで色々ありがとうございました。地球がずっと無事であることをジュシスから祈っています」最後にシニアが自ら手を差し伸べて握手を求めてきた。

 栗原はその手を固く握りながら、
「地球が50年も続かないというなら、遠くの銀河にあるジュシスは発見されずに終わるでしょう。僕は地球が滅亡するその時に、ジュシスが攻撃されずに済んだ喜びと共に一生を終える事が出来ます」目に涙を溜めながら言った。

「辰則さん、わたくしも地球の人々が自ら気付いて滅亡の道から抜け出せるように祈っています。そして、わたくし達が再び会えることも…」スリムとも同じように固い握手を交わした。

 それ以上何も言わずにスロープを上がった2人は一旦そこに立ち止まり、栗原の方を向いてゆっくり頭を下げてから宇宙船の中に消えた。
 スロープが収納されてドアが閉まると宇宙船は少しだけ浮き上がったがすぐには上昇せず、別れを惜しむようにそのまま留まっている。

 栗原は中から見えているのか、聞こえているのかわからなかったが、
「由紀子、今まで一緒にいられて幸せだった。僕はどこにも行かずにずっとここにいるから…」と大粒の涙を流しながら叫んだ。

 すると宇宙船はゆっくり上昇を始め、中から由紀子の声で
「さようなら…」と言うのが聞えたような気がした時、もの凄いスピードになってあっという間に雲の中へ消えてしまった。
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